個人と国家 ―今なぜ立憲主義か (集英社新書)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087200676

作品紹介・あらすじ

個人、国家、自由、民主、人権、政教分離、そして憲法。自明のこととして普段なに気なく使っているこれらの言葉の持つ本来の意味を考えながら、個人にとって国家とは何か、憲法とは何かを考えていく。あらゆる政治体制が「民主」という名において説明される現代において、「民主主義」という言葉は何も語っておらず、個人が個人として尊重される社会を確立するためには、国家の権力をも制限する立憲主義を再認識して、「憲法」を本気で議論すべきであると著者は説く。

感想・レビュー・書評

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  • 民主主義ってなんだ、立憲主義ってなんだ、改めて理解ができた。考えることなく周りの世論に流されていた自分が恥ずかしい。世界がどのように憲法を作ってきたのか。なぜヒトラーが出てこれたのか、なぜその変化が求められているのか。その背景を考え、認識し、議論していかなければならない。私たちが必要なことは真剣に話し合わなければならないということ。

  • 「個人と国家」の関係に焦点を当て、国家のあり方について述べている。
    そもそも誤りなのは、考え方が個人のための国家という視点で、国家の役割りを作り上げようとしているため、考え方が内向きで、国家安全保障や国際関係論、国際経済学的な視点に全く欠けていることである。国家は国家として戦略を立て、わが国はどういう方針で安全と繁栄を図っていくのか、国際的な立ち位置はどうしていくのか、国民生活はどのレベルを目指すのかを決めるのが先決のはずである。リーダーがトップダウンで決めるべきものであり、国民レベルの社会的不具合を数多く取り上げて国家像を論じること自体がナンセンスである。各々が生存と繁栄を考える世界の多数の国々の中の一国であることがわかっていないのではないか。歴史認識にも誤りがあり、狭視眼的国家論としか言いようがない。

  • 近年さかんに論じられるようになった「立憲主義」という考え方について、わかりやすい語り口で説明している本です。

    著者の専門は比較憲法学であり、本書でもヨーロッパやアメリカにおいて生じた、個人と国家との関係をめぐるさまざまな事件や議論を参照しながら、現代の立憲主義が直面しているアクチュアルな問題について論じています。

    著者は基本的にはリベラルな立場をとっているように見えますが、フェミニズムやポストコロニアルなどの分野で議論されている近代的な自由の理念に対する異議申し立てに対して真摯に向きあっていますが、そうした議論に完全に同調するのではなく、むしろ近代史における政治や思想に目配りをおこなうことで、厚みのある議論を展開しています。

    ただ、とりあげられている一つひとつの問題のなかに多くのテーマが錯綜しており、かならずしもすっきりとした見通しが示されているわけではないようにも感じます。むろん、そうした絡み合いを解きほぐしていくのが容易ではないことは理解できるのですが、新書というスタイルで書かれた本なので、もうすこし明快さを求めたいという気持ちもあります。

  • 自由
    縛りのないこと。
    自分の選択に従って自分の人生を生きることを可能にする社会システム。

  • 民主主義と立憲主義は違う。

  • "「すべての国民は、個人として尊重される」
    ・・・日本国憲法の何がいちばん肝心なのか。・・・この短い一句に尽きます。"
     この文が印象残った。この基本を忘れた憲法案が提示され、いままさに憲法が問われている中で手にとった一冊。
     なぜ民主主義ではなく立憲主義かを読み進めるうちに理解を深めることができる。なお護憲の本と解される方も多いかもしれないが、著者は憲法の積極的議論をすすめている。
     大いに憲法について議論しよう。それが立憲主義を守ることにもなるだろう。

  •  ただ、いつも感ずるのは、不幸な例外的な事件をあえて一般化するような議論をあえて一般化するような論調が、責任あるジャーナリズムを含めて強すぎるのではないかということです。「知りたい」読者がいるからといって、大新聞が一面トップで連日のように報道するようのはやり過ぎではないでしょうか。(p.50)

    何百何千、あるいは何万という少年事件を戦後少年法のもとで扱ってきて、圧倒的に多くのケースではそれが非常にいい解決だったのかもしれない。しかし、それを人々はほとんど知らされていないわけでしょう。(p.52)

    男女が平等に扱われないという文化も何千年も続いているわけですから、それなりの合理性はあるだろう。そういう文化を存続させたいという人が存続させようとするのを、性急にローラーにかけて押しつぶすところまではいかないとしても、そういう文化の中で育った人が、そこから逃げ出したい、それを拒否したいという自由を迫害する、これを許してはならないということ、これがおそらく文化多元主義と人権の普遍性とのぎりぎりの接点だろうと思うのです。(p.126)

    最近になって私はもう一回強調しなくてはいけないと思うのですが、日本人は被害体験そのものを忘れつつあるのではないか。「英霊」は加害者であると同時に被害者でした。「英霊」はなにより加害者に立場に身を置いている。「英霊」というのは軍人の死者という意味です。軍人というのは人を殺すことが仕事ですから当然、戦争になれば加害者になる。自分も死ぬ可能性が多い。自分も死ねば、とりわけ自分が納得できない戦争に動員された場合には、まさに被害者です。(p.165)

    改めて武力介入・軍事介入することによって何が得られるのかということをまじめに考え直す必要があるのではないでしょうか。その際に人権・人道を見殺しにしているのではないかという批判・非難に答えるだけの、日常の人権・人道のために積み重ねをしていくということを、第九条はまず日本国民の私たちに本来、義務づけているのだというふうに思うのです。(p.201)

    日本国憲法の何がいちばん肝心なのか。それをあえて条文の形で言うと、憲法第13条の「すべて国民は、個人として扱われる」という、この短い一句に尽きています。
    これは権力が勝手なことをしてはいけないという、中性以来の広い意味での立憲主義が、近代になって凝縮した到達点です。個人の生き方、可能性を自由に発揮できるような社会の基本構造、これを土台としてつくってくれるはずのものが、憲法の持つべき意味だということです。(p.204)

    第九条の存在は、そういう社会の価値体系を逆転させたということに、大きな意味があったのです。俗っぽく言えば、戦前の子供に「将来、何になりたいか」と言えば「陸軍大将、海軍大将になりたい」と言ったものでした。そのような社会における軍事の優先価値をいったん否定する、ということでした。もっと具体的にいえば、ということでした。もっと具体的にいえば、かつての天皇と軍とそのために死ぬことを力づけた国家神道、この三者の結びつきをいったん否定する。統治権の総督者としての天皇から「象徴天皇」へ、国家神道から「政教分離」への転換と並んで、軍事価値の否定というところに、第九条が持ってきた大きな意味があった。その意味はだれでも実感していたはずなのですけれども、正面からとらえ切ってこなかったのではないでしょうか。(p.213-4)

  • 日本国憲法の精神、政治体制の本質、どれだけわかっていたのだろうか。勉強になった。

  • 立憲主義について改めて。ドイツのようでした。基本法ってすごい。

  • 国際政治論
    参考書

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著者プロフィール

東京大学名誉教授

「2019年 『憲法を学問する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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