食卓は学校である (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087205633

作品紹介・あらすじ

日本人が食事にかける時間は、イタリア人やフランス人に比べて圧倒的に短いという。彼らは食事に時間をかけることで、会話を楽しみ、そこから様々なことを学んでいるのだ。翻って日本では、美味しい料理や雰囲気の良いお店を紹介する「グルメ本」は多いが、社会や文化といったその背景にまで言及した本は近年殆ど見られない。本書では、食をライフワークとする著者ならではの食についての「本当のウンチク」を学ぶと共に、「一期一会」とも言える、仲間と囲む食卓の大切さを語りかける。

感想・レビュー・書評

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  • 数ある玉村豊男の食文化史本の一つのまとめ、といった内容の本。

    以下感想
    多くの知識や経験から紡がれる文章はさすがといったところ。フランス人と中国人の食事文化の違いを比較して論じた話などは非常に興味深く面白かった。
    反面少しオジサン的偏見というかそういうものを感じたのも事実。
    さらさらっと読めて面白いのがこの作者の良いであるのであまり学術的な文体に馴染めない、私のような人にオススメ。気がついたらお気に入りの作家の一人になっていました。

  • sk

  • 玉村豊男さんの食に関する授業。
    食べるという当たり前でいて、生きるには必要でなくてはならないこと。知っているようで、わかっていなかった事がたくさんありました。
    いっしょ食いは日本人特有だという事。バイキングの食べ方。世界の人の宗教感による食事へのこだわり。
    どんな料理でも、いかに楽しむか。
    面白く、ためになる一冊でした。

  • 普段読まない分野の本を読もうかなと思って図書館を彷徨ったあげくに手にした1冊。当たり!
    食べ物に造詣の深い著者が、いろいろな角度から食を語ってくれる興味深い内容。通勤のお供にちょうど良かったです。素敵な時間を過ごせました。
    私は最後の授業、「第六時限」が好きです。

    改めて、毎日の家庭での食事を楽しもうと思えました。

  • [ 内容 ]
    日本人が食事にかける時間は、イタリア人やフランス人に比べて圧倒的に短いという。
    彼らは食事に時間をかけることで、会話を楽しみ、そこから様々なことを学んでいるのだ。
    翻って日本では、美味しい料理や雰囲気の良いお店を紹介する「グルメ本」は多いが、社会や文化といったその背景にまで言及した本は近年殆ど見られない。
    本書では、食をライフワークとする著者ならではの食についての「本当のウンチク」を学ぶと共に、「一期一会」とも言える、仲間と囲む食卓の大切さを語りかける。

    [ 目次 ]
    朝礼の挨拶―私たちが学びたいこと
    第1時限 食の時間
    第2時限 食の作法
    第3時限 食の進化
    第4時限 食の伝播
    第5時限 食の禁忌
    第6時限 食の仲間
    放課後の雑談―まずい店ほど楽しめる

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 食事の時間に織り込まれた文化や背景とは。食事を通した世界の文化の違いがわかりやすく描かれた一作。日常当たり前に行ってきた作法が他の文化圏ではどう見られるか、なかなかハッとさせられた。

  • 花火大会で連れ合いと一緒に食べたタコ焼きが感動的に不味くて5年経った今でも話題になる。
    「なにを食べるかより、誰と食べるか」が大事との意見にはまさしく同意。そして良い食事でその食卓につく人の仲を取り持つことが出来るなら、料理をする側からすればなおいいことだと思う。

  • 4〜5

  • ダイエットは女性の永遠のテーマらしいです。
    ダイエットってようするにカロリーの入出力の関係を「入<出」にすればいいってだけ(想像)だから、実はそんなに面倒なことではない気がするけど違うんやろか。違うんやろね、

    でもダイエットを気にしすぎるとごはんが憂鬱になっちゃう。それだけは避けたいもんだ。
    僕たちは食べるために生きているわけではないけど、食べないと生きていけない。省略できないこの時間を豊かにすることは、人生を豊かにすることじゃなかろうか。

    ■「食卓は学校である」玉村豊男・著(集英社新書)

    筆者は食に関する著作をたくさん著している方ですが、この本はわりと新しい、昨年の秋に出ました。
    内容は最初から最後まで食べ物の話。この本を読んだいま、世の中のすべての事象の起因は食文化にあると僕は言い切っちゃうね。
    恋も仕事も世界情勢も、すべての原因は食事にアリ。「美味しんぼ」の世界は骨董無形な嘘話ではなかった。あれこそリアルだったんだ。

    食について、目からウロコがぼろぼろ落ちるうんちくがいっぱいです。
    民族の性格や、キャビアがなぜ高級食材とされるか、現代日本家族崩壊の理由、フレンチのフルコースが一品ずつ出る根拠などなど。食の側から見た世界はこんな面白いのか。すごいよ。

    でもこの本の本当の素晴らしさはそんなうんちくにあるのではないです。
    うんちくが人生を豊かにするわけじゃない。
    巻末近くにある、食卓という毎日の奇跡を綴った文書、これこそがこの本の魂です。
    ちょっと長いですが引用します。

    ----------------------<引用 ココカラ>----------------------

     たとえば食卓の上に一個のリンゴがあるとします。
     そのリンゴは二日前に近所のスーパーで買ったものですが、信州の農園で一週間前に収穫され、農家のトラックに積まれて農協に出荷されたあと、運送会社によって青果市場まで運ばれ、仲卸し業者を経てスーパーの店頭にたどり着きました。
     このリンゴが実っていたリンゴの樹は、今年で樹齢三十年を迎えます。三十年前にこの樹を植えた果樹園の主人は五年前に亡くなり、このリンゴを収穫したのは息子さんです。
     三十年前に植えた百本の樹のうち、二十本は虫や病気にやられ、いま生き残っているのは八十本ですが、そのうちの半分は老齢化によって生産量が落ちているので、来年の春までに伐採して、新しい苗木に植え替える予定です。このリンゴは、その樹の最後の収穫になるでしょう。
     (中略)
     さらにいえば、三十年前に植えたこのリンゴの苗木は、県の育種場で栽培されていた樹齢二十年のリンゴの樹から、枝を取って挿し木で育てたものでした。五十年前にその樹を植えたのは・・・・・・。
     つまり、ある一個のリンゴがいま自分の目の前にある食卓にたどりつくまでには、夥しい時間の積み重ねと、数え切れないほどの多くの関わりがあるのです。
     そう考えると、あらゆる時間と空間の組み合わせの中で、膨大な数のリンゴの樹に実った無数のリンゴから、たったひとつだけ、いまこのリンゴが自分の目の前の食卓の上にあること・・・・・・は、まさに奇跡だとは思えないでしょうか。
    (中略)
     食卓の上の食べものだけではありません。
    (中略)
     友人や仲間といっしょに食卓を囲んでいるとき、私はときどき不思議な感慨にとらわれることがあります。
     この何人かの人間は、どうしていまここにいるのだろう。
    (中略)
     私を含めて、いまここにいる人たちが、次にまた同じメンバーで集まれるという保証はどこにもありません。このうちの誰かが、近いうちに病気になるかもしれないし、ひょっとしたら明日死ぬかもしれないし、遠くへ行ってしまうかもしれないし、仲違いして二度と会わないようになってしまう可能性だってないではない。
     そう思うと、きょうの会食は、唯一無二、空前絶後の出来事ではないか。
     その上に、この会食の上にある食べものや飲みものは・・・・・・。
    (中略)
    これらのモノたちが地球上のある一点に集まって一堂に会することは、何億年の地球の歴史の中で、初めての、そして最後の機会であることは、誰も否定できません。
     
    ----------------------<引用 ココマデ>----------------------


    昔よくばあちゃんに叱られた。

    「アンタお米はお百姓さんが一生懸命つくんやき。88回も手間がかかっとるんよ。やけん(だから)残したらいかん。バチあたるよ」

    ああ、ばあちゃん。今わかったよ。


    ※この文章は2011/3/29にmixi日記に挙げたものです。
     2012年6月、この本のことを考えることが多かったので、ちょっと思い出してアップすることにしました。

  • ・パリジャンの日常食。ウフ・マヨネーズとステック・フリット

    >スモーガスボード(バイキング料理)というのは、自分で料理の量と種類を自由に選ぶことができる、というだけで、実質的には、きわめて整然と時系列で進行する、西洋式のフルコースなのです。
    >アナーキーな日本人の行動に対して、フランス人なんか悲しいほど律儀です。彼らは、すべての料理が最初から並んでいる弁当箱のようなトレイを与えられても、ひとつひとつの料理を時系列のポジションに置き換えて、順番どおりに時間差で食べるのです。
    >十六世紀になるまでは、インドのカレーも朝鮮半島のキムチも、いまのように辛くはなかったのです。同じように、イタリア料理にはトマトがなく、ドイツ料理にもジャガイモはありませんでした。
    >「今夜はカレーにする? ハンバーグにする? それともスパゲッティにする?」
    と、毎日の夕食を三つの異なる外国の食文化から選ぶ民族は、いまだかつて地球上に存在したことがありません。
    >地球上で、菜食で生きることが可能な植生をもつ地域は限られます。宗教が先か風土が先かは別として、南インドがその数少ない地域のひとつであることはたしかです。

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著者プロフィール

1945年東京都杉並区に生まれる。都立西高を経て東京大学フランス文学
科卒。在学中にサンケイスカラシップによりパリ大学言語学研究所に留学す
るも紛争による休講を利用して貧乏旅行に明け暮れ、ワインは毎日飲むもの
だということだけを学んで1970年に帰国。インバウンドツアーガイド、
海外旅行添乗員、通訳、翻訳を経て文筆業。1983年軽井沢に移住、
1991年から現在の地で農業をはじめる。1992年シャルドネとメル
ローを定植。2003年ヴィラデストワイナリーを立ち上げ果実酒製造免許
を取得、翌2004年より一般営業を開始する。2007年箱根に「玉村豊
男ライフアートミュージアム」開館。著書は『パリ 旅の雑学ノート』、『料
理の四面体』、『田園の快楽』など多数。近著に『隠居志願』、『旅の流儀』。
『千曲川ワインバレー| |新しい農業への視点』刊行以来、長野県と東御市
のワイン振興の仕事に専念してきたが、古稀になった今年からは、少しスタ
ンスを変えてワインバレーの未来を見渡していきたいと思っている。

「2016年 『ワインバレーを見渡して』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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