僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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本棚登録 : 325
レビュー : 45
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087202694

作品紹介・あらすじ

日本の歴史学に新たな視点を取り入れ、中世の意味を大きく転換させた偉大な歴史学者・網野善彦が逝った。数多くの追悼文が書かれたが、本書の著者ほどその任にふさわしい者はいない。なぜなら網野が中沢の叔父(父の妹の夫)であり、このふたりは著者の幼い頃から濃密な時間を共有してきたからだ。それは学問であり人生であり、ついには友情でもあった。切ないほどの愛を込めて綴る「僕と叔父さん」の物語。

感想・レビュー・書評

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  • この「極私的網野論」は中沢新一の最高傑作ではないだろうか。
    恐らく、彼が書いたというよりは何かに書かされた、それは今は亡き登場人物たちであろう。

    網野善彦論としても彼の本論がわかりやすくそしてダイナミックに語られており、「網野史観」を理解するためのサブテキストとしても十分機能を果たしている。但し、網野善彦の入門書ではなく、出門書である。

  • 一番好きな場面は、幼少期の中沢新一と網野善彦が対話している場面。それはまるで豊かで深くやわらかい土壌に飛び込んだ種のような中沢少年が目を輝かせ好奇心の芽を出し、ぐんぐんと成長せんとしているのがハッキリと伝わってくるような、美しい光景。なんてキラキラしてるんだろう、うらやましい、と思いながら読んだ。

  • 叔父さんとの思い出を綴ってある本。なのに、思考の種まきをしている気分になる。登場する本や論文に興味がわいてしょうがない。学生の頃読んだときにはよくわからなかった部分がいま読むと本当に面白い。民俗学や人類学が好きな人にはおすすめする。

  • ・・・・・・書きかけ・・・・・

    この本、いつでも読めるようにすぐそばに置いてあります。中沢新一に網野善彦というと、奇しくも私はお二人とも大好きで、ご両人の著作をほとんどすべて読んでいるのにもかかわらず、うかつにも7年前にこの本を読むまで、お互い親戚関係におられたなどということをまったく知りませんでした。読むたびに、いいなあといつもうらやましがることしきりなのですけれど、それは四方田犬彦の『ハイスクール1968』や『先生とわたし』を読んだ時もそうでしたが、身近に才能あふれる人物や飽くなき探求心を持つ人がいるという、そのまぶしいばかりの恵まれた知的環境に、嫉妬で悶え苦しんでしまいそうでした。

  • たしか、フォローしている「とくさん」のツイートで気になって図書館で借りたのだと思う。リンク先のツイートとは違うものだと思うのだけど、見つからない。

    興味深い本だった。が、深すぎて自分には感想が書けないな。。

  • 高校なんかでは教えてくれない全く異なる歴史観を垣間見れて面白かった

  • 僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

  • 十数年前、「悪党的思考」を読んで始めて中沢新一の著書に出会った。その本は、大変高級な比喩が多く、周辺の様々な知識を前提に書かれてあるらしく、あまり良くは理解できなかった。にもかかわらず、それが指し示しているものが、何か特別で本質的なものを含んでいる気がしてその後も中沢本が出ると買って読んでいた。柿爺にとって中沢というものはどこかうなぎのような存在で、こんどこそ捕まえたとおもったら、するりと逃げられてしまい毎度毎度歯がゆい思いをするのだった。そんなこんなで先日本屋でこの「僕の叔父さん 網野喜彦」をふと見かけ、早速読んでみることにした。網野喜彦が中沢新一の叔父さんであることは前から知っていた。この本を読んで網野と中沢の交流の本質的な部分や「悪党的思考」の書かれた舞台裏を知ることができきた。崇高な数学の問題がどうしても解けず、分かりやすい参考書の答えを見て「なあるほど」とやっと理解できたような、そんな感じ。

  • 中世日本史を大きく転換させ、その学説は“網野史観(史学)”とも呼ばれた歴史学者・網野善彦(1928~2004年)の追悼の意を込めて、宗教・人類学者の中沢新一が綴った評伝である。雑誌「すばる」の2004年の連載に、大幅に加筆・訂正したもの。
    網野氏は中沢氏にとって叔父(実父の妹の夫)にあたり、本書では、網野史学のエッセンスとそれが如何なる経緯で確立されていったのかという流れの中に、中沢氏が子供の頃の網野氏との出会いや、その後の密度の濃い交流の様子が散りばめられて描かれており、他の学者・評論家には書き得ないものとなっている。
    また、大学時代の中沢氏が、網野氏との会話の中で、「非農業民の思想を追求することの中から生まれた網野史学と、芸能史を根拠地にする折口学とは、深いレベルで通底し合っているのだ。まれびとの神と自由都市を生み出す無縁の思想とは、根柢においてひとつのものである。そうか、折口信夫のまれびと論は、こっちの方向に発展させていかなきゃいけないんだ」とひらめいたという場面などは、学問・研究の場での叔父と甥の繋がりのエピソードとして、印象的なものである。
    新たな歴史のアプローチを切り開いた歴史学者の叔父と、分野横断的な新しいアカデミズムのスタイルを持つ学者の甥の、交流の軌跡として、興味深い作品である。
    (2005年9月了)

  • 著者の中沢新一は20年ほど前新進気鋭の宗教学者としてメディアに登場しました。当時学生だった私は浅田彰などの著書といっしょに目を通すことはしました。が、どれもそれほど興味は持てずにいました。本書のタイトルにもなっている網野善彦は異端の歴史学者としてその名前は以前からよく目にしました。しかし、私自身の興味がそこに向かわなかったため1冊の著書も手にすることはありませんでした。ところが3年ほど前、民俗学者宮田登との対談「歴史の中で語られてこなかったこと」(洋泉社新書y)をふと手に取り(宮田登の著書は以前に何冊か読んでいた。そこに至るには伊藤比呂美という詩人との対談がある。)、とくに「もののけ姫」を観たすぐ後ということもあって、それを一気に読み通した。そのとき、宮田氏はすでに亡くなられていた。網野さんの本をいつかじっくり読まないといけないとだけ思って、そのままになっていた。そしてその網野さんも亡くなられたという記事を新聞紙上に見つけた。たぶんそのときだったと思う。中沢さんが網野さんの甥にあたるということを知ったのは。本書の広告を新聞で見たとき、なぜかものすごく興味をそそられ、すぐに読みたいと思った。近くの書店は売り切れ。アマゾンで注文して、他の本といっしょだったのでものすごく時間がかかったのだけど(と言っても1週間くらい)、手にして一気に読み通した。あとがきで中沢さん自身が本書を執筆するときには何かにとりつかれたようだったと述懐しておられるが、私もまた、何かにつかれたように本書を読んだ。中沢さんのお父さん(網野さんにとっては義兄)や新一さんと網野さんとの会話のようすが、本当にありありと描写されており、新一さんがそういう環境にいられたことをうらやましく思った。対話から得られるものがどれほど多いかを思い知らされた。そして、本書を読んだことで私自身の興味も次から次へと広がっていく。直接対話ができる環境になくとも、読書から得られる「つながり」というものの影響は本当に大きい。(これを読むと、本書が私の中沢新一デビューだったのかもしれない)

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著者プロフィール

中沢新一(なかざわ・しんいち)
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、明治大学野生の科学研究所所長。思想家。
著書に『アースダイバー』(桑原武夫学芸賞)、『大阪アースダイバー』、『カイエ・ソバージュ』(小林秀雄賞)、『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)など多数ある。

「2018年 『精霊の王』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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