新・ムラ論TOKYO (集英社新書)

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本棚登録 : 250
レビュー : 27
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087206005

作品紹介・あらすじ

ムラとは何か?それは行政上の「村」ではない。人が安心して生きていける共同体のありかであり、多様な生き方と選択肢のよりどころとなる「場所」を、本書では「ムラ」と呼ぶ。したがって、都会にも「ムラ」は存在するし、むしろ存在するべきなのだ。前者『新・都市論TOKYO』で大規模再開発の現場を歩いた二人が、高層ビルから雑多なストリートに視点を移し、「ムラ」の可能性を探る。東京におけるムラ的な場所-下北沢、高円寺、秋葉原。そして、地方から都市を逆照射する新しいムラ-小布施。そこに見えてきた希望とは?-。

感想・レビュー・書評

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  • 「村」というものを単に地方の小規模経済圏としてではなく、建築を初め、そこでの生活や社会構造といった観点から考察している。

    そもそも、なぜ「村」を「ムラ」と表記しているのかだが、これは著者が戦前の都市化する社会以前から存在していた村に対し、戦後、村が都市化を経て、再び村化したものをムラと定義している。

    ムラの事例として、
    下北沢
    高円寺
    秋葉原
    小布施
    を挙げている。

    アメリカ型の住宅政策で都市化してしまった日本社会は、未来に対して「再開発」という選択肢しか考えられなくなっているが、このシステムがすでに自壊してきていることに、誰もがうすうす気付いているはずである。
    だが、誰もが見て見ぬふりをして、日々更新される様々な事象に目を向けている。

    この再開発型の思考回路は、すでに無意識レベルにまで日本人の思考に浸透してしまっているが、その産物は、大量生産・大量消費という枠組みの日常化であり、その結果として、われわれは日常的に「社会のゴミ」を排出しつづけるシステムに陥ってしまったとも言える。その清掃の仕方も考えずに。

    そんな観点からすれば、本書のムラ論は、本流にならずとも、社会のバランスを取る上で非常に有効なシステムになると考える。

  • 前著の「都市論」よりこちらの「ムラ論」のほうが、ポジションが明確で小難しくなく、純粋に面白かった。

  • 2018年4月8日紹介されました!

  • 前作「新・都市論TOKYO」のほうが勢いがあって好きだったなあ。笑

  • 全体的にはすごく面白いんだけど、男性原理・女性原理みたいな話を持ち出すこと自体が、今やとても「おっさん臭い」し、とはいえそれについてすごく勉強しているというわけでもなさそうなので、中途半端で直感的な思いつきに過ぎないもののように感じる。

    加えて、斜めからものを言ったりするのはもうやめたとこの本で言っておきながら、小布施での試みには結構斜に構えているように見える。自覚的なのかどうなのか(自覚的なら、「あえて皮肉めいたことを言うと」とでも言って欲しかった)。

    隈研吾さんは基本的に好きだし、話も態度も面白いと思って注視しているが、こういうところはいただけないと思う。

  • [ 内容 ]
    江戸時代の長崎に、唐人屋敷という中国ワールドがあった。
    鎖国政策を実施した徳川幕府の貿易の中心は、出島よりもこの唐人屋敷だったのだ。
    高い塀に囲まれた一画に、長崎奉行の厳しい監視のもと、多いときには二、三千人の中国人たちが暮らしていた。
    彼らは貿易を通じて、様々なモノや文化を日本にもたらした。
    特別な役人や遊女だけが入ることができたという唐人屋敷とは、どのような世界だったのか。
    残された史料や絵図をもとに、その実態を明らかにする。

    [ 目次 ]
    1 唐人屋敷の建設
    2 唐人屋敷の生活
    3 長崎にやってきた唐船
    4 唐船貿易の変遷
    5 中国文化が持ち込まれた長崎
    6 唐人屋敷の終焉

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 建築家・隈研吾さんとジャーナリスト・清野由美さんが、TOKYOに残る個性的な街を歩いて、新たにできつつある”ムラ”について論じている。ムラとして登場するのは、下北沢、高円寺、秋葉原、そして小布施。

    個性的な街が生まれたのは、歴史的経緯と周辺地域とのバランス、あるいはそこに街を形成するようなキーパーソンが存在していたから。現代の都市再開発はそのような個性や独自性をなるべく見出さない形で、経済効果や効率性を突き詰めてつくられているので面白くないのは当たり前です。

    それでもムラというコミュニティが根強く存在しているのは、日本人の精神性にフィットした粘着質な考え方が根強いからであり、宗教観や社会論の見地からも様々な議論が呼び起こされていきます。そういった多面性を包括した街というのは非常に面白いですね。

    グローバル化とは不可逆的な流れですが、それによって日本のローカルが崩壊していくというのは、ちょっと短絡的な思考です。むしろ、グローバル化の影響を上手く取り込みつつ、都市のなかでムラが進化していくことで、また違った内側からの視点が出てくるのではないでしょうか。実際に日本の若者は内向きになっていると言われていますが、それは改めて日本の良さを見直そうというムーブメントに他なりません。

    地方経済は疲弊していると言われていますが、それもグローバル経済という指標で見ているからであって、そこに生きる人々は実際にはたくましいです。都市における競争社会において技術的・文化的に洗練されたモノの見方やプロジェクトのススメ方を身につけた若者が、それぞれの地域に入っていくことで地方も変わっていく、そんな胎動があちらこちらで始まっています。

  • 1/130820

  • 本学の隈教授がジャーナリストとともに、『人が安心して生きていける共同体のありかであり、多様な生き方と選択肢のよりどころとなる「場所」』を“ムラ”と呼び、東京のムラである下北沢・高円寺・秋葉原と、村なのに都市性を帯びるムラである小布施を取り上げた。豊かな発想から飛び出すムラを取り巻く議論は、自由さと鋭さにあふれている。(建築学専攻)

    配架場所:工1B・建築
    請求記号:220-0:K.41-1

    ◆東京大学附属図書館の所蔵情報はこちら
    https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2003070850&opkey=B148057381521333&start=1&totalnum=1&listnum=0&place=&list_disp=20&list_sort=6&cmode=0&chk_st=0&check=0

  • 20世紀は分断の世紀であった。高層ビルは、人間を土地を分断する装置であった。土地から遊離した人間は、その土地に住む人間同士の絆をつむぐことができず、無縁社会と呼ばれるような現状を作った。
    21世紀は融合の世紀である。もう一度、人間が土地と融合し、住民同士の絆を創出する必要がある。しかし、これは「三丁目の夕日」の時代に帰るということではない。
    21世紀にふさわしい、多様性を認めるコミュニティを本書では「ムラ」と表現する。
    下北沢、高円寺、秋葉原など、都内にもムラはある。そして小布施などのムラが地方にもある。
    東京の生きづらさ、働きづらさを解消するヒントがここにある。

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著者プロフィール

1954年 横浜で生まれる。1979年 東京大学工学部建築学科大学院修了 コロンビア大学客員研究員2001年 慶應義塾大学教授2009年 東京大学教授現在 隈研吾建築都市設計事務所、東京大学教授◆主な作品「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」「那珂川町馬頭広重美術館」「サントリー美術館」「根津美術館」

「2018年 『場所原論Ⅱ-建築はいかにして都市と統合できるか-』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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