ブッダは、なぜ子を捨てたか (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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本棚登録 : 119
レビュー : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087203516

作品紹介・あらすじ

北インド・シャカ族出身の王子でありながら、自らの子に"ラーフラ(=悪魔)"と名づけ、さらに妻子を捨て、一族を捨てて家を出た若き日のブッダ!この仏教最大ともいえる謎に、宗教学の第一人者が挑む。そこから浮かび上がってきたのは、日本の仏教とはあまりに隔絶したブッダその人の思想であった。少子高齢化の時代を生きる二十一世紀の日本人にブッダは何を語りかけてくるのか。いまの日本にブッダを呼び戻し、その教えの真髄に迫る画期的な試み。

感想・レビュー・書評

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  • 家にある本を買ってしまった。積読していたのだが忘れていたようだ。1冊はBookoffに売る。
    東南アジア旅行に携帯する。「捨てる」がキーワード。欲望を捨て、家族を捨て旅に出る。これが仏教の姿だ。旅の途上で読んでその意味のカケラがわかるような気がした。

  • 悟りを開く前の釈尊(シッダールタ)が、息子に「悪魔」を意味するラーフラという名前を与え、さらにその子を捨てたのはなぜか、という問いをめぐって考察を展開している本です。

    ただ、問題の提出にとどまっており、実質的な回答は与えられていないように感じてしまいました。好意的にとれば、悟りに到達する前の、一人の悩める青年でしかなかったシッダールタと、彼に捨てられたラーフラという二人の「人」の、実存的な背景に迫る試み、ということもできるかもしれませんが、そうだとしても仏教の思想と正面から切り結ぶような見方とはいいかねるように思います。

    後半は、日本における仏教の受容と変容が、概論的に語られています。

  • 内容(「BOOK」データベースより)

    北インド・シャカ族出身の王子でありながら、自らの子に“ラーフラ(=悪魔)”と名づけ、さらに妻子を捨て、一族を捨てて家を出た若き日のブッダ!この仏教最大ともいえる謎に、宗教学の第一人者が挑む。そこから浮かび上がってきたのは、日本の仏教とはあまりに隔絶したブッダその人の思想であった。少子高齢化の時代を生きる二十一世紀の日本人にブッダは何を語りかけてくるのか。いまの日本にブッダを呼び戻し、その教えの真髄に迫る画期的な試み。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    新書ですよ!
    もしかしてここで書くのは初かもしれない!

    そして急に宗教に走ったな...?と思われる向きもあるかも知れませんが、
    私はこちらの作品の大ファンなのです。



    聖☆おにいさん



    もちろん全巻保有!
    なんなら繰返し読むよね!


    と言うわけで聖☆おにいさんのファンならこの本をつい手に取ってしまう理由が分かるはずw


    ってすみません、ちゃんと真剣に読みましたよ...
    ほんとですよ...


    ブッダとラーフラとの関係、なんならブッダとアナンダ(作品中ではアーナンダ)との関係が
    ぎっしりみっしり書かれており、おにいさんファンなら必読ではないかと!


    難しそうなテーマに反して、内容もとても読みやすかったです。
    ここまでおにいさんを読んでいた人ならそれぞれのキャラが
    イメージしやすく、内容も入ってきやすい気がします。
    (キャラじゃないか、すみません)


    ブッダが出家した理由。
    それがヒンドゥー教と深く関わっていた(かも知れない)ことも目からうろこでした。


    なんなら現代のインドでも、聖者のような仙人のようなホームレスのような
    その全部かのような人たちが点在していることも、ヒンドゥー教の考え方に
    即しているのだな、と言うことも...


    仏教を開いたブッダが、もとはヒンドゥー教の教えにより
    (意識したかしていないかはともかく)
    出家をし街をさまよいそして悟りを開く...


    その教えが、ヒンドゥー教のものではなく
    仏教の教えとなったことも興味深い。


    そして父と子としてのブッダとラーフラの関係性...
    ここでは、ブッダの、と言うよりラーフラの側の葛藤が強く描かれています。


    そうだよね、ブッダは自分の子供に「障害」みたいな意味の名前をつけちゃうくらいだもんね><
    (意訳では「悪魔」って意味もあるそうですよ)
    どっちかって言うとラーフラの方が傷ついた人生を送るよね><


    そしておそらくですが、それを癒したのがアーナンダではないか、と...


    ううう。
    なんて美しい。


    語り合う二人の姿が浮かんでくるようじゃないですか。


    アナンダは優しく聞き上手、そのためにブッダの教えを誰よりも聞き
    経典を作ったことで有名で、「多聞」とブッダに呼ばれた人。


    そんなアナンダなら、きっとラーフラのつらい気持ちや
    父と子としての葛藤も聞いてくれたに違いありません...


    それにしても、聖☆おにいさんのおかげで、新約聖書が面白く感じられるものになったり
    興味のなかった仏教のことまでこうして知識を広げることが出来る。


    嫌なやつが一切出てこない平和な作品だから好きだと思ってたけど、
    それ以上の知識欲を生じさせる何かがあるなぁ。


    アナンダファンの方必見ですよ!
    本当に!
    ぜひ見てください!


    ...こんな締めでいいのか...?

  • 新書文庫

  • 2016.6.28 読了

  • ふしぎなキリスト教と違って、こっちは何だか底が薄い印象があった。もちろん、こと宗教関係の知識はからっきしだから、自分に問題があるといえばそれまでだけど、上述の書の場合、それでもなお読ませる部分が多々あったのに対して、こっちはなんというか、独りよがりに見える部分の方がむしろ気になってしまった。タイトルからして、仏教の何たるかを考える本ではないし、そういう意味では“なぜ子を捨てたか”については、それなりに考察が巡らされていると思いました。

  • 著者は宗教学者である。しかし、本書はブッダや仏教に向けた著者の個人的・主観的な思いが書き連ねられているように感じる。つまり、ブッダの生き様の解釈の一例とでもいえようか。その中で篤い気持ちを吐露しているようだが、どうもそれが伝わってこない。難しい言葉や文章ではないので、言っていることはわかるが、著者の真意を汲み取るには、「仏教」や「ブッダ」に関しての多少の前提知識が必要なのかもしれない。

  • 20140211読了
    2006年発行。悟りを開くまでのブッダがひとりの人間としてどのような経過をたどったのか。第一章「ブッダは、なぜ家を出たのか」第二章「ブッダは、なぜ子を捨てたか」●「家を出る」という行為が当時ヒンドゥー教でどのような意味を持つか。背景には「四住期」という考え方があった。学生期(がくしょうき):師について勉学し禁欲の生活を送る。家住期(かじゅうき):結婚し子をつくり神々を祀って家の職業に従事。林住期(りんじゅうき):妻子を養い、家業が安定した段階で、家長が一時的に家を出て、果たせなかった夢を実行に移そうとする時期。遊行期(ゆぎょうき):家族のもとに戻らずたった一人で「魂の看取り」を行う。ほんの一握りの人間だけが入っていく住期。●P114~ 日本に入った仏教の変化。風土による影響という視点がおもしろい。インドでは「乾いた仏教」、日本では「湿った仏教」。P152~ インドは無我。日本は無私。

  • ショッキングなタイトルに、思わず手にとった新書。
    ブッダは出家したことで家族と縁を切っており、つまり子供を見捨てたことになります。
    そこに着眼した理由が気になりました。

    親捨て子捨てという悲劇を自ら生んだブッダが、どのように自己と他者をも救済するに至ったかが考察されています。
    まずは、彼の名前の変遷の確認から。
    彼は悟りを開く以前は釈迦、悟りを開いた後の時期は仏陀、青年時代はシッダールタという名前だったため、シッダールタ→シャカ→ブッダと名前が変わったことになります。
    つまり本のタイトルは正確には正しくはないというわけです。

    貴族社会に暮らすブッダの出家は、ある意味突然発作的なもので、「出家」というより「家出」に近いものだったという点が指摘されます。
    またシッダールタは、自分の息子を「ラーフラ(悪魔)」と名付け、息子の誕生と同時に家を出たのだそう。
    なぜなのでしょうか。

    彼の出家に関して、妻や息子の視点からの考察は残されていないため、ともすれば自己中心的な願望で家を捨てた男という見方もされかねません。
    家長の世俗的な責任の所在を放棄され、残された家族にとっては悲劇以外の何ものでもないのに、出家するシッダールタというイメージが、現実的な問題を曖昧なものにしてしまっています。

    ここで、ガンディーとの類似が語られます。
    南アフリカでアパルトヘイト反対運動に立ち上がった、非暴力抵抗主義者のガンディー。
    確かにブッダ同様に美しい魂を持つ人物に思えますが、長男の再婚を許さなかったため、長男は荒んだ人間になったとのこと。
    子供にはどちらもいい父親ではなかったようです。

    ちなみに、十大弟子のアーナンダはシャカ族でブッダのイトコだとのこと。
    ラーフラ以外にも血縁がいたんですね。

    子を捨て、家を捨てたというブッダに、私は西行の姿を重ね合わせます。
    最終的に自己を捨てるべく、修行を重ねていくブッダ。
    仏教が、西欧人から宗教というよりも哲学や倫理に近いとされてきたのには、悟りに至るまでの彼の葛藤や苦しみがあったからでしょう。
    信じるべき宗教ではなく、よい生き方を探す宗教だからです。

    仏教もキリスト教も発祥の地では生き延びることができなかった事実、日本ではブッダ崇拝よりも先祖崇拝の意味合いの方が強いことなどにも言及された、面白いアプローチの本でしたが、最終章はほとんど私的エッセイだったため、拍子抜けしました。

    もはや仏教が成立したインドのそれとはかなり別のものになっている、日本の仏教。
    インドの仏教は「無我の仏教」で日本の仏教は「無私の仏教」だという、その違いにさらに注目していきたいと思います。

  • イエス・キリストの生涯は有名ですが
    ブッダの生涯はどうでしょう?
    私にとって、意外な面を連続して見せられた一冊でした。

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著者プロフィール

山折哲雄 1931年生まれ。宗教学者。東北大学文学部印度哲学科卒業。同大学文学部助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、同センター所長などを歴任。著書に『空海の企て』『愛欲の精神史』『「始末」ということ』など多数。

「2017年 『死者と先祖の話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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