- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087203745
作品紹介・あらすじ
「発音体感」つまり言葉の語感の大切さに着目した画期的な日本語論である。日本語はなぜ美しいのか。実は、母音を主体に音声認識する言語は、世界的にみても日本語とポリネシア語のみであり、その他の欧米及びアジア諸語は、すべて子音主体で音声を認識している。日本語は希有な言語なのである。本書は、この日本語の特殊性をふまえて、情緒の形成という観点から、ある個体の脳が最初に獲得する言語である母語の重要性と早期英語教育の危険性を説き、風土と言語の関わりから言葉の本質に迫っていく。
感想・レビュー・書評
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ここまで理論化しておきながら、なぜもっと体系だてて深めないのか、単純な日本語論ではなく、もっと違った視点で日本語と他国の関係のありようを論じられたのではないかと残念に思った。トンデモ学説とは一線を画しているはずの知見も深められなければただの思いつきである。
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『日本語はなぜ美しいのか』(黒川伊保子)
母音で成り立つ日本語の美しさを、日本の地勢、歴史、環境、そしてそこに暮らす民族の骨格から解説し、説明してくれる本。
この母音語が世界の言葉の中では稀な言語で、その対局にある子音言語(英語をはじめとする大陸言語)が世界の多数派になっていること、そしてその違いがものごとの見つめ方、思考のしかたに影響を与えている。……概略をいってしまえばこんなまとめになってしまう。
でも、それではこの本に託した黒川伊保子さんの熱が伝わらないので、その部分を補おうと思います。
以前に読んだ『怪獣はなぜがギグゲゴなのか』のなかでも日本語の言語の成り立ちやその構成、そして日本語発音体感について述べられていた。重なる内容もあったけど、あの本で伝えられた、『熱量よりももっと遠くに、先に届けたい』そんな熱量を受け取りました。
言葉の発生背景を、歴史的、科学的な知識をもったうえで、それを創造力で補いながら、そのことばを使う国や地域の人々を想い起すということを一度始めてしまうと、今まで見えてこなかったものがあらゆるもののうえに見え始めてくる。
それぞれの国の歴史を振り返ってみても、本を読んでみても、映画を観ていても、そこにでてくる登場人物たちには、彼らの使うことばを生み出した民たちの感情構成や思考基盤みたいなものが覆いかぶさっているのが見えてくるから不思議だ。
これでは、世界史を学んでひと段落したある時期に、この本を読んでみることをお勧めせざるおえない。勿論、『サピエンス全史』(ユヴァ・ノア・ハラリ)でも、『銃・病原菌・鉄』(シャレド・ダイアモンド)も世界を重層的に俯瞰するのには読んでもらいたいが少し忍耐がいる、でもこの本ならしっかり著者の願いに寄り添えば、あっという間にあなたが感じている歴史の世界にひとつの色を加えることができる。本来の著者の意図はそんな大それたところにはない、ほんとにカジュアルに仕上がっている本ですが……。
そして何より、この本の読者へのプレゼントは巻末にある【日本語への祈り】の部分。『幸福の王子』(オスカー・ワイルド)に込められた美学を解くことから始まって、“生きる力”と“美学”の違い。“技術力”と“事業力“の違いと関係性を語ったメッセージ。
それらは、日本語を操る私たちに自信と信念を与えてくれる是非味わって欲しい。 -
音の与える印象についてとても興味深くて共感できた。子どもに名前を付けることがあれば参考にさせていただきたい。サクッと読めて楽しかった。
ただ母親と子どもについての記述は少し余計というか、表題から逸れているなと思った。あとあくまで著者の主観で書かれていることが多いのかなと思った。
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# 日本語は美しい。そして未来への祈り
## 面白かったところ
- 著者の文字からあふれる日本語愛が感じられて素敵だった
- 「英語を子供に習わせるか」の問いに対する著者の意見が、かなり納得の行くもので面白かった
## 微妙だったところ
- 特になし
## 感想
日本語の美しさは、ひらがな一文字にすら埋め込まれている色や情景から始まる。
そんな印象を受けた一冊だった。
「あさ」という言葉と「morning」では連想される景色が異なる。こんな感じで日本語の美しさを綴っており、新たな視点を日本語に対して持つことができた。
いつも読んでいる論評や専門書とは違った文化性の強い一冊だが、たまにはこういう本も良い。
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現在、小学校の低学年から、英語の授業を、、、、と、国じゅうが、言いだしている。
2020年のオリンピック開催もあるからかもしれないが、、、、、
この本は2007年1月の本である。
3歳までは、日本語を教えるべきと、、、書かれている。
母国語を大事にすべきであると、思う。
今の時代、企業も、TOIECが、何点以上でないと駄目だとか、会社内では、英語で会話をと、求められている。
グローバルな世の中になって来ているので、仕方が無いのかもしれないが、、、中途半端な英語交じりの日本語を話す政治家等、本当の意味が分かっているのか?と、疑いたくなるような事を話しているのを聞くと、がっかりする。
作者のお子さんで、桜の風情を、巧みに感じられるか感情の深さにビックリである。
子供は、のびのびと、日本語を話して欲しいと思うのは、今の時代贅沢なのか?
K--カラカラ、クルクル、コロコロ、(個体)
S--サラサラ、スルスル、ソロソロ、(空気)
T--タラタラ、ツルツル、トロトロ、(液体)
この法則、知らなかった。
日本語のなせる技!かな。 -
「私の長年の疑問を、この本が答えてくれた」。
そんな気がします。
日本語を母語とする私たちは、日本語の言葉を発するとき、
息の流れを体感し、
そして言葉そのものにストーリーを頭に描いているのですね。
「なるほど!」という実感を、得ることができました。
著者の黒川さんは、「脳とことば」の研究者。
人工知能の開発にも携わった方なのです。
言語学一筋という研究者と、
また違ったアプローチがこの本でなされているのが
とても新鮮でした。
「おはよう!」は、日本に風土に似合った朝のあいさつ。
「Morning!」は、イギリスの風土に似合った朝のあいさつ。
日本を母語とする人にとって、日本語は美しい。
イギリス語を母語にする人にとって、イギリス語は美しい。
風土に似合う、言語があるのですね。
その中、日本語の特異性にも触れたあったことも
見逃せません。
この本から、お互いの風土に根ざしたことばや
文化、習慣を
お互いに尊重していきたいな、と感じさせてくれました。 -
サクラ SaKuRaは、息を舌の上ですべらせ、口元に風を作り出すSa、何かが一点で止まったイメージのKu,花びらのようにしたをひるがえすRaで構成されてた語である。つまり、五感的には、風に散る瞬間の花の象を表す名称なのだ。あの花を「サクラ」と呼ぶ私達日本人は、散り際を最も愛する。
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人工知能エンジニアとして自然言語解析の専門家、2018年には『妻のトリセツ』がベストセラーになった著者が 「発音体感」という言葉の語感に着目した日本語論
心に残った内容 感想
① 母国語とは語感と情景がしっかりと身体感覚に結びついている
「朝よ、おはよう」と赤ちゃんの頃から声をかけられて抱きあげられていたら、日本の風土のまぶしい朝日と活動が始まる躍動感を経験の中で認識する
朝の「あ」はノドも口も開ける開放感、「さ」は舌の上に息を滑らせて口元に風を作るSの組み合わせ
「おはよう」は第2音の「は」に弾むような感覚があり
親と赤ちゃんは同時に爽やかな空気と朝の光と語感を感性の情報としてインプットしている
情景と語感が一体化している発音体感の例として、擬音語・擬態語
カラカラ・クルクル・コロコロ サラサラ・スルスル・ソロソロ タラタラ・ツルツル・トロトロ
Kは固く乾いた感じの固体 Sは空気をはらんで滑るような感じの気体 Tは水分を含んで粘り気がある感じの液体
Kはノドの奥をいったん閉じて、その接着点に強い息をぶつけて音を出すノドの破裂音で
口の中を早く突き抜け、唾液と混じらない乾いた音
擬音語だけでなく、硬い キツイ、キリ、剣、かたくな など意味と語感が結びついているものも多い
ケンスケ・キイチ・ケイコ・小林・加藤などイニシャルKには強くて速くてドライなクラスのみんなから一目置かれているイメージ
クヨクヨは? YaYuYoは二重母音の特殊な構造で緊張を緩和するゆらぎの優しい音
ヒヤヒヤ・すやすや・そよそよ・くよくよはすべて揺らぎの意味を含む
Hは気管をこする息の音、大量の音をノドにぶつけて喉元が熱くなるほどで体温を感じる音
ヒヤヒヤは熱さ・冷たさ・緊張を緩めるゆらぎがある
Sは息を滑らせて、前歯でこすって音を出す口の中の風の音だから爽やかで涼やか
切ない・寂しい・颯爽・すっきり・スピード・スポーツなどの外来語も日本語のSの語感に合致しているので定着した
Tは上あごに舌をつけてはがすときに音を出すので最も濡れてねばる感じ
タラタラ・たっぷり・たらふくなど豊かさ充実感を表す言葉が多い
3人姉妹「ミカ(仕切り屋の長女)・ミキ(個性的な次女)・ミク(内気な末娘)」語尾の母音の違いでイメージが違ってくる
② 母音を主体に音声認識する言語は世界的に見て 日本語とポリネシア語のみ、言語脳・左脳で言語を認識
その他の欧米、アジア諸国はすべて子音主体・アラビア語は最も子音に頼っている言語で砂漠の民は悠長に大きな口を開けて母音を発音しない
子音を骨格として認識する世界の大多数の人たちは母音を音響効果音として右脳で聞いている
自然の音の音響波形は母音と似ているので、風や雨、小川のせせらぎ・木の葉のこすれる音や虫の音を歌声のように聞き、自然と調和し会話しながら生きてきた
一方、子音語族は自然の音は語りかけてくるとはとらえずに自然と対峙して、統制を取り、または保護するという発想になる
③ 潜在意識で母音骨格をつかむ日本人は、話しているうちに相手と融合してしまう
合意が得られていなくても、なんとなくわかり合えた気になってしまう
合議制という名前の下でお互いの落としどころを探り合っている
子音語族の人たちは、相手との境界線がある
それを超えて理解し合うには権利と義務について話し合う合議制が合っている
確かに日本語は音の響きだけでイメージをとらえることができたり、和歌や俳句の短い言葉で広い世界を表現する文化が合ったり、気持ちを汲み取ったり、共感するのが得意な言語だと思う
そして、主語を言わずにぼかしたり、自分の意見なのか世間の味方なのか立場をあいまいにする会話も多い
親しい間柄ならそれでも済むが、ビジネスや公式の場所、あるいは日本語が母国語以外の人には、もっと詳しく説明しないと伝わりにくい
長い歴史の中で土地を追われたり、母国語を奪われることなく、日本語をはぐくんでこられた事に感謝しつつ、違う文化や言語体系を持つ人たちとも言葉で分かり合えるような柔軟性を身につけたいと改めて感じた本 -
日本語の音と体感、体験、イメージの親和性がとても面白い。土井先生がよく言う「すむ」に然り、日本語の綺麗さ、曖昧なのにしっくりくる感覚に最近は会う機会が増えてきたように思う。
K、S、T行の音と日本語の表現、体感の一致さはすごく共感できる。
「さくら」と"Cherry Blossum"で同じものを指しているのに、言葉や文化の違いで全く別もののように感じるのもわかる。 -
興味深い内容ではあるが、私は賛同出来ない。