貝に続く場所にて

著者 :
  • 講談社
3.08
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本棚登録 : 713
感想 : 78
  • Amazon.co.jp ・本 (162ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065241882

作品紹介・あらすじ

第64回群像新人文学賞受賞。
第165回芥川賞候補作。

コロナ禍が影を落とす異国の街に、9年前の光景が重なり合う。静謐な祈りをこめて描く鎮魂の物語。 
ドイツの学術都市に暮らす私の元に、震災で行方不明になったはずの友人が現れる。人を隔てる距離と時間を言葉で埋めてゆく、現実と記憶の肖像画。

(群像新人文学賞 選評より)
記憶や内面、歴史や時間、ここと別のところなど、何層にも重なり合う世界を、今、この場所として描くことに挑んでいる小説 ーー柴崎友香氏

人文的教養溢れる大人の傑作
曖昧な記憶を磨き上げ、それを丹念なコトバのオブジェに加工するという独自の祈りの手法を開発した ――島田雅彦氏

犠牲者ではない語り手を用意して、生者でも死者でもない「行方不明者」に焦点を絞った点で、すばらしい。清潔感がある。 ーー古川日出男氏

感想・レビュー・書評

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  • 東日本大地震から10年。
    いまも、行方不明の人がたくさんいて、その分だけ、行きどころのない気持ちで、その人を待っている人たちがいるんだなと、改めて思った。

    一般的に喪失感と呼ばれているような、心に何か欠けている部分があるような、でもそれらとはまた違う、うまく言えない心情が描かれていた。

    ドイツはほぼ地震とは無縁で、この地に生きる人たちは「親を絶対的な味方だと信頼の眼差しを向ける子供」のように、地面に対して絶対的な信頼を置いている。
    一方で、あの地震を山間部で経験した主人公は、地面からの「気配」をささいでも感じ取るようになった。

    そんなドイツで、あの地震以来連絡のとれていない野宮(と思われる存在)と出会う。
    9年ぶりの、そしてはるか遠く離れた、地震とは無縁な場所での「再会」は、すぐには受け入れられず、感覚に長い「時差」が生じていた。

    記憶だけでなく、体の感覚もなお覚えている震災と、惑星の配置、芸術研究、そしてコロナ禍の現代を絡め合わせていた。筆者の実体験なんだろうか。

    さすが芥川賞受賞作品。
    重厚で、ちょっと私が味わうには難しかった作品のように思う。

  • 思いがけず、四日前に芥川賞を受賞したこの本が
    手に入ってしまいました。
    まだあまりレビューがないうちに
    さっさと勝手な解釈を書いてしまおう。

    最初はずっと「震災で亡くなったと思っていた友人に再会したのだ」と思って読んでいたけど、やはり彼はまだ「生きていることが確認されていない」と思いました。

    この小説で大事なポジションにある「冥王星」
    〈プルートは冥王星のラテン語由来の名称で、
    ローマ神話の冥府の神を表している。
    死者の行く場所〉

    そしてこの地にゆかりのある物理学者寺田寅彦も
    登場しています。(昭和10年没)

    著者は宮城出身ですが、津波の被害は受けていません。
    もちろん辛い体験の記憶はもっているのですが、
    それと同時に、自分よりもっと被害の大きかった人たちへの想いを
    この小説で整理させたかったのではないでしょうか。

    そこで〈私の研究主題は、中世以降のドイツにおける十四救難聖人の図像の発展と信仰問題であった〉ので、
    聖女の皆さんに登場していただいたのでは。

    ローマ総督に乳房を切り取られたアガータ。
    長い髪で羊を抱くアグネス。
    ウルスラにはマント。
    塔への散策を提案したバルバラ。
    眼の形の首飾りをしたルチア。
    車輪をもつカタリナ。
    そして自分は歯痛の聖女アポロニア。

    彼女は知ります。
    〈私が恐れていたのは、時間の隔たりと感傷が引き起こす記憶の歪みだった。〉

    〈記憶の痛みではなく、距離に向けられた罪悪感。
    その輪郭を指でなぞって確かめて、
    野宮の時間と向かい合う。
    その時、私は初めて心から彼の死を、
    還ることのできないことに哀しみと苦しみを感じた。
    九年前の時間が音を立てて押し寄せる〉

    はー。
    これから他の人のレビューや大先生の講評など
    楽しませてもらいます。

  • コロナ禍に異国の地で祈る震災死者の帰郷 | レビュー | Book Bang -ブックバン-
    https://www.bookbang.jp/review/article/696105

    「貝に続く場所にて」書評 現れた知人は震災の行方不明者|好書好日
    https://book.asahi.com/article/14407158

    『貝に続く場所にて』(石沢 麻依)|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000353872

  • 読み始めてしばらく文章の読み辛さに戸惑ったのだけど、書かれているものが見えて来ると、この作品は読み易くてはだめなんだ、と思った。
    作品を構成する過剰なほどの描写と比喩は、東日本大震災の際に目にしなかったものを映像や伝え聞きと想像でなぞることに似ている。
    どんなになぞっても、そのものにはならない。
    同じ場所に立ちながら異なる時間にいる生者と死者に、海や絵画、惑星のイメージが重なる。
    静かな温かさのある作品だった。

  • この作品を読んでまず感じたのが、ちょっと難解な作品かなと私は感じました。でも共感する部分も多くて、震災から10年、これからの世代にどのようにして震災の経験を伝えるのか、風化させてはいけないなど、今を生きる私たちがどう行動するか考えさせる作品でした。第165回芥川賞受賞作。

  • 50ページほどで読み進めることを諦めた。私には合わない作品でした。残念。

  • 静謐な雰囲気が、私的な表現から漂う、とても美しい作品です。
    ストーリー性を求めてしまうと退屈な作品だと思います。恋人や家族といったわかりやすい関係性はほとんど描かれず、言葉に表しにくい人への複雑な想いが描かれています。

    とくに面白いなぁと思ったのは、
    身体感覚に記憶や想いが現れてくる描写。
    頭の中だけにあると思いがちなモノを、発掘された物や、身体の変化、そして場所などに託されています。

    あの震災で行方不明になっていた知人の訪れ。
    ゲッティンゲンに設置された惑星と、消えては現れる準惑星に「降格」した冥王星。
    トリュフ犬に発掘される人々の記憶を司る物たち。

    時間と記憶がまぜこぜになり、
    どこからが現実で、どこからが記憶なのか、
    曖昧なところがすごく不思議だった。

    貝が、彼のいる海の底のイメージと重なる。
    舞台はゲッティンゲンではあるけれど、
    記憶に関わるモノが発掘されていくことを考えると、
    海王星付近は海中を表しているのかもしれない。
    野宮と向き合うことが、「わたし」にもたらしたものは何か。

    身体感覚に残る記憶の断片の描写がとても興味深い。
    記憶という見えないもの、
    時には自分を苦しめたり、
    自分というものを証明してくれる「記憶」。

    あの東日本大地震から長い時間が経ったからこそ、無くしたものが何かがわかってくる。
    時間が容赦なく記憶を薄れさせる。

    わかりやすいストーリーではないことや、ハッキリした人物像を持たない登場人物や、詩的な表現のために、内容をつかむことはとても難しく感じたけれど、
    この作品から漂う空気は気に入った。

  • ページ数が多い訳じゃないんだけど難しくて読み解いて進むのに時間がかかった。貝というよりは月とか星なのでは?って思ったけどラストは「あ~」ってなった。不思議なお話。

  • この話は私には難しかった。
    大学入試で題材とされそうな文章といえばわかってもらえるかもしれません。
    時間的・空間的へだだりをもつ人の記憶や人の想いに対する感情を、煮詰めて文字にするとこんな感じになるのかもしれませんが、理解が追いつかなかった。

  •  東日本大震災から10年目の芥川賞としては、大いに印象に残ることになる作品。

     高村薫は「サンデー毎日」の連載の中で、

    「数多の自然災害のなかでも東日本大震災がとりわけ別格なのは、(中略)その被害の凄まじさによって日本人全体の集合的記憶となっただけでなく、いまなお一人ひとりの個人的記憶でもあり続けている点で特別なのである。(2021.3.28)」

     と記したが、いや、そうじゃない、同じ宮城県に居ても、海沿いに居たものと、内陸部に居たものでは、現実の把握の仕方に大きな差があることを、本作著者は、実際の体験者として、克明に、実感の籠った筆致で綴っていて迫真である。

     著者は、それを距離、あるいは距離感という言葉で、何度となく作品の中で描写している。

    「言葉と感覚の距離感は、私の中でも渦巻いている。(中略)「津波」にしても私は感情的にこの言葉と結びついている気がするだけで、実際のところ画面越しにしか見ていない。」

    「私がその言葉に感情を添える時、その言葉を身に刻んで暮らし、そしてあの水の壁を目の当たりにした人にとっては、感傷で距離を測り間違えていると映るのではないだろうか。さらに、地震のない土地に身体や感覚が馴染むにつれて、わたしもまたその言葉の厚みを失いつつあるような気がしてならない。」

     本作の主人公は被災地どころか、日本からも距離を置いたドイツの小都市ゲッティンゲンという町に居る。その距離感や、ドイツの街が抱える過去の記憶も上手に使いながら、あの大震災に、現代の視点から見た新たな輪郭をもたらすことに成功している。
     ドイツの街に残るのは、先の大戦でのナチスによるユダヤ人迫害の歴史だ。

    「街はその記憶を何度もなぞっているのか、通りには足音が重く響き、地面に落ちた影絵が死へ追い立てられる人々の姿をほのめかす。これも記憶の断片。場所に残された傷跡。」

     人の記憶がおぼろげになっていこうとも、土地に残る“傷跡”が、この先も忘れがたい事実を記憶にとどめ続けるということか。10年が経過し、記憶の風化が懸念される今、意義および意味のある描写が内包された、実に面白い作品だ。

     日本から遠く離れた街を舞台に、アートと宗教をモチーフに、また、その街をかつて訪れたことのある故人(寺田寅彦)を登場させ、それに導かれるように、震災の時に還らぬ人となった知人野宮の幽霊を呼び寄せる。
     かなり、突拍子もない設定に、最初は戸惑うが、すべては計算された、著者の知識・体験を総動員したかのような設え、人物設定となっている。むしろそうした伏線のはり方が、周到すぎるがゆえに、人物造形などは薄くなっているが、それは著者も承知の上のことのようだ。ともかく、登場人物の一人(ウルスラというドイツ語教師)の人間関係の描写のように、

    「街の内外に展開される幅広の人間関係は、点と線で結び合わせてゆくと複雑な星座を浮かび上がらせる。」

     といった具合に、なんらかの意図が浮かび上がる、なかなか用意周到な設定が楽しめる。

     また、タイトルの「貝」についても、まずは「貝に続く・・・」というい表現に、違和感を覚え、意味が通じないと感じるが、聖ヤコブ教会から、スペイン巡礼の旅を導き出し、その巡礼のシンボルとなる帆立貝のドイツ語を通して、遠く東北の海にまで繋ぐという大胆な試みは、見事と言っていい。

    「午後2時46分、と野宮は呟く。静かな透明な声。遠近法の消失点が置かれた時間。」

     遠近法、消失点といった絵画的な表現も多様し、パースの効いた大掛かりな風景画を描かんとした試みには、ひとまず拍手。
     
     ただ、著者の略歴を拝見すると、実体験がベースになっているところも多く、本作品で出し切った、この後の作品では、何を糧に創作を行うのだろうと、要らぬ心配もよぎったが、逆に、そういう意味でも、次回作が楽しみでもある。

     まだまだ、こなれない文章が多い。
     冒頭などは、たくさん「?」を付けながら読んだ。個々の語の意味は分かるのだけど、文章として、何を言っているのだろう?という箇所が多かった。
    「加速した舌が紡ぐのは、語りの名を借りた騙りの模様」 って?
    「消えた時間の跡を前にした時、おそらくは進行形の記憶喪失に至る」って??

     ま、何より詮衡メンバーの山田詠美が、
    「〈意味の解けた物の塊の映像が別に浮かびあがり、歯痛を真似て疼き出した〉とか。うぷぷ・・・全然、意味解んないよ!」
     と失礼極まりなく言い放っている箇所が、やはり白眉だろうな。

     こうした自己陶酔したかのような表現が、今後、どのように洗練されていくのかも楽しみに、また次の作品を待とうと思う、久しぶりの芥川賞作家さんだった。

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著者プロフィール

いしざわ・まい
1980年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、ドイツ在住。2021年、「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞を受賞。同作が第165回芥川賞受賞のダブル受賞。

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