日本の大転換 (集英社新書)

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  • 集英社 (2011年8月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (160ページ) / ISBN・EAN: 9784087206067

作品紹介・あらすじ

これからの日本の目指すべき道を示す。
大地震と津波、原発事故により、日本は根底からの転換を遂げねばならないことが明らかになった。原子力=一神教的テクノロジーから「エネルゴロジー」という新概念へ。これからの日本と世界のありかたを示す。

みんなの感想まとめ

これからの日本の進むべき道を示す本作は、原発問題を宗教論や経済学の観点から深く掘り下げています。著者は、原子力が持つ一神教的な側面を批判し、資本主義や科学信仰がもたらす外部性について考察。特に、核エネ...

感想・レビュー・書評

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  • 中沢新一の原子力論。ポランニーやラカンを引用しながらの独特の議論だが、ぼくは原子力を特殊、特異に見ることには違和感を感じるので、うーん、と思いながら読んだ。

  • 原発問題を宗教論や経済学と絡めて論評してた。
    こういう見方がある事を知って、目からうろこが落ちた。
    これから日本が進むべき道についていろいろ考えさせられた。

  • 釈迦が悟ったのは「縁起」であると言われる。
    世の中は縁によって起こり、あらゆるものが関連し合っているという思想である。
    そこから、生物との共生や自然との共生という思想にもなる。
    しかし、一神教の思想は全く異なる。
    縁で紡がれているはずの人間社会に、それを超越した神を持ち込んだのが一神教、すなわちユダヤ教、イスラム教、キリスト教である。
    そして、宗教が力を失ったいま、拝金主義と科学信仰がはびこっている。
    拝金主義の温床は資本主義だ。
    そして、資本主義は縁でつむがれていた社会に「神の見えざる手」を持ち込んだ。つまり神を持ち込んだのだ。
    さらに、科学信仰の真骨頂が核エネルギーであり、これは「神の領域」である。またも、神を持ち込んだのだ。
    資本主義も核エネルギーも一神教的な神を持ち込んだという意味で同じであると著者は言う。
    資本主義の市場原理はいまや、人々の心の中にどっぷりと入り込んでいる。子どもの心にさえ入り込んでいる。
    核エネルギーは核廃棄物が処理できない時点で人間には扱えない代物であり、事故を起こして土地を汚染し住民の故郷を奪った。
    神=外部性を持ち込んだ資本主義と核エネルギーは両者ともに行き詰まっている。
    これを転換するには、仏教の縁起を思い出すことであろう。世界は縁によって紡がれている。
    本書の原稿が書かれたのは原発事故から3ヶ月後の2011年6月だという。中沢新一氏の慧眼に感服する。

  • 東日本大震災後に著された、社会基盤であるエネルギーと資本主義の関係性、日本の社会の在り方についての本。原子力発電への依存度を低減させる必要があるが、そのためには日本社会・日本文明のあり方も根底から見直さなければならない、という提言。
    甚大な被害を(特に原発事故により)被った日本だからこそ、新たな世界をリードできる。キリスト教などの一神教社会ではなく、仏教徒神道が共存する多神教の日本だからこそ新たな道を見出せる。

  • 社会
    宗教
    思索

  •  先日、『大津波と原発』(中沢さんと内田樹さんほかの鼎談)を読んだ際、「この鼎談をベースに、中沢氏に東日本大震災の思想的意味を深く掘り下げた大著をものしてもらいたい」とこのブログで書いたが、本書はまさにそのような内容。
     ただ、150ページ程度の薄い本なので、読み足りない。大震災をめぐる思索をまとめた大著を今後出すとしたら、本書はその「序論」という印象だ。

     とはいえ、薄くても内容は刺激的。東日本大震災と原発事故が人類史上においていかなる意味をもつのかを、中沢さんならではの視点から思索した内容となっているのだ。

     とくにスリリングなのは、原子力技術が過去のエネルギー技術とはまったく隔絶した技術であることを、一神教とのアナロジーから解説したくだり。
     火の利用から石油に至る過去のエネルギー革命は、「生態圏から直接的に採取可能な燃料を使って」いた。ところが、原子力だけは生態圏に属さない「外部」から持ち込んだエネルギーであり、宗教でいえば一神教的だというのである。

    《ほんらい生態圏には属さない「外部」を思考の「内部」に取り込んでつくられた思想のシステム、それはほかならぬ一神教(モノティズム)である。「第七次エネルギー革命」の産物である原子力技術の、宗教思想における対応物が一神教なのである。
    (中略)
     一神教が重要なのは、それに特有な「超生態圏」的な思考が、西欧においてキリスト教の衰退後に覇権を握った、世俗的な科学技術文明の深層構造にも、決定的な影響を及ぼしているからである。》

     東日本大震災と原発事故は、現代文明そのものの一大転機であり、人類は新しい文明のありようを模索していかなければならない……というようなことは多くの論者が言っているわけだが、それをこんな角度――エネルギー革命の深層にある宗教思想を抽出する――から論じた人は中沢さんしかいなかった。

     『日本の大転換』とは、「原子力発電からの脱却」の動きが、エネルギー技術の転換であるにとどまらず、「私たちの実存のすべてを巻き込んだ、ラジカルな転換をもたらす」という見立ての謂である。

     太陽光エネルギーなどの自然エネルギーへのシフトによる、来るべき「第八次エネルギー革命」。それは原子力発電という一神教的技術から、仏教的技術への転回でもある、と中沢さんは言う。

    《どのエネルギー革命も、それに対応する宗教思想や新しい芸術をもっているものである。たとえば、第一次エネルギー革命にはプロメテウス型の火の神話群が対応し、第五次から第六次エネルギー革命には印象派から抽象芸術への展開が対応している。それならば、来るべきエネルギー革命については、どうであろうか。誤解を恐れずに宗教思想とのアナロジーを用いてみよう。すると第八次エネルギー革命は、一神教から仏教への転回として理解することができる。
    (中略)
     仏教は、生態圏の外部の超越者という考え方を否定する。そして、思考におけるいっさいの極端と過激を排した中庸に、人類の生は営まれなければならないと考えた。》

     たしかに、太陽光発電などの自然エネルギーは、草木の中にも仏性を見出す仏教と親和性が高いといえよう。
     中沢さんは、「あとがき」で次のようにも言う。

    《「自然エネルギー」をビジネスの話で終わらせてはいけないのだ。私たちは、ビジネスも包み込むことのできるほどに強力なビジョンをもち、それを実現させていくための見取り図を、あらかじめ描いておかなくてはならない。そうでなければ、今回の大震災と原発事故によって受けた日本人の深い傷は、癒されることがない。》

     ただ、本書のみでは、中沢さんのビジョンは直観の域を出ていないようにも思う。エネルギー革命を今後どう進めていくべきかなど、個別の各論をさらに掘り下げ、緻密に展開する必要があるだろう。
     中沢さんは現在、本書のビジョンの経済革命の側面を掘り下げた(ものになると思われる)著作『黄色い資本論』を準備中だそうだから、期待したい。

  • 地震は生態系の中で起こるエネルギー現象であり、元の生態系に戻ることが出来る。ところが原発事故による放射能放出が起こると、その土地では生物は何年もの間にか生存することが困難となる。それは原子力発電そのものが生態系の外部からエネルギーを取り出す技術であるからだ。がんばればなんとかなるレベルはとうに超えてしまった。危機の本質を知り、文明の大転換をしない限り、日本文明は衰退の道へと踏み込む。太陽エネルギーへの大転換が必要だ。この新しい世界では贈与の原理の上に生産と消費をコントロールする交換の原理が乗る。

  • 福島の原発事故以降の日本がとるべき道筋について、宗教哲学者の著者が語った本です。

    著者は、一神教と多神教の違いを文明論的な原理に拡張し、また、これからの日本に必要なエネルギー政策を生態圏の原理から導こうとしています。中沢新一といえば、浅田彰と並ぶニューアカデミズムの旗手であり、フランス現代思想を自在に駆使しつつチベット仏教について論じる思想家として知られていますが、本書での著者の語り口はまるで梅原猛です。もっとも、アカデミズムの枠を飛び出す存在であるという意味では、はじめから両者は近かったといえるのでしょうけれども。

    梅原に関していえば、アカデミズムではとうてい許容されないであろう、文明論的な大風呂敷の議論に対する多くの批判を浴びながらも、現実に中曽根内閣の政策決定にかかわろうとし、国際日本文化研究センターの設立に漕ぎつけるだけの「胆力」がありました。一方著者は今のところ、批判的知識人という、ある意味で気楽なポーズを崩してはいないようですが、もし今後著者が本書の示すような方向へと進んでいくのであれば、梅原のように生臭い現実の政治に積極的にかかわっていくことをいとわないでほしいと思います。

  • 核融合とか核分裂という原子力は太陽圏のものであって
    相対性で成り立つこの世の生態系の外にあるもので
    媒介するものなしに直接繋がることは破壊を容認することであり
    在ってはならないことだろう
    これは一成る完璧な存在を想定して
    トロイの木馬のように驚異的な暴力となる猛毒を
    抱え込むことと同じように
    依存するしか無い環境に溺れることでしかない

    資本主義も自然界に対する所有意識を正当化して
    外部からの力に直接依存している点で
    一神教や原子炉と同じ搾取と支配にオンブという構造上の欠陥を持つ
    生命維持の生態系と意識上の生態系に対してリスクを発生する

    資本主義は3つのリスクをもたらすという
    市場におけるメカニズムが暴走して人間社会を破壊へ導きかねない
    資本主義は自転車操業で搾取し続けていなければ転ぶ構造である
    そのため無駄に生産と消費を続けることを要求する
    従って資源を際限なく使い捨て生態系のバランスを破壊すると同時に
    その廃棄物と二酸化炭素の大量排出で自らの首を絞めることになる

    惑星である地球の生態系に属さない恒星である太陽のみが持つ力を
    あたかも地球環境の自然として内側に取り込んで
    仲間を支配するための武器として
    操縦不能な核発電という「小さな太陽」を作り出してしまったが
    その道具に逆襲されて共倒れの「飼い犬に手を噛まれ」て
    「敵を呪わば穴2つ」に陥る

    産業革命以前の市場は集合意識にコントロールされて過不足のない
    需要と供給で循環する生命維持を可能にしていたが
    産業革命以後の限りない不安による物欲と余剰生産物によって
    集合意識を無視した権利意識と競争原理でお互いの信頼を壊し
    敵対心に溺れてしまった社会には価値として計れない縁という
    所有と無縁の繋がりの意識があるが

    核発電という小さな太陽を持つことで人間は益々
    外部から無償で与えられる太陽光線という贈与のエネルギーを
    切り離してトーラスに閉じられた交換=搾取の自滅的な
    資本主義の体質で人間社会を飲み込んでいく

    こうして自らの首を絞めた資本主義は核発電を手放し
    太陽の一方的な贈与性にすがることで
    脱核発電に伴って脱資本主義を迎えることになる
    次なる新しい自然エネルギー革命には自律した中庸性によって
    外に開かれ無償で与えられる太陽エネルギーを受け入れることで
    成り立つ経済システムへと転換していく

    それはリムランド文明の再生となって
    エネルゴロジーと名付けた贈与の関係を生み出していくのだという
    そもそも太陽光線からなる膨大なエネルギーを利用している光合成を
    応用することになり
    それは今現在に属す進行形の波の力であり水の流れであり風であり
    バイオマスであり地熱の利用であり化学と物理の変化という
    再生可能で移ろいながらも永久に循環する調和の姿であろう

  • 期待のハードルをかなり下げていたせいか、結構面白く読んだ。
    ハードルを下げた理由は、「これはすごくいい本だし、すごくよくわかるが、過去から中沢新一を読んだりしている人からすれば、いかにも言いそうなことで、予測できてしまう」と誰かが言っていたこと。
    中沢新一は東北をテーマに、昔本を書いていたので、そのアップデートをするのもいいんじゃないかと思ったりはするのだけど。

    とはいえ、行動・活動している点はえらい。愛知万博もそうだし、グリーン・アクティブを作ると明言し、実際作ったのもえらい。 http://green-active.jp/
    デューイを研究する身としては、人の行動を左右する思想を作り上げ、また自らも行動するような人間――思想家、と呼ぶ他ない――を、評価したいと思う。

  • <閲覧スタッフより>
    原発事故によって日本が直面した問題の深刻さは計り知れない。その解決の糸口として中沢氏が提案した視点「エネルゴロジー(エネルギーの存在論)」。経済効率を超えた再生可能な自然エネルギーへの転換がいま必要とされている、と言います。

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    所在記号:新書||501.6||ナカ
    資料番号:10209728
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  • 地震・津波、それは昔から何度も日本をおそってきた。そして、何度でも何度でもそこから立ち上がってきた。それは地球の中の出来事であって、多数の犠牲者は出てしまうけれど、我々人間でなんとか対処できることであった。ところが今回は違う。原子力という我々には手におえないやっかいなものに手を出してしまったからだ。今回の出来事で、私はどうやら大きな誤解をしていたことに気付いた。私自身は、最初から原子力発電は欠陥品であって、人間に扱えるシロモノではないと判断していたし、この20年ずっと授業の中でもそう言ってきた。地球温暖化⇒CO2削減⇒火力発電から原子力発電へ??? クリーンエネルギーはもっとほかにある。太陽光であり、風力や地熱や波力、また小型の水力発電。などなど、そういう話をしてきた。世の中の多くの人も同じように考えていると思っていた。ところがそれはどうも間違いだったようだ。原子力発電に安全神話があったとは全く考えていなかった。そして、事後の対応についても、新聞記事などを読めば読むほど情けない状態。福島の方々には大変申し訳ないけれども、これを機に大きく舵を取り直してほしい。どうやら、著者たちがアグレッシブに具体的な行動に出るらしい。期待もするし、できるなら参加・協力もしたい。

  • [ 内容 ]
    大地震と津波、そして原発の事故により、日本は根底からの転換をとげていかなければいけないことが明らかになった。
    元通りの世界に「復旧」させることなどはもはや出来ない。
    未知の領域に踏み出してしまった我々は、これからどのような発想の転換によってこの事態に対処し、「復興」に向けて歩んでいくべきなのか。
    原子力という生態圏外的テクノロジーからの離脱と、「エネルゴロジー」という新しい概念を考えることで、これからの日本、そしてさらには世界の目指すべき道を指し示す。

    [ 目次 ]
    日本の大転換(津波と原発;一神教的技術;資本の「炉」;大転換へ;リムランド文明の再生)
    太陽と緑の経済―「日本の大転換」補遺(はじめに;エネルギーと贈与;経済学の見えない土台;生存のためのモジュール;つぎの経済システムへ)

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 中沢さんの対談などを最近まとめて読んだせいもあり、本書の内容には目新しさはなかった。交換から贈与へ、一神教と原発といったトピック。

  • 2013/06/27:読了
    タイトル通りの本。
    なんかぱっとしない。

    あとがきに「日本人が当面している2つの重大問題に、明確な言語表現をあたえることによって、問題解決の糸口を見いだそうと試みた」とある。

     1つは、原発を巡る論争。
     1つは、「原発以後」のエネルギー論争。

    2011/3/11 東日本大震災
    2011/8/22 初版

     地震直後に、空とぼけて、いつものスタイルで、反原発のあおり本を出したとしか思えない。
     表層的に色々ありすぎて、本当のことはよく見えないが、今、大転換は静かに進んでいると思っている。
     いつもの抽象的な表現で無く、「大転換」について、【明確な言語表現】で、見えない姿を、見えるようにしてほしい。

  • 面白かった。資本主義の「次の世界」を知りたくて、読んだ本。中沢新一の本は初めてちゃんと読んだ。結局最後が「地域通貨」と「エネルギー利用のモジュール化」なら、こんなくどくど同じこと繰り返し書かなくても、もっと端的に読みやすくすればいいのに。

    元々は「すばる」に掲載されたものだそうですが、その元は恐らく講演録?なんですかね?だからこんなダラダラしてるのかな。

    頭の良さそうな人が頭の良さそうな人の本を読んで満足するための本、みたいで気持ち悪い部分もあった。

    何かに引用が載っていたのがきっかけで読んだんだけど、忘れた…

  • 核反応がその他のエネルギーとはかなり違うというのは、改めて指摘されてみるとなるほどと納得のいく話だった。そしてなぜに人が原子力開発に手を付けるのかと思いめぐらすと、そこには資本主義のいきわたった地上でなんとなく感じている貧富のゼロサム感が大きいんじゃないだろうか。結局貧しき者があって富める者がいる、全体でここからのレベルアップがまだあるのか、と人類が思う先行き感の不安がそこにあると思う。
    そこで再認識させられたのが太陽の存在。この無限の闇広がる宇宙空間に燦々と降り注ぐ贈与。結局、化石燃料も生命の源泉も太陽光輻射があたえるエネルギーに依る。今後テクノロジーの発展が人にとって相対的に無尽蔵で対価を必要としない熱源から効率的にエネルギーを取り出せるとしたら、確かに資本主義とはちがうスキームが生まれるかもしれない。
    でも一神教と原子力開発を結びつけるのはちょっと...と思うだけど。

  • 原子力と資本主義という「炉」は、本来の生態系から外れているおかしいものだ、もとに戻すのではなく、新しい思考のチャンスだ、と。今この時点では、この本を読んでそれに気づく、という段階ではなく、「踏み絵」ではなくて、踏み絵の先にある階段、それもピッチがあっていないもので、進むのは快適ではないのだけど、という印象です。
    新しい気づきや行動のヒントがあるわけではなかったけど、うまく言えないことを、代わりに言ってもらっているような本だなあ、と思う一方で、やはり改めて転換する気のない「炉」の人たちとは交差点が持てないのだろうなあということも。出版されてすぐなら、また違う印象だったのだろう、とも強く思うのです。

  • 思想家、中沢新一さんによる脱原発、新エネルギー社会論。
    いわく、元来、生物の活動は、生態系内で太陽エネルギーをエネルギーに変換することにより営まれてきた。原発はこれに反し、生態系外から太陽と同じ核反応を直接生態系内に持ち込んだもので、もともと無理がある。また、全てを経済的価値に置き換えて評価する資本主義と、エネルギーを外部から持ち込む原発は親和性が高い。また、生態系内の事象の相互連携ではなく、絶対的なエネルギー源を志向する点で一神教的発想に近いという。
    今回の震災を契機に、日本は率先して生態系内でのエネルギー循環型社会に変換すべきで、それとともに行き過ぎた資本主義も人々のつながりや贈与、交換をベースにしたものに置き換わって行くという。
    思想としてはとても刺激的だし、面白い。自然と親和性を取り戻した自然エネルギー循環型社会に対して異論は誰もないだろう。しかし、問題は実現性と時間である。既に現実として目の前に高度資本主義社会が存在し、人々が生きている。氏は従来の経済的価値観で考えてはいけないというが、もう少し現実と擦り合わせながら実際には物事を進めていかないことにはどうにもならないだろう。

  •  本書は福島原発事故後のエネルギー政策、経済システムへの転換について述べている。エネルギー政策についてはちまたで騒がれている「再生可能エネルギーの推進」論を宗教的な立場から論じているように思えた。
     著者は、原子力発電のシステムにおいて、原子炉とその外の生態系とを媒介するインターフェース装置が、きわめて脆弱につくられている、という事実を、「生態系の外部に属する核反応の現象を、無媒介的に生態圏の内部に持ち込んだシステム」として表現している。
     Fukushimaの大事故は、人類のエネルゴロジー=エネルギーの存在論(著者の造語:地球科学と生態学と経済学と産業工学と哲学とを一つに結合した、新しい知の形態の呼称)の歴史にとって、ひとつの重大な転換点となていくにちがいない、と説く。
     原核生物の「発見した」光合成こそ、来るべき時代の「中庸なエネルギー技術」のひながたとなるものである(68ページ)。
     原子力発電とコンピュータに代表される第七次エネルギー革命に次ぐ、第八次エネルギー革命の初期の段階で、重要な働きをすることがきたいされている「太陽光発電」こそは、電子技術で模倣された植物光合成のメカニズムにほかならない。
     太陽光発電では、植物が酵素の働きによって実現していたエネルギー変換が、半導体の働きによって行われる、というところだけがちがう、と述べている(73ページ)。
     光を受けるたびに原核生物であるハロバクテリウムの体には電位差が発生し、光エネルギーが電気・化学エネルギーに変換される。あとは、酵素と、このとき生まれた電気・化学エネルギーを使ってATPという生命活動にとって最も重要な物質を合成する。こうして、この最近は太陽の核融合反応から放出されたエネルギーを、たくみに媒介的に変換しながら、生態圏に持ち込んで固定することに成功したのである。
     第八次エネルギーに共通しているのは、太陽エネルギーを媒介的に取り込んで変換するインターフェース(媒介)の働きそのものによって、発電をおこなう点である(76ページ)。
    第八次エネルギー革命をリードしていく技術は、いずれも「太陽エネルギーを生態圏のなかに媒介的に変換するシステム」となるであろう。しかも、石炭や石油の場合とは異なって、地球に降り注ぐ太陽エネルギーを、大きな遅延なく、電気・化学エネルギーに変換できるシステムが、その主力となっていくことになる(77ページ)。
    著者は第八次エネルギー革命に対応する来るべき経済システムとして、第七次エネルギー革命に対応する資本主義と比較して以下のようにまとめている。
    第七次エネルギー革命
     ・過激な無媒介性(生態圏外部的エネルギー)
     ・内閉性(太陽からの、生態系からの)
    資本主義
     ・過激な無媒介性(社会生態系外部的システム)
     ・内閉性(社会からの、生態系からの)

    第八次エネルギー革命
     ・太陽エネルギーの媒介的変換
     ・中庸
     ・贈与性(太陽という生態圏外部からの贈与)
     ・キアスム(交差)構造
    来るべき経済システム
     ・外部性に開かれた経済
     ・中庸
     ・贈与性
     ・キアスム構造

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著者プロフィール

中沢新一 1950年、山梨県に生まれる。1972年東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。 南西諸島の民俗学調査、大衆芸能の記号論研究、チベット仏教の実践的研究などにたずさわる。主な論文に『斬り殺された異人』(『伝統と現代』第38号1975年)『街路の詩学—記号論分析にむけて』(『思想』1977年10月号)など。訳書にブーイサック『サーカス』(せりか書房1977年)アウエハント『鯰絵』(共訳・せりか書房1980年)など。中央大学教授、多摩美術大学芸術人類学研究所所長、明治大学野生の科学研究所所長などを歴任。現在は京都大学人と社会の未来研究院特任教授。著書に、『チベットのモーツァルト』『雪片曲線論』『森のバロック』『はじまりのレーニン』『フィロソフィア・ヤポニカ』『精霊の王』『僕の叔父さん 網野善彦』『アースダイバー』『鳥の仏教』『野生の科学』『レンマ学』『精神の考古学』『構造の奥 レヴィ=ストロース論』ほか多数。

「2026年 『丸石神』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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