- 本 ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087201673
作品紹介・あらすじ
東大教授と、オーストラリア在住の国際博奕打ちによる異色の対談集。90年代に猛威をふるったナショナリズムの流れをわかりやすく整理。70年代当時の在日の学生運動の話など、貴重な証言も収録!
感想・レビュー・書評
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民族の無境界化に進んでいるはず
帝国、宗教、お金
現代では、帝国に包摂されるはずの民族と宗教は、境界内に保護されてていく方向にある。
これは民族の無境界化の反動と捉えるべきだ
経済的には保護主義、政治的には国粋・民族主義の動きは一時的なものと捉えるべきだろう
実際、世界の最先端(エスタブリッシュ)ではマイノリティだろうがマジョリティだろうが関係無いという。
そこにナショナリズムやレイシズムは存在しない。
富の一方的な収奪は資本主義の崩壊を招く。
富の再分配や格差を解消する方法を考え実行していかなくてはいけない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
10年以上前の本とは思えない。全く変化無し。姜尚中の外見にしか注目してなかったけど、こんな葛藤を抱えた人だったんだ、あのNHKの美術番組では内心色々あったんじゃないかなあと思ってしまった。
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私は、アメリカ駐在中に、アメリカ人の大人も、子供も国歌を歌うときに胸に手を当てて歌う姿に、驚きました。それまで、日本と言う国、日本人であることについてあまり考えたことがなかったのでした。この本は、石原都知事発言などを引用し、日本人としてのナショナリズムを否定する対談形式の本です。一部、納得できる部分もありますが、日本人としての誇りを 軍国主義ではなく、素直に誇りとして持ち続けたいと思っており、そういう教育をしてゆくべきだと考えていますので、この本の結論とは相容れないと思っています。
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日本人としての民族アイデンティティは近代の想像物・捏造物にすぎず、フィクションであるのだから、これを捨て去ればよい、と考えるのであれば、在日韓国朝鮮人の民族アイデンティティも「ただの共同幻想」であり、「われわれus」と「かれらthem」の間に想像上の境界線を引いた「タチの悪い病」ということになる。しかし、これでは具合が悪い。日本人の民族アイデンティティは否定したいが、在日韓国朝鮮人の民族アイデンティティは肯定したい。で、どう折り合いをつけるかというと、「排除され差別されてきた人々は民族概念をもつべき」(p.182森巣氏)であるが、多数者である日本人には民族概念はない、と考える。どうやら日本人も海外に行き、少数者として虐げられれば、日本人としての民族アイデンティティが急に「非・想像物」になるらしい。
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―2002年12月―
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固有名詞が数多く登場するため案外スルスルと読み進められなかった。
ナショナリズムとはなんぞや?ナショナリズムをどう捉え、関わるのか?などが体系的にまとめられた本ではなかったように思うが、二人の個人的な経験や思想に触れられたのは、これからナショナリズムの問題を深掘りしたい私にとっては非常に有益であった。 -
民族とは何か、ナショナリズムとは何かについて意見交換を繰り広げた対談本。
姜尚中さんと森巣博さん二人の個人的な体験を通して、民族や国民国家、ナショナリズムについてお互いの考えを述べています。
本書はナショナリズムとどう向き合うべきかを考えるヒントになります。 -
烏兎の庭 第一部 書評 1.16.03
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/kokufukuy.html -
今から振り返ると、2002年に出ていた対談本として、非常に興味深い。
そしてなんだか楽しく読めてしまったのも、当時は今ほどには状況が悪化していなかったからか。
著者プロフィール
姜尚中の作品





