現代思想入門 (講談社現代新書 2653)

  • 講談社
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  • 本 ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065274859

作品紹介・あらすじ

《「新書大賞2023」大賞受賞!!》
人生を変える哲学が、ここにある――。
現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした、究極の「入門書」

■デリダ、ドゥルーズ、フーコー、ラカン、メイヤスー……
最高峰の哲学者たちの「考えていること」が面白いほどよくわかる!
■「物事を二項対立で捉えない」「すべての仕事を“ついで”にやる」……
哲学とライフハックがダイレクトにつながる!
■きちんとしすぎる窮屈な管理社会……
秩序からの逸脱を肯定する言葉に励まされる!

「本書は、「こうでなければならない」という枠から外れていくエネルギーを自分に感じ、それゆえこの世界において孤独を感じている人たちに、それを芸術的に展開してみよう、と励ますために書かれたのでしょう。」 ――「おわりに 秩序と逸脱」より

[本書の内容]
はじめに 今なぜ現代思想か
第一章 デリダ――概念の脱構築
第二章 ドゥルーズ――存在の脱構築
第三章 フーコー――社会の脱構築
ここまでのまとめ
第四章 現代思想の源流――ニーチェ、フロイト、マルクス
第五章 精神分析と現代思想――ラカン、ルジャンドル
第六章 現代思想のつくり方
第七章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方
おわりに 秩序と逸脱

感想・レビュー・書評

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  • はい、千葉雅也さん『現代思想入門』です
    やばいウルトラ分かりやすい

    それにしても、こういう本がベストセラーになる日本てなんかすごいなって思うんですよね
    もちろん素晴らしい本なんですが、新書大賞だから、とか売れてるからって理由で手に取る人がほんとにたくさんいて、ベストセラーがベストセラーを呼ぶっていうのかな
    それ、ありますよね
    まぁ、日本に限らずなのかもしれんけど、特に日本人はそういう傾向が強いのでは?って思います

    わいは違うからね
    ちゃんと哲学って奴に興味があって勉強したくて手に取りましたからね


    はい、出ました!「二項対立」!
    哲学方面から興味を持って本書を読むことを「ちゃんとしてる」って捉えると、それ以外のアプローチは「ちゃんとしてない」ってことになるよね
    つまりは「うわ、めっちゃ売れてるやん。ちょっと読んでみるか」は「ちゃんとしてない」って言ってるわけ

    で、この「現代思想」ってのはめちゃめちゃざっくり言うと、「そんなことないよ!ありだよ!」として、じゃあどのへんが「あり」なのかを考えてみよう!って話なんよね
    そして、「あり」ってすることで生まれるものもたくさんあるんじゃね?あるいは、別にそんなかっちりものごと決めなくてもいいじゃん!的な

    もちろん、そんな数行で言えるようなことでもなく、もっと色々あるんだけど、ここでは一旦そういうことにしときますね

    で、じゃあこの思考方法、論理を実際の生活に当てはめて問題解決に役立てよう!ってのが「哲学」を勉強する意味だと思うわけね

    「二項対立」を意識したときにこっちは良いから、あっちはダメーじゃなくてねってことを意識することで見えてくる何かがあって、それはきっと人生を前に進めるのに役に立つ!かもよ

    • ひまわりめろんさん
      ウルちゃん

      はいはい、今、大事な話してるからちょっと向こう行っててね
      そうね〜、あと10分もしたら終わるから、それまで、ね
      ウルちゃんあれ...
      ウルちゃん

      はいはい、今、大事な話してるからちょっと向こう行っててね
      そうね〜、あと10分もしたら終わるから、それまで、ね
      ウルちゃんあれでしょ?純真とか聞いたらブツブツ出るでしょ
      だから、ね
      2024/08/27
    • ultraman719さん
      純真!私そのものやないですか!

      。゚(゚ >レ< ゚)゚。かゆいー!
      純真!私そのものやないですか!

      。゚(゚ >レ< ゚)゚。かゆいー!
      2024/08/27
    • yukimisakeさん
      うるとらさん…笑
      うるとらさん…笑
      2024/08/27
  • 難しいはずの現代哲学を最大限に分かりやすく解説してくれている。感動ものである。また、それを学ぶ意義も噛み砕いてくれる。一番感激したのは、哲学書は誰しも鍵付きの圧縮ファイルを解凍するような難易度に対して相当の覚悟で取り組まねば正確な解釈はできず、誤読も多い事。そのため、自らも教授との会話の中での噛み砕いた手解きの中でその読み方を身に付けたのであり、一般人が読書で哲学を独学するなら、その手解きとなるような本が必要だと考え、これがその本であると。ありがたや。

    ー 現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。と言うと、「いや、複雑なことを単純化できるのが知性なんじゃないのか?」とツッコミが入るかもしれません。ですが、それに対しては、「世の中には、単純化したら台無しになってしまうリアリティがあり、それを尊重する必要がある」という価値観あるいは倫理を、まず提示しておきたいと思います。

    序文から共感度が高い。世の中を単純化するような見方は、その人の知性の限界を露見しているに等しい。

    ー 現代は、いっそうの秩序化、クリーン化に向かっていて、そのときに、必ずしもルールに収まらないケース、ルールの境界線が問題となるような難しいケースが無視されることがしばしばである、と僕は考えています。何か問題が起きたときに再発防止策を立てるような場合、その問題の例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向に行くのが常です。それが単純化なのです。世界の細かな凹凸が、ブルドーザーで場されてしまうのです。

    で、こうした「秩序vs逸脱」的な観点から、デリダの二項対立、それを逸脱する脱構築の解説に突入し、それがこの上なく分かりやすい。

    ー 二項対立のプラス/マイナスは、あらかじめ絶対的なものとして決まっているわけではなく、ひじょうに厄介な線引きの問題を伴うのです。その線引きの揺らぎに注目していくのが脱構築の思考であると、まずは言えると思います。本書では、デリダは「概念の脱構築」、ドゥルーズは「存在の脱構築」、フーコーは「社会の脱構築」という分担で説明します。

    ー 「はじめに」では、二項対立のどちらをとるべきか、では捉えられない具体性に向き合うものとして現代思想を理解してほしいと述べました。それが二項対立の「脱構築」であり、その考え方を打ち出した哲学者がジャック・デリダ(一九三〇~二〇〇四)です。なお、一応注意ですが、デリダは「二項対立」を考え出した人ではありません。二項対立を「脱構築」する、という新たな思考法を示したのがデリダです。意識的に二項対立を使ってものを考えること自体を新鮮に感じる読者もたぶんいて、大学の授業でもデリダの話をすると、デリダは二項対立の人、という誤解を受けるときがあるのですが、二項対立というもの自体は昔からあるわけで、論理的に考えようとすると出てくるものです。

    ー 現代思想とは、差異の哲学である。「差異」は、「同一性」すなわち「アイデンティティ」と対立しています。同一性とは、物事を「これはこういうものである」とする固定的な定義です。逆に、差異の哲学とは、必ずしも定義に当てはまらないようなズレや変化を重視する思考です。

    それと、デリダの関連では以下の話も面白かった。

    ー デリダにおいては、「話し言葉」(または「声」)と「書かれたもの」という二項対立がすべての二項対立の根本に置かれます。「話し言葉」はフランス語で「パロール」、「書かれたもの」は「エクリチュール」と言います。パロール/エクリチュールという対立です。

    ー たとえばツイッターのやりとりは誤解を生みやすい。短くしか書けないし、人によって言葉のどこに注目するかが違うので、悪いように解釈されたりする。そんなとき、実際に対面してしゃべると意外に誤解が解けたりする。目の前で語られることに真理性があるというのは昔からある考え方なんです。それに対し、書かれたものは解釈がさまざまに可能で、別の文脈のなかに持っていけば価値が変わってしまう。エクリチュールは、ひとつの同じ場所に留まっておらず、いろんなところに流れ出して、解釈というか誤解を生み出していくのです。そのようなエクリチュールの性質をデリダは悪いものと捉えず、そもそもコミュニケーションでは、そういう誤解、あるいは間違って配達される「誤配」の可能性をなしにすることはできないし、その前提で人と付き合う必要がある、ということを考えました。実際、目の前でしゃべっていたって、本当にひとつの真理を言っているとは限りません。しゃべっていることにだってエクリチュール性はあるのです。

    多読し、脳に馴染ませ、漸く、難解な図書を読み解く鍵が手に入る。その実感も読書の楽しみである。

  • 2023年新書大賞の第1位受賞作。

    新書大賞を受賞したつーことで早速読ませてもらいました。
    普段、哲学や思想の本など読まないので、恥ずかしながら自分にとってはかなり難解でした。これで「入門」かよ!?的な感じです。デリダにドゥルーズ、誰やそれって感じですね。
    なんとなくわかったことは、一般に現代思想つ〜のは1960年代から90年代にかけてフランスで展開されたポスト構造主義の哲学だということ。ポスト構造主義=ポストモダニズム、ポストモダン思想であり、これがデリダやドゥルーズやフーコーの思想ちゅうことらしいです。
    パターン化、単純化されていく社会に警鐘を鳴らすと言ったらいいんでしょうかね。
    とにかく一つにおさまったり完璧な秩序だったりすることより「差異」を重視するんですね。

    確かに現代は同調圧力がきつくて、出る杭は打たれる的なところありますよね。昭和の時代に比べると大らかさは確かに減少していて、窮屈な感じがするというのが私の実感です。

    著者である千葉さんは私とほぼほぼ同世代ですが、以下のように解説してます。
    「現代は、いっそうの秩序化、クリーン化に向かっていて、そのときに、必ずしもルールに収まらないケース、ルールの境界線が問題となるような難しいケースが無視されることがしばしばである、と僕は考えています。
    何か問題が起きたときに再発防止策を立てるような場合、その問題の例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向に行くのが常です。それが単純化なのです。世界の細かな凹凸が、ブルドーザーで均(なら)されてしまうのです。
    物事をちゃんとしようという「良かれ」の意志は、個別具体的なものから目を逸らす方向に動いてはいないでしょうか」

    会社組織のなかで長年生きてきた私には耳の痛い話しであると同時に大きな気づきを得られました。

    話は変わりますが尾崎豊の大ヒット曲「15の夜」は昔から大好きな曲です。有名な「ぬ~すんだバイクで走り出す〜」という歌詞がありますよね。千葉さんによればですね、あれはかつて、がんじ搦(がら)めの社会秩序の「外」に出ていくという解放的なイメージで捉えられていたとのこと。ところが今日では、「他人に迷惑をかけるなんてありえない」という捉え方がけっこう本気で言われているようなんですね。
    ほんまかいなと笑ってしまいました。
    秩序維持、安心・安全の確保が主な関心になっていて、以前のように「外」に向かっていく運動があまり受け入れられないんですね〜。

    そういう、差異やズレ、変化などを重要視刷るのが現代思想ということがなんとなくわかりました。再読したら理解が深まるような気がしました。

    巻末の付録的な感じで、難解な哲学書を読むテクニック的なこと書かれていて、なかなか面白かったです。

  • だんだん難しくはなってくるけども、現代思想を理解しやすいように、あの手この手で工夫して書いてくれている楽しい入門書。

    著者の千葉さんのワードセンスがとってもいいんだと思う。
    まず「はじめに」で、現代思想のメリットを「複雑なことを単純化しないで考えられるように」なる、「単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになる」と書いてあるのに、ぜひそうなりたい、とワクワクした。哲学書でワクワクするなんて初めて!

    デリダの世界観を、「炭酸で、泡立ち、ノイジーで、しかしある種の音楽的な魅力も持っているような、ざわめく世界として世界を捉える」と説明している文章もぐっときた。

    現代思想の、差異に注目する世界観、全体的にすごく魅力的だと思ったけれど、使いこなせるようにするには、何回か読み直して理解を厚くしなければ。
    作者もそれでいい、プロもそうやって読んでるよ、と書いてくれていて、本当に最後まで初心者に優しい本。

  • 面白くて一気に2回読んでしまった。

    それでも薄ら理解でしかないけれど。

    塩梅、バランス、グラデーション、中庸みたいな事を哲学者が難しく言ってんだろうなぁと思いながら読んだ。
    そのくらい、いい加減な私の理解。

    私は、哲学者が言っている事を全て真に受けて、盲信しないようにしている。でも、哲学者の言ってることは、面白い。
    こんなこと考えてる人がいるんやなぁ。同じ人間とは思えんなぁ。こんなことばっかり考え楽しいのか?大丈夫か、この哲学者?
    なんて、たまに上から目線で読んでみたりなんかして。
    それでも、哲学は、自分の思考の薄っぺらさに気づく事ができて、学びが多い。

    デリダの本を読み解く事ができるのなら、面白そうだけど、まぁ、そうとうレベル高いに違いない。

    「盗んだバイクで走り出す〜」
    私が若い頃は、それを歌ってカッコいい時代だった。
    私の子供にいたっては「その歌、知らん。悪い奴やね」となっている。
    時代の雰囲気って、構造主義につながってるんだろうな。

    著者の現代が現代じゃなくなっていく感覚に共感する。

  • 【感想】
    現代思想の入門の入門として編まれた本書。現代思想の骨格部分だけを優しく教えるため、代表的な人物であるデリダ、ドゥルーズ、フーコーらを取り上げながら、そこに筆者独自の視点を付け加えて解説している。
    現代思想の前提にあるのは「現代は、単純化に向かっている」という考えだ。単純化は社会に一定の秩序をもたらすが、その反面必ずしもルールに収まらないような難しいケースは無視され、個別具体的なものを蔑ろにする。
    筆者はまえがきで「現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです」と述べている。こうした「この思想を学ぶ意義はこれですよ」という道筋を示してくれるのは、初学者にとっては嬉しい限りだ。哲学本はえてしてテーマが難解になってしまうが、筆者の心遣いも相まって非常に分かりやすくまとめられている。

    私が面白いと思った部分は、本書中盤で、フランス現代思想の「実際の作り方」をレクチャーしてくれるところだ。①他者性の原則②超越論性の原則③極端化の原則④反常識の原則という4つの原則を用いて、ある構造に存在する二項対立を脱構築し、新たな視点を作る。これさえできればあなたも明日から現代思想家というわけだ。

    というわけで、筆者のガイドにしたがって私も作ってみた。(即興かつ猿真似なので、だいぶちぐはぐですがお許しください)

    ①自然生殖の関係性を保護するため異性愛者のみに婚姻の権利を認めることは、人間の個体数を維持し社会を安定させるための構造として妥当なものであるが、そこには同性愛者はもちろん、異性愛者の中でも子孫を作らない選択をする人々の存在を無視している。(他者性の原則)
    ②「異性愛者のみの婚姻制度」は、実は根本に欠陥を抱えている。それは「人間に生まれたからには子孫を残さなければならない」という価値観、いわば「生殖本能の持続的な保持」が終焉を迎えるという可能性を度外視していたからだ。価値観の変化によって子を残さないという選択ができると、社会構造が崩壊するため、同性愛を排除せざるをえなかったのである。
    そもそも恋愛→出産という条件付け自体が時代遅れになっているのではないだろうか。そこで「同性愛」および「異性愛」という括りを取り払い、より普遍的な「友愛・父性愛・母性愛」といった、恋愛感情によらない契約制度の構造を考える。ここにおいてようやく「同性愛」が肯定され、かつ「子どもを作らない異性愛」も肯定されるのだ。(超越論性の原則)
    ③「異性愛者のみの婚姻制度」の中では、同性愛者は異質だった。だが今や、恋愛感情を超えた「普遍的な愛情」に沿った契約関係こそが原理となる制度を作れば、それが同性愛・異性愛を内包し、本人たちの意思を強く反映できる。この契約関係を定式化するために、財産関係や扶養義務といった制度を、「親族間」から「個と個」に縮小すべきだろう。(極端化の原則)
    ④「友愛・母性愛・父性愛」にもとづいた契約が行われれば、パートナーと家族関係・血縁関係を結ぶプロセスは消滅する。したがって、契約をより簡単かつ即時的に、そして広範に行う人々が現われ、コミュニティの分離と結合が加速するだろう。(反常識の原則)

    お粗末ではあるが、なんとなく脱構築的になっている……ような気がする。
    筆者によれば「コツは逆張り」だそうな。確かに常識と考えられている二項対立に逆張りし、あえて複雑にすることを意識することで、なんとなく形になった。なにより作っていてとても楽しかったので、是非やってみてほしい。
    ――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    0 まえがき
    ●用語解説
    ・ポスト構造主義…「複数の物語や思想においても基本のパターンは同じであり、そのパターンを解釈する」という態度が「構造主義」。これに対して、「パターンから外れたり、ダイナミックに変化したりする世界を論じる」という態度がポスト構造主義。
    ・脱構築…物事を「二項対立」に捉えて良し悪しを言おうとするのを、いったん留保すること。
    ・ポストモダン…資本主義が発展していくなかで、価値観が多様化し、共通の理想が失われたのではないかというのがポストモダンの考え方。「大きな物語が失われた」とも表現する。

    「現代思想」とは、1960年代から90年代を中心に、主にフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学を指している。日本ではしばしば、それが「現代思想」と呼ばれてきた。
    本書では、その代表者としてジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーを取り上げる。

    現代思想のスタンスは、いったん徹底的に既成の秩序を疑うからこそ、ラディカルに「共」の可能性を考え直すことができるのだ、というもの。
    現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになる。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになる。
    現代は、いっそうの秩序化、クリーン化に向かっていて、そのときに、必ずしもルールに収まらないケース、ルールの境界線が問題となるような難しいケースが無視されることがしばしばある。何か問題が起きたときに再発防止策を立てるような場合、その問題の例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向に行くのが常であり、それが「単純化」である。
    人間は歴史的に、社会および自分自身を秩序化し、ノイズを排除して、純粋で正しいものを目指していくという道を歩んできた。そのなかで、20世紀の思想の特徴は、排除される余計なものを「クリエイティブなもの」として肯定した。
    現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。秩序から逃れる思想は今、人生の多様性を守るために必要である。


    1 デリダ…概念の脱構築
    二項対立において差異のほうを強調し、ひとつの定まった状態を絶対視せず、ズレや変化も大事だと考えるのが現代思想の大方針である。

    「脱構築」の手続きは次のように進む。
    ①まず、二項対立において一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、むしろマイナスの側に味方するような別の論理を考える。
    ②対立する項が相互に依存し、どちらが主導権をとるのでもない、勝ち負けが留保された状態を描き出す。
    ③そのときに、プラスでもマイナスでもあるような、二項対立の「決定不可能性」を担うような、第三の概念を使うこともある。

    デリダによれば、あらゆる二項対立は、話し言葉(パロール)と書かれたもの(エクリチュール)の対立と言い換えることができる。パロールは現前的であり、それに対しエクリチュールは、元のものから離れてしまってい誤解を招く要素だ。
    直接的な現前性、本質的なもの:パロール
    間接的な再現前、非本質的なもの:エクリチュール
    このパロールとエリクチュールは、あらゆるものに当てはめられる抽象的な二項対立である。例えば自然はパロール、人工的なものはエリクチュールというように。

    二項対立には、必ずプラスの側とマイナスの側が二極化して存在する。マイナスだとされる側は「他者の側」だ。なぜなら「自分の側」では、自らは絶対的な存在として独立し安定していたいという意識があるからだ。これは「同一性」と言い換えられる。
    それに対してデリダの脱構築は、透明で安定したものとして自己や世界を捉えるのではなく、他者のいる世界に身を開き、変動的なものとして世界を捉えた。


    2 ドゥルーズ…存在の脱構築
    ドゥルーズは、「世界は同一性よりも差異のほうが先だ」という考え方をした。
    一般的に差異というと、Aというひとつの同一性が固まったものと、Bというまた別の同一性が固まったもののあいだの差異、つまり「二つの同一性のあいだの差異」を意味することが多いと思われるが、ドゥルーズはそうではなく、そもそもA、Bは独立バラバラではなくさまざまな見えない糸で絡み合っていて、いたるところにバランスの変動がある、という微細で多様なダイナミズムのことを「差異」と呼んだのだ。

    ドゥルーズは、あらゆる事物は異なる状態に「なる」途中である、つまり一人の人間も一つの建築物も「出来事」である、といった。これが「生成変化」だ。

    ドゥルーズの思想は、外から半ば強制的に与えられるモデルに身を預けるのではなく、多様な関係のなかでいろんなチャレンジをして、自分で準安定を作り出していけ、ということだ。安定した「本当の自分」を探求する必要なんてなく、いろんなことをやってみよう、という思想に他ならない。
    それと同時に、他者との関わりに深く染まりすぎて監視や支配に転化しないよう、関係性の接続と切断のバランスをケース・バイ・ケースで判断しろという思想でもある。


    3 フーコー…社会の脱構築
    フーコーは、支配を受けている我々は、実はただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造があるということを明らかにする。つまり、権力は、上から押しつけられるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけるという発想自体が間違いなのだ。

    ●フーコーの「権力の3つのありかた」
    1 王権時代
    権力自体が人々を直接縛る強大な力を持っていた。
    2 17-18世紀
    誰に見られていなくても、自分で進んで悪いことをしないように心がける人間を作り出すようになった(パノプティコンの概念)。監視の内面化。これを「規律訓練」という。
    3 現代
    生政治(大規模な集団に直接的働きかけを及ぼすような統治)と規律訓練が両輪で動いている時代。

    権力は、逸脱した存在を排除し、あるいはマジョリティに「適応」させることで社会を安定させる。近代という時代は、そういう権力の作動に気づきにくくなるような仕組みを発達させた。
    この歴史的観点が、今の管理社会を批判するために必要である。逸脱を細かく取り締まることに抵抗し、人間の雑多なあり方をゆるやかに「泳がせておく」ような倫理を、フーコーは示唆している。


    4 現代思想を作ってみよう
    フランス現代思想をどう作るかというとき、次の原則を立てられる。
    ①他者性の原則
    基本的に、現代思想において新しい仕事が登場するときは、まず、その時点で前提となっている前の時代の思想、先行する大きな理論あるいはシステムにおいて何らかの他者性が排除されている、取りこぼされている、ということを発見する。
    ②超越論性の原則
    広い意味で「超越論的」と言えるような議論のレベルを想定する。先行する理論では、ある他者性Xが排除されている、ゆえに、他者性Xを排除しないようなより根本的な超越論的レベル=前提を提示する、というふうに新たな理論をつくる。
    ③極端化の原則
    新たな主張をとにかく極端にまで押し進める。
    ④反常識の原則
    そのようにある種の他者性を極端化することで、常識的な世界観とはぶつかるような、いささか受け入れにくい帰結が出てくる。しかし、それこそが実は常識の世界の背後にある、というかむしろ常識の世界はその反常識によって支えられているのだ、反常識的なものが超越論的な前提としてあるのだ、という転倒に至る。

    まとめると…
    ①先行する議論は、安定的なものとして構造を示しているが、そこからは他者性Xが陰に陽に排除されている。まずこのことに気づく。(他者性の原則)
    ②そこから、S1は実は根本的な構造ではない、という問題提起へと向かう。S1は根本的でなかったからXを排除せざるをえなかったのである。そこでS2を条件づける構造を考える。S2においてようやくXが肯定される。(超越論性の原則)
    ③S1にとってXは従属的、付随的だった。だが今や、Xが極端化され、Xこそが原理となるようなS2を考え、それがS1を条件づけると考えるのである。S2を定式化するために、慣例を破って新たな概念をつくることもある。(極端化の原則)
    ④S2を前面に押し出すと、常識と齟齬をきたすような帰結を生む。(反常識の原則)

    これを応用することで、何か新たな視点を作ることができるかもしれない。


    5 おまけ:現代思想を読むコツ
    ・細かいところは飛ばす。一冊を最後まで通読しなくてもいい。哲学書を一回通読して理解するのは多くの場合無理なことで、薄く重ね塗りするように、「欠け」がある読みを何度も行って理解を厚くしていく。
    ・原文の構造を英語だと思って推測する
    ・レトリックに振り回されず、必要な情報だけを取り出す(カッコつけている言葉をスルー、格調高くしたいだけの修飾語にまどわされない、二項対立を意識し、お飾りを切り詰めて骨組みだけを取り出す)
    ・固有名詞や豆知識を無視する
    ・概念の二項対立を意識する。対立するAの側とBの側にどういう言葉を割り振り、その両側の関係をどう説明しているかを捉える。

  • 1960年代から90年代にかけて発展したフランス現代思想を下地にした、入門書を読むための入門書という本。入門書を読むための入門書と冒頭に書かれているだけあって、分かりやすい文章と言葉で述べられていて、現代思想の輪郭を掴むのにはちょうど良い内容だった。
    二項対立とそれからの様々な観点からの脱構築の仕方や、同一性と差異の関係性など興味深い内容が多く含まれていた。現代思想は、今では古典と呼ばれてしまうと言うが、今の社会に生きる私たちには重要な考え方だと感じる。
    もう少し深く本書を読み、さらに別の入門書を読んで現代思想についてより深く考えられるような力を身に着けていきたいと思わせてくれた。

  • 哲学は奥が深く難しい。ただ、時間をかけて学ぶ価値はある。本著の最後に書かれていた「哲学者を一回通読して理解するのは多くの場合無理なことで、薄く重ね塗りするように、「欠け」がある読みを何度も行って理解を厚くしていきます。プロもそうやって読んできました」の言葉どおり時間をかけて学んでいきたい。

  • 現代思想入門
    著:千葉 雅也
    講談社現代新書 2653

    本書は、現代思想の入門書です。
    現代思想とは、1960~1990 の、「ポスト構造主義」をいう
    その代表者は
     ジャック・デリタ
     ジル・ドゥルーズ
     ミシェル・フーコー

    現代哲学とは数学と同様で、これまでの基礎の上に積み重ねられ、組み立てられたものとおもっていました。本書は逆です。現代から、19世紀にもどり、そして、21世紀へという流れです。詳細は不明、雰囲気を味わったというところです。

    3人の考え方は、二項対立とそこから抜け出すこと(脱構造)から始まります

    気になったことは以下です。

    ■デリダー

    デリダの著書は非常に複雑
    二項対立からどっちつかずになるので、難しい
    現代思想とは、「差異の哲学」である

    ひとつの定まった状態ではなく、ズレや差異が非常に大事、それもその状態は絶対ではなく、仮固定的である

    脱構築とはすべてを破壊することではない

    二項対立においては一方が優位、他方が不利であるが、逆転する場合もある

    優柔不断=受動的=子供
    責任ある決断=能動的=大人

    マイナスにあるものを、マイナスととらえることが絶対なのか

    本質的・非本質的 本質的なことは大事だというのを取り崩すのが脱構築

    パロール:直接的な現前性、本質的なもの
    エクリチュール:間接的な再現前、非本質的なもの

    脱構築の発想は、余計な他者を排除して、自分が揺さぶられず安定していたい

    大人は、責任をもって決断をする

    ■ドゥルーズ

    ドゥルーズの哲学のキーワードは、差異
    世界は差異でできているというのが世界観

    同一性より、差異の方が先であるという考え方

    A,Bという同一的なものが並んでいる次元:アクチュアル(現働的)
    背後にあってうごめいている関係性:ヴァーチャル(潜在的)
    と呼ぶ

    認識は、A,B,Cと独立的なものが、現働的に存在していると認識しているが、ありとあらゆる方向に、すべてのものが複雑に絡まっているヴァーチャルな次元があって、それこそが世界の本当のあり方である、がドゥルーズの世界観

    すべての同一は仮固定である
    A,Bが同一性であるよりも、さまざまな方向に多種多様なシーソーが揺れ動いている、いたるところにバランスの変動がある、一時的にそのかたちをとっている
    ものごとは絶えずに変化している

    世界は、時間的であって、運動のただなかにある

    ドゥルーズ+ガタリの思想

    外から強制的に与えられるモデルに身をあずけるのではなく、多様な関係のなかでいろんなチャレンジをして自分で順安定状態をつくっていけ

    自分を多様な活動に開いていく

    リゾーム 多方向に広がっていく中心のない関係性のこと、重要なのは、広がっていくと同時に途切れることもある(非意味切断)

    すべてが関係しているという発想と、無関係性を肯定することで、無責任をも意味している

    無関係性がなければ、互いの自律性を維持できないので、無関係性こそが、存在の自律性を可能にしている
    ようは、関わる必要があって、関わるすぎないという按配が問われる

    千のプラトー:求心的な全体性は国家に対応し、その外部には、ノマド(遊牧民)の世界がひろがっている
    ノマドは、戦争機械といわれる
    ノマドは、自由にほおっておかれたいからこそ、それを取り組もうとする国家に対しては、激烈な攻撃性で対抗する:戦争機械論

    管理社会批判
    言論トコミュニケーションはすみずみまで金銭に侵食されている、だから言論の方向転換が必要

    ■フーコー

    社会の脱構築、権力の分析

    権力者・支配者に対する、抑圧されている人民という二項対立


    支配されているのではなく、むしろ、支配されていることを積極的に望んでしまうという、構造がある

    権力とは、無数の力関係

    重要なのは、抵抗運動が実は大きな権力構造のてのひらで踊らされているという構図もありうる

    重要なのは、いったいどのような権力の回路が作動しているかをクールに分析すること

    統治のシステムの外を考える

    正常と、以上の脱構築

    正常なものは、マジョリティのことで、邪魔なものが異常だととりまとめられている
    その存在が取り扱いにくいと、社会的にマイナスのラベルが張られて差別される

    権力の3つのあり方
     ①王様の時代、②近代、③現代

    規律訓練、自己監視する心、やわらいことばではしつけ

    生政治 内面の問題ではなく、即物的なレベルで機能するもの 規律訓練に対する抵抗

    近現代は、規律訓練と生政治の両輪で動いている

    よかれとおもってやっていることが
    長いものにはまかれろになり
    即物的に解決すればいいので、強制 との3段階になっていく

    新たなる古代人
    自己との終わりなき戦いをするのではなく、都度注意をするもの。自己への配慮を行う

    ■現代思想の源流

    19世紀の思想家

    ニーチェ、フロイト、マルクス

    秩序の外部、非理性的なものを取り扱った人物

    ニーチェ:混乱つまり非理性をことほぐことは哲学史において、最初にはっきり打ち出したのはニーチェだった

    フロイト:精神分析と哲学の関係
    無意識の発明者、精神分析の実践と作用、自由連想法

    マルクス:力と経済 資本と労働の二項対立
    人間には本来、好きに使えるはずの力があるのに、偶然的な立場の違いにより、搾取されている

    ■精神分析と現代思想

    ラカン、ルジャンドル

    難解な哲学者ラカン
    人間は過剰な動物である、そして秩序からの逸脱性
    人間はエネルギーを余らせている
    本能:第一の自然
    制度:第二の自然
    主体化と享楽
    欠如の哲学

    ルジャンドル

    ドグマ人類学
    人間のOSを研究しよう、独断的形而上学
    行きどまりのこうだからこうだという命題につきあたることになる

    人間をリベラルに説明しようとしてもキリがない
    人間とは、外からの構築が必要、それが第二の自然である

    儀礼:ルーティン

    ■現代思想の作り方

    4つの原則
    ①他者性の原則:他者探しをする
    ②超越性の原則:根本的前提のレベル:人間のOS
    ③極端化の原則:主張を極端にまで推し進める
    ④反常識の原則:受け入れにくい帰結それこそが常識の背後にあるという概念

    ■ポスト・ポスト構造主義

    21世紀における現代思想

    数学の哲学と、マルクス主義の見直し
    思弁的実在論:人間の意味付けとは関係なく、それ自体として存在している事物の方へ向かう
    オブジェクト指向存在論:あらゆる存在者は、絶対的に無関係に存在していて、関係は二次的なもの

    相対主義

    内在性の徹底:ハーマン、ラリュエル

    目次

    はじめに 今なぜ現代思想か

     今なぜ現代思想を学ぶのか
     入門のための入門
     ポスト構造主義とポストモダン
     構造主義
     二項対立の脱構造
     グレーゾーンにこそ人生のリアリティがある

    第一章 デリダ――概念の脱構築

     独特なデリタのスタイル
     二項対立からズレていく差異
     パロールとエクリチュール
     二項対立の分析
     非本質的なものの重要性
     近いか遠いか
     脱構造の倫理
     未練込みでの決断をなす者こそ「大人」

    第二章 ドゥルーズ――存在の脱構築

     ドゥルーズの時代
     差異は同一性に先立つ
     ヴァーチャルな関係の絡まり合い
     すべての同一性は仮固定である
     プロセスはつねに途中である
     家族の物語ではなく、多様な実践へ
     ダブルで考える
     「すぎない」ことの必要性
     ノマドのデタッチメント
     管理社会批判
     接続と切断のバランス

    第三章 フーコー――社会の脱構築

     権力の二項対立的図式を揺さぶる
     「正常」と「異常」の脱構築
     権力の三つのあり方
     規律訓練-自己監視する心の誕生
     生政治ー即物的コントロールの強まり
     人間の多様性を泳がせておく
     「新たなる古代人」になること

    ここまでのまとめ

    第四章 現代思想の源流――ニーチェ、フロイト、マルクス

     秩序の外部、非理性的なものへ
     ニーチェ―ディオニューソスとアポロンの拮抗
     下部構造の方へ
     フロントー無意識
     精神分析の実践と作用
     無意識と偶然性
     物語的意味の下でうごめくリズミカルな構造
     近代的有限性
     マルクスー力と継続
     すべての人が自分自身の力を取り戻すには

    第五章 精神分析と現代思想――ラカン、ルジャンドル

     現代思想の前提としての精神分析
     人間は過剰な動物である
     本能と制度
     欲動の可塑性
     ラカンー主体化と享楽
     去勢とは何か
     欠如の哲学
     つながるイメージの世界と言語による区分
     現実界、捉えられない「本当のもの」
     ルジャンドルードグマ人類学
     儀礼による有限化
     否定神学批判

    第六章 現代思想のつくり方

     新たな現代思想家になるために
     現代思想をつくる四つの原則
     デリター原エクリチュール
     ドゥールズー差異それ自体へ
     レヴィナスー存在するとは別の仕方で
     四原則の連携
     ポスト・ポスト構造主義への展開
     ラマブーー携帯の可塑性
     メイヤスー絶対的な実在とその変化可能性

    第七章 ポスト・ポスト構造主義

     21世紀における現代思想
     思弁的実存論の登場
     意味付けの外にある客観性
     実在それ自体の相対主義
     内在性の徹底-ハーマン、ラリュエル
     複数性の問題と日本現代思想
     有限性の後での新たな有限性
     複数的な問題に有限に組み込む
     世俗性の新たな深さ

    付録 現代思想の読み方

     読書はすべて不完全である
     現代思想を読むための四つのポイント
     原文の構造を英語だと思って推測する
     レトリックに振り回されず、必要な情報だけを取り出す
     固有名詞や豆知識を無視する
     概念の二項対立を意識する
     ケース1:「なんかカッコつけてるな」
     ケース2:「カマし」のレトリックにツッコまない
     ケース3:お飾りを切り詰めて骨組みだけを取り出す
     ケース4:言い訳の高度な不良性

    おわりに 秩序と逸脱

    ISBN:9784065274859
    出版社:講談社
    判型:新書
    ページ数:248ページ
    定価:900円(本体)
    2022年04月01日発行

  • わかりやすさが極まってた
    身近な例の挙げ方、そこから抽象的な議論の持っていき方がスムーズで、「要は〜みたいな感じ」と話し言葉でまとめてくれるのですんなりついて行ける。そこまで深く入っていかず参考書を提示する。コンパクトにまとまってる。まさに入門書ってかんじでした

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著者プロフィール

1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。
著書に『意味がない無意味』(河出書房新社、2018)、『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』(青土社、2018)他

「2019年 『談 no.115』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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