- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087204308
作品紹介・あらすじ
特攻隊の生き残りで、戦後スタンフォード大学に留学した在野の哲学者波多野一郎が、1965年に少部数のみ出版した書『イカの哲学』。学生時代からこの作品に注目していた中沢新一が、そこに語られている二一世紀に通じる思想を分析し、新しい平和学、エコロジー学を提唱する。イカが人間とコミュニケーションがとれたら、という奇想天外な発想から、人間同士だけではなく森羅万象と人間との相互関係にまで議論の範囲を広げ、本質的な意味での世界平和を説く。『イカの哲学』全文収録。
感想・レビュー・書評
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イカ漁のアルバイトをしながら、世界平和を考察する
哲学者の考え方はユニーク
「いただきます」がある日本人には受け入れやすい思想かも詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本年(2022年)は沖縄返還50周年の節目に当たる年であることに加えてウクライナ問題が本格化した年でもあり、改めて戦争と平和について考えてみたいと思っていたため夏休み図書として購入。
昨年の夏休み図書に選んだ書籍はページ数が多い単行本で読み終わるまでに時間を要したため、短い期間に読み切れるようなボリューム感のものを検討していたところ、YouTubeの「哲学チャンネル」で日本人に是非読んで欲しい本として紹介され、かつ手頃な新書サイズということもあり採択することにした。
本書は、『憲法九条を世界遺産に』の共著者である中沢新一氏が、神風特攻隊とシベリア抑留の生き残りである波多野一郎氏がその生涯において唯一著した『イカの哲学』を本の中で全文掲載し、後半に解説を述べる構成となっている。
中核となる『イカの哲学』の部分は大きめのフォントで印刷されているにも関わらず30ページ強のボリュームで、かつ非常に平易な論調で書かれているため、あっという間に読み終えてしまうことができる。
しかしながら、文字の情報量と読みやすさに比して波多野一郎氏が読者に本当に伝えたいことは、平和に慣れきってしまった現代の日本人にとって極めて深く重い。
なぜならば、それが“戦争の本質に立脚した平和の構築”であるからだ。
波多野一郎氏は、神風特攻隊とシベリア抑留(強制労働および共産主義化教育)という、筆舌に尽くしがたい経験を生き延びた後、日本の敵国であった米国に渡米してロシアと対極の思想であるプラグマティズム哲学をスタンフォード大学大学院で学ぶという、当時としては考えられないようなキャリアを築きながら、アルバイト先の漁港にて大量のイカと日々対峙するうちに、イカと人間の“実存”には本質的に変わりはないことを直観する。
この経験に基づいて『イカの哲学』が1965年に刊行されるのだが、それから40年以上の時を経た2007年の夏、生命と知性を結びつけているものについて思考を重ねていた中沢新一氏が、ある朝突然に『イカの哲学』が思考の表面に浮かび上がり、生命体を突き動かしている原理と国家の構成原理のミッシングリンクを直観することになるのである。この“時代を超越した直観の連鎖”こそが、本書の真の価値なのではないかと感じざるを得ない。
中沢新一氏は、フランスの哲学者であるジョルジュ・バタイユが提唱した「エロティシズム」を、生命の奥深くにセットされている戦争の現実を生み出す原理として『イカの哲学』の解釈とその解説に利用している。その論法については読者によって賛否が分かれようが、とかく“実存”というと、ハイデガーに代表されるような実存主義を連想し、「現代は頽落な末人とルサンチマンが蔓延る絶望に満ちた世界」などとニヒリズムに陥りそうになるが、本書における「実存」は、まさに“生きとし生けるものすべての生きることそのもの”に向けられている。そこに難解な用語や回りくどい解釈などの入る余地は一切ない。
単に平和を願い、戦争を非難することは誰にでもできる容易いことである。しかしながら、人道主義とされたヒューマニズムは(“人類”皆兄弟などの言葉に代表されるように)人間中心主義として歪んでしまい、2020年代となった現在でも戦争と環境破壊を無くすことはできていない。波多野一郎氏も中沢新一氏も、本書の中では戦争そのものを肯定も否定もしていない。
それでも中沢新一氏は、2度の原子爆弾の投下という、人類史上最悪の戦争体験を有している日本だからこそ、国家や人間は根源的に戦争を引き起こす危険性を孕んでいる存在であり、同時にそのリスクを許容し乗り越えていくことのできる存在であることも理解することができるので、人類が抱える課題を担うべきだとしている。
奇しくも2022年は波多野一郎氏の生誕100年である。そして自分も今年で50歳の節目を迎える。そのようなタイミングで、ネットで古本としてしか手に入れることのできない本書を読了することができたのは、波多野一郎氏の想いを後の世代に伝える責務を負ったからなのかもしれない。
己の限界まで“真の実存”を追求し、そしてその想いを形にして後世に遺した波多野一郎氏と、彼の魂の作品を独自の解釈で蘇らせた中沢新一氏に敬意を表するとともに、今後も戦争について考える際の拠り所として読み返しつつ、将来自分の子供たちが成人する際に贈りたいと思えるほどの本であった。 -
大昔に一瞬ものすごく話題になった覚えがあって、なんとなく借りてみた。
波多野一郎という人の背景を説明する「はじめに」と波多野一郎による「イカの哲学」を読みさえすれば、後は読んでも読まなくてもいい感じ。
多感な青年期に数年に亘り自分の存在を脅かされる経験をした結果、ただ存在している自分の存在を深く感じるようになり、そういった経験からの直感から、自分の存在、すなわち実存を深く感じ、自分の実存に深く根ざした自分以外の生命への共感こそが世界平和に必要である…という話。
全くそのとおりだと思う。問題は、自分自身の実存を深く感じる喜びは、誰もが当たり前に持てるものではないということで…でも、波多野一郎という人は大した人だと思う。長生きしても日々の生活に追われ埋もれるだけだったかもしれないけれど、早くに亡くなってしまったのは残念だった。 -
貸していた『イカの哲学』が帰ってきたので読み直していたらボロ泣きで一気に読み終えてしまった。
数年前は笑いながら読んでいたのに、年齢を重ねるって楽しいな… -
イカの哲学(波多野一郎)
イカの哲学から平和学の土台をつくる(イカとカミカゼ;生命の深みで戦争と平和を考える;実存は戦争を抑止する;超戦争に対峙する超平和;エコロジーと平和学をつなぐ)
著者:波多野一郎(1922-1969、綾部市、哲学)、中沢新一(1950-、山梨市、宗教史) -
波多野一郎という人の魅力!
中沢新一による解釈補足は余計なお世話なのか必要有効なものなのか、どちらかというと後者だな。
政治が人間の「イカ的なもの」を利用して生命がもっている本来的な「イカ的なもの」を、横取りしたんだ!
ーーというのは腑に落ちるところ大なり。同じようにしてやられんように!
個人主義は、戦争抑止の力になり得るのか?
個人主義と全体主義の単純な対比でコトは済むのか?
そういう思考に誘われた。 -
波多野一郎 「 イカの哲学 」 解説 中沢新一
平和哲学の本。敵の実存を感じない核戦争を 超戦争と位置づけ、超戦争に向き合う 超平和の思想として イカの哲学を展開
概要
*思想の相違、人間主義(ヒューマニズム)、カント平和哲学では エスカレートした 国家間の戦争(超戦争)は 止められない
*イカになって思考すること〜イカのような小さな生命の実在を感知すること(超平和)を世界平和のカギとしている
イカの如く小さな生命であっても 実存を感知することの意味
*イカは 個体より種を重視した思考を持つ→イカになって考える→イカと人類は同じ種(同胞)となる
*さらに 異国の人の実存を知覚することになる
中沢新一氏が カイエソバージュの中で論じた 人間と動物の対称的関係(共生)と共通点が多い
バタイユの生命論(非連続=孤立。連続=集団)
*生命の本質=一人の個体を維持+集団を取り込む
*エロティシズム=個体性を壊してでも 集団(連続性)を自分に引き入れる
*国家出現前の戦争は エロティシズムによる争い→核戦争はエロティシズムによらない 超戦争
*イカの哲学は エロティシズムによる平和(超平和)
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レビュー省略
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中沢新一さんが、在野の哲学者、波多野一郎が残した 『イカの哲学』 を復刻、読み解くことによって、超平和の構造をもったエコロジーの思想を提示する。
バタイユの生命論をひいて、戦争と宗教と芸術を生み出す、生命の奥深くにセットされた同一の原理 「エロティシズム」 に辿り着く、スリリングで大胆な思想のダイビング!
『イカの哲学』(1965年)で、大助君が、在来のヒューマニズムを世界平和のための鍵として取り上げなかったのは、
人間以外の生物の生命に対して敬意を持つことに関心のない在来の人間尊重主義は理論的に弱く、そして、動物達と人間を区別しようとする境界線がとかく曖昧になり勝ちであります。それ故、在来の単なるヒューマニズムは、われわれの社会で、しばしば叫ばれるものである
けれども、それ自体には、戦争を食い止めるだけの
力が無い。
と結論した為です。ここから、平和学との堅固な土台としてのエコロジーの可能性が生まれてきます。