- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784065221341
作品紹介・あらすじ
LA(ロサンゼルス)に渡った映画研究者が、「食」を通して考えたアメリカ。
料理本批評エッセイ『食べたくなる本』で話題を呼んだ著者による、
ユニークな食生活エッセイ&体験的都市論。
「スロー対ファスト」とか「オーセンティック対リミックス」というような、
私自身これまで少なからず囚われてきた対立構図がある。
LAの食には、それを軽々と超える自由闊達な生命力があるようにも思えた。
「多様性」とは何か、それをいま、どう擁護しうるか。
こんにち最も切迫したこの問いに対する貴重なヒントを、
私はここでいくつも得ることになる。(本書「まえがき」より)
【目次】
なぜアメリカへ?
LAフリーウェイとIN-N-OUTバーガー
季節のない寿司
ゲリラ・タコス
カナダの自然食
ヴェニスのエキゾティシズム
ジョナサン・ゴールド
USC
「映画と牛の関係について」
LAの友人
記憶の襞
多様性と画一性
感想・レビュー・書評
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ブラザーズのハンバーガーを食べたくなりました。
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予想した内容では無かった。食という文化。牛に迫る思考。ふいに生きることの意味を問う感じが好きだ。
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映画批評家、かつ食と料理本批評も行うというマルチな方が、LAのフード文化を考察し、まとめ上げた一冊。数ヶ月前、私は初めての渡米を果たしているはずだった(が、そこでコロナである)ので、タイトルと、表紙のポップさに惹かれて軽い気持ちで手に取ってみた。しかし前半、軽いテンポで進んだフード紹介から、後半はかなり骨太な考察に突入していく。自分の足では踏み入れることのできなかったディープな世界に、美味しい「えさ」を撒かれて、あれよあれよと引き摺り込まれていった感じ。
LAの交通文化と、アメリカ的食文化の関連の結びつきから始まり、LAの多様性が「自然」ではなく「社会環境」によってもたらされること、自分自身が能動的にフリーウェイを走り抜けることがうむLAならではの季節性、食における「ヒップ」は、「忘れられた言語を学び直していること」、そしてジョナサンゴールドによる素晴らしい食レポ(と形容するのが適しているかどうか)。その片鱗を実際に足を運んで味わう筆者の行動力も素晴らしい。
「映画と牛」の論考を革切りにディープな世界へと入っていく後半、興味深かったのは多様性と画一性の分析だった。画一性をどうしても悪と見てしまう私には大きな学びだった。確かに私たちの生活の安全性・安定性・均一性は、大量生産品によって大部分が支えられ、その上において多様性が大いに価値を発揮する。これは食に限ったことではないが、この章を読むまですっかり忘れていた大事なことだった。
チャルメラの最後の下りもとても良かった。私には同じように強烈な体験とともに刻まれた心の中の襞は、どれくらいあるだろう?しかしそれは、ただ考えを巡らすだけでは甦りそうもない。その食べ物に対峙して、五感を通じてその料理を味わった時、ようやく姿を見せてくるものかもしれない、そんな体験を早く味わいたい。ああコロナが憎いなぁ。。 -
映画研究者の著者が1年間家族とロサンゼルスで過ごした食にまつわる滞在記。
「食」からアメリカの多様性、成り立ち、ハリウッド映画との関係などにも考察は及び私の知らないアメリカの一面を考えさせられる本でした。
料理評論家とか高級美食の世界ってなんかすごい。
ハンバーガーから多種多様なエスニック料理まで、LAだからこその味わいの理由がなんだかわかる気がします。
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講談社
三浦哲哉 「LAフードダイアリー」
1年間のロサンゼル(LA)生活を通して、食文化からアメリカの多様性を紐解いた良書。異なる社会環境の併存が多様性をもたらすことを伝えている。読みやすく面白い。
LAを アメリカにやってきた植民者たちが 解放を求めて 西へ進み、最後に辿り着く「終着駅」とし、異なる社会集団ごとの食文化が併存している場所と位置づけている
さらにLAは 「ゴールドラッシュ」「石油」「映画」「シリコンバレー」と 時代ごとに 解放を求める人々を招き寄せて 多様性を保っているとのこと
名言「多様な食文化を知り、多種の美味を味合うことは、寛容な精神を滋養することである」
洋書を読む自信はないが
JonathanGold の本は読んでみたい。
日本の食事の多様性が、自然環境によってもたらされるとすれば、LAの食事の多様性は、社会環境によってもたらされる
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フード系のエッセーって初めて読んだけどこんなにおもしろいのか…!
自分自身ここ数年でかなり食への好奇心と興味が出てきたので、好き嫌いがないことを武器に色々なものを食べたり、サーチしたり、食べ物のことを話題にあげたり、作ったり、ってしてるけど、記憶の襞、レイヤーで味覚と体験と興味が形作られるのはほんとうにわかります!!!!となった
はじめて凝ったネパール料理やさんでスパイスカレーをたべたとき、美味しいとかとはべつに色んな味がする!!!!!とおもったのをおぼえている。
いろんなものを食べて、実家を離れて自分で料理したり、という経験を経てから母のご飯を食べたときのわかりの深さもすごい感動したし、(自分の料理と比べて)味と見た目が3Dだ!!!!とおもったのも。
この本はそういう経験を思い出させ、強化し、さらにただいろんな味〜!だけではなくて、季節とか場所や人の歴史とかまで想いを馳せてたべるという可能性をしめしてくれている。
えー食べることってみんなしてることだけど、こんなにヤバいカルチャーなんか…人生ずっとたのしいね…フフ -
桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/645644 -
LAの食だけでなく、人柄や土地、文化についても知ることができる。
西海岸、行ってみたくなりました。必ず行きます。 -
大学のサバティカル期間に家族でLA暮らしをすることにした著者が、"旬のない土地"LA独自の食文化を発見するまでの1年間の記録。
日本とのギャップに戸惑いながら「ハッピーターンの粉のような」味付けのフライドチキンや、旬の概念が存在しない寿司などと向き合っていく前半は面白い。Trader Joe'sはアメリカに移住した日本人がみんな好きなイメージあるけど、サラダがそんなにも心をすくい上げる食べ物だとは。
北米人の食とイズムの関係に関する考察も面白かった。アメリカやカナダでのバーベキューは日本のラーメンと同じく「ガレージの美学」を持つ料理だというくだりとか、ヒッピーコミューンの有機野菜マーケットは品質の良い野菜と民間療法の本が同居するとか。
ただ、後半に入ると南カリフォルニア大学の映画学科に通いはじめるのもあり、だんだんと大学の先生っぽい文章のつまらなさが浮き彫りになってくるのがつらい。日本びいきのアメリカ人家族に理論武装しておひたしを振舞ったらあまり食べてもらえず、しょんぼりするところはその先生っぽさがチャーミングだったけど。ジョナサン・ゴールドという、LAの移民が生みだす多様な食文化を支持・擁護したグルメ評論家に1章割いているが、ケレン味あふれるゴールドの文章と本書の地の文をつい比べてしまう。(ゴールドもまとめて読めばクドいと感じるとは思う)
随所に人間関係に対する細やかな気配りを感じる文章でありながら、フィッシュベジタリアンの義弟を「ごりごりの自然食野郎」と呼んだり、ミリオタの若者を「非モテ」と呼んだりするのも気になった。この表現だけを抜きだしてどうこうというのではなく、なんというか全体に大学の先生らしいつまらなさをまとった文章のなかにこういう語彙が紛れこんでくると、"精一杯の気さくな感じ"をだそうとしてこれを選んでるんだろうな……という感じが結構しんどいのである。