証言 羽生世代 (講談社現代新書 2599)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065219553

作品紹介・あらすじ

■■■彼らはなぜ「強かった」のか?■■■

■■■「一つの時代」は本当に終わったのか?■■■

世代交代が進む中で
天才たちはいま、何を思い、考えているのか。

危機感と劣等感、痛恨と意地
敬意と憧憬、そして誇り―。

羽生善治・渡辺明・谷川浩司・佐藤康光
森内俊之・藤井猛・郷田真隆・久保利明・先崎学ら
計16人の棋士のロングインタビューを収録。

・・

将棋界において30年以上にわたり
その頂点に君臨し続けてきた「羽生世代」。

しかし50歳が近づくにつれて
彼らの成績はゆるやかに下降し始めた。

そして近年は、藤井聡太ら精鋭たちに押され、
以前のような圧倒的な結果を残せなくなっている。

世代交代が現実のものになったのだ。

 羽生世代の棋士だけでなく
 羽生世代の突き上げを食らった年上棋士
 羽生世代の牙城に挑んできた年下棋士たちが
はじめて明かした本音とは。

 「奇跡の世代」の深層に気鋭の将棋観戦記者が迫った。

【本書のおもな内容】
■序 章 将棋界で起きた「31年ぶりの一大事」:大きな転換期を迎えた羽生世代

■第1章 羽生世代はなぜ「強かった」のか:突き上げを受けた棋士の視点
谷川浩司 黄金世代と対峙してきた“光速流”の本音
島 朗   「55年組」やいまの若手と彼らは何が違うのか
森下 卓  世代の狭間で気持ちを崩した俊英の告白
室岡克彦 強豪たちに大きな影響を与えた先達の見解

■第2章  同じ世代に括られることの葛藤:同時代に生を受けた棋士の視点
藤井 猛  棋界の頂点に立っても拭えなかった劣等感
先崎 学  早熟の天才が明かす同年代ゆえの「複雑さ」
豊川孝弘 奨励会入会が同じだった年上棋士の意地
飯塚祐紀 タイトル戦で競っていない奨励会同期の思い

■第3章 いかにして下剋上を果たすか:世代交代に挑んだ棋士の視点
渡辺 明  将棋ソフトがもたらした“世代交代”の現実
深浦康市 いまも忘れ難い「控室での検討風景」
久保利明 “さばきのアーティスト”が抱いていた危機感と憧憬
佐藤天彦 難攻不落の牙城を撃破した“貴族”の視座

■第4章 羽生世代の「これから」:一時代を築いた棋士の視点
佐藤康光 人間の限界に挑んできたことの誇り
郷田真隆 定跡を一からつくってきた者たちの痛恨と自負
森内俊之 小学4年からの将棋仲間が「天才」だったことの幸せ
羽生善治 “年相応の難しさ”をどう乗り越えていくか

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    本書が刊行された2020年は将棋界にとって節目の年だった。8月20日に藤井聡太棋聖が木村一基王位を4連勝で下し、18歳1か月での史上最年少二冠を達成した。これまでの最年少記録は羽生善治の21歳11か月であり、羽生は藤井の記録を「空前絶後の大記録」と評している。
    一方、羽生善治は2018年12月21日、第31期竜王戦で広瀬章人八段に敗れ、保持タイトルがゼロになった。実に27年ぶりの無冠である。

    藤井聡太の台頭と羽生善治の陥落。将棋界では間違いなく世代交代が起きている。

    本書は将棋の一時代を築いた「羽生世代」の強さの秘訣に迫る一冊だ。谷川、島、森下、渡辺、深浦、久保といった前後の世代と、藤井猛、先崎、佐藤、郷田、森内、そして羽生といった世代当人たちへのインタビューを重ねて、「何故羽生世代はこれほどまでに強かったのか?」をあぶり出していく。

    まさに棋界のトップランナーたちが勢ぞろいなわけだが、その中で特に気になるのは、羽生世代を散々打ち負かした渡辺、羽生世代の一角でありライバルの森内、そして本人の羽生が何と言ったかだろう。残念なことに、羽生本人は謙遜からかそこまでストレートなことを言っていないが、渡辺と森内はなかなか切れ味鋭いことを述べている。それは今の「ソフト世代」の戦い方が、羽生世代の「序盤重視」の感覚とまるきりズレているという事実だ。

    羽生世代は新しい定跡をつくってきた世代だった。具体的に言えば「序盤の体系化」である。
    今までの中原・米長時代は中・終盤のねじり合いで勝負が決まることが多かった。そのため、「将棋は中・終盤の才能勝負。序盤の研究は弱いやつがやるもんだ」といった風潮が少なからずあったという。しかし、羽生世代は初めからどんどん時間を使っていった。序盤でリードを奪えるように、データベースやパソコンを活用した戦法研究を始めたのも羽生世代からだ。この「徹底的に考え抜く」という姿勢が羽生世代の強さだと、多くの棋士は語っている。

    しかしながら、ソフト全盛期の今では、逆に序盤に時間を使わなくなった。定石が決まっている部分は、ソフト最善手を暗記して時間を節約する。羽生世代のように序盤から一手一手時間をかけて、しらみつぶしに考えることをしなくなった。羽生世代を経て序盤の戦法が一周したのだ。
    渡辺は、「今よりも、羽生世代の棋士たちと指していたときのほうがハイレベルだったと思う」とまで言い切り、「ソフトに頼ることによって、将棋の地頭が弱くなってしまう」という意見に賛同している。森内も「今の世代は指し手に個性が見られない」と評している。棋界をけん引し続けてきたトッププロ2人が言うのだから、何とも重みのある言葉ではないだろうか。

    ほか私が印象に残っているのは、先崎といい森内といい、羽生世代の棋士たちが「結局羽生さんなんですよ」と証言していることだ。まず頂点に絶対王者の羽生が存在し、その下に他の棋士がいる。羽生が神のような活躍をし続けたからこそ、周りが鼓舞され、羽生世代全体が強くなっていったそうだ。
    そう思うと、藤井聡太の圧倒的な活躍によりこれから「藤井世代」が台頭し始めるのかもしれない。藤井より若い伊藤匠、二つ上の服部慎一郎などが今ノッているが、もしかしたらここから羽生世代以来の黄金世代が出現するのかもしれない。そう思うと、何ともワクワクする。これからの将棋界に期待だ。

    ――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 奇跡の羽生世代
    羽生善治を中心とした、羽生世代の棋士たち。なぜ、彼らの存在が「奇跡」なのか。それは将棋界が弱肉強食の世界であるにかわらず、1990年くらいから最近まで、延々とトップを張り続けていたからである。

    本書では羽生・森内・郷田・佐藤・藤井猛・丸山を「羽生世代」と定義づける。
    羽生世代の実力の高さは、タイトル獲得数に現れている。羽生世代の棋士がはじめてタイトル戦に出場してから32年間、計225回のタイトル戦が行われたが、うち羽生世代は136期(うち羽生が99期)を持っている。


    2 先輩・後輩・同年代が語る羽生世代の凄さ
    谷川「棋士は、勝負師と研究者と芸術家の三つの顔が必要です。普段は将棋の真理を追究する研究者で、対局の序・中盤はファンを魅了する芸術家で、終盤は勝つために勝負師に徹するのがいい。それをバランスよく持てる人がトップ棋士ですが、いちばん自然に実践できているのが羽生さんなんです。羽生さんは誰よりも好奇心が旺盛で、それが羽生将棋を支えています。節目や急所ではもちろん勝負に徹してこられますが、実は勝敗やタイトルの数にはそれほどこだわっていない。将棋の真理を追究して、拮抗した中・終盤の戦いが長く続くことを楽しんでいるような感じがあります。相手が悪手を指すと羽生さんが嫌な顔というか、ガッカリするという話がありますよね。ここからがおもしろいところだったのに、と(笑)」

    ――羽生世代が盤上で起こした革命とは?
    谷川「序盤の体系化です。もちろん将棋は中・終盤が大事ですし、それまでの世代、特に中原・米長時代は中・終盤のねじり合いで勝負が決まるようなところがありました。でも羽生世代の棋士は序盤を重視していました。相手より一手先に指せる先手番ならどれだけリードを奪えるか、また逆に後手番なら序盤の駒組みをどう互角で進められるか。そこに重きを置いて研究していたと思います」
    先崎「優勢な将棋を押しきれる人間が勝つ。終盤が強いほうが勝つ。この2つを合わせ持っているのが羽生世代の棋士たちです。先輩の中原先生と米長先生の特徴を受け継いでうまく合わせているんですよ。米長先生は「終盤が強いやつが勝つ」という将棋観を持っていました。中原先生は「優勢な将棋は絶対落とさない」という意識がものすごく強い棋士だった。ではどうすれば優勢にできるかというと、序盤でリードすることです。羽生さんたちはそこも巧みでしたよね。それまでの序盤戦は個人の経験や感覚に頼っていて、人によって差があったけど、羽生世代はそれを定跡化した。そこがすごいんですよ。」

    ――なぜ「羽生世代」にはこれだけすごい棋士が集まったのでしょうか。
    島「羽生さんたちは最後の「精神世代」ですよね。いまはほとんど使われなくなった言葉ですけど、「気持ち」や「根性」を彼らは持っていました。羽生さんたちは勝負を合理的に追究していましたし、その流れが現在の将棋界をつくっています。ただ現在の論評では
    「合理性」の部分があまりに強調されすぎている気もします。実は羽生さんたちの将棋は、終盤で説明できないようなわけのわからない手が出て、そこが勝負を決めていたりしたんですよ。でも藤井聡太さんにはそういう手は少ない気がします。いまはソフトがあるから、指し手も全部数値化されてしまうでしょう。でも勝負を決めるのは数値じゃない。七冠時代、そしてそれ以降の羽生さんにはミステリアスな部分もあって、そこもすごく魅力的でした。(略)ライバルの存在は大きいですし、「深く読む」という基本的姿勢が彼らの将棋を作ってきたことは間違いない」
    室岡「私たちより前の時代は、「手筋」をたくさん知っている人が強い時代でした。例えば敵玉を寄せる手筋とか、敵の攻めを一手しのぐ手筋とか、そういう技術の知識の量が大事だったんです。でも羽生世代より少し前の我々くらいの時代から戦法が重視されるようになって、研究が進んでいった。もちろん昔から矢倉や四間飛車といった戦法はありましたけど、ただ漠然と指すのではなく、序盤でリードを奪えるように緻密に研究するようになりました」
    先崎「結局は羽生さんですよ。そこに尽きる。僕も周りも羽生さんについていけば間違いないと思っていたから。彼がいなかったら森内、佐藤、郷田、先崎はいまほどにはなっていない。とにかく羽生が偉大なんです。もちろん彼は「俺についてこい」とは言ってないけど、結果的に周囲を引き上げましたよね。彼以外は普通の将棋指しだと、いまでも思います。」
    天彦「いろいろな要素があるでしょう。羽生さんの存在があって、ほかの方が刺激を受けたことは間違いなく大きかったはずです。そして皆が自分の頭でしっかり考えて将棋の骨格をつくって、年をとるにしたがっていろいろなものを取り入れていった。あと羽生世代の棋士の中でも分かれるでしょうけど、三段リーグがない時代はプロになりやすかったので、それも大きかったと思います。」

    ――それまでの将棋界をどう変えた?
    天彦「感性や感覚を重視することを「定性的」、数字やデータを重視することを「定量的」と言うとすれば、羽生世代以前の将棋界は定性的な部分に偏りがちだったと思うのです。例えば将棋を芸事という捉え方をして、「将棋は中・終盤の才能勝負。序盤の研究は弱いやつがやるもんだ」といった定性的な思考になりがちなところがあったのではないでしょうか。でも羽生世代から、定量的な考え方を取り入れるようになった。データベースやパソコンを活用して序盤から論理的にアプローチし、定跡をつくっていったと思うのです」


    3 羽生キラー渡辺明が語る羽生世代
    1984年生まれの渡辺は、羽生善治よりも14歳若い。長らくトップを張り続けていた羽生世代の棋士たちと激しい覇権争いを繰り広げてきた。羽生とは9回、佐藤康光とは4回、森内俊之、丸山忠久とはそれぞれ3回、そして郷田真隆とは2回、タイトル戦という大舞台で相まみえてきたのだ。そんな渡辺の対羽生戦は38勝40敗だ。

    ――羽生世代に共通した強さや特徴は?
    渡辺「変な手を指さないことですね。「それはさすがに筋が悪いでしょう」というのが変な手です。後輩との対局ではたまに指されることがありますが、羽生世代の棋士はまずそういうことはないです。もしかしたら若い人たちの間では、筋を大事にするという観念がなくなってきているのかもしれません。若手が筋を重視しないのはソフトの影響が大きいんですよ。彼らがいちばん重視しているのがソフトの評価値なんですね。もちろんソフトだって、機械の理屈でその手を導き出していると思うんです。でも人間の常識的には「えっ」と驚くような手が多い」
    「あと最近の若手の特徴として、時間の使い方がいままでの棋士とは大きく異なります。大事な局面でもパッと指してくるので、「何でここで考えないの?」と疑問に思うこともよくある。羽生世代の棋士は、難しい局面ではちゃんと時間を使って考えますから」
    「羽生世代ほど将棋の指し手に可能性を感じていないのかもしれませんね。だって羽生さんたちは「これもある」「こっちもあるかも」と、序盤から一手一手に時間をかけて、しらみつぶしに考えてきたわけですよ。そういうじっくりと考えてきたことの厚みはものすごいものがあります」

    羽生世代のタイトル戦出場が少なくなっていくのと、ソフトが将棋界で隆盛を極めていく時期は重なっている。羽生もソフトを駆使する若手棋士に序盤戦で苦戦をすることが増えた。だから羽生はソフトで研究される流行形を避け、自分の経験値で勝負できるような力戦形の戦法を採用することが多くなっている。数々の記録を塗り替えてきたスーパースターが一つの白星を挙げるのに必死なのだ。羽生も時代の流れの中でもがいているのである。ソフトを使った研究に後れを取ることもあるのだから、羽生世代の序盤戦を一昔前の将棋、と見る向きはあるかもしれない。だが渡辺は「そうではない」とはっきり語る。

    渡辺「うーん、当時といまでは将棋の質が違うという捉え方もできるんですけど、少なくとも単調にはなりましたよね。例えばいまの序盤戦は事前にソフトで調べてくるものなので、形勢を知ったうえで指しているんです。どの戦型のどの順にアミを張って、それを暗記してくるかの勝負とも言えるんですよ。で、そのアミから外れたらだいたい負ける。でも当時の序盤戦はそんなことはなくて、創造と思考の勝負でした。形勢がわからない中で、自分で一手一手を考えていたんです」
    「全体的に似たような将棋が増えています。ちょっと変わったことをするとすぐにソフトで解析されてしまうから。あといまは勝負の山場がすごく短くなっています。お互いに序盤の形勢を知っているので時間を使わずに指して、中盤ぐらいから本格的に将棋が始まる。予定が外れた局面で突然の大長考をして、少し駒がぶつかったぐらいで差がついて一方的になって終わってしまうことがよくあります。全体的に将棋が淡泊になってしまっているんですね。まあ、それは勝利を追求した結果だし、僕だってそういうことはある。だから否定はしませんけど」

    ――「ソフトに頼ることによって、将棋の地頭が弱くなってしまうということですか?
    渡辺「そうだと思います。だからこれからの棋士は、僕も含めてピークの訪れが早い気がしますね。頂点に達してから下がり始めるところが、45歳よりは手前に来てしまうのではないかな。これからの棋士は、少なくとも45歳まで横ばいではもたないというのが僕の持論です」


    4 羽生世代本人たちの証言
    ――なぜ羽生世代が突出していたのか?
    佐藤康「私は中原先生(誠十六世名人)、米長先生、加藤先生(一二三九段)という上の世代に憧れていました。有吉先生(道夫九段)や内藤先生もいらしたし、少し上では高橋道雄先生や南芳一先生もいました。いまは憧れる棋士の世代が昔ほどは幅広くないでしょう。先ほど挙げた棋士はみな個性的で、それぞれ魅力が際立っていた。だから我々はいろいろな世代の棋士の将棋を吸収することができました。それは自分の将棋をかたちづくることにおいて、ものすごく大きかったと思います」

    ――羽生さんは将棋界の何を変えた?
    森内「羽生さんは自分だけではなくて、周りの棋士を強くしてきました。例えばそれまでの将棋界は、序盤戦の情報などは外に出さず、自分と仲間だけで共有することが多かった。でも羽生さんはそうではありません。羽生さんにしかわかっていないような技術や考え方を隠さずに開示していました。秘術を明かすわけですから、短期的な視点で見れば、羽生さんが損をすることはあったと思います。でももっと大きな視野で考えれば、将棋界全体の技術を底上げしているわけです。羽生さんの功績は計り知れないものがあります」
    森内「羽生さんは自分が上の立場になっても、「将棋は将棋」と割り切っています。自分たちの先輩の世代だと、「将棋の強さは人間力で決まる」というようなことをおっしゃっている方もいました。普段から威圧するような振る舞いで相手を萎縮させて、盤上で自分が有利になるように導いていたという話も聞いたことがあります。でも羽生さんはそういうことはまったくなく、将棋を盤上だけの勝負にしました。将棋界のオープン化の先駆けだと思いますね」

    ――今の世代の将棋とは?
    森内「その子の個性というか、明確な特徴があまり見られませんでした。勝たなければいけないので、棋力を上げることがいちばん大事なことというのは重々承知しています。ただ同時にプロになる以上は魅力的なものを出していかなければ、この世界の発展にはつながりません。いまはソフトがあるので、考えること自体もどういうことなのか問われ始めています。まさかソフトの真似をして勝つために棋士になるわけではないでしょうから。そのあたりのバランスはすごく難しいですけど、何かヒントになるようなものを示していければいいなとは思っています」

    ――羽生世代が変えたところは?
    羽生「我々の世代というよりは、「55年組」の先輩のあたりから少しずつ将棋の質や対局室の雰囲気が変わり始めて、そのあとに自分たちが棋士になったという感覚があります。将棋の定跡を整備して体系的に考えるようなところは、「55年組」の高橋道雄先生や塚田泰明さんの影響もあったと思いますし」

    ――なぜ羽生世代にこれだけ強い棋士がそろったのか?
    羽生「私は谷川浩司先生の存在が大きいと思っています。谷川先生が21歳で史上最年少の名人位を獲得するかどうかという一番を、NHKが夜9時のニュースで報じていたのを覚えています。結果ではなく、「まだ熱戦が続いています」という途中経過を放送しましたからね。それだけ世間が将棋に注目している時期に、ちょうど我々はプロを目指していました。子どもの将棋人口も多くて、大会も盛況でした。巡り合わせというか、時代や環境のよさは間違いなく影響しているでしょう。
    羽生「常にいい影響を与えてくれて、すごく刺激を受けてきました。集団で進んできたからこそ、これだけ長きにわたって続けてこられた面もかなりあったと思います。マラソンも集団で走るほうがいい記録が出るという話がありますから」

  • 将棋のことを知らない人でも、羽生善治の名前は知っているのではないか。トップを長くはり続けている超一流の棋士だ。その実績は将棋界の歴史の中でも、突出している。
    羽生は1970年生まれであるが、羽生と同世代には強い棋士が集中している。佐藤、森内、郷田、藤井猛、等だ。これだけの強い棋士を生み出した世代は、たしかに他にはない。どうして、羽生世代はこんなに強かったのか、というのが、筆者の疑問であり、この疑問を解くために、筆者は16名の棋士にインタビューを行う。本書は、そのインタビュー集である。
    一般的に棋士のインタビューは面白い。彼らは、深く考えることが仕事なので、何かを問われたときに、通り一遍の無難な答えを返さない。慎重ではあるが、よく考えたオリジナルな答えを返すことが多いからだと私は思う。この本の16人のインタビューも、とても面白かった。
    特に面白かったのは、羽生世代である佐藤、森内、郷田、藤井猛へのインタビュー。驚くほどの率直さで質問に答えているが、いずれも、羽生へのリスペクト、羽生と一緒に切磋琢磨できた矜持、一時代を築いた誇りみたいなものを感じられた。

  • 羽生善治のほか森内俊之・佐藤康光ら羽生世代をテーマとして、棋士16名に行なったインタビューを1冊にまとめたもの。羽生よりも上の世代、同世代、若手世代、そして羽生世代自身が均等に扱われている。羽生世代についての語りが同時に、その語り手自身の棋士人生への語りにもなっているのが特長。

    それぞれのインタビューは何れも、「なぜ、羽生世代は強かったのか?」で統一されていて、時代環境の変化に注目するものや精神面に注目するものなど、さまざまな回答を楽しむことができる。個人的には、谷川浩司の答えが一番印象的であった。

  • Amazonオーディブルで聴いた。

    私は将棋のルールも知らないけど、棋士について読むのは好きだよ。

    羽生さんについて棋士が語るのが、なんかこう、多くの人が仰ぎ見る光や輝き、目指すべき頂きみたいなものを感じて胸がぎゅっとなる
    その「光」や「頂き」側の存在も生きている人間で、悩みも苦しみもあるんだろうけど。
    多くの棋士は羽生さんを目指すけど、当の羽生さんはあらゆる方向からの挑戦を受ける立場として将棋界を30年くらい?背負って立ってきたのだから、すごいよねぇ。
    今はAI将棋で勉強している藤井世代になって来ているけど、将棋の内容も変わってきているようで、今後の棋士はどんな感じになっていくのか。

    私が知る棋士は加藤一二三、米長邦雄、谷川浩司、先崎学、羽生善治、森内俊之、藤井猛、村山聖、渡辺明、藤井聡太くらい…。
    超有名どころしか知らない。

  • 野球で非常に高い実績を残した選手が特に多い「松坂世代」という1980年生まれの世代があるように、棋界にも異常に強い棋士が集中している年代があり、それが1970年生まれの「羽生世代」です。羽生善治氏をはじめ、佐藤康光氏、森内俊之氏、と言った実力棋士が集中しています。その際立ったデータとしては、羽生世代がタイトル戦に初出場以来、2020年までの約30年間の200回を超えるタイトル戦のうち、約8割のタイトル戦には羽生世代の誰かが出場し、そのうちの8割のタイトルは羽生世代が保持していた程です。また名人位を通算5期保持すれば得られる永世名人の称号を持つ棋士はやはり世代交代もあって年齢が20歳程度離れるケースが多いのですが、羽生世代には羽生善治氏と森内俊之氏の2名がおられるという稀な世代でもあります。
    この世代になぜ、これほど実力のある棋士が多いのか、それを1)羽生世代に突き上げを食らった羽生世代より年代が上の棋士、2)羽生世代としのぎを削った羽生世代に近い棋士、3)羽生世代を目標にしてきた若い棋士、4)羽生世代の実力棋士 という4つの年代に分けて羽生氏自身も含め16人のインタビューで構成されています。
    私自身、それほど将棋を見る方ではないので、登場する棋士の半分以上は顔も分かりませんし、なにより棋士の個性ともいえる棋風も知りません。それでもインタビューに応える棋士の皆さんは語る言葉が豊かで、”棋士とはこういう考え方なんだ”とか”どの世界もトップレベルは、とにかく凄い”という事が伝わってきます。
    そして何より本書に登場する棋士の全員から伝わるのは”謙虚さ”であったり、他人の実力を認めて尊敬の念を持たれている事です。著者もこの点には触れていますが、将棋が”投了”という自ら負けを受け入れる行為で成り立つからこそはぐくまれた資質かもしれません。本書の読後も大変清々しい気持ちになりました。時々対局の様子がテレビ等で映りますが、その所作の美しさといい、本書で紹介される人間性と言い、こういう人になりたいと感じさせられました。
    羽生世代の棋士も50歳を過ぎ、実力的にはピークを過ぎつつあります。羽生善治氏も2018年に27年ぶりに無冠になりました。でも今だ若い棋士と渡り合う姿に、体力の衰えを感じながらも仕事に向かう同い年の自分自身を重ねてしまいます。300ページ超のちょっと分厚い目の1冊ですが、登場する棋士の人柄がよく伝わってくる内容充実の1冊です。

  • 「羽生世代」と括られることってどうなんだろうと邪推したけれど、世代前後を入れた16名の棋士の真摯なインタビューから、穿った思いは消えた。

    何より嬉しかったのは、羽生さんがテーマの話の中に佐藤康光会長に触れられる方が多かったこと。
    会長職がどれほど多忙なのか知る由もないけれど、姿を拝見する度に、凛とした佇まいが印象的で、こんな人になりたい……と思わされる。

    藤井システムの藤井猛さん、同飛車大学でバズった豊川孝弘さんのターンもあり、文字から人が見えるというか、笑ってしまった。
    今年初めてじっくり将棋を見る中で、解説者としてビギナーにも楽しめる時間を提供してくださるお二人だと思う。

    谷川浩二さん、森内俊之さんのチーム・レジェンドも改めて存在の大きさに唸る。

    世代交代に挑んだ、と紹介されるのは魔王渡辺明、深浦康一、久保利明、佐藤天彦の四人。
    もちろんこのメンバーは、現役バリバリでタイトルに絡んでくるわけだけど、そこに自然と存在する羽生さんって本当に神様なんだろうな。

    AI台頭前に、羽生さんという将棋の神様と、自分の考えを頼りに切磋琢磨してきた世代の人たちがいて。
    将棋でプロを目指すことを世の中の人たちが認めていって、後進が育っていく。

    このことを、皆が口を揃えて言及するのがすごく面白い所だと思う。
    今年の最後に、この本を読めて良かった。

  • 1045

    大川 慎太郎
    (おおかわ しんたろう)1976年静岡県生まれ。日本大学法学部新聞学科卒業後、出版社勤務を経てフリーに。2006年より将棋界で観戦記者として活動する。著書に、将棋ソフトとの関わりや将棋観について羽生善治や渡辺明ら棋士11人へのロングインタビューを収録した『不屈の棋士』(講談社現代新書)のほか、『将棋・名局の記録』(マイナビ出版)、共著に『一点突破 岩手高校将棋部の勝負哲学』(ポプラ社)がある。

    証言 羽生世代 (講談社現代新書)
    by 大川慎太郎
    棋士は、勝負師と研究者と芸術家の三つの顔が必要です。普段は将棋の真理を追究する研究者で、対局の序・中盤はファンを魅了する芸術家で、終盤は勝つために勝負師に徹するのがいい。それをバランスよく持てる人がトップ棋士ですが、いちばん自然に実践できているのが羽生さんなんです。

    あと羽生さんは誰よりも好奇心が旺盛で、それが羽生将棋を支えています。節目や急所ではもちろん勝負に徹してこられますが、実は勝敗やタイトルの数にはそれほどこだわっていない。将棋の真理を追究して、拮抗した中・終盤の戦いが長く続くことを楽しんでいるような感じがあります。相手が悪手を指すと羽生さんが嫌な顔というか、ガッカリするという話がありますよね。ここからがおもしろいところだったのに、と(笑)。こちらは負かされたうえに、さらに恥ずかしくなるということがありますね。

    谷川さんは羽生さんたちのように同世代の棋士と競っていません。それなのになぜ若くして大活躍できたのですか?

    ガツガツしていない人。島に対して私が長年抱いている印象である。私が将棋界に入るきっかけは島だった。出版社を辞めて暇を持て余していた私が島の定跡書の編集を手伝うことになり、それから将棋界にかかわるようになった。取材で島の研究室を訪れたことは何度もあるが、いわゆる「都会的なセンスを持った、よい家柄の人」という印象を受けた。東京都出身で、家がそれなりに裕福で、やさしい両親がやりたいことを応援してくれる。もちろんいろいろな葛藤はあっただろうが、最初から多くを持っている人なのである。 「一人っ子なので甘やかされて育てられましたが、幸いうちの一門には厳しい兄弟子が多かったので、そこでかなり鍛えられました」と島は振り返る。

    ──皆に聞いている質問なのですが、なぜ「羽生世代」にはこれだけすごい棋士が集まったのでしょうか。 島  羽生さんたちは最後の「精神世代」ですよね。いまはほとんど使われなくなった言葉ですけど、「気持ち」や「根性」を彼らは持っていました。羽生さんたちは勝負を合理的に追究していましたし、その流れが現在の将棋界をつくっています。ただ現在の論評では「合理性」の部分があまりに強調されすぎている気もします。実は羽生さんたちの将棋は、終盤で説明できないようなわけのわからない手が出て、そこが勝負を決めていたりしたんですよ。でも藤井聡太さんにはそういう手は少ない気がします。いまはソフトがあるから、指し手も全部数値化されてしまうでしょう。でも勝負を決めるのは数値じゃない。七冠時代、そしてそれ以降の羽生さんにはミステリアスな部分もあって、そこもすごく魅力的でした。

    ─恐怖を消すために死ぬ気で勉強をしていたんですね。

    ──ほかに羽生さんのどんなところがすごいと思われますか? 森下  意志の強さですね。私が若くして気持ちが崩れてしまった話をしましたけど、羽生さんにだってそういう瞬間はあったはずなんです。でもそこで意志の力で踏みとどまって勉強を続けている。あと羽生さんはずば抜けてセンスがいいですよね。将棋のセンスはもちろん、人生のセンスも抜群です。例えば羽生さんはマネージャーがいなくて、大量の仕事を自分でこなしています。対局以外にもいろいろな依頼が殺到しているのですが、まずは将棋に勝たなきゃいけないから全部は引き受けられない。でも将棋界のためと思えば引き受けたい。そのあたりの取捨選択のバランスが絶妙だと思います。 ──信じられないような過密スケジュールを自分で管理していますよね。そういう状況でも、私が観戦した将棋についてメールで質問をするとすぐに返事をいただいて恐縮します。

    森下  羽生さんの頭のよさを表すエピソードがあります。羽生さんが 18 歳の時、道案内の地図を書いてもらったことがあるのですが、それがめちゃくちゃわかりやすかった。当時はグーグルマップなんてなかったですけど、いま思うとそれよりもわかりやすかったですね。世の中にはわかりにくい地図を書く人っているでしょう。 ──いますね(笑)。羽生さんは案内の急所をつかんでいて、しかもそれをわかりやすく説明できるんですね。 森下  余計なことは一切書いていないのもよかったです。米長先生に「わかりやすい地図なんですよ」と見せたら、「ホントだな」ってエラい感心をされていましたからね(笑)。

    読者は、室岡克彦という棋士をご存じだろうか。1959年生まれで、羽生たちが奨励会に入る1年前の1981年 12 月にプロ入りしており、同時期に第4回若駒戦で優勝している。名人戦につながる棋戦の順位戦では、一度昇級してC級1組に 19 年在籍した。現在は順位戦からは退いてフリークラスに在籍しており、あと数年で引退が決まっている。地元の東京都荒川区で「荒川こども将棋教室」を開いており、将棋の魅力を伝えることを生きがいにしている。  近年、室岡にスポットが当たる機会があった。2017年6月に藤井聡太がデビューから公式戦 29 連勝という将棋界の新記録を達成した時のことだ。それまでの記録は神谷広志の 28 連勝だったが、それを止めたのが室岡だった(1987年)。

    将棋の元となるボードゲームはインドで生まれた「チャトランガ」で、それが東に伝わったのが将棋、シルクロードを通って西に伝わったのがチェスと言われている。二つは親戚のような関係なのだ。  チェスは相手の駒を取っても使えないことが特徴で、そこが将棋と違う。余談だが、チェスは持ち駒を使わずにチェス盤の中で駒を動かすので、「指す」という言い方をする。将棋も将棋盤の中で駒を動かす場合は「指す」だが、持ち駒を使う時だけは「打つ」と言う。ちなみに盤外から碁石を盤上に置く囲碁は「打つ」と言うのだ。

    藤井がシステムをはじめて採用したのは1995年 12 月。B級2組順位戦で井上慶太にわずか 47 手で圧勝し、棋界に衝撃を与えた。必殺の戦法を編み出した藤井は活躍を加速させていく。翌 96 年は新人王戦で優勝、全日本プロトーナメントで準優勝、 97 年は新人王戦で2回目の優勝、そして 98 年は竜王戦の挑戦者決定戦で羽生に勝ち、挑戦権を獲得する。羽生世代を意識したことのなかった男が、ついに羽生を破ってタイトル戦に出場したのだ。

    あともう一つ、彼は体力がずば抜けています。 ──へえ。瘦せているので意外です。 先崎  羽生さんはものすごい健康なんです。八王子の山道を自転車をこいで鍛えたんだよね(笑)。いや、冗談じゃなくて。中学生の時は自宅から八王子駅までの山道を片道 20 分ぐらいかけて自転車をこいでいたんです。

    ──皆に聞いている質問なのですが、なぜ羽生世代にはこれだけ強い棋士が集まったと思いますか? 先崎  結局は羽生さんですよ。そこに尽きる。僕も周りも羽生さんについていけば間違いないと思っていたから。彼がいなかったら森内、佐藤、郷田、先崎はいまほどにはなっていない。とにかく羽生が偉大なんです。もちろん彼は「俺についてこい」とは言ってないけど、結果的に周囲を引き上げましたよね。彼以外は普通の将棋指しだと、いまでも思います。

    将棋が強くなるためには若い時に始めるのが有利だ。そしてプロ棋士になるのも若いほどいい。将棋界には「中学生棋士は大成する」という定説がある。加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明、藤井聡太。中学生でプロになったこの5人の名前は、将棋に詳しくない方でもご存じだろう。  豊川が将棋を覚え、夢中になったのは中学1年生だった。プロを目指すにはあまりに遅いスタートだったが、寝食を忘れて熱中できるものを見つけた少年の目は輝いていた。 「クラスで流行ったんですよ。忘れもしない。中学1年の( 80 年) 2月に下の道場(このインタビューは東京・将棋会館の4階で行った。道場は2階にある) に来て、アマチュア7級でスタートしました」  豊川は天才少年だった。わずか7ヵ月、中学2年の9月にはアマチュア四段まで駆け上がったのである。そしてこの時期に、「下の道場」で羽生と対戦していた。

    なぜ飯塚は羽生たちの棋譜に惹かれるのか。それは「僕自身がいい手が思い浮かばないタイプ」だからだという。直感的に手が浮かばなければ、理屈で導き出すしかない。その時に、羽生たちの論理性の高い指し手が大いに参考になるのだという。 「羽生さん以前の将棋界は職人的な世界だったと思うんです。将棋の話をしても、『ここはこうやるもんなんだ』という感覚的な話が多かったんですね。でも羽生さんたちの将棋は、一手一手の意味を筋道を立てて説明できる。羽生さんの定跡書や実戦集も、『こういう理由があるからこう指した』と書かれています。そこが羽生世代が盤上で起こしたいちばんの革命ではないかと思っています」

    「私は三段リーグで苦戦して、突破するのに5期、つまり2年半かかったんです。その間の蓄積がデビュー後に爆発したのでしょう。 15 歳で一人暮らしを始めてから、毎日 10 時間は勉強していましたからね。家にテレビも置いていませんでしたし。いまの目で棋譜を見たら拙い部分は多々ありますし、勝てたのは運もありました。羽生戦は勢いのまま勝ってしまったという感じで、これでいいのかなと当惑したくらいです」

    「移動の時間に詰将棋を解いたりと、隙間時間にも勉強するように工夫しています。この世界は少しでも気持ちが切れたらガタッと落ちてしまいますからね。いまが踏ん張りどころだと思っています」

    ──最後の質問です。深浦さんが羽生世代の棋士から学んだいちばん大きなことは何ですか? 深浦  自分の頭で考えること。これに尽きます。教えられたことを守るとかではなくて、自分で一から考え抜いて結論を出さなくてはいけない。直接そう言われたことはありませんが、彼らの姿にそう教えられました。羽生世代のことを考えると、いつも思い浮かぶのは前述した控室の光景なんです。皆が一言も発せずに盤上をにらんで読みふけっている。あの環境に身を置けたというのは、私のかけがえのない財産です。

    佐藤天彦(さとう・あまひこ) 難攻不落の牙城を撃破した〝貴族〟の視座 1988年1月 16 日、福岡県福岡市出身。 98 年に6級で関西奨励会に入会。師匠は中田功。2004年、三段リーグで2度目の次点を獲得したがプロ入りの権利を放棄したことで話題を集める。 06 年 10 月に四段昇段。 08 年、第 39 回新人王戦で優勝。 15 年、順位戦A級昇級と同時に八段昇段。 16 年、第 74 期名人戦で羽生善治を破って名人位に就く。以後、名人3連覇。ニックネームは「貴族」で、ヨーロッパの文化に深い関心を持つ。取材は 20 年8月下旬に行った。

     佐藤の愛称は「貴族」。ヨーロッパの伝統的な価値観を好み、趣味はクラシック音楽、バレエ、絵画鑑賞だ。ファッションにも強い関心を抱いており、ベルギーのブランド「アン・ドゥムルメステール」がフェイバリットだ。自宅はバロック風の家具や調度品で埋め尽くされており、まるで宮殿の一室のようである。

    強い好奇心を持ち、自分が興味を抱いた物事は深く探究し、学ぶ。美しいものやよいものから刺激を受けて自身を向上させることが「文化」だと私は思うが、佐藤という人間からは教養の香りが漂ってくる。

    「羽生さんを見ていると、いろいろなことに好奇心や興味を示してこられたのがわかります。実際、将棋にもそういう価値観や美意識が反映されていますよね。物事に対して広い視野で柔軟に対応したり、好奇心を持ってアプローチをしたりする姿勢が将棋にもよく現れています」

    室岡はマルクスの「すべては疑いうる」をモットーにしており、影響を受けた佐藤は定跡を鵜吞みにせず、一から検証するようになった。それがのちに独自の戦法を編み出す下地になっている。室岡とは「 20 回くらい、2人で海外旅行をしました。ヨーロッパでチェスの大会を何度も観戦しています」と言うほどの仲だった。

    「中途半端に勉強をしないほうがいいと思っているんです。なんというか、棋士人生でまったく勉強しない時期があってもいいのかな、と。勉強時間が取れなくても将棋を勝つ方法があるんじゃないかとポジティブに考えています。例えば内藤先生(國雄九段) は『おゆき』を大ヒットさせて歌手活動をされていた時は、将棋の勉強はほとんどできなかったはずかな、と。でも、その後に王位を獲得されていますから」  どうすれば勉強しなくても勝てると考えているのか。 「大事なのは次の3つです。流行に毒されないこと。自分の経験をうまく生かすこと。自分に自信を持ち続けること」

    昭和の先輩方に共通しているのは、胸を張って生きていたことです。「俺たちは将棋という、世界に誇れる日本の伝統文化を仕事にしたんだ」というプライドを持っていた。それが将棋界から消えてしまうのは、僕としてはいちばん悲しいことです。将棋界は「ただ将棋が強い人たちの団体」じゃいけない。技術と精神性の両方が求められるんです。

    羽生さんは自分だけではなくて、周りの棋士を強くしてきました。例えばそれまでの将棋界は、序盤戦の情報などは外に出さず、自分と仲間だけで共有することが多かった。でも羽生さんはそうではありません。羽生さんにしかわかっていないような技術や考え方を隠さずに開示していました。秘術を明かすわけですから、短期的な視点で見れば、羽生さんが損をすることはあったと思います。でももっと大きな視野で考えれば、将棋界全体の技術を底上げしているわけです。羽生さんの功績は計り知れないものがあります。

    ──皆に尋ねている質問ですが、なぜ羽生世代にこれだけ強い棋士が集まったのでしょうか。 森内  いろいろな要素があると思います。単純に子どもの数が多い時代でしたし、趣味がいまほど多くなかったので、将棋に向かう人が多かった。あと1983年に谷川さんが 21 歳の最年少名人になられて将棋界が注目を集めたことも大きいでしょう。ただやっぱり羽生さんの影響は計り知れないと思います。彼が中心となっていろいろな物事を成し遂げていくことに刺激を受けて、周りの人も高いモチベーションを維持しながら自分のよさを引き出して伸びていった。周りに優秀な仲間がいれば底上げにもつながりますし、全体のレベルや考え方にも影響を与えます。それは羽生さんにとってもプラスだったでしょう。才能があって可能性がある人たちが集まることで、さらに活性化していったのだと思います。

    「いまは先の見通しが立ちにくい世の中なので、遠いことを考えるよりも、目の前の一年一年をしっかりと過ごすことが大事だと思っています。わからないことを考えるよりも、目の前の一局一局を大事にしていきたい」

    私が最も強く感じたのは、彼らの謙虚な姿勢だ。羽生世代について語る時、彼らは深く 頭 を垂れていた。羽生たちにとってそれは普段の態度でもある。相手の立場に関係なく、誰とでも同じ目線で話をする。決して尊大な振る舞いをすることはない。ネガティブな要素を一ミリも発しない彼らは、全世界と人間を肯定する力に満ち溢れている。

  • 自分の頭で考えること、勝負に対して真剣であること、良い気持ちで真摯にそれに向き合うこと(最後は飯塚さん)

  • 羽生世代を検証するにあたり、上の世代、同世代、下の世代、当事者へのインタビューを行なっている
    全体を通して相互のリスペクトがあり、自分を卑下することはあっても他者を貶める発言が見られず、気持ちよく読めた
    将棋ソフトを駆使する現代将棋については皆思うところがあるみたい

  • 谷川浩司がいて、羽生善治がいて、藤井聡太が出てきて、時代時代にスターがいて、だから今でも将棋が好きで、この本を手に取って読んだんだろうなあと、読み終えて今あらためて思う。
    将棋界のいろんな方の
    羽生への思い、若かりし頃のエピソード
    が満載で知ることができ面白かった。
    全盛期の羽生と藤井が戦っていたらどっちが強いんだろう。
    羽生が藤井と同世代で、AIをバンバン取り入れて戦っていたらどうなっていたんだろう。
    藤井が羽生世代で、AIも無い中で戦っていたらどうなっていたんだろう。
    羽生の100期目をかけた藤井とのタイトル戦が観たい。実現してほしい。その時は羽生を応援するだろう。
    このまま羽生9段じゃ寂しい。羽生にはタイトルがお似合いだ。

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著者プロフィール

(おおかわ しんたろう)1976年静岡県生まれ。日本大学法学部新聞学科卒業後、出版社勤務を経てフリーに。2006年より将棋界で観戦記者として活動する。著書に、将棋ソフトとの関わりや将棋観について羽生善治や渡辺明ら棋士11人へのロングインタビューを収録した『不屈の棋士』(講談社現代新書)のほか、『将棋・名局の記録』(マイナビ出版)、共著に『一点突破 岩手高校将棋部の勝負哲学』(ポプラ社)がある。


「2020年 『証言 羽生世代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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