現代思想入門 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065274859

作品紹介・あらすじ

人生を変える哲学が、ここにある――。
現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした、「入門書」の決定版。

 * * *

デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ラカン、メイヤスー……
複雑な世界の現実を高解像度で捉え、人生をハックする、「現代思想」のパースペクティブ

□物事を二項対立で捉えない
□人生のリアリティはグレーゾーンに宿る
□秩序の強化を警戒し、逸脱する人間の多様性を泳がせておく
□権力は「下」からやってくる
□搾取されている自分の力を、より自律的に用いる方法を考える
□自分の成り立ちを偶然性に開き、状況を必然的なものと捉えない
□人間は過剰なエネルギーの解放と有限化の二重のドラマを生きている
□無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組む
□大きな謎に悩むよりも、人生の世俗的な深さを生きる

「現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。」 ――「はじめに 今なぜ現代思想か」より

 * * *

[本書の内容]
はじめに 今なぜ現代思想か
第一章 デリダーー概念の脱構築
第二章 ドゥルーズーー存在の脱構築
第三章 フーコーーー社会の脱構築
ここまでのまとめ
第四章 現代思想の源流ーーニーチェ、フロイト、マルクス
第五章 精神分析と現代思想ーーラカン、ルジャンドル
第六章 現代思想のつくり方
第七章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方
おわりに 秩序と逸脱

感想・レビュー・書評

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  • 2023年新書大賞の第1位受賞作。

    新書大賞を受賞したつーことで早速読ませてもらいました。
    普段、哲学や思想の本など読まないので、恥ずかしながら自分にとってはかなり難解でした。これで「入門」かよ!?的な感じです。デリダにドゥルーズ、誰やそれって感じですね。
    なんとなくわかったことは、一般に現代思想つ〜のは1960年代から90年代にかけてフランスで展開されたポスト構造主義の哲学だということ。ポスト構造主義=ポストモダニズム、ポストモダン思想であり、これがデリダやドゥルーズやフーコーの思想ちゅうことらしいです。
    パターン化、単純化されていく社会に警鐘を鳴らすと言ったらいいんでしょうかね。
    とにかく一つにおさまったり完璧な秩序だったりすることより「差異」を重視するんですね。

    確かに現代は同調圧力がきつくて、出る杭は打たれる的なところありますよね。昭和の時代に比べると大らかさは確かに減少していて、窮屈な感じがするというのが私の実感です。

    著者である千葉さんは私とほぼほぼ同世代ですが、以下のように解説してます。
    「現代は、いっそうの秩序化、クリーン化に向かっていて、そのときに、必ずしもルールに収まらないケース、ルールの境界線が問題となるような難しいケースが無視されることがしばしばである、と僕は考えています。
    何か問題が起きたときに再発防止策を立てるような場合、その問題の例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向に行くのが常です。それが単純化なのです。世界の細かな凹凸が、ブルドーザーで均(なら)されてしまうのです。
    物事をちゃんとしようという「良かれ」の意志は、個別具体的なものから目を逸らす方向に動いてはいないでしょうか」

    会社組織のなかで長年生きてきた私には耳の痛い話しであると同時に大きな気づきを得られました。

    話は変わりますが尾崎豊の大ヒット曲「15の夜」は昔から大好きな曲です。有名な「ぬ~すんだバイクで走り出す〜」という歌詞がありますよね。千葉さんによればですね、あれはかつて、がんじ搦(がら)めの社会秩序の「外」に出ていくという解放的なイメージで捉えられていたとのこと。ところが今日では、「他人に迷惑をかけるなんてありえない」という捉え方がけっこう本気で言われているようなんですね。
    ほんまかいなと笑ってしまいました。
    秩序維持、安心・安全の確保が主な関心になっていて、以前のように「外」に向かっていく運動があまり受け入れられないんですね〜。

    そういう、差異やズレ、変化などを重要視刷るのが現代思想ということがなんとなくわかりました。再読したら理解が深まるような気がしました。

    巻末の付録的な感じで、難解な哲学書を読むテクニック的なこと書かれていて、なかなか面白かったです。

  • だんだん難しくはなってくるけども、現代思想を理解しやすいように、あの手この手で工夫して書いてくれている楽しい入門書。

    著者の千葉さんのワードセンスがとってもいいんだと思う。
    まず「はじめに」で、現代思想のメリットを「複雑なことを単純化しないで考えられるように」なる、「単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになる」と書いてあるのに、ぜひそうなりたい、とワクワクした。哲学書でワクワクするなんて初めて!

    デリダの世界観を、「炭酸で、泡立ち、ノイジーで、しかしある種の音楽的な魅力も持っているような、ざわめく世界として世界を捉える」と説明している文章もぐっときた。

    現代思想の、差異に注目する世界観、全体的にすごく魅力的だと思ったけれど、使いこなせるようにするには、何回か読み直して理解を厚くしなければ。
    作者もそれでいい、プロもそうやって読んでるよ、と書いてくれていて、本当に最後まで初心者に優しい本。

  • 【感想】
    現代思想の入門の入門として編まれた本書。現代思想の骨格部分だけを優しく教えるため、代表的な人物であるデリダ、ドゥルーズ、フーコーらを取り上げながら、そこに筆者独自の視点を付け加えて解説している。
    現代思想の前提にあるのは「現代は、単純化に向かっている」という考えだ。単純化は社会に一定の秩序をもたらすが、その反面必ずしもルールに収まらないような難しいケースは無視され、個別具体的なものを蔑ろにする。
    筆者はまえがきで「現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです」と述べている。こうした「この思想を学ぶ意義はこれですよ」という道筋を示してくれるのは、初学者にとっては嬉しい限りだ。哲学本はえてしてテーマが難解になってしまうが、筆者の心遣いも相まって非常に分かりやすくまとめられている。

    私が面白いと思った部分は、本書中盤で、フランス現代思想の「実際の作り方」をレクチャーしてくれるところだ。①他者性の原則②超越論性の原則③極端化の原則④反常識の原則という4つの原則を用いて、ある構造に存在する二項対立を脱構築し、新たな視点を作る。これさえできればあなたも明日から現代思想家というわけだ。

    というわけで、筆者のガイドにしたがって私も作ってみた。(即興かつ猿真似なので、だいぶちぐはぐですがお許しください)

    ①自然生殖の関係性を保護するため異性愛者のみに婚姻の権利を認めることは、人間の個体数を維持し社会を安定させるための構造として妥当なものであるが、そこには同性愛者はもちろん、異性愛者の中でも子孫を作らない選択をする人々の存在を無視している。(他者性の原則)
    ②「異性愛者のみの婚姻制度」は、実は根本に欠陥を抱えている。それは「人間に生まれたからには子孫を残さなければならない」という価値観、いわば「生殖本能の持続的な保持」が終焉を迎えるという可能性を度外視していたからだ。価値観の変化によって子を残さないという選択ができると、社会構造が崩壊するため、同性愛を排除せざるをえなかったのである。
    そもそも恋愛→出産という条件付け自体が時代遅れになっているのではないだろうか。そこで「同性愛」および「異性愛」という括りを取り払い、より普遍的な「友愛・父性愛・母性愛」といった、恋愛感情によらない契約制度の構造を考える。ここにおいてようやく「同性愛」が肯定され、かつ「子どもを作らない異性愛」も肯定されるのだ。(超越論性の原則)
    ③「異性愛者のみの婚姻制度」の中では、同性愛者は異質だった。だが今や、恋愛感情を超えた「普遍的な愛情」に沿った契約関係こそが原理となる制度を作れば、それが同性愛・異性愛を内包し、本人たちの意思を強く反映できる。この契約関係を定式化するために、財産関係や扶養義務といった制度を、「親族間」から「個と個」に縮小すべきだろう。(極端化の原則)
    ④「友愛・母性愛・父性愛」にもとづいた契約が行われれば、パートナーと家族関係・血縁関係を結ぶプロセスは消滅する。したがって、契約をより簡単かつ即時的に、そして広範に行う人々が現われ、コミュニティの分離と結合が加速するだろう。(反常識の原則)

    お粗末ではあるが、なんとなく脱構築的になっている……ような気がする。
    筆者によれば「コツは逆張り」だそうな。確かに常識と考えられている二項対立に逆張りし、あえて複雑にすることを意識することで、なんとなく形になった。なにより作っていてとても楽しかったので、是非やってみてほしい。
    ――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    ●用語解説
    ・ポスト構造主義…「複数の物語や思想においても基本のパターンは同じであり、そのパターンを解釈する」という態度が「構造主義」。これに対して、「パターンから外れたり、ダイナミックに変化したりする世界を論じる」という態度がポスト構造主義。
    ・脱構築…物事を「二項対立」に捉えて良し悪しを言おうとするのを、いったん留保すること。
    ・ポストモダン…資本主義が発展していくなかで、価値観が多様化し、共通の理想が失われたのではないかというのがポストモダンの考え方。「大きな物語が失われた」とも表現する。

    「現代思想」とは、1960年代から90年代を中心に、主にフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学を指している。日本ではしばしば、それが「現代思想」と呼ばれてきた。
    本書では、その代表者としてジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーを取り上げる。

    現代思想のスタンスは、いったん徹底的に既成の秩序を疑うからこそ、ラディカルに「共」の可能性を考え直すことができるのだ、というもの。
    現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになる。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになる。
    現代は、いっそうの秩序化、クリーン化に向かっていて、そのときに、必ずしもルールに収まらないケース、ルールの境界線が問題となるような難しいケースが無視されることがしばしばある。何か問題が起きたときに再発防止策を立てるような場合、その問題の例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向に行くのが常であり、それが「単純化」である。
    人間は歴史的に、社会および自分自身を秩序化し、ノイズを排除して、純粋で正しいものを目指していくという道を歩んできた。そのなかで、20世紀の思想の特徴は、排除される余計なものを「クリエイティブなもの」として肯定した。
    現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。秩序から逃れる思想は今、人生の多様性を守るために必要である。


    1 デリダ…概念の脱構築
    二項対立において差異のほうを強調し、ひとつの定まった状態を絶対視せず、ズレや変化も大事だと考えるのが現代思想の大方針である。

    「脱構築」の手続きは次のように進む。
    ①まず、二項対立において一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、むしろマイナスの側に味方するような別の論理を考える。
    ②対立する項が相互に依存し、どちらが主導権をとるのでもない、勝ち負けが留保された状態を描き出す。
    ③そのときに、プラスでもマイナスでもあるような、二項対立の「決定不可能性」を担うような、第三の概念を使うこともある。

    デリダによれば、あらゆる二項対立は、話し言葉(パロール)と書かれたもの(エクリチュール)の対立と言い換えることができる。パロールは現前的であり、それに対しエクリチュールは、元のものから離れてしまってい誤解を招く要素だ。
    直接的な現前性、本質的なもの:パロール
    間接的な再現前、非本質的なもの:エクリチュール
    このパロールとエリクチュールは、あらゆるものに当てはめられる抽象的な二項対立である。例えば自然はパロール、人工的なものはエリクチュールというように。

    二項対立には、必ずプラスの側とマイナスの側が二極化して存在する。マイナスだとされる側は「他者の側」だ。なぜなら「自分の側」では、自らは絶対的な存在として独立し安定していたいという意識があるからだ。これは「同一性」と言い換えられる。
    それに対してデリダの脱構築は、透明で安定したものとして自己や世界を捉えるのではなく、他者のいる世界に身を開き、変動的なものとして世界を捉えた。


    2 ドゥルーズ…存在の脱構築
    ドゥルーズは、「世界は同一性よりも差異のほうが先だ」という考え方をした。
    一般的に差異というと、Aというひとつの同一性が固まったものと、Bというまた別の同一性が固まったもののあいだの差異、つまり「二つの同一性のあいだの差異」を意味することが多いと思われるが、ドゥルーズはそうではなく、そもそもA、Bは独立バラバラではなくさまざまな見えない糸で絡み合っていて、いたるところにバランスの変動がある、という微細で多様なダイナミズムのことを「差異」と呼んだのだ。

    ドゥルーズは、あらゆる事物は異なる状態に「なる」途中である、つまり一人の人間も一つの建築物も「出来事」である、といった。これが「生成変化」だ。

    ドゥルーズの思想は、外から半ば強制的に与えられるモデルに身を預けるのではなく、多様な関係のなかでいろんなチャレンジをして、自分で準安定を作り出していけ、ということだ。安定した「本当の自分」を探求する必要なんてなく、いろんなことをやってみよう、という思想に他ならない。
    それと同時に、他者との関わりに深く染まりすぎて監視や支配に転化しないよう、関係性の接続と切断のバランスをケース・バイ・ケースで判断しろという思想でもある。


    3 フーコー…社会の脱構築
    フーコーは、支配を受けている我々は、実はただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造があるということを明らかにする。つまり、権力は、上から押しつけられるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけるという発想自体が間違いなのだ。

    ●フーコーの「権力の3つのありかた」
    1 王権時代
    権力自体が人々を直接縛る強大な力を持っていた。
    2 17-18世紀
    誰に見られていなくても、自分で進んで悪いことをしないように心がける人間を作り出すようになった(パノプティコンの概念)。監視の内面化。これを「規律訓練」という。
    3 現代
    生政治(大規模な集団に直接的働きかけを及ぼすような統治)と規律訓練が両輪で動いている時代。

    権力は、逸脱した存在を排除し、あるいはマジョリティに「適応」させることで社会を安定させる。近代という時代は、そういう権力の作動に気づきにくくなるような仕組みを発達させた。
    この歴史的観点が、今の管理社会を批判するために必要である。逸脱を細かく取り締まることに抵抗し、人間の雑多なあり方をゆるやかに「泳がせておく」ような倫理を、フーコーは示唆している。


    4 現代思想を作ってみよう
    フランス現代思想をどう作るかというとき、次の原則を立てられる。
    ①他者性の原則
    基本的に、現代思想において新しい仕事が登場するときは、まず、その時点で前提となっている前の時代の思想、先行する大きな理論あるいはシステムにおいて何らかの他者性が排除されている、取りこぼされている、ということを発見する。
    ②超越論性の原則
    広い意味で「超越論的」と言えるような議論のレベルを想定する。先行する理論では、ある他者性Xが排除されている、ゆえに、他者性Xを排除しないようなより根本的な超越論的レベル=前提を提示する、というふうに新たな理論をつくる。
    ③極端化の原則
    新たな主張をとにかく極端にまで押し進める。
    ④反常識の原則
    そのようにある種の他者性を極端化することで、常識的な世界観とはぶつかるような、いささか受け入れにくい帰結が出てくる。しかし、それこそが実は常識の世界の背後にある、というかむしろ常識の世界はその反常識によって支えられているのだ、反常識的なものが超越論的な前提としてあるのだ、という転倒に至る。

    まとめると…
    ①先行する議論は、安定的なものとして構造を示しているが、そこからは他者性Xが陰に陽に排除されている。まずこのことに気づく。(他者性の原則)
    ②そこから、S1は実は根本的な構造ではない、という問題提起へと向かう。S1は根本的でなかったからXを排除せざるをえなかったのである。そこでS2を条件づける構造を考える。S2においてようやくXが肯定される。(超越論性の原則)
    ③S1にとってXは従属的、付随的だった。だが今や、Xが極端化され、Xこそが原理となるようなS2を考え、それがS1を条件づけると考えるのである。S2を定式化するために、慣例を破って新たな概念をつくることもある。(極端化の原則)
    ④S2を前面に押し出すと、常識と齟齬をきたすような帰結を生む。(反常識の原則)

    これを応用することで、何か新たな視点を作ることができるかもしれない。


    5 おまけ:現代思想を読むコツ
    ・細かいところは飛ばす。一冊を最後まで通読しなくてもいい。哲学書を一回通読して理解するのは多くの場合無理なことで、薄く重ね塗りするように、「欠け」がある読みを何度も行って理解を厚くしていく。
    ・原文の構造を英語だと思って推測する
    ・レトリックに振り回されず、必要な情報だけを取り出す(カッコつけている言葉をスルー、格調高くしたいだけの修飾語にまどわされない、二項対立を意識し、お飾りを切り詰めて骨組みだけを取り出す)
    ・固有名詞や豆知識を無視する
    ・概念の二項対立を意識する。対立するAの側とBの側にどういう言葉を割り振り、その両側の関係をどう説明しているかを捉える。

  • 1960年代から90年代にかけて発展したフランス現代思想を下地にした、入門書を読むための入門書という本。入門書を読むための入門書と冒頭に書かれているだけあって、分かりやすい文章と言葉で述べられていて、現代思想の輪郭を掴むのにはちょうど良い内容だった。
    二項対立とそれからの様々な観点からの脱構築の仕方や、同一性と差異の関係性など興味深い内容が多く含まれていた。現代思想は、今では古典と呼ばれてしまうと言うが、今の社会に生きる私たちには重要な考え方だと感じる。
    もう少し深く本書を読み、さらに別の入門書を読んで現代思想についてより深く考えられるような力を身に着けていきたいと思わせてくれた。

  • わかりやすさが極まってた
    身近な例の挙げ方、そこから抽象的な議論の持っていき方がスムーズで、「要は〜みたいな感じ」と話し言葉でまとめてくれるのですんなりついて行ける。そこまで深く入っていかず参考書を提示する。コンパクトにまとまってる。まさに入門書ってかんじでした

  • さとゆみ#158 複雑なことを複雑なまま理解できる力がほしい。『現代思想入門』:telling,(テリング)
    https://telling.asahi.com/article/14586922

    世界の単純化が進む今だからこそ知っておきたい、現代思想(千葉 雅也) | 現代新書 | 講談社
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93161

    現代思想入門 | 現代新書 | 講談社
    https://gendai.ismedia.jp/list/books/gendai-shinsho/9784065274859

    『現代思想入門』(千葉 雅也):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
    https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000363613

  • 読むのに時間がかかったが大変面白かったです。大学の講義などで断片的に勉強したことはあったが、体系的にわかりやすく説明されており予備知識ゼロの私でも苦なく読み通すことができました。
    一度説明した用語でも次章であらためて説明してくれたり、初心者を置いていかない優しさと配慮が素敵でした。生の講義を聞いているようでした。言葉の選び方が美しい...。
    抽象的なことをひたすら考える時間は癒しです。

  • デリダ、ドゥルーズ、フーコーを中心に、フロイト、ラカン、ニーチェ、マルクスらにも遡り、レヴィナス、メイヤスー、マラブーらにも言及する、できるだけの平易な言葉で語られる現代思想の入門書です。

    本書の最後では、現代思想の読み方指南もあります。そこでは、まずデータをダウンロードするように読むことが大事だとされる。中途でいちいちツッコミをいれてはいけない、と。これは話を聞いているときと同じだ、とあります。僕はほんとうによく、読んでいる中途で「待て待て?」とツッコミをいれます。それをメモっておいて、こうして感想・書評を書くときに使うのです。マナー違反なんだよなあ、ということを改めて思い知ってしまいました(それでもやめませんが……)。

    どうして読んでいる最中にツッコミをいれてはいけないのか、というと、そうしてしまうとその先をきちんと読めなくなるからです。まず、著者の主張をまるごと受け入れてみることが大切だといいます。僕がツッコミをいれるときは、ツッコミの地平線と著者の地平線の二重線で読んでいるところがあるかもしれません。ふつうに読んでいる時よりも疲れますから。

    さて。序盤では、秩序つまり権力の側や規律なんていうのものは、それにそぐわないものを矯正したり排除したりする、ということが述べられます。僕の考えとしてもまったくそのとおりで、そこから脱出するべきベクトルが、現代思想の推進力であるのでしょう。

    では簡単に、内容との格闘へと入っていきます。序盤部分の引用から。

    __________

    多かれ少なかれ、自分が乱される、あるいは自分が受動的な立場に置かれてしまうということにも人生の魅力はあるのです。(p21)
    __________
    __________

    能動性と受動性が互いを押しあいへしあいしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある。(p22)
    __________

    これまで僕が考えてきたのは、他律性を排することで(≒自律的であることで)その人の幸福度や生きているぞという感覚が強まる、ということでした。他律性を支配に重ねて考えてもいる。なんでもお仕着せでさせられているとストレスフルだし寿命だって短くなるらしいことを知ったのも根拠にあります。

    本書で言っていることは、他律性を受け入れよ、ということで、僕の考えよりもダイナミックな生を想定している。だとしてもの僕の考えだと、それでもなお、他律性を排すのは大事だとなります。これはたぶん、人間一般がどういうものか、社会一般がどういうものか、という個々の世界観に拠っているのではないか。

    他律性を受け入れながらそのグレーゾンーンでやっていけるのは、それなりに高い知性そして理性のある人たちで構成されるグループに限定されるのではないか。いわゆる一般大衆、マジョリティであるだろう層が前提だと、他律性を受け入れるうんぬんでその個人も関係も疲弊するのではないか。

    社会的な競争、性的な競争、個人的優越のためなど、そういったものがひしめくマジョリティ層の社会では、他律による「足を引っ張る行為」があったり、誹謗中傷の酷いレベルのがあったりもする。自分を守るため、自己の安定のためには、他律をできるだけ排す方法は有効だと思うのです。

    ただ、このあいだ河合隼雄さんの『コンプレックス』を読みながら考えたこと・学んだことに照らすと、そうやって自分を守ったり、自律的にやっていったりすることで、少しずつ自分が成長して、他律(外の社会との関係)に耐えられるようになっていく。それから、他律を受け入れるようなダイナミックな生へ移行するとよい。

    『コンプレックス』では、自我が弱い段階ではコンプレックスと対決しても耐えられないことがあることが書いてありました。自我が育ってから、少しずつコンプレックスと相対して対決し、解決してエネルギーとしていく。他律を受けれいることも、似たような感じでやっていくのが最善なんじゃないかと考えるところです。

    本書『現代思想入門』では未練をもちながら決定を下すことが大人ではないか、と書かれています。これは後悔もそうだと考えられそうです。また、感情を切り捨てながら技術的なポイントを反省するのはこころの負担にならないのでお勧めなのですが、これも、こころが育ったなら感情も込みで反省するのがよい、と僕は思うし、本書の後半で著者もフーコーを引きながら「無限の反省ではない有限の反省」として同じようなことを述べています。

    ということで、デリダやドゥルーズの現代思想の前提をまず考えてみて、そこで一般のマジョリティたちに適用するにはずれがあるのでは、という話でした。他律を受けいれるダイナミックさはわかるのだけど、耐えきれない人たちは多数いると思うので。ただ、本書では、フーコーがその後期に、主体性と言うか自律性というか、そういったものを重視していたらしいこともちらっと述べられています。

    ちょっと先走っていて個人的な解説になりました。ここで、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの現代思想のキーワードを書いておきます。それは二項対立からの「脱構築」です。
    __________

    二項対立は、ある価値観を背景にすることで、一方がプラスで他方がマイナスになる。(p27)
    __________

    善と悪、健康と不健康、身体と精神、自然と文化などの二項対立のどちらかを取るのではなく、そのどちらの間のグレーゾーンの立場を取ったり、そこからはみ出したりするのが「脱構築」です。ここがまずおいしい匂いのするところで、ここを突破口に他の枝葉末節的な部分や、その根っことなったところを探っていく構成になっています。

    ここでまた、秩序による排除や矯正について考えたことを。
    たとえば発達障害なんていうカテゴライズこそが、管理社会という秩序による支配からでてくるもので、それってマジョリティの側が強固であることの証拠にもなっています。ですが昨今の、発達障害と言われるような傾向・性質の人つまりマイノリティを、治そうとしたりせず共存していこうというのは近代の見つめ直しで、近代以前への回帰でもあると考えることができます。

    一説に、世界中の精神科病床の25%が日本にあり日本の精神医療は50年遅れている、なんて言われるそうですが、これこそ、いまだに管理体制・権力というものへの思慮が欠けていることの現れなんだろうなあ。排除・矯正や差別を副産物として生む、秩序・管理・規律・権力といったものに無批判であり、ゆえに強力だからなのかもしれない。フーコーへの理解度や浸透度がものを言ってる気がします。権力は、被支配者側がそれを支えているという見抜きが大きくひとつあります。管理体制・権力に対する日本人の意識は、もしかするとガラパゴス化しているのかもしれない。また、外国人労働者への冷たい処遇なども、差別・排除など秩序や規律の論理が強力すぎるためゆえのことが表面にでてきているのかもしれない、と思いました。

    というか、本書を第三章まで読んだらそこに気づけるのですよ。権力は被支配者が支えている、なんてところからどんどん繋がっていきました。自由が好きで大切だと思うならば、本書は面白く読める本です(少々難しいところはあるにはあるのですが)。

    個性だとか多様性だとか、もっと育てようと言いながらも、それらは権力の手のひらの上でならばね、という注釈がこの社会ではついている。権力、マジョリティ、秩序というものはそういうものなのです。いわゆる、「はみださない範囲で」という都合の良い注釈がつきます。鎖国してたのなら通用するのでしょうけども。

    国の競争力を上げるならば、国・権力・マジョリティ・秩序の側がもっとリスクをとらないといけなくないでしょうか。堅牢な安心の城であれこれやっても、それが通用するのは鎖国みたいな閉じた世界でだけです。ある程度、泳がせないと、はみ出させないと、何か生まれたりしません。

    国・権力・規律・マジョリティ・秩序を重視しすぎたあと、どうなるか。考えてみたら貧しい軍事国家になるんじゃないのか。自然にそういうイメージが湧くのだけれど。権力・規律・マジョリティ・秩序のどんな部分が良くないかって、それらにそぐわないものを排除したり矯正したりするところなんですよね、返す返す言いますが。

    最後に。

    脱構築といった現代思想の出番って、日本では待望されるべきものなんじゃないでしょうか。現代思想の考え方やそれに促される姿勢、そして自覚的でいられることが、日本人の栄養素として不足しているんじゃないか。日本人としての群れがバージョンアップしてちょっと変わっていくためには、ですね。

    でもみんな、自分が生きることに精一杯で、「それどころじゃねーんだ」なんでしょう。生きることに精一杯同士で競争して、足を引っ張ったりし合ってもいますし。そうやって疲弊している民衆は支配しやすそうで、そういう民衆はただ時の流れに乗っかって生きてしまうのかもしれない。自戒を込めて、になりました。

  • 哲学の本は初めて読んだかも。純文学は言葉を味わいながら、こちらは、かみしめながら読む。哲学というとわけわかんないモノ、という先入観があったが、事のつながり?いや切断なのか? の先達の考え方を知ることによって、今自分の生きている身の回り、世界の動き、などを考える時、新しい見方を教わったような気がする。根底から、あるいは高所から見る、ような。哲学って物事の基本なのかも、なんていうことに気がつきました。

    ここで言う現代思想とは1960年代から90年代を中心に、主にフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学、と最初にあり、デリダ、ドゥルーズ、フーコーが代表者だという。さらにラカン、メイヤスーなどという人もおり、さらにそれらを考えるには遡ってニーチェ、フロイト、マルクス、などにも触れ、さらにショーペンハウアー、ハイデガー、さらにプラトン、アリストテレスとさらりと説明してくれる。目の前で千葉氏が語っているような紙面、と思ったら、これは立命館大学文学部の授業「ヨーロッパ現代思想」をベースにしているとのこと。

    現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。と最初にあるが、う~ん、そこまでは読み込めなかったかな、頭がついていかなかったか・・

    メモ
    現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。20世紀の思想の特徴は、排除される余計なものをクリエイティブなものとして肯定したこと。

    対立概念、能動と受動とかが絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある。



    2022.3.20第1刷 2022.4.8第3刷 購入

  • 現代日本の哲学者である千葉雅也による「現代思想(=20世紀フランス思想)」の概説書、2022年。

    旧来の哲学に期待されてきた役割とはなにか。それは、混沌(chaos)としての世界を言語(logos)によって分節化し、同一性の同値類で束ねることで、世界に秩序(cosmos)を付与していくことである。則ち「現代思想」以前の哲学とは、理性/非理性、秩序/逸脱、同一性/差異、存在/生成、概念/個物、普遍/特殊、必然/偶然、精神/身体、内/外、自己/他者、形相/質料、彼岸/此岸、現前/再現前、といった二項対立を措定し、後者に対して前者に優位をおく思考様式のことであった。

    「現代思想」は、この二項対立図式を問題化する。 それは、前者に対する後者の復権を主張するのではない。なぜなら、そうした戦略は19世紀後半の「生の哲学」をはじめとする非合理主義がとったものではあるのだが、そこでは価値対立を反転させただけで二項対立図式それ自体は依然として温存されたままであるから。「現代思想」をそれ以前の思想と分かつのは、二項対立図式そのものを不安定化させようとする「戦略としての脱構築」であり、さらに、二項対立図式のどちらか一方を肯定し他方を排除するのではなく両者どっちつかずの宙吊り状態に耐えようとする「両義性という倫理」であるといえる。それによって、これまで二項対立によって排除されてきた「他者性」と向き合おうとする。

    では「現代思想」がそのような戦略と倫理をとるその政治性はどこに由来するのか。ひとつは、理性の極北にアウシュヴィッツの野蛮を到来させてしまったことに対する痛切な反省から。ホロコースト=ユダヤ人絶滅は他者性を排除しようとする最も極端な歴史的実例であり、19世紀の非合理主義的な諸思潮はファシズムの非合理性と親和的な側面があるだろう。そしてもうひとつは、秩序を強化しそこから逸脱する他者を排除しようとする管理社会化・全体主義化の潮流に対抗するため。



    読んでいて新たな気づきを得られた点を列挙しておく。

    ①デリダにとっての「パロール/エクリチュール」という二項対立は、直接/媒介、本質/非本質、近/遠、現前/再現前、と読み替えることで、他の一切の二項対立の隠喩であるということ。②諸個物は、同一性に束ねられる以前に、多様な方向にむかって偶然的に接続と切断の運動を繰り返している生成変化の過程のうちにある、というドゥルーズの存在観。③フーコーは『言葉と物』において、古典主義時代(18世紀頃)から近代に進んでいくなかで、当初は互いに一致していた「表象」と「事物」が次第に分離し区別されていく歴史的過程を描こうとした、ということ。この分離の哲学上の現れがカントにおける「現象」と「物自体」の区別であり、文学上の現れが無限の自己反省=自己対象化を惹き起こさずにはおれないロマン主義的アイロニーであるということ。

    ④この「表象」と「事物」の分離によって惹き起こされる無限の自己反省=自己対象化という構造は、とりわけ日本現代思想において【否定神学】として主題化されてきたということ。ラカンの精神分析は【否定神学】の典型例であるということ。⑤フーコーや東浩紀『存在論的、郵便的』は、この無限の自己反省=自己対象化から脱却する道を模索していたということ。

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著者プロフィール

1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。
著書に『意味がない無意味』(河出書房新社、2018)、『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』(青土社、2018)他

「2019年 『談 no.115』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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