日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065187739

作品紹介・あらすじ

「わび・さび」「数寄」「まねび」……この国の<深い魅力>を解読する!
独自の方法論で日本文化の本質を見通す「松岡日本論」の集大成!

お米のこと、客神、仮名の役割、神仏習合の秘密、「すさび」や「粋」の感覚のこと、「まねび」と日本の教育……断言しますが、日本文化は廃コンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂があるのです。


<本書の内容より>
・なぜ日本はヤマトと呼ばれるのか
・神さまをカミと呼ぶようになった理由
・日本人のコメ信仰にひそむ背景
・日本人が「都落ち」にダンディズムを感じる理由
・日本人が七五調の拍子を好むわけ
・世阿弥が必要と考えた「物学」の心
・今の時代に求められる「バサラ」と「かぶき者」
・「伊達」「粋」「通」はなぜ生まれたのか
……ほか


<目次>
第一講:柱を立てる
第二講:和漢の境をまたぐ
第三講:イノリとミノリ
第四講:神と仏の習合
第五講:和する/荒ぶる
第六講:漂泊と辺境
第七講:型・間・拍子
第八講:小さきもの
第九講:まねび/まなび
第一〇講:或るおおもと
第一一講:かぶいて候
第一二講:市と庭
第一三講:ナリフリかまう
第一四講:ニュースとお笑い
第一五講:経世済民
第一六講:面影を編集する

感想・レビュー・書評

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  • 松岡正剛氏の著作を読むのは初めてではないのだけど、タイトルを見てほいほいされると、痛い目を見る本だなと思った(笑)

    日本文化をさまざまな角度からフィルターを通して見ていこうという試みで、粋とか通、柱、お米、笑い、漂泊、面影などなど……ぐっと対象を狭めているようで、章と章の間を縦横無尽に内容を繋いでいくところは圧巻。
    これ、マップにしたら面白いだろうなー。

    恐らく非常に分かりやすく噛み砕いて書かれているはずなのに、それがスマートというよりは、知の凝縮なもので、うっかりしてると付いていけなくなる。
    見た目の入りやすさに反して、ある程度の読書力や前提知識がないと、この本の面白さに至れないのではないか、というのは言い過ぎ?

    とにかく、焦らずゆっくり、と言い聞かせながら読まないと、単に分かった気にだけなる、恐ろしい一冊だった……。

  • 久しぶりに手にしたセイゴウ本は、新書とは思えない高密度。「ハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある」日本文化を、自ら考案した10数種類の「ジャパン・フィルター」を手がかりに読み解こうという試み。

    博覧強記、縦横無尽、硬軟自在…セイゴウ本を読むと、こんな言葉が頭に浮かび、それに気圧されるばかり。いや、それではいかん、丸ごと肯定してはいかん、といつも思うのだけれど、やはり今回も撃沈。腹にストンと落ちることばかりだから敵わない。
    元来、この国は外来のものをそのまま受け入れたのではなく、巧みに編集をして取り込んできたが、明治の文明開化では編集を怠ったという指摘。また、「かぐや姫」は「歴史的なポケモン第一号」であるという指摘。本書で響いた指摘を挙げたらキリがないので、それは自分用のメモに回すとして、改めてセイゴウ本について気づいたことを記しておこう。

    セイゴウ本に触れると、知らない日本語に必ず出会うことになる。例えば、本書では「和光同塵」。上記した「編集して取り込んできた」ことの証左としてこの四字熟語の存在を挙げている。また、普段使っている言葉の語源にも多く出会う。本書では「歌舞伎」「打ち合わせ」「結び」「侘び」などなど。こうした形で出会うと、やはりどうしても自分で辞書を引いて確認することになる。だから、セイゴウ本を読むのは時間がかかるし、覚悟も要る。
    でも、こうした手間をかけながら読むことは、セイゴウ本には相応しいのではないかと。気圧されるばかりではなく、この博覧強記の超人に面と向かうにはこのくらいのことはしないと…などと不肖な一読者は思うのである。

  • 日本文化、芸術、システム工学に詳しい著者が、日本文化の根幹にあるものについて述べた本。「柱」「結び」「神」「間」「家」など、カギとなる言葉について解説しながら、日本文化の核心に迫っていく手法をとっている。もちろん明確に核心が示されているわけではないが、おぼろげながら感じることができる程度の理解であろうか。1つ1つの事柄に関する研究は精緻で勉強になった。

    「ディープな日本の特色」p3
    「日本文化はハイコンテキストで、一見、わかりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂があるのです」p6
    「日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。これはムリです。安易な日本論ほど日本をミスリードしていきます」p8
    「(稲、鉄、漢字)約1万年にわたった自給自適の縄文時代のあと、中国から稲と鉄と漢字が入ってきて日本を一変させたのです。紀元ゼロ年をまたぐ200~300年間のこと、弥生時代前後の大事件でした」p17
    「(柱の文化)神さまを「御柱」と呼んだり、神さまの数を「柱」で数えてきた。家の中心は「大国柱」、床の間には「床柱」があった」p22
    「柱を立てる、身を立てる(立身)、志を立てる(立志)、国を立てる(立国)、いずれも立ててナンボです」p22
    「(ムスビの国)「横綱」「結納」「結婚」「おむすび」」p26
    「地鎮祭では、その土地の一角の四隅に四本の柱を立て、そこに注連縄を回して結界を張ります。内藤廣や隈研吾という建築家は地鎮祭をたいへん重視しています」p27
    「仮名の出現が日本文化の確立を促した最大の事件(ドナルド・キーン)」p44
    「(リミックス)神仏習合もかなり大胆な日本特有の編集力によっておこった」p89
    「王朝感覚の「あはれ」を武家が感じると「あっぱれ」になる」p119
    「西行や能因法師がタブの途中で田舎家を訪ねても、その家の主人は「こんな田舎家を訪ねてくださってたいへんありがたい。どうぞ一夜お泊りください。ただ申し訳ないことに、粗茶、粗食しかお出しできません」などとお詫びをします。けれどもそこを訪ねた西行や能因法師からすると、亭主たちのこの「詫びる気持ち」こそが何より尊いものに感じられる。こうした気持ちの交わしあいから「詫び」が転じて「侘び」という価値が生まれていったのです」p124
    「ハーンやフェノロサやコンドルが見出した日本の美は生活の中に生きていたり、徒弟的に師から弟子に伝えられたりしてきた技法やセンスにもとづくもので、教育的に継承されてきたものではありません。「生」と「技術」と「美」がつながっていたのです。彼らはそこに感動したのです」p192
    「日本においては学ぶことの基本はまず「写す」ことであって、学びを評価される場合も、オリジナルの要素を出せたかどうかではなく、お手本を上手に写していたか、そっくりであるかが評価されてきた。「まなび」は「まねび」にもとづいているのです」p202
    「歌舞伎という名称は「傾く(かぶく)」という言葉から生まれました」p229
    「バサラに前後の系譜があるとしたら、後醍醐天皇を助けた楠木正成の「悪党」の一群や南朝ロマンの残党で、もっと前なら木曽義仲や巴御前で、これよりあとの例なら織田信長の「うつけ者」や歌舞伎十八番の市川團十郎、あるいは浮世絵の主人公たちでしょう」p231
    「今日の日本社会はコンプライアンスに惑わされ、監視カメラと賞味期限に縛られ、安心安全なところでしか仕事ができないようにしています。セクハラ、パワハラはもってのほかです。多くの現象や表現が衛生無害なものに向かっていて、このままでは和風に整った和霊はともかく、荒ぶるものまですっかり縮こまってしまっているのです」p234
    「日本の理性は民主主義や平等主義によってつるつるになってしまっているのです。これはいけません。ガチンとしたものやゴツイものが出てこない」p234
    「バサラやカブキの精神には「出る杭は打たれる」とは反対の気骨が流れてきました。出る杭になっても怖れないようにする、それがバサラやカブキの精神です」p236
    「(情報文化の劣化)なぜ、そんなふうになったのか。それがネット社会による「いいね」文化の拡張のせいか、日本の反知性主義の蔓延のせいか、コンプライアンスと情報公開主義の定常化によるのかどうかは、にわかに判断しにくいけれど、私の実感ではこのところの日本の情報文化は「わかりやすさ」のほうに大きく流れていっていると思います。短時間でピンときたり、笑えたり、おぼえられるものが主流になってしまったのです。これは情報文化が細切れになっているということです」p295

  • 正剛さんの世界にどっぷりと浸って、日本について考えることができた。私にとって、正剛さんの本はいつも難解だし、初めて知ることも多い。もっといろんな本を読みたい、もっと知りたいという知的欲求を高めてくれる本です。

  • 六古窯(ろっこよう) 信楽焼、瀬戸焼、肥前焼、丹波焼、越前焼、常滑焼

    住吉、住之江、安住、渥美 塩の道に関連した名前

    立春から数えて八十八夜に田植えをする

    直播きの種籾をそのまま育てずに、いったん苗代で苗にして、それから田植えをする 日本的でイノベーティブな方法

    地蔵は 地蔵菩薩
    観音様は観音菩薩
    八幡様 鎌倉時代以降に祭られた武神で応神天皇と同一視
    お稲荷さん ウカノミタマときつねが習合 日本では商売繁盛と結びつく
    七福神 恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天 インドの神や禅僧や日本の海神などごちゃまぜ
    恵比寿 日本古来の漁業の神 大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神の異名 福禄寿は同郷の神様 毘沙門天は仏教の四天王のひとり

    身を禊いだイザナギは最後に目と鼻を浄めるが、このとき左の目からアマテラス、右の目からツクヨミ、花からスサノオが成った

    伝わった仏教は顕教と密教という流れで進む
     顕教 八宗ないし十宗 倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、華厳宗、天台宗、真言宗、禅宗、浄土宗
    日本各地にのこっておる寺寺のルーツはほぼこの中に認められる
    八宗は五流八派に分かれる
    鎌倉期の途中から、法然や親鸞にはじまる浄土真宗、日蓮にはじまる日蓮宗、一遍に始まる時宗などがおこり、禅宗も変質していく

    徳川時代に寺請性が確立されると、寺と地縁と檀家というセットができる

    記紀神話には日本のことを、葦原中津国とか豊葦原とかと記しています これは国号と言うよりも、水辺に葦が生い茂っている豊かなわれらが国という意味です
    秋津島とか大日本豊秋津島というふうに表記されることもある

    本州、四国、九州、隠岐、壱岐、津島、淡路島、佐渡をまとめておやしま(大八島、大八州) 記紀の国生みの場面で生み出された島々

    あわれは武家社会ではあっぱれと変じた

    仏教の四諦観による 四諦とは苦諦、集諦、滅諦、道諦の4つの諦めでブッダが最初に説いた

    苦諦は生老病死の四苦と、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えた八苦を強調して、いわゆる四苦八苦というふうにまとめた

    公家のランキング 
     トップは摂家 近衛、九条、二条、一条、鷹司の五摂家 大納言右大臣左大臣を経て摂政関白太政大臣になれる
     次が清華家 転法輪三条、西園寺、徳大寺、久我、花山院、大炊御門、今出川 摂家とは別のルートで近衛大臣から太政大臣になれる
     摂家と清華家とあわせて公達という

    清華家の庶流から大臣家 正親町三条、三条西、中院の三家 そのほか羽林家、名家、半家
    羽林家 羽の如く早く、林の如く多い トータル60家
     閑院流 姉小路、大宮 押小路、風早、高松、武者小路、四辻、藪、中園、高丘など二十三家
     花山院流 中山、難波、飛鳥いど、野宮、今白の五家
     中御門流 中御門、持明院、壬生、六角など九家
     御子左流 冷泉家、入江家など四家
    さらに四条流、水瀬流、高倉流
    このあたりまでが日本を代表する貴族の家柄

    鴎外 阿部一族

    利休七哲 蒲生氏郷、細川三斎、牧村兵部、古田織部、芝山監物、高山右近、前田利家

    これがさらに、織田有楽、小堀遠州、片桐石州らに踏襲され変化していく

    利休の養子であり娘婿である千少庵の子の千宗旦のときに、表千家、裏千家、武者小路千家、の三千家が伝統を引き継いだ
    表千家 宗旦の三男の不審庵 裏千家は四男の今日庵 武者小路千家は次男の官休庵がつくった
    それぞれいまもなお京都の小川町あたりに宗家の茶室をかまえている
    そのほか宗旦四天王から 山田宗偏の宗徧流、藤村庸軒の庸軒流が生まれ、そこから久田流、堀内流、川上不白の江戸千家などが派生した
    千家の茶には千家十職という道具作りのプロもひかえている
    茶釜師の楽吉右衛門、釜師の大西清右衛門、塗師の中村宗哲、指物師の駒沢利斎、金物師の中川浄益、袋師の土田友湖、表具師の奥村吉兵衛、一閑張細工師の飛来一閑、竹細工柄杓師の黒田正玄、土風炉焼物師の永楽善五郎の十職

    貨幣 和同開珎から平安中期まで12種類の貨幣が鋳造された 皇朝十二銭

    貨幣経済 金の東国、銀の西国

    修身斉家治国平天下 大学の一節
    その前にあり
    修身の前 格物、致知、誠意、正心

    格物致知とは、物に格って(いたって)知に致るということで、万事万象の物の出来具合を弁別し、その上で知を活用しなさいとときます。ついで、誠意正心では知の意味をまっとうすれば必ずや誠に及ぶはずで、それによって心を正しくするといいのだと説く。

    知を致すには、物に格ることをおろそかにしてはいけない。物に格れば、しかるのちに知に致る。知に致ってのちに意が誠になり、そののちに心が正しくはたらく。心が正しくはたらけば身が修まるところがわかる。身が修まれば家が斉のう(ととのう)。そうやって家が斉って、初めて国が治まる。国が治まれば必ず天下は平らかになるだろう

  • つまるところ、教養とは古典なのだな。

    もっと古典を読もう。

  • 日本語は 和漢リミックスと言うことですが、この本では、カタカナ語を散りばめて、和漢洋リミックスを試みている。新しい日本の体現か!

  • 今の日本のアレコレの起源から現代にいたるまでの流れを読み解くことで、日本文化の真髄に迫ろうと試みる本。
    これが始まりだったのか、と目から鱗だったり納得するものが多い。
    しかし後半になればなるほど、「現代にはその良さは失われている」と懐古主義的な結論になることが多く、いち若者としては首を傾げるばかりだった。また、結論現代にどう受け継がれているのかはわからないことばかりだった。(冒頭に、日本文化を明確にするのは難しいと述べられてはいるが…)

  • 哲学、文学、歴史、伝統芸能、舞台、音楽、漫画、アニメetc...と、この一冊を読むだけで松岡氏のカバーレンジの広さに圧倒される。
    特に音楽やアニメ、漫画などは最近のものもしっかりと押さえていることに驚愕するとともに、そんな松岡氏だからこその多角的な視点から日本というものを考察した本作は、わかりやすいのだがサラッと読むんでは決していけないんだと思う。
    引き摺り込まれるというより、自ら深みにハマっていくような感じか。
    中で紹介されている本を読むだけで、多くの時間を費やし結構な深みにハマっていってしまうだろう。

  • ニホンとニッポンの呼び方や侘び寂びの意味など、普段自分が何気なく使っている言葉について、語源をたどりながら解説されていて日本について少し知ることができた。

    日本は同調圧力が強く単一民族だから多様性がないと思っていたけれどそうではないことを知った。
    縄文時代以降、稲・鉄・漢字の登場によって、さらにそれらを日本独自にアレンジしてきたことを考えると、現代のグローバリズムに乗る必要はなく、それを取り入れながら日本にとっての良い形に変えていけばいいのだと言われていた。

    この考え方に関しては、まだまだ理解しきれていないので、自分でも使えるように考え続けていきたい。

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著者プロフィール

一九四四年、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。一九七〇年代、工作舎を設立し『遊』を創刊。一九八〇年代、人間の思想や創造性に関わる総合的な方法論として″編集工学〟を提唱し、現在まで、日本・経済・物語文化、自然・生命科学、宇宙物理、デザイン、意匠図像、文字世界等の研究を深め、その成果をプロジェクトの監修や総合演出、企画構成、メディアプロデュース等で展開。二〇〇〇年、ブックアーカイブ「千夜千冊」の執筆をスタート、古今東西の知を紹介する。同時に、編集工学をカリキュラム化した「イシス編集学校」を創設。二〇〇九~一二年、丸善店内にショップ・イン・ショップ「松丸本舗」をプロデュース、読者体験の可能性を広げる″ブックウエア構想〟を実践する。近著に『松丸本舗主義』『連塾方法日本1~3』『意身伝心』。

「2016年 『アートエリアB1 5周年記念記録集 上方遊歩46景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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