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Amazon.co.jp ・本 (242ページ) / ISBN・EAN: 9784065266687
作品紹介・あらすじ
元脳外科医で、最高学府の教授でもあった夫・若井晋。
その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。
長い苦悩をへて病を受け入れ、新たな道へと踏み出した
夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す。
●当事者・若井晋が語る「認知症の人から見た世界」とは?
「最初は『何でだ』と思っていました」
「けれども私は私であることがやっとわかった」
「私が見ている感じと、みなさんが見ている感じが違うんです」
「僕の住んでいる世界は、たいへんなんだよ」
「『大変だったなあ』と一言、言ってくれればよかった」
【著者・若井克子の言葉・・・本文より】
晋は若年性アルツハイマー病になって、知識を、地位を、職を失った。
それは、世間からは「地獄」に見えるのかもしれない。
だが私には、むしろ、すべて失ったことで「あるがまま」を得て、
信仰の、人生の本質に触れたように感じられるのだ。
病は人生の一過程に過ぎない。認知症になっても、私は私であることに変わりはない――。
認知症患者800万人時代を生きるための必読書がここに!
みんなの感想まとめ
認知症というテーマを通じて、病を受け入れ新たな道を見出した夫婦の物語が描かれています。元脳外科医の夫が若年性アルツハイマーと診断された後、彼と妻の克子さんがどのように日々の生活を模索し、向き合っていっ...
感想・レビュー・書評
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元脳神経外科医の若井晋さんが、漢字が書けなくなってきた、言葉がでなくなってきた、ATMの操作ができなくなった…などの症状からアルツハイマー型認知症を疑うのが54歳の頃…。なぜ、どうして自分が…まだ、大丈夫じゃないか…葛藤しつつも、若年性アルツハイマーの診断を受け、退職し沖縄に移住する…。その後生活の場を変えながらも、講演活動なども行っていたが、病は進行し寝たきりになって在宅での療養生活に…。最期は肺炎を起こし病院で余命僅かと宣告を受け、コロナ禍ということもあって家族で看取るために退院、穏やかな最期を迎えた…享年75歳。若井晋さんの妻である克子さんが、夫の生活歴や、本人の状態、介護の状況などを赤裸々に描いた作品…。
アルツハイマーかも…そう疑ってから、亡くなるまで実に20年以上…。大変なことも沢山あったと思うけれど、妻が夫のためにできることを日々模索している姿を垣間見ることができました。それが理解力が低下していても晋さんに伝わっていたからこそ、穏やかな最期を迎えることができたのではないかと感じました。若井晋さん自身が綴ったというよりは、妻の克子さんの目線での記録です。最期住み慣れた自宅で看取ると決断した克子さんの判断、素晴らしいと思います。ただ、どこか遠い人っていうか身近に感じられないのは、あまりにも偉大な方だったからか、私には具体的な信仰がないからかもしれないけれど、そんな風にも感じました(個人的には、長谷川和夫先生の本の方が読みやすかったです)。この作品の表紙、沖縄の海で撮影した写真でどこか晋さんの表情はかたいと克子さんは書かれていますが、私はいい写真だと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
認知症の話って悲しくなるから今まで避けてたんだけど、タイトルに惹かれて読んでみたら、とっても勉強になりました。
記憶は失っていき、出来ることも少なくなるけれど、その人らしさは失わないっていうのがすごく希望に思えました。そして著者の言葉を発しなくても例え叫んでいても、気持ちを読み取ろうとする姿勢に感動しました。なかなか出来ることじゃないと思います。そしてどんな挑戦でも支えて寄り添ってるのが本当に凄かった。
時には、挫折しそうになったという率直な気持ちも書かれているのが良かった。絶対大変なこともあるから、美談だけで終わると疑わしく思ってしまう。
あと日記帳も公開されており、認知症の人目線での考え方もよく分かりました。やっぱり最初は誰しも認めたくないんだなと思いました。特にこの方は、脳外科医としても働かれて認知症のことを誰よりもよく知っているからなおさらだと思いました。そして、見えている世界が違うのかと納得しました。
今まで避けてたけれど、とっても勉強になったので、闘病の本も読んでみようと思います。 -
脳神経外科を専門にしていた人が自分がアルツハイマーではないかと疑う。
漢字が書けなくなっていき、言葉もだんだん失われていき、これまで当たり前のようにできたことができなくなっていく。
どれだけ恐ろしく、受け入れるのに勇気が必要だっただろう。
想像するだけで呼吸が浅くなってしまう。
講演会でアルツハイマーになったことの意味を問われた時の若井先生の言葉(P159)
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私がアルツハイマーになったということが、自分にとって最初は「何でだ」と思っていました。けれども私は私であることがやっとわかった。そこに至るまでに相当格闘したわけですけど。
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病気になっても自分は自分。
同じ立場に立たされたとき、このような発想を手にいれることができるか、私には自信がない。
若井さんには信仰があるけど、私にはないし、1番信じているのは自分。
その自分が自分でなくなるように感じたら、立ち上がれるだろうか。
若井さんは何て高潔な人なんだろう。
読みながら勇気のようなものを感じたけれど、立派すぎて手が届かない気もした。 -
若年性アルツハイマーになった東大のお医者さんの話。奥さんの視点で書かれており、東大教授という圧倒的強者が病によって弱っていく様子が辛い。健康は大事だという当たり前のことに気づく。
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右側の男性が東大教授で、脳外科医、また後国際地域保健学を専門とし、海外をとびまわるハードな仕事をしていました。
脳外科医のときには「医者が趣味」と豪語、患者さんの話をよく聞き、時間をかけて診療するスタイルをとっていました。
そんな若井先生が、50代はじめに若年性アルツハイマー病になります。まず漢字を思い出せないところから始まり、徐々に悪くなっていくのですが、最初の4-5年はこの病気を受け入れられず、初めて病院に行ったのもその頃です。(アルツハイマー病はおもに神経内科や精神科の医師が扱います)
闘病生活は約20年におよびます。この本は彼をそばでみて支えてきた奥様の手記です。読んでいて、本当に可哀想で可哀想でたまりませんでした。
この奥様がこんなにしっかりしているのは、夫婦ともにクリスチャンということがあるのかもしれない。
彼は講演でこういいました。
「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」
そしてこれはあくまで私の憶測です。
彼は煙草を吸わない、お酒もほとんど飲まない方でした。
最近いろいろあって禁煙禁酒がベストと思っている私ですが、
こんなに過酷な仕事をしているような人は
お酒でちょっとリラックスする時間をもうけたほうが良かったのではないか?
そんなことを考えてしまいました。 -
若年性アルツハイマーの夫を看取った妻、若井克子さんの書いた本。
54歳で漢字が書けなくなってきたと悩み、密かな漢字練習の跡が残る日記帳の数ページが本書には掲載されている。次男が「一緒に漢字の練習をしよう。」と時間を共有するも、若井ご主人は怒り出してしまう…若年性アルツハイマーという自分が専門とする脳の病を受け入れるのには時間がかかる。
病が人を変えてしまうのではなく、病だからこそもともとの人間性、正義感や謙虚さを見ることができたと書いている奥様の愛を感じました。 -
東京大学の国際地域保健学教室の教授をされていた若井晋先生の奥様の克子さんの手記です。
先生の闘病生活を支える様子が書かれています。
お辛い状況の中で、何が支えであったかということや、失うものばかりではないのだということなど、前向きに受け止められる瞬間を捉えられているところに、克子さんの強さを感じました。
私は宗教に理解のない人間ですが、信仰が人の大きな支えになるということもよくわかりました。
ご自分の状況だけでなく、認知症の患者さんやその支援者に有益な情報も提供されており、非常に心のこもった一冊だと思って読んでいました。 -
東大教授が若年性アルツハイマーになる、54歳。漢字が思い出せず何回も練習したという日記、どんなに絶望を感じたことか。
夫婦で沖縄、札幌、栃木とホームグランドを変えながらも、その土地土地で濃厚な人間関係に支えられてながら病気と向き合って来た生き様が描かれている。嘘偽りがないからこそ、伝わってくるものが大きい。
これからを生きていくのに、道標となる1冊だ。 -
アルツハイマーになってしまった妻と暮らしているが、とても勉強になった。
妻は克子若井先生と同じように言葉の出にくさが特徴のロゴペニック型失語症。さまざまな苦労をしている。時に、なぜ自分には上手くできないのか、なぜこうなってしまったのかと辛さを表面に出すこともあるが、彼女なりにがんばって生きている。
もっともっと理解してよりそわねば。
バリデーションを心がけて歩いていこうと思う。 -
夫が59歳でアルツハイマーの症状が出て74歳で他界するまでを妻が記したエッセイ。現実を受け止めるまでの苦悩、進行していく病。つらいなぁ。
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どんなに頭が良い人も、病で言葉が出なくなり、言葉を理解ができなくなり、そしてその現実を受け入れていかなければならない場合がある。
東大教授でありながら、漢字を思い出せなかったとき、アルツハイマーの可能性に思い至ったとき、どんなに恐ろしく不安に感じただろう。
本人の生き方にもよるが、聡明な奥様や、協力的な子どもたちがいて、自身の病と向き合われる姿は勇気をもらえた。
両親の老い、自分も若い時ほで体力もなく、些細な不調は日々感じる中で、これから先は不安も多々ある。
人間らしく生きる、尊厳とは?を考えたりするよい本だった。 -
若年性アルツハイマーは、どれほど頭を使おうと、活動的にしていようと関係なくやってくるのだ。
65歳未満で発症するアルツハイマー型認知症を若年性アルツハイマーというらしいですが、まだ働き盛りの50代、しかも東大の教授(脳外科の医師)という脳のエキスパートが発症してしまう、その診断された後の絶望感はいかなるものでしょう。
受け入れるのに数年かかったそうだが、その葛藤を思うと胸が痛くなります。
しかし、この夫妻には大学時代からのキリスト教の信仰があり、信仰や周囲の人々との関わりとともに生きていくのです。
人が変わってしまったのではない、出来ることが出来なくなり、分かっていたことが分からなくなり、不安になるのであって、その人の思いやりはなくならないというところに気づきをもらえました。
寄り添うこと、相手の言動、行動の裏の意味を考える
こと。
大切なことがたくさん詰まっていました。
若年性に限らず、高齢化によってこれから更に認知症を発症する人が増えることでしょう。(将来の家族や自分も含めて)
認知症を理解し、見守ることはこれからの社会に求められていることなのでしょう。
そして、認知症になっても絶望ばかりせず、前を向いて歩くことによって見える世界があると気づかされました。 -
昨日、父がアルツハイマー型認知症と診断を受け、病院からの帰り道に買った本。
父のために何ができるのか。自分なりに考え、行動に移していきたい。まずは毎朝、薬を飲んだか、血圧を測ったか、確認の電話を入れるところから、一歩ずつ。
お父さん、これまで私たち姉妹のためにがんばってくれて、ありがとう。これからは私たちがお父さんを支えます。一緒にがんばろう。 -
東大教授、医者、クリスチャンの世界を駆け巡っていた第一線の研究者がワルツハイマーにかかり早期退職しての闘病記。読後感は重たいものであった。自分も認知症になる可能性もある。どれだけの率で罹患するかおわからない。50代で発症し60前にリタイアせずにいられなかったばりばりのドクターが、認知症が進行して行く過程を赤裸々に夫人が書いている。本人も配偶者も家族も巻き込んで発症してから寝たきりになり亡くなるまでの16年余りの見取りまでよく世間にあらわしてくれたことに奥さんに心から感謝したい。クリスチャンだからできることかもしれない。超高齢化に突入して認知症を患う日本人はある程度の率になると思う。余命何年とかの闘病記もいいけどこのような認知症の患者の家族周囲の体験をもっと世間に表さなければいけないと思う。
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若年性アルツハイマー病と診断された教授と、長年に渡り支えてきた妻、克子さんとの闘病手記。
専門医が、自身の病気に疑いを持ち、気づいた時、どれだけの不安の波が押し寄せてきたのだろうか、受け入れづらかったのだろうか…と。
そう思いながら読み進めてきました。
文字がわからなくなったり、言葉を少しずつ失ったりしても、正義感、優しさ、謙虚さはそのままで信仰が深まったりと、先生自身の強さを感じる場面もあり、読んでいてジーンとくる場面もありました。
夫婦二人三脚での闘病生活。読ませてもらえた事に感謝。良書。 -
私の母と診断がついた年も亡くなった年も、言葉が失われていくタイプの認知症だったことも同じだったこともあり、進行の過程に伴う本人や家族のとまどいがよくわかる。字の練習をしているノートや自筆のメモも見つけた時の著者の思いに自分を重ねずにはいられない。こんなふうになっちゃってかわいそうにとか、地獄だね、という周りの言葉には理解されない無力感と憤りしか感じれないことも。脳の専門家であった人が自分は認知症を患っているかもしれないと感じ始めた頃の恐怖はいかばかりだろう。MRIの画像を何度も見ていた話が辛い。しかし、ご本人もその奥様である著者も信仰があるからか、地位や名声より人としての本質を大切にされてこられた方々なのであまりその点を強調されないことにむしろ感銘を覚えた。
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大変優秀な、なんでもこなすことのできた方が、ゆっくりとではあるが、しかし目に見えて一つひとつのことが出来なくなっていく。周囲の戸惑いはもちろんだが、本人の思いはいかばかりかと考えると辛い。最後の方に書かれていたが、怒りや叫び声はその思いの表れだろう。
アルツハイマーと診断されなかったとしても、誰であれ多かれ少なかれ年齢に伴う認知症状は衰えてくる。老いるとはそういうことなのだ。
キリスト教信仰に立ちながらこの苦悩を赤裸々に記してくださった著者に感謝したい。 -
脳外科医でもあった彼がアルツハイマーを受け入れるまでの苦悩、近くにいる妻でも理解できないもどかしさ。失うことも確かに多かったけれど、苦難を乗り越えるきっかけが二人を結びつけた信仰だった奇跡。認知症は決して他人事ではないよなぁ…
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脳外科医が若年性アルツハイマーになって、というのをどこかで見たことがあったので、読んでみた。読む前は、アルツハイマーと診断されてから講演会を行っているとこを知っていたので、奇跡的にアルツハイマーが治ったり、症状が出ない時に講演などしているのかな、と想像して、なんとなく奇跡のお話、だと思い、読み始めたのだが、そんな話ではこなかった。アルツハイマーは確実に、進行していくのだけど、その様子を、著者の奥様が、ありのままの気持ちと、穏やかな書き語りが綴られた本だった。読んでみて良かった。アルツハイマーが身近になくても、こういう思いや、出来事は色々とあるわけで、涙ながらに、とても勇気づけられた。
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認知症を受け入れるまでの苦悩が、切ない。学生時代に運命的な出会いをした夫人の行動力に心が揺さぶられた。認知症という病気に向き合うのではなく、向き合うべきは人だと理解した。
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