- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087207101
作品紹介・あらすじ
「体罰」「不正」等の問題から脱却し、スポーツ本来の姿を取り戻すにはどうすればいいのか。元選手としてメッセージを発信する桑田真澄と、スポーツ史研究の第一人者である佐山和夫が、提言を行う。
感想・レビュー・書評
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桑田真澄氏とノンフィクション作家の佐山和夫氏による対談本。
今や体罰否定派の代表的論客として知られる桑田真澄氏だが、ここでは「過去には体罰が必要な時代もあった」ことを前置きとして示唆していることが印象的。これまでの日本のスポーツに蔓延っていた体罰という問題をただただ反省的に捉えるのではなく、なぜ体罰が今のスポーツにそぐわないのか、スポーツ観の変遷が丁寧になぞられたうえでの丁寧な分析が行われている。
「体罰は悪いもの、経験者が『あれがあったから自分は成長できた』と言うのは過去を肯定したい感情の発露に過ぎない」と無条件的に体罰に悪のレッテルを貼り付けるのみの論旨が目立つ昨今だが、根絶を目指すならば本来はこういった論理的な体罰の考察が必要となるはず。
プロセス重視のスポーツ観を推す桑田氏らしい、実体験を交えた丁寧な分析には好感が持てる一冊。この中には、スポーツをより楽しめるものへ導く、さまざまなヒントが転がっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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桑田は立派だね
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懐かしのくわわ。努力する楽しさを感じてもらう…これを今の日本の部活で実現できているのかどうか。部活やクラブ活動では楽しめないから入らないけど、本当はスポーツをやりたいという子はたくさんいると思うんですね。そういう人こそ自分で考えてスポーツが出来る子でもあるのですが…。大阪で体罰による自殺があったのは恐らくこの本より後の話。あの後でも、体罰は必要だよね、という声は案外あった。部活にしろ仕事にしろ、人の命をかけてでもやることなのか。どうなのよ。
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1000回の間違った練習よりも100回の正しい練習。こんな言葉が出るところを見ると、正しい練習の知識というのは想像以上に指導者は知らないのだろうか。
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[ 内容 ]
フェアであるべきスポーツの世界に、なぜ「体罰」や「不正」といった問題が蔓延するのか。
その背景には何があるのか。
本書は、元選手の立場で積極的にメッセージを発信する桑田真澄と、スポーツ史研究の第一人者である佐山和夫が、スポーツをめぐる問題の根源である「勝利至上主義」について論じ合う。
そして、スポーツの喜びは「勝利を目指すプロセス」にあることが、さまざまな具体例を引きながら語られる。
スポーツにおける「品格」とは何なのか。
新しいスポーツ観を提起する、スリリングな対話!
[ 目次 ]
第1章 「暴力」との決別(体罰否定の根底は自身の体験;後輩のエースへの嫉妬 ほか)
第2章 「勝利至上主義」を超えて(なぜ「勝者にすべてを与える」のか;「勝利の喜び」と「勝利を目指すプロセス」 ほか)
第3章 「東大野球部」を指導する(一〇〇〇回の間違った練習より、一〇〇回の正しい練習;自分のイメージと実際の動きのギャップを知る ほか)
第4章 「新しいスポーツ観」を構築する(アメリカの高校野球を見て;WBCの意義は、切磋琢磨による競技力の高まり ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
S783.7-シユ-0710 300319076
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なるほど、納得の話ばかりでした。
選手時代はあんまり好きでなかった桑田氏ですが、引退後の態度、生き方には感服するところがたくさんあります。
この人、ホントに野球が好きなんですね。 -
桑田が考える、これからのスポーツについて。
桑田が体罰に対して絶対にダメという。それがどれだけ大きなことか。勝つのは大事。でも、勝つだけがスポーツの目的になってはダメ。努力するのは大事。楽しいのは、勝つことだけじゃない。楽しい努力をすること。スポーツの二面性に気をつけること。
成功した人が、体罰を否定すると自分の成功も否定することになると感じているのでは、という指摘にはっとした。