あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065193778

感想・レビュー・書評

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  • 法哲学の導入部を扱った広く浅い書のようである。アナーキーでくだけた表現が法哲学という何やらむつかしい分野でも楽しく読ませる。

  • 読みやすい。具体的な話から原理的な思考に入っていくパターンは、哲学の入門書によくあるが、大抵は突っ込み不足になるか、消化不良になるかのどちらかだ。その点、この本は下世話にグイグイと掘り下げていくので、ついていける。著者の講義を受けてみたいなと思う。

  • ツイッター見ていて、本の紹介があって、おもしろそう、と思って、アマゾンでポチって、読みました。その紹介では、P.226からの1節が引用されていた。そして、見事にそこが今まさに自分が知りたいことで、この先どう議論は展開するのかと期待して読み始めた。なかなか知りたいことが出て来ないなあと思いながら迎えた最終章一歩手前、よしこれだと思って読んでいたら、節が変わったとたんに話が変わった。なに?肩すかし。この1年ほどずっと考えていることはこうだ。教育格差が騒がれているが、そこに見え隠れするのは、大学卒というのが幸福への道であるというような風潮。両親が大卒だと子どもも大卒になるケースが多い。それはそうだろう。けれど、大卒なら必ず幸せになれるのか。あるいは幸せと感じられるのか。高卒でも、中卒でも幸せに暮らしている人も多いのではないのか。缶酎ハイ1杯で幸せにひたれる人と、1本5万円もするようなドンペリがないと満足しない人、どちらが幸せなのか。そもそも、幸せって誰がどうやって決めるのか。本人の思いだけではだめなのか。人が財の消費から受ける満足のことを「厚生」というそうだが、この厚生がすべての人において実現されているだけでは平等とは言えないのか。酎ハイで満足できる人にドンペリなんてもったいない。それなら代わりに現金ください。それでいいではないか。そう、だから、大卒だから幸せ、中卒は不幸せとかではなく、同じ仕事をしていたら同じだけの給与が支払われればそれでいいのではないか。そうなっていないことが問題なのではないか。(今朝の新聞で、苅谷さんが格差でなく不平等と書いてたなあ。)でもな、もらえる現金が少なくても、それでも幸せに生活できている人もいるしな。極端に少ないのは困るけど。だから、ベーシックインカムなのではないのか。まあ、本書全般的にはおもしろかったです。しかし「性器を食す世紀のイベント」は知らんかったなあ。すごいこと考えるなあ。というか、そんなん食べてみたい人もいるんやな。幸せというのは人それぞれやなあ。まあ、他人に迷惑かけないかぎりはいいとするか。

  • 何事も当たり前だと、思考停止になるのではなく、何故?と疑問を持つ事が大切だと教えてくれる一冊。

  • 《もしあなたが「こんな法律はおかしいから従う意味がない」と考える時、あなたは法律に優先する正しさ、というものを信じていることになる。そのときあなたは、一国家の中の議会が定めた法律なんかよりも、世界でいつの時代にも共通に認められる正しさ、たとえば理性だとか、人道だとか、人間としての良心だとかに従うべきだ、と考えていることになる。このような、実定法に優越する効力をもつ法が存在すること信じる思想が、自然法論と呼ばれるものである。》(p.48)

    《「人間の尊厳」を①(尊厳という価値が独立的に存在しており、人間はそれの容れ物)の意味で捉えるならば、人間は容れ物として、その内にある実質価値ある「尊厳(品位)」を守らなければならない義務をもつことになる。これは人間より価値の方を重視する見方であるということで「価値志向型尊厳観」と名付ける学者もいる。②(人間が尊厳をもって行動すること)の意味で捉えるならば、人間が「尊厳(品位)」をもって、つまりつねに他人に介入されることなく自分の理性を自分で使い、自分の意思で思考し行動できなければならないということになる。これは人間が自分の主体性を行使することこそを最優先するため「主体性志向型尊厳観」と呼ばれもする。》(p.56-57)

  • こういう新書を手に取る大学生が数多くいればいいな、と思う。既に教養主義は廃れ、すぐに役に立つと感じられない教養涵養にお金を投ずる学生など珍奇な存在であろう。これくらい噛み砕いて楽しい本でも、ある程度の水準以上の法学部生以外では、進んで読むような学生はほとんどいないと感じている。法学部以外の学生さんに、流し読みしてもらって、面白いな、と感じてもらうことが大事だと思うのだがなあ。そうでなきゃ、政治に興味あります、なんて面接で言ったりしても、付け焼き刃以前で問題にならないよ。ベンサムって誰?って、そこらの大学生にサンプリングして訊いてみれば? たぶん愕然とする結果だろうな。

  • 著者が「はじめに」で書いている様に、講義のシラバスが元になっているな、と感じた。

    法学部の一年生向けの講義の様な内容なので、自分の様な法律のシロウトでも気楽に読み進める事が出来た。

    所々に出てくるマンガやアニメのネタが分かる人には、より楽しめる(星プラス0.5位か?)だろうが(講義でも話しているのかも知れないが)、自分には殆ど分からなかった。

    「法哲学」という言葉が気になった人にオススメ。

    MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店にて購入。

  • 本文中で勧められているように、ビールでも飲みながら読もうと購入後しばらく本棚に置いておいたら、高校生の息子に先に読まれてしまった。純理系ながら「こんな学問があるとは!」といたく感動したようで、読後は哲学分野への進路変更を口にするまでに。本書でもアニメやコミックが頻繁に言及されているが、著者のゼミのHPを見ると著者本人含め全員でコスプレしながらフレームに収まった写真が見え、カウンターカルチャーへの深いシンパシーが感じられる。自ら「人間には違和感を抱き、疑い、反抗する能力がある」という本書の結語を体現しているかのようだ。

     「法哲学」とタイトルにあるが、実定法を牽制し「法」のあるべき姿を追求するといった観念的な部分よりも、どちらかというと道徳哲学や公共哲学の分野を中心とした「社会と倫理の関係」に重心が置かれており、具体例として実際の有名な事件や議論となった話題が題材として用いられているため初学者でもとっつきやすい。随所で顔を出す著者のアニメオタクっぷりもなかなかにチャーミングだ。一方で、本書ではやや総花的に有名論点が扱われており、著者独自の見解というものはほとんど紹介されていない。法哲学者ならではの著者の個性は本書にほとんど現れておらず、著者自身としても「生み出す側」としてよりは「伝える側」の立場を強く意識しているのかもしれない。

    以下は読書メモ。

    第1章
    「授権説」ハンス・ケルゼン…「法実証主義」(↔︎「自然主義」)
    ・法にとって重要なのは制定手続きの有効性、内容の善悪は関係ない
    ・「根本軌範」…全ての法の根拠

    法の起源は暴力(ベンヤミン)
    ヘーゲル「世界は壮大な法廷である」
    立法…法の増殖(訴訟の増加=「法化」->官僚化、法律による私的自治の破壊 cf「隣人訴訟事件」)
    ハーバーマス「法は社会のシステムの一つでしかないが、人間関係を侵食する」

    第2章 自然法論vs法実証主義
    ジャン・ボダン「主権論」…暴力の独占による権力の支配を、法により正当化、ただし「自然法」の制約あり(「所有権の神聖不可侵」)
    ・アウグスティヌス、マックス・ヴェーバー:国家=暴力装置

    法律は道徳と無関係か?
    ・法実証主義:法=行動の結果の期待や予測を担保するルール。内容の妥当性は問わない
    ・自然法論:実定法に優越する効力を持つ法が存在する。根拠は「人間の本性」
    ←普遍的な良心や道徳などあるのか?現在は法実証主義が支配的
    ただし科学技術の発達→これまでなかった紛争の発生→自然主義が見直される契機に

    人間の尊厳とは?
    ①尊厳という価値が独立して存在、人間はその容れ物→人間は自らの内の実質価値たる「尊厳」を守る義務(「価値志向型尊厳観」)
     ②尊厳とは人間の属性、人間は尊厳を持って行動しなければならない→他人の介入なく理性を用い、自分の意思で思考し行動できなければならない(「主体性志向尊厳観」)
    ・自発的な売春…①なら尊厳という価値観の冒涜、②なら主体性の発露として尊重
    ・クローン人間…①なら尊厳という価値観の冒涜、②ならクローンの存在を尊重すべし

    第3章 正義をめぐる問い
    正義:利害や主張を異なる人々をいかに公平に扱うか、生じた不正をいかに現状回復するか
    ギリシャ神話の女神ディケー

    正義①:等しきものを等しく扱え(「形式的正義」)
    正義②:社会は正しくあるべき(「実質的正義」)
    正義③:各人に相応しいものを与えよ(「分配的正義」)…ディケーの掟
    →何に応じて富を分配するか?
    ジョン・ロールズ(反功利主義)の正義:
    各人の価値観・自由・権利が尊重されつつ社会全体の福利が増大すること
    「無知のヴェール」で個々の具体的属性を忘れて議論しよう
    ロールズの正義の二原理
    第一原理:誰もが他社の同様な自由と両立する平等な権利を持つべき
    第二原理:①②を満たす時のみ不平等は看過される
    ①最も不遇な人々にとって最大利益→その結果として全員の利益(「格差原理」)
    ②全ての人に諸々の職務や地位へのアクセスが可能(「公平な機械均等原理」)
     →これまで不利な扱いを受けてきた層を優先的に扱って良い(不平等政策の許容)
    「マキシミン原理」:起こるかもしれない損失を最小限に止めよう

    ロバート・ノージック
    個人が(他人の自由を侵害ない限り)自分が望む生き方を貫く
    ジョン・ロックの自然権(〜からの自由)
    「権原理論」:所有物の獲得と移転が正当化されるのは以下の場合
    ①原始取得
    ②自由意志による交換・贈与による獲得
    ③獲得に不正があれば発生時に遡って矯正
    ロールズの平等は「結果状態原理(結果の平等)」
     才能は個人に一身専属する(<->ロールズ:才能は社会の共通資産)
    リバタリアニズム(自由尊重主義)へ

    第4章 遵法義務はどこから
    山口良忠判事…食糧管理法(闇市を禁止)を遵守し餓死
    カール・アイヒマン裁判…アーレント「完全な無思想性は最大の犯罪」
    法実証主義…法に従わねばならないという道徳的義務までは主張しない(ハーバード・ハート)
    「市民的不服従」:法秩序は尊重するが、その中に耐えがたい不正があれば処罰を受け入れつつも従わない
    e.g. MLキング牧師、川崎磯信(食管法と減反政策に反抗)
    酒税法の意味はあるか?

    第5章 法と道徳
    「ハーム・リダクション」:禁止による逆効果や、取締りにかかるコストや刑罰を可能な限り小さくするため、従来犯罪とされてきた事柄を公認した上でコントロールする
    e.g. 未成年の避妊、健康増進法(不健康に生きる権利もある)
    「リーガル・モラリズム」:法による道徳の強制(e.g.同性愛は不道徳)
    デブリン卿… pro「公共道徳(社会全体の集合的な道徳判断)」があるべき
    ハート(法実証主義)… con「批判道徳(実定道徳を批判する理性的な道徳)の観点から、「実定道徳(具体的な内容を持った道徳)」の強制は不道徳

    「善きサマリア人の法」:窮地にある者を救うために善意の行動を取った場合、結果が失敗でも救助者の責任を問わない。欧米で法制化
    →救助する/しない自由は?

    第6章 功利主義
    ベンサム「パノプティコン(全展望監視システム)」
    ○ 他者の幸福を不当に奪わない限りにおいて、少数者もより幸福にならねばならない
    × 多数者の幸福のために少数者を犠牲にする
    ミル…「危害原理」:他社に危害を加えない限りは公権力によって抑圧されない
    「功利主義」:優先順位の論理(不利益を被る者を選び出す)
    ・スウェーデン…遺伝病者・知的障害に対する避妊治療が発覚(1995)
    ・最大幸福=もともと、多様な人々の多様な幸福の最大化→経済成長・生産性・軍事力

    第7章 権利そして人権
    権利とは
    「意思説」:他人の義務を権利者自らの意思で履行させたり免除したりする支配力
    「利益説」:本人の主張がなくても権利者の「守られるべき利益」を法的に定めたもの
    意思説では新生児や脳死状態の人には権利がないことになる

    道徳的権利…「法的権利」になるには「固有の性質」を備えることが必要
    ウェスリー・ホーフェルドの分類
    ①請求権:他者の義務
    ②自由:他者の無権利
    ③免除:他者の無能力
    ④権能:他者の責任

    新しい権利の成立条件(e.g.日照権)
    ①社会の要求
    ②その利益を保護すべきとする社会通念の存在
    ③既存実体法体系と矛盾しない

    人権は国家や裁判がないと機能しない
    ホッブス:「自己保存の権利」=国家が生ずる以前から人間がもつ自然権
    「カルネアデスの板」:極限状況では自分が生き延びることを最優先にして良い
    →人権=極限状況下での私人間の出来事について、事後的に裁判で用いられる規範概念
    →人権を主張できるのは国家や国際社会が機能しているから
    権利は人間間だけで機能する互助精神(動物の権利は「福祉」の授与)

    第8章 所有物とは
    ロック:人間は生まれながらに身体を所有、他人によって身体を支配されない(「自己所有権」)
    身体の自由意志による処分(臓器移植)が許されるか?

    第9章 アナルコ・キャピタリズム
    国家は果たして必要か?
    「主権」:暴力の合法的な独占(ボダン)
    →国家に暴力を委ねてよいか?

    ロック:政府は、個人の生命・健康・自由・所有権を守ることのみに専念すべき
    ノージック:自然権によって政府の権限を制約(「小さな政府」)
    アダム・スミス:夜警国家論:各人の利益追求=効率的な社会の最適化
    ハイエク:個人の自由は秩序の母「国家は建築家でなく庭師たれ」
    ピエール・J・プルードン「アナーキズム」:
    政府などの強制装置を全否定、人々の自発的契約や相互扶助のみで社会を運営
    条件①互酬性:利他的行為の相互遂行が長期的に自己利益につながること
    ②相互監視と評価

    「アナルコ・キャピタリズム」
    1)課税は国家による窃盗、国家は道徳的に不正であり不要(マリー・ロスバード)
    2)効率性の観点から公共財の供給は全て民間へ(デヴィッド・フリードマン)
    pro: 自由度が高い、サービスの質向上
    con: 自分の身体や財産は自分で守る必要、コスト高

    第10章 平等は実現可能か
    平等=不当に他人よりも悪い扱いを受けない権利

    ロナルド・ドゥオーキン(ロールズの「原初状態」よりもさらに平等を優先)
    ①基本的自由への権利
    ②誰もが平等に配慮され尊重されることを求める権利
     政府が国民に資源を平等に分配するとき、「他人の所有を羨む」気持ちも考慮すべし
    →市場取引で平等は実現可能
    「厚生の平等(人それぞれの嗜好を考慮した平等)」でいいのか?(e.g.安い舌)
    →ドゥオーキン…アファーマティブ・アクションで苦しんでいる人を優先すべき
    平等=× 各人を一律に扱うこと ○各人を対等者として扱うこと

    アマルティア・セン
    ×持ち物の平等 ○「潜在能力(生きるための機能を行使する能力)」の平等
     →必要な能力の限度はどこまでかが問題

    能力の増強か(ドゥオーキン)、能力の平準化か(カート・ヴォネガット)

    第11章 人はどこまで自由になれるか
    ミル「危害原理」→安楽死/尊厳死も許されるのでは?
    「愚行権」:他人に危害を及ぼさなければ自分を害する行為を行なってよい
    ①自己関係的行為:行為者自身にのみ影響する行為
    ②他者関係的行為:他人にも影響する行為
     →①の愚行権であれば許される(被害者なき犯罪は処罰の対象ではない)

    「不快原理」ジョエル・ファインバーグ(e.g.ゴミ屋敷)
    深刻な不快を与える行為も処罰可能

    「リバタリアン・パターナリズム」
    自由意志での決定は必ずしも当人の利益にならない(フーコーの監獄・飼い犬の自由=アーキテクチャによる強制を、自由意志による選択と思い込ませる設計)
    →個人の自由な選択を保証しながら、利益保護も可能にしよう

  • 日常の惰性の中で磨耗した脳にヨイ刺激になりました(^^)疑い、思考する訓練と素材をくれたように思います。

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著者プロフィール

住吉 雅美(すみよし・まさみ):1961年北海道生まれ。北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。山形大学人文学部助教授を経て、現在、青山学院大学法学部教授(法哲学)。著書に『哄笑するエゴイスト――マックス・シュティルナーの近代合理主義批判』(風行社)、『あぶない法哲学――常識に盾突く思考のレッスン』(講談社現代新書)がある。

「2023年 『ルールはそもそもなんのためにあるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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