電力と国家 (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087206135

作品紹介・あらすじ

軍部と革新官僚が手を結び、電力の国家統制が進んだ戦前、「官吏は人間のクズである」と言い放って徹底抗戦した"電力の鬼"松永安左エ門「原爆の洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と原発に反対した木川田一隆など、かつて電力会社には独立自尊の精神を尊び、命を賭して企業の社会的責任を果たそうとする経営者がいた。フクシマの惨劇を目の当たりにした今こそ、我々は明治以来、「民vs.官」の対立軸で繰り返されてきた電力をめぐる暗闘の歴史を徹底検証し、電力を「私益」から解き放たねばならない。この国に「パブリックの精神」を取り戻すところから、電力の明日を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 広田弘毅内閣から電力国家管理法案が衆議院に提出され、近衛文麿内閣下に電力国管化。戦争をするために国家管理を強行にした国家総動員法。

    福沢諭吉に教えを学ぶ「松永安佐ェ門」が、国家を電力に介入させずという信念のもとに敗戦後にGHQを利用しながら今の9電力の基盤を作る。

    後半は、原子力にいたる今まで。
    松永亡きあと東京電力の木川田一隆が何故に原子力開発に手を出したのか?あれほどまでに原子力はダメだと豪語していた者が…。
    1954年中曽根内閣 原子力開発推進。
    「原子力開発は国家的機関が中心となり挙国一致体制してやるべし」という官の主張に木川田は反応。
    国の独占が始まると原子力への警戒感は薄れる。

    「ファウスト的契約」とはよく言ったものだ。
    木川田、自分の故郷福島に原発を置いた。
    1961年電力値上げ。
    1974年企業としての献金を廃止。

    1976年から社長となる平岩外四。
    1977年に木川田が亡くなる。
    体制を反転。
    国と手を組み原子力村の始まり。
    政・官・産・学・メディアの癒着。
    国家との緊張関係・企業の社会的責任を失わせた。
    今に至る。

    松永安佐ェ門は、どう思っているのだろう。

  • うーん。



  • mmsn01-

    【要約】


    【ノート】
    ・日経アソシエ7月

  • 日本の電力会社の誕生・黎明期から現在の九電力体制に至る歴史について書いている。特に、松永安佐ェ門と木川田一隆という二人の人物を軸に描いている。松永は“民間電力会社の父祖”だという。
     著者が伝えんとした主眼は以下に要約されると考える。
    民間の電力会社は、国家に取り込まれまいと戦い続けてきた歴史があり、かつての経営陣には、官僚の支配に抗する強い気概があった。ところが、原子力発電が導入されるにあたり、電力会社と国や官僚との緊張関係・力関係が変化し始めていった。 
     
     かようにスリリングでタイムリーな主題なのだが、その構図をはっきりとした輪郭で理解するには、関連する他の書との併せ読みが必要だと感じた。電力業界の専門紙や社史に通じるような、モノトーンな退屈さを感じる部分も多かった。
     
    「歴史は夜作られる」という言葉がある。鎌田慧や、本書の佐高信を通して、そのニュアンスを自分なりに捉えるようになった。昭和や平成の歴史年表に綴られることの無い背面史の部分で、いわば水面下で、日本の産業や政治の基本骨格が作られてきたことを知るのだ。しかし、国民も労働者も、同時代でその変化を知ることは難しく、後世になって優れたルポルタージュによって知るのみである。

  • 電力国営論は大正時代からあって、大正7年に逓信省の完了が調査、準備を進めていた。

  • [ 内容 ]
    軍部と革新官僚が手を結び、電力の国家統制が進んだ戦前、「官吏は人間のクズである」と言い放って徹底抗戦した“電力の鬼”松永安左エ門「原爆の洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と原発に反対した木川田一隆など、かつて電力会社には独立自尊の精神を尊び、命を賭して企業の社会的責任を果たそうとする経営者がいた。
    フクシマの惨劇を目の当たりにした今こそ、我々は明治以来、「民vs.官」の対立軸で繰り返されてきた電力をめぐる暗闘の歴史を徹底検証し、電力を「私益」から解き放たねばならない。
    この国に「パブリックの精神」を取り戻すところから、電力の明日を考える。

    [ 目次 ]
    第1章 国家管理という悪夢―国策に取り込まれた電力事業(勲章を嫌った民間人;勲一等とは?;電力国営化の背景 ほか)
    第2章 誰が電力を制するのか―「鬼の棲み家」で始まった民の逆襲(銀座電力局で「鬼」の復活;松永、GHQに一発かます;改革ではなく革命 ほか)
    第3章 九電力体制、その驕りと失敗―失われた「企業の社会的責任」(木川田の逡巡と決断;ファウスト的契約;企業の社会的責任とは何か ほか)
    おわりに 試される新たな対立軸

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • なるほど〜と思ったが、いま出すなら3章とおわりにの部分をもっと存分に語ってもらいたいなぁ・・・と思ったり。

  • 今は電力会社と政府は非常に結びつきが強い印象を受けるが、戦争以前、直後は違ったのだということを認識できた点が良かった。原子力という制御が非常に難しいものにより政府と電力会社との結びつきは強くなり、チェック機能が働かなくなってしまった。

  • 佐高信さんの本は久しぶりに読んだ気がする。

    電力の問題の歴史を知る上で貴重な一冊。

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著者プロフィール

1945年山形県酒田市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、郷里の高校教師、経済誌の編集長を経て、評論家となる。憲法行脚の会呼びかけ人。
近著に『新しい世界観を求めて』[寺島実郎との共著]『小沢一郎の功罪』(以上、毎日新聞社}、『平民宰相原敬伝説』(角川学芸出版)、『佐高信の俳論風発』(七つ森書館)ほか多数。

「2010年 『竹中平蔵こそ証人喚問を』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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