真珠のドレスとちいさなココ―Slaaf Kindje Slaaf

制作 : Dolf Verroen  中村 智子 
  • 主婦の友社
3.22
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  • 本棚登録 :12
  • レビュー :7
  • Amazon.co.jp ・本 (134ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784072569177

作品紹介・あらすじ

マリーアが12歳の誕生日にもらった豪華プレゼント。なかでもいちばん素敵なのは、ちいさな奴隷の少年だった-。人を人と思わないこと、差別することの醜さと愚かさをうきぼりにする珠玉の本。2006年ドイツ児童文学賞。2006年グスタフ・ハイネマン児童文学平和賞。

感想・レビュー・書評

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  • マリーナは12歳の誕生日にママから白く美しい肌によく映える小さな真珠のネックレスをプレゼントされた。
    パパは、誕生日パーティーの終盤黒人奴隷に大きなスープ鍋を持って来させテーブルの真ん中に置いた。鍋の中には小さくうずくまる1人の黒人の子供。
    パパからのプレゼントは黒人奴隷のココだったのです––。

    物語の舞台である南米北東部に位置するスリナムは
    17世紀頃、英国人・蘭人が入植しタバコ栽培が行われていました。スリナムは両国の所有権争いの後にオランダが所有権を得ました。蘭人は黒人奴隷にでコーヒー、カカオ栽培をさせ利益を得ました。
    1863年奴隷制度廃止、1873年完全に奴隷制度解放まで
    黒人奴隷たちは劣悪な環境下で日夜働いていました。

    『私はママを度々両手で抱きしめた。』P40
    『エリザベートおば様が小さな鞭を下さった。ハンドバッグに入れるにはちょっと長すぎる。残念だわ。』P20
    マリーナは少し大人びた雰囲気の女の子で、泣いているママを抱きしめ慰める心の優しい女の子です。
    黒人奴隷であるココを手に入れたマリーナは、ココを鞭打つ事に何の疑問を持ちません。
    母親や叔母達との会食の最中に黒人奴隷を痛めつけるといった会話を交わす事はごく普通の日常でした。

    読後、表紙の女の子の瞳には黒人奴隷と思わしき人物が描かれています。肌の色が違う違うという理由で売買し
    強制労働を強いた時代と所有者であった白人の言動や意識に思わずゾッとしました。

  • マリーアは、決して悪い子ではありません。人の心を持たない、冷酷な子でもありません。
    新しいドレスや素敵なハンドバッグに胸をときめかせ、ママのことを思いやり。そして小さな恋心を抱いていたりもする。
    至って普通の、どこにでもいる12歳の女の子なのです。

    ただし、それらを当たり前に感じているのと同じ様に、奴隷を奴隷として扱う。仕方がないじゃない、だって奴隷は奴隷なんですもの。


    文章はとても読みやすく、最後はどんな風に終わるのだろうと期待してどんどん読み進められる。
    ココとの出会いでマリーアの中にどんな変化が生まれるのだろうと思っていたけれど、特に何かが変わるわけでもなく、問題提起するでもなく、ましてや解決もしない(もちろん簡単に解決出来るとは思っていなかったけれど)。
    子供が読んでも、これだけでは考えることも、汲み取ることも、なかなか難しいかな、と。
    児童書とされているけれど、自分でこの世界の中のおかしなところを見つけ、考えることが出来る年齢になるまで、読む(読ませる)のは待った方が良いのでは、と思いました。

  •  マリーアが12歳の誕生日にもらったのは、真珠のドレスと、ココという名の自分用奴隷(7歳)と、奴隷を躾ける小さなムチーーー。

     純粋な子供の目線で、詩的な美しい言葉で、残酷な現実を綴る本です。
     児童文学ということだけど、これを子供に読ませてどうするの……? が読後の一番の感想でした。
     せめて「この時代の奴隷制度はこういうもので~」とか「奴隷にされている人達も、本当は同じ人間で人権があって~」などの説明がついた子供向けの「あとがき」でもあれば救われるのでしょうが、そういうものも無く投げっぱなしで終わります。(「あとがき」はあるにはありましたが、大人向けで、かつあまり内容に触れるものではありませんでした。)
     私は、この本に対して、少しも良いと思いませんでした。白人社会、黒人社会の子供が読むなら、まだ意味もあるでしょうが、ここは黒人奴隷を使ったことのないモンゴロイドの住む国、日本です。

  • これはひどい。ぞっとする。あまりにも怖い。

    マリーアが、12歳のお誕生日に愛する家族からプレゼントされる、真珠のドレスや美しいアクセサリー、豪華なごちそうの素晴らしいお祝いパーティー。そして、パパからは、初めての専属の小さな奴隷の少年。

    植民地時代の奴隷制度の中で、人を人として感じることのできない精神性の愚かしさが醜い残虐さとしてあぶり出される。

    マリーアが無邪気に語る風景は、楽しいことや嬉しいことの日常、ごく普通の少女らしい希望や未来への夢、ほのかに心を寄せる男の子への思い、そして、それと同時に描き出されているのが、人を人と思わない奴隷への虐待の日常。その悪気のなさなのだ。

    「おばさまからのプレゼントは、(奴隷用の)ムチ。残念、頂いた素敵なハンドバッグには入らないわ。」といった具合だ。

    両親や大切な人への愛情や優しさや気遣いと同時に成り立っているその残虐さ、その矛盾への疑いのなさ、そのあまりにも自然な日常性。虐待されるためにある存在への疑問のなさ。鞭打たれる悲痛な叫び声を聞きながら平気で「夕食のデザートはとってもおいしいかった、もっと欲しかったわ。」などと記述する精神の在り方。

    これはもちろんデフォルメされたカリカチュアではあるが、万人の心の中にありうるひとつの要素なのだ。その違和感、そして空恐ろしい恐怖感が、この本のキモである。

    非常に読後感が悪いが、優れた作品だと思う。

  • 小説というか児童書。

    南米のスリナムという国がかつてオランダの植民地だったころ、実際にあった出来事をベースに書かれた物語。
    12歳の誕生日にココという奴隷をプレゼントされた主人公のマリーアの目線で書かれた短くて淡々とした文章。

    子供同士、仲良くなるのかと思いきや、そんなことはまったくなく、子供でさえ「お嬢さま」は奴隷を人間扱いなどしない。
    そのことがやけに心に突き刺さる物語。

  • 醜いなぁ

  • この本は怖いです。シンプルですぐ読めますが、その中にただよう違和感に気付いた時にハッとさせられます。12歳になったの、すてきなプレゼントをたくさんもらったの、自分の奴隷をもらったの、なんてすてきなの〜ってぐあいです。この本では奴隷がいるのが当たり前です。そして奴隷には何をしてもいいというのも当たり前です。時代が時代ならそれが当然であったということ、そしてそれは現に起きていた事実だということがショックです。これは児童書ですが、読んだ子どもはこの短い日記からちゃんと作者が言いたいことをくみとってくれるのかな、と少し心配になります。違和感を感じてくれるといいなと思います。

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