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本 ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784065377956
作品紹介・あらすじ
ザムザが「変身」したのは「虫」なのか? 『城』の冒頭でKが到着したのは「村」なのか? 『審判』という表題は『訴訟』とすべきか?
カフカの作品にはいくつもの日本語訳が存在し、多くの人に親しまれてきた。だが、「虫」と訳されてきた『変身』を見ても、「虫けら」と訳したもの、原語のまま「ウンゲツィーファー」と表記しているものが登場するなど、一筋縄ではいかない。しかも、1915年に発表された『変身』は作家が生前に公表した数少ない作品の一つで、むしろ例外に該当する。代表作とされる『城』や『審判』は死後出版されたものだが、作家は確定稿を残さなかったため、ほんとうの構成も、ほんとうの順序も、ほんとうの結末も推測するしかないのが実態である。
没後100年を迎えた作家をめぐるドイツ語原文の編集事情を紹介しつつ、カフカのテクストに含まれる錯綜した問題を分かりやすく伝え、日本語訳の問題を検証する。あなたは、まだ「ほんとうのカフカ」を知らない!
[本書の内容]
序 章 ほんとうの変身
「虫」ではなく「ウンゲツィーファー」?/「ウンゲツィーファー」ではなく「虫けら」?/『田舎の婚礼準備』と『変身』/“insect” ではなく “vermin”?/『メタモルフォーシス』ではなく『トランスフォーメーション』?
第一章 ほんとうの到着
「K」は村に着いたのか/書いたままのテクスト?/等価ではない翻訳/誤訳だけではない問題/手稿をめぐる誤情報/「私」の到着/うさんくさい男たち/「私」は測量技師なのか/不審な「私」/もうひとつの到着/少年か、青年か/悪魔のような息子/愛のしるし/仕掛けられた罠/ほんとうの到着
第二章 ほんとうの編集
「私」はいつ「K」になったか/電話はどこにかけたのか/出まかせの肩書き/アイデンティティの正体/「章」とは何か/矛盾する編集方針/定められた〈冒頭〉/新しい「始まり」と「終わり」/〈本〉ではなく〈函〉/批判版vs.写真版/完結した章と未完結の章/ひとつの〈いま〉と複数の〈いま〉/〈正しさ〉をめぐるジレンマ/「夢」は含まれるか
第三章 ほんとうの夢
「史的批判版」という名の写真版/編集の問題と翻訳の問題/ほんとうの「史的批判版」/編集文献学の必要性/ほんとうの底本/「オリジナル」概念の難しさ/もっとも新しい復刻本?/アカデミーへ「提出する」?/ほんとうの外見/書いたものを観察する/『審判』か『訴訟』か/ヴァリアントの提示/「幹」はあるのか?/「私」が現れて消えるとき/ほんとうの結末/白水社版の意義/丘の上の小さな家/ほんとうの夢
第四章 ほんとうの手紙
タイプライターで書かれた手紙/批判版での手紙の並び/ブロート版では読めない手紙/妹の結婚/ほんとうの手紙/フェリスか、フェリーツェか
感想・レビュー・書評
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カフカの『変身』、最初読んだ時には、ゲジゲジのようなものを連想した。グレゴール・ザムザがカ行とサ行の濁音だったからか。
目が覚めた主人公が変身していたのはUngeziefer。過去には虫と訳されていた。原義は「有害な虫や小動物」。だから、虫、虫けら、毒虫だけでなく、ネズミなどもありえる。2015年に出た多和田葉子訳では、そのまま「ウンゲツィーファー」にしていた。英訳もinsectかverminかでもめている。人騒がせなカフカ先生、絵でも添えてくれればよかったのに。しかし、それもまたカフカの魅力(あるいは彼の仕掛けた謎)か。
『城』の池内紀訳が「新訳」として出た時には、前田敬作訳と並べて読んだ。ところが冒頭1行目からして違っていた。池内訳は「村に」着いたとあるのに、前田訳にはそれがなかった。なぜ? この池内の新訳は、読みやすくはあったが、なにかが足りない、なにかが抜けているように感じた。今回本書を読んだら、なんとそのことが問題になっていた。そうか、そういうことだったのか。
どれをオリジナルなテクスト、どれを定稿、あるいは完成稿とみなすのか。ヴァリアントをどうあつかうのか。そして翻訳に用いるテクストには、どれをどう選択すればよいのか。カフカの場合は、それが一筋縄でいかないどころか、混迷を極める。
とりあえず私としては、『城』や『審判(or訴訟)』をどの訳で読みなおすのがいいのか。どれもなのか。ああでもないこうでもない、それを考えることもカフカ作品の醍醐味なのか。 -
内容は非常に興味深くエキサイティングなのだが、いかんせん著者の文章構成力がひどすぎる。
脱線するのはいい。それはいいのだが「◯◯については後で述べる」「詳細は後述する」「◯◯は後で見る」「後で説明する」後で……後で……何度"後で"が繰り返されたか数えきれない。体感200回は"後で"があった。その度に「今言え!!!」と思いながら読んだ。今言えないなら「後で」なんて言わなくていいんだよ。
その上「前述したように」が出てくるとこっちは「いつの"前述"だよ!」と思うわけです。150ページも前の話を「前述したように」じゃないんだよ下手くそ。 -
カフカの翻訳の困難さがこれでもかというぐらい伝わってきます.謎解きをしているような面白さがあり,ただ言葉の訳だけではなく,順序や校正,編集の正解がなかなか見つからないことが分かりました.
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カフカを愛読しているわけではないですが、時々、読んでしまいます。読むとなんだか強いインパクトがあって、しばしその影響下に置かれてしまいます。どんな影響かというと鬱的な気分ですね。でも、鬱ぽい気分だからカフカを読むというところもあります。読んで気分が晴れるわけではもちろんないですが、なんだかまあこれはこれでいいか〜という気分になります。
さて、そういうわけで、カフカには一定の愛着があって過去の購入履歴のせいかアマゾンからのおすすめで読んでしまいました。
で、これはかなり面白かった。
これぞ「ほんとうのカフカだ!」という感じではなく、カフカの翻訳問題、編集問題などなど、結構、細かい文献的な議論が延々と続きます。
多分、研究者か、よほどのマニアでなければ、興味を持たなそうなオタク話しとも言えるものなんですが、これが不思議と読んで楽しいものになっています。
世界の研究者との議論も色々と紹介されて、彼らの議論する中で、著者の疑問に対する研究者の答えが千差万別。カフカ業界を代表するらしい専門家の意見を聞くと自分の意見もどんどん動いていくみたいなところがとても面白い。
あと、日本語の翻訳版の誤訳指摘、編集方針、出版方針への批判がここまで書いちゃっていいのかと思う内容で、ちょっとドキドキしてしまう。
マニアックなんだけど、コレクターのオタク話しを聞いているようで、不思議な面白さがあって、どんどんと引き込まれます。
などと読んでいくうちに、一見、細かいオタク話的なものと思っていたことが、組み合わされて、「ほんとうのカフカ」が浮かび上がるという構成になっていて、お見事。
というわけだが、「ほんとうのカフカ」とは何かというと、実はよくわからないというオチで、なるほど、わからない人なんだね、と納得する。
カフカをまた読みたくなったが、ここまで翻訳の問題を聞かされると、もう翻訳版では読めない、ドイツ語版で読まなきゃな気分になる。が、それは不可能。
このあたりのところも、カフカぽいか。。。 -
カフカの作品における到着のテーマ
- 到着の複雑性: カフカの作品『失踪者』と『城』では、主人公が到着を果たす瞬間が描かれるが、両者ともに到着が完了していない状況に留まっている。
- 自由の女神の象徴: 『失踪者』の主人公カール・ロスマンは、ニューヨーク港で自由の女神を見つめることで、新しい世界への期待を示している。
作品の執筆過程
- カフカの執筆スタイル: カフカは、自己反省的なスタイルで作品を執筆し、過程での失敗や心の声を取り入れることで、複雑なメッセージを伝えている。
- 手紙と小説の関係: カフカが手紙を書くことが、彼の小説執筆における重要な契機であり、『判決』や『変身』の執筆につながっている。
批判版とプロート版の相違
- 章の分け方の違い: カフカの作品には、プロート版と批判版で異なる章の構成が見られ、その違いは作品の解釈に影響を与える。
- 未完結の章について: 批判版の編者は作品を完結した章と未完結の章に分けて提示しており、これが読者に与える印象を変えている。
言語と翻訳の課題
- 翻訳のニュアンス: カフカの言葉の選び方や翻訳において、特定の形容詞が持つ多義性が作品の理解に影響を与える。
- 「変身」の訳語問題: 「Ungeziefer」の訳語として「虫」とすることが一般的だが、その解釈には議論があり、文脈によって異なる理解が求められる。
カフカの伝記と研究
- 研究者の視点: カフカに関する研究は、彼の作品だけでなく、彼の私生活や人間関係を通じて深く探求されている。
- フェリーツェ・バウアーとの関係: カフカがフェリーツェに宛てた手紙は、彼の内面を反映し、彼女との関係が作品に与えた影響を示している。 -
さまざまな観点が検討されてとても良い本なのだが、ザムザが変身した虫がゴキブリなのかについてはふわっと触れつつ議論を回避している印象があった(確かに、書かれていた通り私が英訳を読んだときもverminで、insectではなかった。だが、そこから虫の解釈にさらに深く踏み込む感じではなかった)。批判版に対する批判的検討が書かれているのは興味深い。
著者プロフィール
明星聖子の作品





