遊牧王朝興亡史 モンゴル高原の5000年 (講談社選書メチエ)

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  • 講談社 (2025年1月16日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (336ページ) / ISBN・EAN: 9784065383209

作品紹介・あらすじ

ユーラシアの遊牧民が、世界史のなかで果たしてきた役割の大きさについては、近年、広く知られている。黒海沿岸にまで黄金文化を展開したスキタイや、歴代の中華王朝を脅かした匈奴や鮮卑、突厥などの存在、さらに13世紀にモンゴルが築いたユーラシアの東西にまたがる大帝国は世界史の転換点になったといわれる。
しかし、こうして語られる壮大な歴史像に、本書の著者は心を躍らせる一方で、不満も感じてきたという。そのなかに「遊牧民の姿は見えなかった」というのだ。
ユーラシア大陸を人体に見立てれば、モンゴル高原がその心臓部にあたるという。そこに暮らす遊牧民たちの動静が生み出す人と物の流れが、血流のように各地に行きわたり、人種、民族、宗教の垣根を越えて新しい細胞を目覚めさせてきたのだ。本書は、30年以上モンゴル各地の遺跡を発掘してきた著者が、その成果を集成した「遊牧王朝全史」である。
近年の考古学は理系研究者との協業により、新たな知見を次々もたらしている。例えば、出土人骨の最新のゲノム解析では、多数の東ユーラシア人を少数の西ユーラシア系エリートが統治していた匈奴という遊牧王朝の実態がわかってきている。また、歯石からは摂取していた乳の種類もわかるという。さらに、権力の源泉となる鉄はどこから来たのか、モンゴル帝国が営んだカラコルム首都圏の実態は――。文献史料には表れてこない、遊牧と騎乗の起源の探究に始まる「馬と遊牧のユーラシア史」を知る必読の書。

目次
はじめに
第一章 始動する遊牧民族――青銅器・初期鉄器時代
1 遊牧民の登場
2 家畜馬の到来
3 エリート層の形成
4 遊牧王朝の萌芽
第二章 台頭する遊牧王権――匈奴、鮮卑、柔然
1 ゴビ砂漠の攻防
2 シン・匈奴像
3 単于の素顔
4 みずから鮮卑と号す
5 カガンの登場
第三章 開化する遊牧文明――突厥、ウイグル
1 トルコ民族の勃興
2 大国の鼻綱
3 突厥の再興
4 ウイグルの興亡
第四章 興隆する遊牧世界――契丹、阻卜、モンゴル
1 契丹と阻卜
2 モンゴル部族の登場
3 最初の首都
第五章 変容する遊牧社会――イェケ・モンゴル・ウルス
1 国際都市の繁栄
2 大造営の時代
3 亡国の影
おわりに
参考文献
索引

感想・レビュー・書評

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  •  遊牧民の歴史については、詳しく学ぶ機会もないし、どうしても定住する人々の歴史が中心になるのは仕方ないのだ。この本は遊牧民について詳しく語ってくれているが、なんだか私が知りたいこととはミスマッチでした。遊牧民は広大な大地を飛び回って、歴史を大きく動かしてきたのだから、もっとダイナミックに展開して欲しかった。建物のスケールとかを詳しく説明されても、右から左だ。まあ、所詮は、オーディブルじゃ無理なので、紙で読むべき本でした。

  • モンゴル高原に芽吹いた人々は、やがて遊牧を行い、
    歴史の変遷の中で様々な王朝が生まれては消えていった。
    最新の考古学と理系研究の協業により、
    遊牧王朝の興亡を解き明かしてゆく。
    ・現在のモンゴル国とモンゴル高原
    ・ユーラシアの王朝の興亡
    ・はじめに
    第一章 始動する遊牧民族 青銅器・初期鉄器時代
    第二章 台頭する遊牧王権 匈奴、鮮卑、柔然
    第三章 開化する遊牧文明 突厥、ウイグル
    第四章 興隆する遊牧世界 契丹、阻卜、モンゴル
    第五章 変容する遊牧社会 イェケ・モンゴル・ウルス
    ・おわりに
    参考文献、索引有り。

    何故モンゴル高原に遊牧民は生まれたのか。
    牧畜の起源と伝播。係留飼、放牧、移牧、遊牧の流れ。
    文化の流れと共にアルタイ山脈を越える。
    同時に、家畜化された馬も伝来する。馬は馬車から騎乗へ。
    石器から青銅器へ。そして軍事エリートが登場する。
    文化の変遷と副葬品の変化、鉄器製作。鉄工房と馬具の進化。
    西ユーラシア人と東ユーラシア人との関係。
    交易ルートと草原の道。中小有力者の勢力争いと混乱からの
    集団・統合が成され、国が形成されてゆく。
    モンゴル高原を統一し、秦・漢と対峙した、
    最初の遊牧王朝・匈奴は、中央集権的な統治機構を有した。
    部族連合・鮮卑の足跡、カガンが君臨する柔然の台頭。
    柔然を大破した突厥第一カガン朝は隋・唐と対峙。
    唐により滅亡するが、突厥第二カガン朝が成立。
    だが、内部抗争で衰退する。
    九つの鉄勒諸部族が連合し支配層を形成、
    ウイグルカガン朝が登場。様々な民族が集う都市が出現する。
    しかし気象変動による家畜の大量死が起因となる反乱と
    キルギスの侵攻で滅亡する。
    その後、北宋を巻き込む契丹VS阻卜の抗争を経て、
    モンゴル部族の集団をまとめ上げた、テムジンの登場。
    モンゴル高原を統一し、イェケ・モンゴル・ウルス、
    モンゴル帝国の初代君主チンギス・カンと成る。
    周辺に侵攻し、帝国の版図を拡大していった。
    チンギスと息子の二代君主オゴテイの違いとは?
    オゴテイは金を滅ぼし、行政機構の整備を手掛ける。
    国際都市の新都カラコルムには仏教、イスラム教、
    キリスト教などの宗教施設が存在していた。
    王位継承を巡る内戦の勃発。勝者クビライの大元ウルスの
    中心が大都(北京)に成ったことからの北モンゴリアの
    重要度が低下。更に反乱と戦火、穀物不足、そして
    明により大元ウルスは滅亡へ。
    再度イェケ・モンゴル・ウルスの首都はカラコルムに。
    だが結局、イェケ・モンゴル・ウルスは幕を閉じることに。
    続モンゴルによるモンゴル高原の支配は、
    チンギス・カンの子孫とオイラト部族へ。その後の混乱。
    清の登場。そして近代・現代へ。四大ウルスのその後も。

    モンゴル高原を中心にした遊牧王朝の興亡は、
    モンゴル系、トルコ系など様々な民族集団の群雄割拠と
    中国の王朝などの大国との関係、王位継承を巡る内戦が
    左右していました。更に気象変動が多大の影響を与えて
    いたことも、ゲノム解析などの最新の科学での調査で
    明らかになっていました。遺跡調査が詳細です。
    また、伝統的な遊牧生活に則り、チンギス・カンなどが
    宮廷人と家畜群が列になりゲルも運んで、宿営地を季節毎に
    巡る移動を行っていたことも、興味深いものでした。

  • <書評>『遊牧王朝興亡史』白石典之著 - 産経ニュース 2025/2/9
    https://www.sankei.com/article/20250209-2WJXV6SHDBLBDGQ33VH5Y4Q7A4/

    『遊牧王朝興亡史 モンゴル高原の5000年』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター
    https://bookmeter.com/books/22354937

    モンゴル帝国史研究者に聞く――白石典之氏 | Souffle 2024.07.25
    https://souffle.life/column/motto-tenmaku-no-ja-dougal/20240725-3/

    モンゴル高原に紅毛碧眼の遊牧民もいた? 最新考古学で見えてきた「世界史の核心部」(学術文庫&選書メチエ編集部) | 学術文庫&選書メチエ | 講談社 2025.01.16
    https://gendai.media/articles/-/144791

    白石 典之 SHIRAISHI NORIYUKI | 学術文庫&選書メチエ | 講談社
    https://gendai.media/list/author/noriyukishiraishi

    白石 典之 | 新潟大学大学院 現代社会文化研究科
    https://x.gd/5eOGw

    『遊牧王朝興亡史 モンゴル高原の5000年』(白石 典之)|講談社
    https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000405894
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    (yamanedoさん)本の やまね洞から

  •  タイトルを見たときは、近年増えている遊牧民、遊牧王朝に関する歴史書と思って読むことにしたのだが、いい意味で当初予想していたものとはずいぶん違った。確かに、匈奴、鮮卑、柔然、突厥、ウイグル、契丹、モンゴルといった遊牧王朝については、学校の歴史授業(世界史の中でも中国の歴史の関連で)でも習ったが、それらのほとんどは文献史料により分かる範囲のものだった。
     しかし、それでは遊牧民の歴史や本当の姿、遊牧文化やその担い手の暮らしぶりなどは分からないのではないかと著者は言う。例えば牧畜の始まりはいつ頃なのか、遊牧を導入したプロセスはどのようなものだったのか、鉄や馬はいつ頃から使われるようになったのか、また遊牧王朝を立てた人々は人種的に見てどのような集団だったのか、といったようなこと。

     そういったことについて、従来からの考古学に加え、最近では理系研究との協業、ゲノム解析、人骨に残ったコラーゲンの分析、家畜骨に残った微量元素同位体分析などで、かなりのことが分かるようになってきたと言う。そして乾燥地なりの利点として、木材や骨などもかなり良好な状態で検出できるうようだ。そしてそうした研究を成り立たせるためにも、著者は徹底したフィールドワークを行ってきたらしい。それらの成果が本書の叙述に十分活かされていて、例えばゲノム解析によるエリート集団の出自、鉄の精製方法、首都や季節駐営地の所在や宮殿の様相など、今まで知らなかった最新の知見を得ることができる。

     遊牧生活にとって1℃、2℃の気温の低下が牧草の生育を妨げ家畜の生死に関わる問題であり、それが農耕地帯への侵攻を招く大きな要因であったことが良く理解できた。またせっかく見つかった墓も多くは盗掘され、おそらくはあったであろう埋葬品もほとんど盗まれてしまっているようだ。ピラミッドでもかなり盗掘されているそうだが、日本の古墳はどうなのだろう、そんなことをふと思った。

  • 考古学の成果を元に、遊牧や騎乗の起源、そして匈奴からモンゴル帝国当たりまでの遊牧民王朝の歴史を描き出す。考古学の成果で具体的に示されると分かりやすくなることは結構あるなと。

    https://historia-bookreport.hatenablog.jp/entry/2025/01/26/225002

  •  予備知識がない自分には消化不良だが、読みつつ何度も思ったのが、各民族や王朝にモンゴル系やトルコ系といった説明が加えられるものの、そもそも民族はどう決まる又は決められるのかという点。
     匈奴は、少なくとも統治層には西ユーラシア系の影響。「トルコ民族」は、本書では東ユーラシア系人種が西ユーラシア人と混血し多様でエキゾチックな風貌、広範な住地と説明。ウイグルの民は国もウイグルという自称も失い変質したが、1920年頃に東トルキスタンに散居するトルコ系民族の総称として集団名が復活。テムジン統一政権に属した者はモンゴル部族か否かにかかわらず「モンゴル人」となったという。詰まるところ、「何人」と決められるか自ら決めるかではないかという気がする。

  • 考古学者さんがモンゴル国に関する調査結果を記したもの。
    私は匈奴、モンゴルの民族が栄えた後にどこに行ったのかを気になって読んでみたが、モンゴルの土地から離れた民族のその後はあまり触れられていなかった。
    知らない事が沢山書かれていて、知見が広かったが少し消化不良。

  • 遊牧民族の始動

    - 遊牧民族の起源: 遊牧民族の文化は農耕が消失した後、アルタイ地方で発展した。彼らは穀物を摂取せず、家畜や野生動物に依存していた可能性がある。
    - 家畜の利用: カザフ平原では草食動物からの食料が重要であり、遺骨分析からは牛や羊の乳の利用が確認された。

    牧畜の初現

    - 新たな牧畜の形態: アルタイ山脈周辺で新たな牧畜文化が形成され、特にチェムルチェグ文化が注目された。この文化は羊、山羊、牛を飼育していたが、馬は利用されていなかった。
    - 遊牧の移動生活: 新たに形成された集団は季節に応じて高地と低地を移動し、家畜を追った移動生活を営んでいた。

    自然環境の変化

    - 気候の変化: 紀元前2000年頃、アルタイ山脈周辺で森林が減少し草原化が進行した。乾燥化と寒冷化は遊牧の拡大に影響を与えた。
    - 遊牧の選択肢: 遊牧は西アジアから持ち込まれたが、アルタイの自然環境に適応した形で発展した。

    文化の発展

    - 伏臥葬文化の始まり: アルタイ山脈北部で新たな葬制が確立され、伏臥葬文化が広まった。副葬品として青銅器や乳製品の痕跡が発見された。
    - 青銅器の技術: 青銅器の製作技術は南方から持ち込まれ、地域の勢力拡大に寄与した。

    軍事的影響と権力の台頭

    - 遊牧王権の台頭: 匈奴などの遊牧民が北モンゴルで優勢となり、中国文化の北辺を侵す動きが顕著になった。
    - 軍事的組織: 遊牧民の間での軍事組織が強化され、大規模な軍隊が形成された可能性がある。

    遊牧社会の変容

    - 新しい社会構造: 遊牧民の社会構造が変化し、部族間の結束が強化された。テムジン(チンギス・カン)の登場がその象徴である。
    - 農業との融合: 遊牧生活と農業が融合し、耕作地が広がった。特に穀物の栽培が行われ、遊牧民の食生活に変化が生じた。

  • ・BC209年、匈奴の冒頓は頭蔓単于を弑すると単于となり、モンゴル高原を統一した。
    ・BC202年、高祖劉邦が皇帝となる。
    ・BC200年、白登山の戦い
    ・BC177年、冒頓単于が天山のオアシス国家を支配下に置く
    ・BC141年、武帝即位
    ・BC139年、張騫を大月氏に派遣し、匈奴の挟撃を画策
    ・BC121年、霍去病が河西回廊を攻撃し、匈奴を駆逐
    ・匈奴は略奪や交易で鉄を入手していたとされるが、溶鉱炉が発見されたことで匈奴が製鉄技術を持っていた可能性あり。
    ・48年、干ばつや単于争いから匈奴が南北に分裂。南匈奴は後漢の降る。
    ・315年、拓跋部の穆帝が晋から代王に奉ぜられ、拓跋鮮卑の代国が成立。
    ・4c初期、モンゴル高原に柔然登場。匈奴や鮮卑と同じく、様々なエスニック集団の寄せ集め。
    ・386年、道武帝は国号を代から北魏に改める
    ・546年、アシナ族の土門は柔然君主に姻族関係を結ぶことを申し出るが拒絶される。土門は西魏と結んで552年に柔然を滅ぼし、突厥カガン朝を成立させる。
    ・744年、突厥のカガンがウイグルを含む3部族の反乱軍に殺害される。反乱軍の内乱を経て、ウイグル・カガン朝が成立。唐から冊立される。
    ・840年、飢饉をもとにウイグル・カガン朝が滅亡。トルコ民族による北モンゴリア支配の終焉。亡国の移民たちは東トルキスタンや河西回廊へと逃れ、前者は天山ウイグル国を建てるもイェケ・モンゴル・ウルスに服属。後者は甘州ウイグルと呼ばれるも、西夏に属したあとイェケ・モンゴル・ウルスに降る。
    ・ウイグル・カガン朝の滅亡で生まれた北モンゴリアの政治的空白の中で勃興してきたのが契丹(~1115)だった。
    ・1004年、契丹と宋の間で澶淵の盟
    ・12~13世紀の寒冷化・乾燥でプロトモンゴル集団の中からモンゴル部族が登場。
    ・1206年、テムジンは北モンゴリアを統一。
    ・1264年、フビライが弟のアリクブケを破り、大元ウルスが成立。
    ・1351年、自然環境の悪化や食糧不足から紅巾の乱が発生。

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著者プロフィール

1963年、群馬県生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、新潟大学人文学部教授。専門はモンゴルの考古学。2003年、第1回「最優秀若手モンゴル学研究者」として、モンゴル国大統領表彰を受ける。主な著書に、『チンギス=カンの考古学』『モンゴル帝国史の考古学的研究』(同成社)、『チンギス・カン―“蒼き狼”の実像』(中公新書)、『チンギス・ハンの墓はどこだ?』(くもん出版)など。

「2017年 『モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

白石典之の作品

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