この世の喜びよ

  • 講談社
2.56
  • (25)
  • (87)
  • (230)
  • (189)
  • (115)
本棚登録 : 2711
感想 : 325
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784065296837

作品紹介・あらすじ

第168回芥川賞受賞!

思い出すことは、世界に出会い直すこと。
静かな感動を呼ぶ傑作小説集。

娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼びさましていく芥川賞受賞作「この世の喜びよ」をはじめとした作品集。

ほかに、ハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描く「マイホーム」、父子連れのキャンプに叔父と参加した少年が主人公の「キャンプ」を収録。

最初の小説集『ここはとても速い川』が、キノベス!2022年10位、野間文芸新人賞受賞。注目の新鋭がはなつ、待望の第二小説集。

二人の目にはきっと、あなたの知らない景色が広がっている。あなたは頷いた。こうして分からなかった言葉があっても、聞き返さないようになっていく。(表題作「この世の喜びよ」より)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • さて、本日のレビューは、以下の文章をまず読んでいただきたいと思います。

     “あなたは、丸四年半に渡って週に三回、ブクログにレビューを投稿している。読書なんて自分には縁のないものだと思っていたあなた。夏休みに出された読書感想文の宿題なんて、巻末の〈解説〉を繋げて提出すれば良い、そんな風に友だちに豪語していた10代のあなた。そんな話を先生に言いつけられて職員室に呼び出されたあなた。そして、今のあなたは、読書が人生にとってかけがえのないものだと感じてもいる”。

    いかがでしょうか?私の下手な作文にまず違和感がある!というお言葉はちょっと横に置かせていただくとして、この文章からどんな印象を受けられたでしょうか?内容的には、私、さてさてのことを語っているようにも見えますがどこか違和感があります。短い文章の中に五回も『あなた』という言葉が登場しました。あまり、他では見ない雰囲気の文章です。原因はやはり『あなた』にありそうです。

    さてここに、一貫して『あなた』という言葉で主人公のことが語られていく物語があります。『喪服売り場の店員』の過去の思いが語られていくにも関わらず、『私は』という視点が登場しないこの作品。「この世の喜びよ」と詠嘆する『喜び』の正体が気になるこの作品。そしてそれは、育児真っ只中だったと執筆当時を語られる作者の井戸川射子さんが”いまの気持ちを忘れないよう、書き留めておこう”と執筆された『喜び』とは何かを感じる物語です。
    
    『積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した』というのは主人公の穂賀(ほが)(注・物語中では『あなた』と語られていきます)。珍しく、『従業員休憩室に、おすそ分け』として柚子が置かれているのを目にした穂賀は『両側についたポケットにそれぞれ滑り込ませ』ます。そんな穂賀が働く『喪服売り場の向かいにはゲームセンターがあり』、『店内をより賑やかにして』います。『家から近いので、まだ幼稚園にも入れない年だった娘たちと、時間をやり過ごすために毎日ここに通った、お世話になった』と、『昔を思い出すたび頷く』穂賀。そんな穂賀は、『喪服売り場の店員になって良かったことは、仕事着で通勤でき、そのまま電車にでも乗れることだと』思っています。『週に五日、あとの日は半日の交代で加納さんが来ている』という『喪服売り場』。そして、『売り場に戻った』穂賀は『姿勢良く立ち、ゲームセンターを眺め』ます。『店員たちがタンバリンを振っている』のを見て、『腰からいつも掛けていて気にならないのだろうか、楽に盛り上げるのに役立ちそうだけど』と思う穂賀。『コロナ禍で緊急事態宣言が出た時は、専門店街にシャッターが閉まったので家に帰った、あれは不便だった』という先に戻った日常に、『ショッピングセンター内部をゆっくり一周』もする穂賀。そんな穂賀は、『従業員出入り口から喪服売り場に出る時に横切る』『スーパー二階にある小さく古い』『フードコート』に『最近少女が一人、夕方から暗くなるまでここにある席にへばりつくように、長い時間座っていることに』『気づ』きます。『時々スーパー内を徘徊し、ゲームセンターやガチャガチャのところにもひっそりと立っていたり』する少女。ある日の夕方、『帰り支度をし』た穂賀は『出入り口に近い席にいつもの少女』が座っていることに気づきます。その時、少女が座る『テーブルに重ねられた教科書の高い塔が、何か手でも当たったのか雪崩を起こ』し、『ジュースのコップも倒れ』、『細かな氷が床に広が』りました。『あ、あ、と少女は立ち上が』る中、『トートバッグから素早く小さなタオルを取り出』し、少女に差し出す穂賀。『汚れちゃうから』と『手を小さく振って断る』少女に、『そのまま捨ててもいいようなタオルを、いつも鞄に入れてるの』と返す穂賀。少女は、『頷き』、穂賀の言う通りに『拭き、散らばる氷も布で包み込んで捨てに行』きました。そして、『戻ってきた少女は礼を言い』、穂賀『のために向かいの椅子を引いてから、席に座』ります。そんな少女に『毎日来てたってつまらないでしょ、何も変わらなくて』と話しかけた穂賀。それに、『バレッタの。喪服売り場の、いつもバレッタしてる方の』と返す少女に『つけていなきゃ、顔の周りに毛が垂れるでしょう、面接とか、接客の時なんか困るでしょう』と答える穂賀は、『早口になり少し説教くさくなってしまったかと反省し』ます。『バレッタ、別に今ダサくないよ。もう一人はミニスカの人でしょ』と言う少女に『でもミニスカで美脚第一なのかと思えば、運動靴みたいなん履いてるんだよね』と返す穂賀が『運動靴でも美脚よっていうことなんじゃないかな』と続けると、『二人は少し笑い合』います。『いつもいるね』と言う穂賀に、『ジュース百五十円で、ずっと座ってられるし。うち、弟が一歳なんだ。ひどいよ、ずっと泣いてんだよ』と返す少女は、『私が十五歳だから、歳が離れてるんだよね。お母さん、結婚してすぐ私が生まれて、たぶん男の子がずっと欲しかったんだよ…』と止まらなくなる少女に、『昔の自分に言ってあげるように、大変だ、と頷』く穂賀。『ショッピングセンター』の『喪服売り場』で働く穂賀が、一人の少女と親しくなった先の日々が描かれていきます…という表題作〈この世の喜びよ〉。この概略では見えない不思議な文体に戸惑いを覚えもする短編でした。

    “幼い娘たちとよく一緒に過ごしたショッピングセンター。喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の少女と知り合う。言葉にならない感情を呼び覚ましていく表題作「この世の喜びよ」をはじめとした作品集”と内容紹介にうたわれるこの作品。2023年に第168回芥川賞を受賞した作品の約7割の分量を占める表題作の他に〈マイホーム〉、〈キャンプ〉という二つの短編を含んだ三つの短編が収録されています。

    私が作者の井戸川射子さんのお名前を知ったのはこの芥川賞の受賞によってであり、さらにそのお名前が”いどがわ いこ”と読むことはこの作品を読み終え、巻末に記されたお名前に振られたルビだった…という有り様です。大変申し訳なく思います。そうです、今朝まではお名前の読み方さえ知らなかった私ですが、この作品を読み終えて忘れられない作家さんが一人できたという思いに包まれています。その理由こそがこの作品で井戸川さんが用いられた極めて珍しい文体です。そもそも芥川賞系の作家さんの作品は一癖二癖あるのが逆に”普通”です。句点なく読点だけで何百字と繋げていく「乳と卵」の川上未映子さん、”かか語”という独自の言葉で執筆された「かか」の宇佐見りんさん、そして「むらさきのスカートの女」という言葉を418回も登場させる今村夏子さん等々、芥川賞作家さんの作品を読む喜びは新しい表現に出会うことだとも言えます。そして、この作品に井戸川さんが組み込まれたのが内容紹介にも「」書きで触れられている『あなた』という三文字です。まずはこの点から見ていきましょう。

    さて、この作品のブクログのレビューを見ると、この『あなた』という三文字で綴られた文章の読みづらさを訴える声に溢れていることがわかります。しかもこの『あなた』という三文字がなんと”317回!”も登場するのです!(実際に数えてみました(笑))。この数の多さが、この作品の評価がこの表現によって大きく分かれることを意味してもいます。そもそも『あなた』という言葉は”人称”ということと切り離せません。まずはこの点の整理をしましょう。お助けいただくのは私が敬愛してやまない直木賞作家の三浦しをん大先生です。しをん大先生が執筆された作品に「マナーはいらない 小説の書き方講座」というものがありますが、作品中にこんなことが書かれています。

     “「どういう人称がふさわしいか」を考え抜いたうえで小説を書くことによって、物語と登場人物をより輝かせられるのではないか、と私は思っています”。

    なるほど、この選択が、同じ内容の小説であってもそこに登場する人物の輝き度合いに影響してくるということですね。これは落とせません。そして、”人称”についてしをん大先生はこんな風に説明を続けられます。

     ・一人称: 郷愁や抒情を醸しだしやすい…
       → “私は”、”俺が”等ある一人の人物の視点で語られる

     ・三人称: 視点が切り替わったことがわかりやすい
       → “A男は”、”三浦は”等登場人物の外側からというか、客観的視点に基づいて語られる

    なるほど、このレビューはしをん大先生の作品のレビューではないので大きく端折っています(関心のある方は是非こちらもお読みください。小説の読み方が変わります)が、昨今の小説の多くは、三人称(さらに言えば多視点)で書かれているのだそうです。それに対してこの作品が用いるのは『あなた』です。これは、上記とは異なるもう一つの分類である二人称になります。では、しをん大先生はなんと書かれているでしょうか?

     ・二人称: めったに使われないから、スルーでいいじゃろう(いいかげん!)

     _( ┐ノε:)ノズコー

    あちゃー!せっかくしをん大先生のお力に縋ろうとしましたが放り出されてしまうというまさかのオチ。まいりましたね。ただ、しをん大先生がおっしゃる通り”めったに使われない”のが二人称であることはよくわかりました。でも、これではレビューが終わってしまいますので、さてさてなりに見ていきたいと思います。まず、上記に書いた作品冒頭の概略を思い出してください。おそらくどなたも引っかかりを感じられなかったはずです。実は、私が『あなた』=『穂賀』というように置き換えを行い、二人称を三人称で記述しなおしたからなのです。勝手に作品をいじって申し訳ありませんが、レビューとして『あなた』で書くと訳がわからなくなるので上記としました。では、元のイメージがわかるように実例で少し抜き出してみましょう。まずは、作品冒頭です。

     『あなたは積まれた山の中から、片手に握っているものとちょうど同じようなのを探した』。

    はい、この作品はこんな風に始まるのです。そして、人称のことを知らずに読み始めた読者の頭の中を一気に”???”で埋めていきます。違う箇所も見てみましょう。

     『私とは違うのだろう。そういうのは、本当にどっちでもいいと思う、とあなたは重ねて言う』。

    これは混乱必至です。せっかく『私』という表現が登場したにも関わらず、結局は『あなた』でまとめられてしまいます。そして、この文章は、こうも続きます。

     『深呼吸をくり返しても、どうせ入ってくるのはスーパーの空気だ、あなたは最近、すぐに激しく汗をかく』。

    こちらの方がまだ分かりそうです。そうです。二人称とは、こんな風に目の前にいる主人公を見やる視点で記述されていくのです。その視点の主は、主人公の目に見える行動を描写するだけでなく、上記の通り、主人公の心の内も描写します。それでいてどこか他人としての一線を引くようなポジションを取ります。これをどう攻略すれば良いのか?私は最初、上記した作品冒頭の概略のように『あなた』を『穂賀』という三人称に変換しながら読んでいこうとしました。しかし、それは早々に失敗しました。上記程度であれば良いですが、この方向で最後まで貫けるものでもありません。また、下記でも触れますが、そのような読み方をしてしまうとこの作品の魅力が一気に失われてもしまいます。そんな中にこんな考え方を思いつきました。

     ・二人称 → 主人公の”守護霊”になった気持ちになって読もう!

    いかがでしょうか?”守護霊”になんてなったことないから、余計にわかんないよ!とお叱りの声が聞こえてきそうです。そんなあなたに、私の言いたいことを作者の井戸川さんご自身のこんな言葉によって伝えたいと思います。

     “いまも真っ最中ですが、当時も育児をしていて、それがなかなかしんどかった。子どものことを親である私が見守っているのと同じように、私もだれかに見守られていたら、すこし気持ちが楽になるかなと思いました。『あなた』と呼びかける二人称の形式を用いて小説を書いていくことで、自分がだれかに見守られている視点を確保しようとしたんじゃないかという気がします”。

    いかがでしょう。私が言いたいことがお分かりいただけたでしょうか?このレビューを読んでくださっているあなたがこの作品をこれから読まれる方であるとしたら、是非『あなた』という言葉が登場した時の向き合い方、二人称の捉え方に一工夫いただいた上で読んでいただければと思います。”守護霊視点”で読む先には、それまで淡々と状況が語られるだけだった文章のそこかしこに主人公・穂賀の思いが、人の温もりが感じられる感覚が浮かび上がってくると思います。

    次は、この短編のタイトル〈この世の喜びよ〉について見てみたいと思います。『喜び』の前に『この世の』とつけるこの言葉は相当に大袈裟だと思います。どれだけの思いがこもっているんだ!とも感じます。また、そんな言葉に続くのが詠嘆の『よ』です。さて、この一文をどう考えれば良いのでしょうか?まずは、この短編に『喜び』というふた文字がどの程度登場するかを抜き出してみましょう。

     ・『先の細くなった指で持つもの全てを喜び、高く振りかざしていた』。

     ・『人以外のものを眺めている、そういう時くらいにしか喜びはないのかもしれない』。

     ・『…肌きれいだよね、と言うとあなたが予想していたよりも少女は喜び、マスクを横にずらして肌を押した』。

     ・『一つの消しゴムをきちんと譲り合いながら使っていて、ちゃんと、それぞれの考えがあるようで感動した、この子たちほどの喜びはなかった』。

     ・『あなたに何かを伝えられる喜びよ…』。

    この短編に登場する『喜び』はこの5か所のみです。これだけではよく分かりません。少なくとも何か個別具体的に『喜び』に繋がる大いなる出来事があったわけでもありません。この短編は『あなた』という二人称で統一されていることもあって感情の起伏が見えづらいということはあると思います。一方でこの箇所の前後の文脈を読んでいくとそこには、主人公のこれまでの人生におけるさまざまな情景が見えてきます。

     ・『大きなソファや室内に階段でもあれば、また違っただろう、あなたは自分の家に、人を呼ぶのが恥ずかしかった』。

     ・『上の娘が一度、おもちゃ売り場でおしっこを漏らしてしまった時、あなたはとっさに下の娘のよだれ掛けを剝ぎ取りそれで拭いた』。

     ・『一歳、一歳はそうね、よく泣くんだっけ、とあなたは務めて思い出そうとした、何歳まで、子どもは訳も分からず泣くものなんだっけ』。

    すべては主人公の中にある過去の記憶です。物語は、現在の主人公が見ている光景、出来事を起点に過去を振り返るかのように物語を描いていきます。そして、ここに含まれる言葉が上記で触れた『あなた』による二人称視点です。これによって、”守護霊”が主人公を守るかのように、過去の出来事と、そんな中にさまざまな苦労を経験しながらも生きてきた主人公の今までの人生が浮かび上がってきます。これを一人称で語ることももちろんできるはずです。しかし、それは自分自身がノスタルジックに過去を振り返るものになります。そうでなく、そこに『あなた』視点が入ることによって、そんな過去の苦労の数々を第三者に肯定してもらいながら見やる視点が生まれていきます。作者の井戸川さんはこんな風にも語られます。”この世の至るところにいろんな喜びがあるものですよねと、言いたかった”。そう、育児中だった井戸川さんがさまざまに苦労をされながらもそこかしこに見た『喜び』の数々。そんな『喜び』を『あなた』視点で一つひとつ愛おしいものとして振り返っていく物語。ここにこの作品の真骨頂があるのだと思います。そして、そんな過去の思いをもって少女に向き合っていく主人公、少女に何かを伝えていこうとする主人公の姿が浮かび上がる物語。これこそが二人称という珍しい文体を用いてまで井戸川さんが描かれたかったこの作品の姿なのだと思いました。

     『喪服売り場の店員になって良かったことは、仕事後で通勤でき、そのまま電車にでも乗れることだとあなたは思っている』。

    『ショッピングセンター』の『喪服売り場』で働く主人公の穂賀。この作品では、そんな穂賀を『あなた』と見る視点でまとめられた物語の姿がありました。”317回!”も登場する『あなた』という言葉に翻弄されるこの作品。そんな『あなた』を”守護霊視点”で読むことでそこに人の温もりが感じられるようになるこの作品。

    まさかの二人称で展開する物語の中に、芥川賞受賞作ならではの面白さを感じた、そんな作品でした。

    • さてさてさん
      土瓶さん、こんばんは!
      ありがとうございます。
      この作品、あまりの評価の低さにビビってしまってなかなか読む気になれずでしたが、散々予習し...
      土瓶さん、こんばんは!
      ありがとうございます。
      この作品、あまりの評価の低さにビビってしまってなかなか読む気になれずでしたが、散々予習して読み始めたら”守護霊作戦”で苦痛なく、と言うより興味深く読み終えました。
      三浦しをんさんの「マナーはいらない 小説の書き方講座」はこれ以外にもとても興味深い記述多々で、小説の読み方が変わった気がしています。まあ、どこまでいってもしをん節なのでご愛嬌も多々ですけどね。
      私は女性作家さんの作品限定なので、男性作家さんのお名前はほとんど存じあげないです。残念ながら舞城王太郎さんも初耳ですが面白そうですね。ブクログを卒業できた暁には是非、是非読みたいです。ただ、卒業より先に寿命が来るような気がとてもする今日この頃です…。
      2024/06/22
    • 土瓶さん
      寿命はガッツリ伸ばしてください!
      早くブグログを卒業しろという意味ではないですよ。
      寿命はガッツリ伸ばしてください!
      早くブグログを卒業しろという意味ではないですよ。
      2024/06/22
    • さてさてさん
      はい、お互いにしつこく生き延びましょう!
      ブクログは1,000レビュー達成までは何があっても頑張ります!(意味深(笑))
      はい、お互いにしつこく生き延びましょう!
      ブクログは1,000レビュー達成までは何があっても頑張ります!(意味深(笑))
      2024/06/22
  • あなたはそのときこう
    した・・・

    という調子で綴られる
    二人称小説。

    わー内容が頭にスッと
    入ってこない(汗

    難しい言葉など一つも
    使われてないのに。。

    慣れるまで少し時間が
    かかりました。

    ショッピングセンター
    の喪服売り場で働く私
    が、

    フードコートの片隅で
    時間を潰す少女と交流
    を持つことで話が進む。

    最初こそ戸惑ったけど
    気づけば主人公と同化
    してました(笑

    二人称の独特な語り口
    は読者を物語のなかに
    引込む魅力があります

  • 2022年下期芥川賞受賞作

    芥川賞を取ったということで読んでみました。

    純文学は正直苦手なのですが、食わず嫌いとならないように芥川賞作品で気になったものは読むようになりました。いずれの受賞作も芸術性が高く味わい深い内容です。ただ、難解な作品も少なくなく、読解というか自分なりに内容を消化するのには読み返しなどする必要があります。これが苦手の理由なんです。苦手ではあるのですが短編か中編なのがせめてもの救いですね。

    さて、感想です。

    今回の作品もご多分に漏れず、一回読んだだけでは作者が何を言いたいのか、何がこの世の喜び、なのか正直よくわかりませんでした。

    主人公が二人称(あなた)で語られており、いきなりまごつきました。これも何かの狙いがあるのでしょう。
    大まかな内容は、ショッピングセンターの喪服売り場に勤める中年女性と頻繁にフードコートに出入りしている少女との心の交流といったところです。

    詳細は省きますが、本書の主題は、本当の幸せや喜びは当人にとってなかなか認識出来ないものだけれども確かにあるものだってことだと感じました。
    つまり、この世の喜びがあるのに気づかずスルーしたりしてないですか?ってのが作者の言いたいことなんでしょう。あくまで個人の感想ですが。



  • 第168回芥川賞受賞作。
    解釈が難解な作品だと思う。

    オビには「思い出すことは世界に出会い直すこと」と書いてあるけど、ちょっとピンとこなかった。
    自分の身の置き場というか、居場所探しの話なんだと思った。

    どうやって、自分がしっくりとくる場所を見つけ出すのか。たどり着くのか。
    若い頃の所在のなさは、まだ未来があるからいい。
    歳とった時、どこにいるべきか?
    ショッピングセンターの中のゲームセンターでメダルゲームをやってる…それも良いか?いや…

    二人称で語られる形式。作品の中の「あなた」とはもちろん主人公のことであるが、たまに誰のことなのか見失うことがあり、僕自身のことと勘違いして読み続け「あれ?」ってなる感覚がおもしろかった。
    ただ、残念ながら、僕は、喪服売り場の女性店員にはなれなかった笑

    他に短編「マイホーム」と「キャンプ」収録。
    僕としては、表題作を含めて3篇の中で、一歳半の双子を夫に任せてハウスメーカーの建売住宅にひとり体験宿泊する主婦を描く「マイホーム」が最もおもしろかった。

    ♪よくある話〜喪服の女編〜/柴咲コウ(2008)
     からの、
    ♪星の王子様/Shing02(1999)

  • 不思議な作品でした。
    初めから最後まで、淡々とした文が続き、
    特に劇的なことが起こるわけではありません。
    そして、一番の不思議は
    主人公が「私」ではなく「あなた」で語られること。

    「あなた」は、子育てを終えた女性、穂賀さん。
    ショッピングセンターの喪服売り場で働いています。
    内向的な彼女に話し相手ができます。
    フードコートに毎日来る中学生の少女。
    小さい弟がいて、家では落ち着くことができない少女。
    「あなた」は、少女と話をすることを楽しみにしています。

    そして「あなた」には、ほかにも話し相手がいます。
    喪服売り場の前のゲームセンターで働く23歳の多田くん。

    本文にこうあります。
    《多田と話す時は「あなた」はいつも、
    23歳の自分を一度思い出してから話すので、
    少し返事が遅れてしまう》

    相手の言葉に対して、
    自分が相手の年齢だった時の過去の回想があり、
    それから次の言葉へと繋がっていきます。
    『思い出すことは、世界に出会い直すこと』
    本の帯の この言葉がヒントかもしれません。
    世界に出会い直すことが
    この世の喜びってことなのかな???

    二人称で語られることについて、
    詩人でもある作者ご本人のこんな言葉があります。
    《主人公を「あなた」と呼びかけるように書いてみたら、
    不思議と自分も誰かに見守られているような気がした。
    作品を書くことが、
    自分自身をカウンセリングすることになっていました》

    ジグソーパズルのピースを ひとつひとつ
    ゆっくり置いていくような作品。
    ただ、最後のピースが見つからない。
    そんな気がしたまま、本を閉じました。

  • ごめんなさい、駄目でした。
    独特な世界観なのですが、読みづらいし何が言いたいのか分かるような分からないような、理解したいと思うところまでいけなかった。

    芥川賞、よくわからにゃかった ₍̫̫˲᭯ΦܫΦ˱᭯₎ ̫

    • みんみんさん
      芥川賞ドンマイ\(//∇//)
      わたし読んだことないかも…
      芥川龍之介さえ読んでない笑
      芥川賞ドンマイ\(//∇//)
      わたし読んだことないかも…
      芥川龍之介さえ読んでない笑
      2023/06/11
    • あゆみりんさん
      みんみんさん、「コンビニ人間」「むらさきスカート」も読んでないですかね?
      ちょっと前の芥川賞ですが、小川洋子「妊娠カレンダー」これも自爆しま...
      みんみんさん、「コンビニ人間」「むらさきスカート」も読んでないですかね?
      ちょっと前の芥川賞ですが、小川洋子「妊娠カレンダー」これも自爆しました。
      爆死です。
      2023/06/11
    • みんみんさん
      な〜い笑
      あえて避けてる気がしてきた(~_~;)
      な〜い笑
      あえて避けてる気がしてきた(~_~;)
      2023/06/11
  • 自分の手から離れていく親目線で描かれており、中学生、小学生の子を持つ自分としても、なんとも言えない気持ちになった。
    ”あなた”という言い回しは、その意味以上に物語を難解にさせており、差し引きで考えたときに果たして採用すべきだったのかは、疑問に思う。 ★3.2

  • ●この世の喜びよ
    二人称で語られる、ということを知らなかったら、かなり戸惑ったかもしれない。

    主人公「あなた」が働くショッピングセンターの様子の描写が続き、17ページまで読み進めると。
    ここで物語が、うごく。

    ある1人の少女との出会い。
    ここからだ。
    その少女は、家族との関係に悩んでいる。
    あなたは、あなた自身がかつて子育てをしてきた日々を想いながら、あなたなりのメッセージを、伝え続ける。
    だけど、あなたの言葉は、時折、うまく伝わらない。

    そして、多田くんである。
    わたしはこの、多田くんに一目惚れをして、久々に本の中の人を好きになった。
    誰かが誰かに失礼なことを言った時、それをちゃんと注意できる人でありたいと思う。そして、そういう人はたぶん、駅で誰かが何かを落とした時に、その誰かがイヤホンをしていようと、ザクザク歩いていようと、「落としましたよ」と言える人だ。
    多田くんは、前者の人間で、きっと後者の人間でもある。
    わたしはというと、前者の人間で、後者の人間ではない。
    しかし、物語後半。
    さすが、わたしが一目惚れをした人である、という展開が待っていた。
    どうか、今年のバレンタインデーに、わたしがチョコレートを渡した人が、「やっぱり…」という人でないことを祈るばかり。

    話が逸れた。

    物語に展開はあるものの、ずっと同じテンションで進んでいるような印象で、それが主人公あなたの日常であって、思考なのだとは思うけれど、セリフの温度感や、いつの場面なのか、というのが非常に分かりにくく、何度もページを遡った。少しだけ時間のかかる読書だった。

    ラスト、この世のよろこびが描かれる場面があるが、そこも似たようなテンションで描かれており、わたしにはいまいち、この世のよろこびの熱源のようなものを、受け取ることができなかった。
    そういった気づきにくい日常こそが、この世のよろこびなのか、はたまたわたしが子育てをしてきていないから分からないのか、そのあたりは謎のままである。

    個人的にはP63「この子たちほどの喜びはなかった。近くから見守り過ぎて、昔は主語や人称さえ混ざってしまっていた」あたりがこの物語の一番言わんとしている部分のような気がした。「あなた」という慣れない二人称で物語が進んでいくのも「主語や人称さえ混ざってしまっていた」というのと、ぴたりと重なる。

    ●マイホーム
    こちらは「彼女」という三人称で物語が進んでいく。

    『この世の喜びよ』にも描かれていた、子どもの生臭い寝息の描写があって、ああ、生活って、生きてるって、きっとこういうことだよな、と思う。
    そして同時に、わたしはその生臭い寝息を一生知らないまま終えるんだな、と思った。
    その気持ちを「寂しい」という一言で片づけられないから難しいものである。

    結婚して得られるものと失うもの。
    だけど、失ったことより、得られるものの方が格別に多いのだろう。
    経験してみないと分からないけれど、わたしにはやはり分からない。
    それらが上手に、短いながらも丁寧に描かれていた。

    ●キャンプ
    人の名前を覚えられない、という「少年」があるキャンプに参加した時の様子がつづられている。
    登場人物は多いのに、誰の名前も描かれていない。
    5人の少年の、大人に内緒で行われた秘密の儀式。

    ○まとめ
    物語は3編とも、やや低温寄りの常温のテンションで描かれている。
    丁寧な描写ではあるが、具体的に描かれるまで少し読み進めていかないといけないので、今そこにある情報だけで、いかに自分の中で像を作り上げられているかによって、理解の幅が異なるだろう。
    そこに、突然現れる具体的な描写がぽこっとはまりこんで、物語の全体が明らかになる。
    しかしその頃には、物語は終盤にさしかかってきている。
    例えば、点と点を結ぶと線になって、それらがさらに物語の輪郭を作るけれど、その点の数や位置が、読む人によって違ってくる可能性があるように思う。そうなると、最終的な物語の輪郭も変わってくるだろう。

    さすが芥川賞。
    簡単には抜け出せない世界が描かれていた。

    • naonaonao16gさん
      アールグレイさん

      こんにちは~
      コメントありがとうございます!

      えーーー!
      本の中の人に惚れたことないんですか??
      わたし...
      アールグレイさん

      こんにちは~
      コメントありがとうございます!

      えーーー!
      本の中の人に惚れたことないんですか??
      わたしは昔は結構しょっちゅうで、最近はなかったのですが、この作品で久々でした笑
      勝手に脳内で登場人物が実写化(写実化?)されて、それがなんとも自分の好みの印象に仕上がっている、という感じです。
      どうか、多田くんの印象が伝わりますように…!笑
      早く図書館で順番回ってきてほしいです!!

      バレンタインデーのチョコは、例年お世話になっている方々にばら撒いているのですが、今年はその中に一つ、本命が紛れていました笑
      しかし、そこまで本気でもないので、特に期待もせず過ごしています笑
      2023/02/19
    • 5552さん
      naonaonao16gさん、こんばんは。

      私、この本、芥川賞の候補になる前に借りたんですけど、結局読みそこなって、その後芥川賞候補に...
      naonaonao16gさん、こんばんは。

      私、この本、芥川賞の候補になる前に借りたんですけど、結局読みそこなって、その後芥川賞候補になり、受賞してしまい、図書館での予約が殺到。
      あのとき読んでいれば、大きな顔ができたのに…、と、しょうもないけど悔しいです。笑
      naonaoさんの一目惚れした多田くん、気になります!
      私も、しょっちゅう、一目惚れしますよー。
      その本を読んでいる間中、幸せだから良いことですよね!
      2023/02/19
    • naonaonao16gさん
      5552さん

      こんばんはー!
      コメントありがとうございます!

      なるほど…
      この作品にそんな経緯が…!
      わかります、わたしもよく、売れたバ...
      5552さん

      こんばんはー!
      コメントありがとうございます!

      なるほど…
      この作品にそんな経緯が…!
      わかります、わたしもよく、売れたバンドの昔のCD持ってる時に、大きい顔します笑
      サブカル好きの、しょーもない悪い癖ですよね笑

      多田くん、是非最後まで読んで頂いてご判断を!という感じです…
      一目惚れ、しちゃいますよね////
      最近思い出すのは『流浪の月』に出てきた青年です。
      2023/02/19
  • 芥川賞受賞の会見の中で井戸川さんが「日々の尊さ、生きていること、そこにいるということ、それは誰かといても独りでいても喜びを感じられる、そのことを忘れたくない」と熱を込めて話されていたのがとても印象的でした。
    主人公や娘、少女の感情の起伏や話の流れは独特のものがあり、正直わからない部分も多々ありましたが、主人公を「わたし」や「彼女」「〇〇(名前)」とせず、「あなた」としたところ…自分中心でも他人事でもなく、「あなた」のすぐ傍にいていつも見守っているよ、という愛情が感じられた作品でした。

  • 2022年度下半期芥川賞受賞作。
    受賞作ものを図書館で予約するとやっぱりほぼ半周遅れ。
    まぁ、そんなに待ちわびているわけでもないので特に問題はないけど。

    主人公の行動を「あたは・・・」と2人称で呼びかけるような語り口で綴っていく何とも不思議な読み心地は、奇しくもこの賞レースを争った『開墾者』の著者、グレゴリー・ケズナジャットの別の作品『鴨川ランナー』と同じスタイル。しかも装幀のテーマカラーも同じく淡いイエローで、益々その偶然性が興味深いところ。

    が、内容的には全く異なる作品。
    自宅近くのショッピングモールの喪服売り場で働く、”あなた”。
    休憩時間に何とはなく周囲の散策を行う中、目に留まったいつもフードコートに居る少女。
    ”あなた”は2人の娘を育て上げ、今はその延長線をのっぺりと生きているような日々。
    そんな中、少女の中にかつての日々への懐かしさのようなものを感じ、関係性を縮めて行く。
    少女は家庭の中で弟の世話係的な役割を押し付けられる、いわゆるヤングケアラーのような生活を送っていることがわかる。。

    何か特別大きな事件が起きるわけでもなく、強烈な個性を持った登場人物が出てくるわけでもなく。
    ちょっとずつ距離が近くなったり、近くなりすぎた故にちょっとしたひずみで大きな反発が起きたり。
    小難しいわけではないが、何を伝えようとしているのかがあからさまではないので、受け取ったものが意図したものなのかがよくわからない。

    自分的にはあれだけ精一杯だった子育ての日々も、時が経つと色々なことを忘れてしまっている”あなた”が印象的だった。
    自分も子どもが小さかった頃のこと、はっきりと思い出せることはほんの僅か。
    あんなに濃密な時間を過ごしていたのに。
    決して気持ちがそこになかったわけではないのに。

    同時収録されている『マイホーム』、『キャンプ』もそうだが、語り口が特徴的。
    なんてことない日常の一場面のなんてことのない描写を滔々と、流れる様に語り、ときに何のオチもなく急に場面が切りかわるので、「えっ」てなる。
    『この世の喜びよ』は2人称語り、『マイホーム』は3人称、『キャンプ』は主人公視点と様々なのだが、不思議と似たような感覚になるので、この著者の文体の特徴なのだろう。
    長編でこの感じだと疲れそうだけど、短~中編なのでまだ面白さとして消化できる。

全325件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1987年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。2018年、第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。’19 年、同詩集にて第 24 回中原中也賞を受賞。’21
年、本書で第 43 回野間文芸新人賞受賞。著書に『する、されるユートピア』(青土社)、詩集『遠景』(思潮社)、『この世の喜びよ』(講談社)がある。

「2022年 『ここはとても速い川』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井戸川射子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×