僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

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  • 集英社
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レビュー : 44
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087202694

作品紹介・あらすじ

日本の歴史学に新たな視点を取り入れ、中世の意味を大きく転換させた偉大な歴史学者・網野善彦が逝った。数多くの追悼文が書かれたが、本書の著者ほどその任にふさわしい者はいない。なぜなら網野が中沢の叔父(父の妹の夫)であり、このふたりは著者の幼い頃から濃密な時間を共有してきたからだ。それは学問であり人生であり、ついには友情でもあった。切ないほどの愛を込めて綴る「僕と叔父さん」の物語。

感想・レビュー・書評

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  • この「極私的網野論」は中沢新一の最高傑作ではないだろうか。
    恐らく、彼が書いたというよりは何かに書かされた、それは今は亡き登場人物たちであろう。

    網野善彦論としても彼の本論がわかりやすくそしてダイナミックに語られており、「網野史観」を理解するためのサブテキストとしても十分機能を果たしている。但し、網野善彦の入門書ではなく、出門書である。

  • 一番好きな場面は、幼少期の中沢新一と網野善彦が対話している場面。それはまるで豊かで深くやわらかい土壌に飛び込んだ種のような中沢少年が目を輝かせ好奇心の芽を出し、ぐんぐんと成長せんとしているのがハッキリと伝わってくるような、美しい光景。なんてキラキラしてるんだろう、うらやましい、と思いながら読んだ。

  • 叔父さんとの思い出を綴ってある本。なのに、思考の種まきをしている気分になる。登場する本や論文に興味がわいてしょうがない。学生の頃読んだときにはよくわからなかった部分がいま読むと本当に面白い。民俗学や人類学が好きな人にはおすすめする。

  • ・・・・・・書きかけ・・・・・

    この本、いつでも読めるようにすぐそばに置いてあります。中沢新一に網野善彦というと、奇しくも私はお二人とも大好きで、ご両人の著作をほとんどすべて読んでいるのにもかかわらず、うかつにも7年前にこの本を読むまで、お互い親戚関係におられたなどということをまったく知りませんでした。読むたびに、いいなあといつもうらやましがることしきりなのですけれど、それは四方田犬彦の『ハイスクール1968』や『先生とわたし』を読んだ時もそうでしたが、身近に才能あふれる人物や飽くなき探求心を持つ人がいるという、そのまぶしいばかりの恵まれた知的環境に、嫉妬で悶え苦しんでしまいそうでした。

  • 歴史家の網野善彦について、義理の甥にあたる宗教学者の中沢新一が、思い出とともにその研究の根底にある問題意識を明らかにしている本です。

    網野は、著者の父であり後に『つぶて』(法政大学出版局)を著すことになる中沢厚との会話のなかで、権力者に「つぶて」を飛ばす「民衆」の存在の重要性に気づいたと、著者は証言しています。「民衆」は、国家が成立する以前の「自然」を体現する、かぎりなく神に近い存在であり、土地や社会関係などが生み出す「縁」から離れた人びとだとされていました。

    従来の歴史学では、近代的な権力と、それと同じ地平で対峙する民衆との闘争という図式にもとづく理解がなされていました。しかしそうした民衆の理解は、近代の人間観の「底」を突き抜けていないと著者は批判します。そして、網野のたどりついた新しい「民衆」の概念は、そうした近代人よりも深いところに根ざしている「大地的概念」だったと述べられます。このような地平に降り立ったところに、網野史学の意義があると著者は考えています。

    また、網野の『異形の王権』と、それを追いかけるかたちで書かれた著者の『悪党的思考』の「コラボレーション」についても触れられており、大胆すぎる思考の冒険と見られがちな中沢の思想の背景に、民俗学・歴史学的な資料がどのように利用されていたのかをうかがうことができます。

  • たしか、フォローしている「とくさん」のツイートで気になって図書館で借りたのだと思う。リンク先のツイートとは違うものだと思うのだけど、見つからない。

    興味深い本だった。が、深すぎて自分には感想が書けないな。。

  • 高校なんかでは教えてくれない全く異なる歴史観を垣間見れて面白かった

  • 僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

  • 十数年前、「悪党的思考」を読んで始めて中沢新一の著書に出会った。その本は、大変高級な比喩が多く、周辺の様々な知識を前提に書かれてあるらしく、あまり良くは理解できなかった。にもかかわらず、それが指し示しているものが、何か特別で本質的なものを含んでいる気がしてその後も中沢本が出ると買って読んでいた。柿爺にとって中沢というものはどこかうなぎのような存在で、こんどこそ捕まえたとおもったら、するりと逃げられてしまい毎度毎度歯がゆい思いをするのだった。そんなこんなで先日本屋でこの「僕の叔父さん 網野喜彦」をふと見かけ、早速読んでみることにした。網野喜彦が中沢新一の叔父さんであることは前から知っていた。この本を読んで網野と中沢の交流の本質的な部分や「悪党的思考」の書かれた舞台裏を知ることができきた。崇高な数学の問題がどうしても解けず、分かりやすい参考書の答えを見て「なあるほど」とやっと理解できたような、そんな感じ。

  • 中世日本史を大きく転換させ、その学説は“網野史観(史学)”とも呼ばれた歴史学者・網野善彦(1928~2004年)の追悼の意を込めて、宗教・人類学者の中沢新一が綴った評伝である。雑誌「すばる」の2004年の連載に、大幅に加筆・訂正したもの。
    網野氏は中沢氏にとって叔父(実父の妹の夫)にあたり、本書では、網野史学のエッセンスとそれが如何なる経緯で確立されていったのかという流れの中に、中沢氏が子供の頃の網野氏との出会いや、その後の密度の濃い交流の様子が散りばめられて描かれており、他の学者・評論家には書き得ないものとなっている。
    また、大学時代の中沢氏が、網野氏との会話の中で、「非農業民の思想を追求することの中から生まれた網野史学と、芸能史を根拠地にする折口学とは、深いレベルで通底し合っているのだ。まれびとの神と自由都市を生み出す無縁の思想とは、根柢においてひとつのものである。そうか、折口信夫のまれびと論は、こっちの方向に発展させていかなきゃいけないんだ」とひらめいたという場面などは、学問・研究の場での叔父と甥の繋がりのエピソードとして、印象的なものである。
    新たな歴史のアプローチを切り開いた歴史学者の叔父と、分野横断的な新しいアカデミズムのスタイルを持つ学者の甥の、交流の軌跡として、興味深い作品である。
    (2005年9月了)

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著者プロフィール

一九五〇年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。明治大学野生の科学研究所所長。思想家。著書に、『チベットのモーツァルト』『雪片曲線論』『森のバロック』『カイエ・ソバージュ』シリーズ『アースダイバー』シリーズ『野生の科学』ほか多数

「2019年 『レンマ学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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