- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784081310012
作品紹介・あらすじ
聖なる虫、スカラベはなぜ糞を転がすのか?
感想・レビュー・書評
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『ファーブル昆虫記』をちゃんと読んだのは初めて。幼少の頃から虫好きで、毎日虫を捕まえるのに明け暮れてた私でも本は読もうとは思いませんでした。それはこの本には、なにかとても難しい学術的な事が書いてあって、自分には到底理解出来ないと思ったからだと思います。しかし今回初めて読んだら「めちゃくちゃ面白い!」奥本先生の訳や、日本人には馴染みのない言葉の捕捉や、昆虫のイラストもありイメージしやすかった事もあるかと思いますが、ファーブルの実験や行動、失敗談などが時に可笑しく、声に出して笑ってしまう所も多々ありました。勿論、昆虫の生態にも「へー!そうなんだ!凄い!!」と感心しっぱなしですが、『人間ファーブル』の面白さもこの本の楽しめるところなのかなと。
一冊4,000円近いので、全10冊一気に買えませんが、ちょっとずつ買って読んでいきたいと思いました。
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「虫の詩人」、ジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)は、フランスの生物学者であり、昆虫行動学の先駆者である。
本国での知名度はさほどでもないようなのだが、日本においては彼の昆虫記(原題は"Souveniers Entomologiques"、直訳すると「昆虫学的回想録」)は広く親しまれ、多くの昆虫好きの子供たち・大人たちを魅了してきた。
訳書もさまざま出ているが、今回読んでみたのは、集英社の完訳版。訳者である奥本大三郎はフランス文学者である一方、虫好きとしても知られ、かつては日本昆虫協会の会長も務めている。現在は日本アンリ・ファーブル会理事長であり、自宅を改装したファーブル昆虫館 「虫の詩人の館」を運営している。
全10巻で各巻上下で構成され、冊数にすると全20冊。相当なボリュームである。
冒頭にはファーブルが暮らした南フランスの風景や、その中で暮らす虫たちの写真。
本文には緻密な挿絵と詳細な脚注が付き、さらに時代背景など詳しい説明を要する部分には章末訳注が付く。
原書にも写真や挿絵はあるのだが、不鮮明であったり、また不正確なものも多いため、このシリーズでは、日本で活躍する著名な自然写真家や昆虫画家(今森和彦、海野和男、見山博ら)のものをふんだんに掲載している。
注はもちろん、奥本による。
底本はファーブルの昆虫記であるが、虫好きたちが集い、現在の知識も盛り込んだ、豪華な「共演」とも言える仕上がりである。
この巻で取り上げられている昆虫は、スカラベ(糞虫)、ツチスガリ(ハチの仲間)、アナバチと見た目は地味な昆虫が多い。
この巻に限らず、ファーブルは、蝶など、派手やかで「美しい」ものにはさほどの興味を示さなかったようだ。
では彼が好んだものは何か。それは、生態・行動のおもしろさである。
スカラベは牛糞を餌にする。彼らは糞を球状にして転がして巣まで運んでいく。複数の虫が1つの球に群がっていることも多いため、ファーブルの頃には彼らは「協力し合って」糞を運んでいると見る人が多かった。だがファーブルは長期間の観察の末、寄ってくる虫は手伝っているわけではなく、仲間が作ったごちそうの球を、隙あらば奪い取ろうとしているのだと看破する。
ツチスガリはタマムシを捕らえて倒し、卵を産み付けて、生まれてくる幼虫の餌とする。幼虫が成長する間、死んだように見えるタマムシは腐らず、干からびず、みずみずしい状態を保つ。これはなぜか。ファーブルと同時代の博物誌家デュフールは、ツチスガリがある種の防腐液を注入していると想定した。ファーブルはデュフールの地道な観察に敬意を表しつつ、さらに深い観察から、別の結論にたどり着く。ツチスガリはタマムシの神経を巧みに損傷し、動けなくしているというものである。
ファーブルはツチスガリの獲物がタマムシ等の少数の種に限られること、そして針を刺す部分が決まっていることに気づいた。獲物となる種は胸部に神経組織が集中する部位を持ち、そしてツチスガリは必ずそこを刺していたのだ。また、ツチスガリが刺すのは一瞬であり、体全体に回るほどの液を注入できるとは考えられない。つまり、獲物は神経を傷つけられて動けなくなっているだけで、生きたまま幼虫の餌食になっていたわけである。
ツチスガリの行動を探る上で、ファーブルはいくつもの巣を壊して獲物の様子を調べ、また巣に運ぶ途中の獲物を取り上げては自らが捕まえた獲物と交換し、実際にツチスガリが刺す場面を何度も観察している。
仮説を立て、実験を積み重ね、観察から導き出された結論は、ファーブルの飽くなき探求心・執念・根気の賜物である。
試行錯誤の後に得られたいくつもの「エウレカ!(見つけた!)」が、ファーブル昆虫記の魅力の源である。
ファーブルは虫たちのすばらしい能力は、「本能」に支えられていると考えている。その能力は、獲物側の条件や狩人側の条件が、ジグソーパズルのピースのようにぴったりと合致しないとうまく働かない。前述のツチスガリの戦略にしても、神経系が一箇所に集中する部位を持たない獲物には通用しないわけだ。ファーブルはこの「本能」の頑迷さについての実験も行っている。獲物の触角を引っ張って運ぶアナバチは、獲物の触角を切ってしまうと脚を引っ張るなどの方法は思いつかず、獲物を放棄してしまうというのだ。
進化論のダーウィンとファーブルは同時代人だが、「本能」に関しては2人の見解はかなり異なっていたようである。ダーウィンは、「本能」とは、無意識の行動の積み重ねであり、自然淘汰の結果、体のつくりとともに進化してきたと考えていた。ファーブルは、本能は自然選択で培われるには複雑すぎると考えていた。
そうした立場の違いもあってか、ファーブルは進化論に拒否感とも呼べるほど激しい反発を示している。
第1巻上を読んだ限りでは、ファーブルの観察眼と根気はすばらしいものではあるが、虫の行動の解釈には、根底に「直観」があるように思われる。つまり、感覚的にこうであると考えるのが「ぴったりくる」という感じである。「直観」は大切なものであるし、またそこが「見つけた!」の気持ちよさの由縁でもあると思うのだが、だがそこに「固執」してしまうとどうなのか、という疑問もどこかに残る。
進化論は、長いタイムスパンを考えるもので、ファーブルに限らず、反発する人・グループもいる。それは、進化論には「感覚」的な理解しにくさがあることが一因であるようにも思われるのだが、さてどうだろうか・・・?
楽しい読書であったのだが、はて科学的な思考とは何であるか、という大きな宿題ができたようでもある。 -
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映画エイリアンを想起させるキバネアナバチの行動、いやエイリアンの構想はキバネアナバチから生じたのか。
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#科学道100冊/科学道クラシックス
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今読む本ではない.小学生の頃に読んでおくべきだった...
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請求記号 486/F 11
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(CELL)地階 一般図書
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