- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087206005
作品紹介・あらすじ
ムラとは何か?それは行政上の「村」ではない。人が安心して生きていける共同体のありかであり、多様な生き方と選択肢のよりどころとなる「場所」を、本書では「ムラ」と呼ぶ。したがって、都会にも「ムラ」は存在するし、むしろ存在するべきなのだ。前者『新・都市論TOKYO』で大規模再開発の現場を歩いた二人が、高層ビルから雑多なストリートに視点を移し、「ムラ」の可能性を探る。東京におけるムラ的な場所-下北沢、高円寺、秋葉原。そして、地方から都市を逆照射する新しいムラ-小布施。そこに見えてきた希望とは?-。
感想・レビュー・書評
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隈研吾は、家を私有することに対して、否定的な意見を述べる。
しかし、その問題を解決する解を持っていない。
コーポラブティブ住宅によって、みんなで作ろうとするが、
結果私有であったために、それは失敗の要因だったとする。
彼の頭の中には、サハラ砂漠の中での住居のように、
簡単に建てられ、自然と境界線を置くことなく、私有しない
原始共産制のようなユートピアが、あるのかも知れないが、
現実的に 持ち家制度を 否定しても解決できない。
夢の中での、住処を模索しながら、都市ではなく
村ではない「ムラ」のイメージを掻き立てるが、
そこでも私有制を否定することはできなかった。
隈研吾は、自己矛盾に堕ちて、不満を述べて、吐き出し、小間物屋をしている。
20世紀は、多くの建築物が建てられて、都市となった。
そして、村が消えていった。それは、持ち家願望にあり、
持ち家を持たす金融システムが確立したからだという。
アメリカ型、集合住宅貸家型、中国の都市籍と農民籍の
3つのパターンは失敗して、村が破壊され、消滅した。
隈研吾の求める 青い鳥 ムラは、どこにあるのだろうか?
下北沢、高円寺、秋葉原、小布施を街歩きする。
下北沢の面白さが発酵して、昭和をなつがしがるムラ。
高円寺は ユルい感じで、男権システムの暴力から逃げて、
寛容性と慎み深さのあるムラ。
秋葉原は、ヘンタイ性を飲み込むことで、多層な欲望を飲み込むムラ
小布施は シティーボーイの目を持つ旦那様の作り上げるムラ。
結果としては、私有制を否定するものは見つけられなかった。結局 日本は サハラ砂漠ではないのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「村」というものを単に地方の小規模経済圏としてではなく、建築を初め、そこでの生活や社会構造といった観点から考察している。
そもそも、なぜ「村」を「ムラ」と表記しているのかだが、これは著者が戦前の都市化する社会以前から存在していた村に対し、戦後、村が都市化を経て、再び村化したものをムラと定義している。
ムラの事例として、
下北沢
高円寺
秋葉原
小布施
を挙げている。
アメリカ型の住宅政策で都市化してしまった日本社会は、未来に対して「再開発」という選択肢しか考えられなくなっているが、このシステムがすでに自壊してきていることに、誰もがうすうす気付いているはずである。
だが、誰もが見て見ぬふりをして、日々更新される様々な事象に目を向けている。
この再開発型の思考回路は、すでに無意識レベルにまで日本人の思考に浸透してしまっているが、その産物は、大量生産・大量消費という枠組みの日常化であり、その結果として、われわれは日常的に「社会のゴミ」を排出しつづけるシステムに陥ってしまったとも言える。その清掃の仕方も考えずに。
そんな観点からすれば、本書のムラ論は、本流にならずとも、社会のバランスを取る上で非常に有効なシステムになると考える。 -
前作を読んでいたので続きを、と思って読んだ。一言で言ってつまらない。隈研吾の本ではなく、単なるサブカル解説だったり、もう一人の著者の見解だったり、そういうのが長々と続いてて、何か期待とはずれている。
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前著の「都市論」よりこちらの「ムラ論」のほうが、ポジションが明確で小難しくなく、純粋に面白かった。
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2018年4月8日紹介されました!
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前作「新・都市論TOKYO」のほうが勢いがあって好きだったなあ。笑
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全体的にはすごく面白いんだけど、男性原理・女性原理みたいな話を持ち出すこと自体が、今やとても「おっさん臭い」し、とはいえそれについてすごく勉強しているというわけでもなさそうなので、中途半端で直感的な思いつきに過ぎないもののように感じる。
加えて、斜めからものを言ったりするのはもうやめたとこの本で言っておきながら、小布施での試みには結構斜に構えているように見える。自覚的なのかどうなのか(自覚的なら、「あえて皮肉めいたことを言うと」とでも言って欲しかった)。
隈研吾さんは基本的に好きだし、話も態度も面白いと思って注視しているが、こういうところはいただけないと思う。 -
[ 内容 ]
江戸時代の長崎に、唐人屋敷という中国ワールドがあった。
鎖国政策を実施した徳川幕府の貿易の中心は、出島よりもこの唐人屋敷だったのだ。
高い塀に囲まれた一画に、長崎奉行の厳しい監視のもと、多いときには二、三千人の中国人たちが暮らしていた。
彼らは貿易を通じて、様々なモノや文化を日本にもたらした。
特別な役人や遊女だけが入ることができたという唐人屋敷とは、どのような世界だったのか。
残された史料や絵図をもとに、その実態を明らかにする。
[ 目次 ]
1 唐人屋敷の建設
2 唐人屋敷の生活
3 長崎にやってきた唐船
4 唐船貿易の変遷
5 中国文化が持ち込まれた長崎
6 唐人屋敷の終焉
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
建築家・隈研吾さんとジャーナリスト・清野由美さんが、TOKYOに残る個性的な街を歩いて、新たにできつつある”ムラ”について論じている。ムラとして登場するのは、下北沢、高円寺、秋葉原、そして小布施。
個性的な街が生まれたのは、歴史的経緯と周辺地域とのバランス、あるいはそこに街を形成するようなキーパーソンが存在していたから。現代の都市再開発はそのような個性や独自性をなるべく見出さない形で、経済効果や効率性を突き詰めてつくられているので面白くないのは当たり前です。
それでもムラというコミュニティが根強く存在しているのは、日本人の精神性にフィットした粘着質な考え方が根強いからであり、宗教観や社会論の見地からも様々な議論が呼び起こされていきます。そういった多面性を包括した街というのは非常に面白いですね。
グローバル化とは不可逆的な流れですが、それによって日本のローカルが崩壊していくというのは、ちょっと短絡的な思考です。むしろ、グローバル化の影響を上手く取り込みつつ、都市のなかでムラが進化していくことで、また違った内側からの視点が出てくるのではないでしょうか。実際に日本の若者は内向きになっていると言われていますが、それは改めて日本の良さを見直そうというムーブメントに他なりません。
地方経済は疲弊していると言われていますが、それもグローバル経済という指標で見ているからであって、そこに生きる人々は実際にはたくましいです。都市における競争社会において技術的・文化的に洗練されたモノの見方やプロジェクトのススメ方を身につけた若者が、それぞれの地域に入っていくことで地方も変わっていく、そんな胎動があちらこちらで始まっています。