物理学と神 (集英社新書)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087201741

作品紹介・あらすじ

「神はサイコロ遊びをしない」と、かつてアインシュタインは述べた。それに対し、量子論の創始者ハイゼンベルグは、サイコロ遊びが好きな神を受け入れればよいと反論した。もともと近代科学は、自然を研究することを、神の意図を理解し、神の存在証明をするための作業と考えてきたが、時代を重ねるにつれ、皮肉にも神の不在を導き出すことになっていく。神の御技と思われていた現象が、物質の運動で説明可能となったのだ。しかし、決定論でありながら結果が予測できないカオスなど、その後も神は姿を変えて復活と消滅を繰り返し、物理学は発展し続けている。神の姿の変容という新しい切り口から、自然観・宇宙像の現在までの変遷をたどる、刺激的でわかりやすい物理学入門。

感想・レビュー・書評

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  • <無と有 偶然と必然 有限と無限に挑む。>

    古来、物理学は何を明らかにしようとし、何に躓き、何がわかってきたのか。
    永久機関、宇宙論、パラドックス、量子力学、対称性の破れといった話題を、物理学と神という視点で説く。

    物理はHowを語る学問であってWhyを取り扱ってはいない。
    例えば宇宙の始まりが「どのようにして」とは言えても「どうして」とは言えない。この視点はなるほどと興味深かった。

    その他、個々の話題としては、以下を興味深く読んだ:
    ・アインシュタイン方程式で記述できる宇宙は「プランク時間」(約5.391x10の-44乗)。それ以前の時間は虚数時間とされている(*この辺、式で理解できないのが悲しい・・・)
    ・ニュートン力学で記述される運動の中にもカオス現象的なものが含まれる。例えば葉が舞い落ちる場合など。
    ・カオス現象の中にストレンジ・アトラクターという誘引体があり、軌道にゆらぎがあっても必ずそこを通るという点がある。それとフラクタルが関係しているようなのだが、この辺、もっと知りたいのならば別の本を当たるべきなのだろう(読めるかどうかはまた別だが)
    ・アインシュタイン方程式に付け加えられた宇宙項は恣意的なもの。宇宙の組成のうち、観測可能なものが5%、ダークマターが25%、宇宙項が担うのは70%である。著者はこれを「危うい科学」と言っている。宇宙になぜ我々が存在するのか』(図書館の順番待ち中)でこの辺、どう解説されているのか、楽しみにしておこう(しかし、ちゃんと読めるかは少々不安・・・)

    雑誌連載に加筆したものであり、体系的というよりは、ざっくりエッセイ的である。


    *いろんな話題はおもしろかったのであるが。
    現代の(あるいは当時の)物理では解決できない「壁」にぶちあたったとき、その理論体系では説明がつかなかった、というだけではなぜいけないのか、個人的にはそこが飲み込めず、いらいらしがちだった。
    自分が物理をあまり知らないせいもあるのだと思うのだが。
    「へぇ、それおもしろいじゃないですか、じゃあ真面目に考えよう」と思うといきなり神が出てきてしまったりして、何だかそのたび足元を掬われるというか、煙に巻かれるというか。「え、そこで神だ悪魔だって何!?」と何とも居心地が悪く、落ち着いて考えられない。
    著者が楽しく書いているのだなというのは感じるが、私はこの路線はちょっと抵抗がある。
    それも引っくるめて自分の力不足というところか。残念。

    *さらに蛇足だけれど。あとがきで、著者は神を「節回し」にして物理学を語ったと言っている。これは「狂言回し」と言った方がしっくりくると思うのだが。・・・あれ? もしかして、ここでも煙に巻かれてる・・・?

  • 物理学と神の関わりを通して、物理学史を語る本書。

    ”つまり原子力の利用とは、化学反応による1000度の技術で、1000万度に相当する核反応を制御しようとするものなのだ。そもそも、化学反応の一万倍ものエネルギーをもつ核反応は、生命活動とは本質的に矛盾するものである"

    現代物理学は一見神から自由になったかに見えるが、地球における核エネルギーの利用は、そういう意味で神への冒涜なのかもしれない。

  • たとえ話に皮肉が効いていておもしろかった

  • NDC(9版) 420.2 : 物理学

  • 東京大学出版会のPR誌『UP』に連載された記事をまとめた本で、物理学の歴史と現代の物理学がとりくんでいる諸問題について、一般の読者向けにわかりやすく解説している本です。

    「あとがき」には、「物理学の歴史をたどりながら、それぞれの時代において物理学者が神の名を使って何を表現しようとしたかを提示してみようと考えた」と述べられており、さらに本書ももう一つのねらいとして、「難解そうに見える物理法則の特徴を神の性格に仮託して語ること」があると述べられています。前者の問題について、科学史的なアプローチにもとづいてもうすこしくわしい解説がなされているのではないかと期待したのですが、その点にかんしてはやや期待はずれだったように思います。

  • 神の名による神の追放◆神への挑戦◆神と悪魔の間◆神のサイコロ遊び◆神は賭博師◆神は退場を!◆神は細部に宿りたもう◆神は老獪にして悪意を持たず

  • 先端物理とファンタジーは紙一重(phantasy)だな、と改めて思った

  • 神を登場させながら、上手に宇宙論を説明してくれてます。ここから私の相対論マイブームの始まり!

  • 神の存在証明の試みが、科学を生み出し、またその試みの失敗は、結果として神の存在を否定してきた。
    エネルギー保存則とエントロピー増大則は、人間に対する神の無限の恩寵を、ひいては神の存在自体を否定してはいないだろうか。
    ラプラスの悪魔、即ち全知全能の神は量子論により否定された。隠れた変数系の存在も否定され、神に生き残る術はない。
    神の存在を証明するための科学に、神は殺され続けてきたのである。神の復活は期待し得るのであろうか。

  • 宇宙論と神と内容の重複がないとは言えないが、フラクタルやカオス、対称性のみだれの話がなかなか面白い。対称性は完全無欠を表すが、宗教的象徴が対称性のみだれを持っているのは人間味を持たせるため。完全無欠な対称性を持つのは無の状態。

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著者プロフィール

1944年兵庫県姫路市生まれ。京都大学理学部物理学科卒業後同大学大学院へ。1975年に理学博士。北海道大学助教授、国立天文台、名古屋大学大学院の教授を経て現在名古屋大学名誉教授。観測データを用いて宇宙の進化を理論的に解明する研究を行う。『寺田寅彦と現代』(みすず書房)『ふだん着の寺田寅彦』(平凡社)など寺田寅彦に関する著書を発表。『科学と科学者のはなし』(岩波少年文庫)『なぜ科学を学ぶのか』(ちくまプリマー新書)など高校生向きの本もある。

「2021年 『寺田寅彦と物理学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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