資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087207323

作品紹介・あらすじ

資本主義の最終局面にいち早く立つ日本。ゼロ金利が示すのは資本を投資しても利潤の出ない資本主義の「死」の状態。国民国家をも解体させる「歴史の危機」だ。この危機を乗り越えるための提言の書!

感想・レビュー・書評

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  • グローバリズムの進展による弊害について経済の面から論じられております。

  • 本書の主張はシンプル。資本主義は利潤の追求のために市場の拡大を望む。この市場の中で”周辺”から”中心”に富の偏在をもたらす。

    このメカニズムを維持するために、はるか過去には欧州からアジア、アフリカに市場の拡大を要求した。現代では地域的な拡大不能から、米国は金融空間という市場を形成してきた。

    資本主義が生み出す富の偏在が外部にあり容認できる間は、民主主義と資本主義は良き関係にあった。しかしながら、資本主義が自分の内部に富の偏在を必要とする段階に来た今、両者の主張は共存し得ない。

    アベノミクスの主張する成長戦略、局所的には富の偏在が再配置されて成功のように見えるかもしれない。新興国に投入され続けた資本が、実態経済規模から離れていくにつれ、世界規模でみれば利潤を生まない投資が増え続けていく。すなわちバブル。

    バブルの話を聞くたびに、生息エリアが限られた中で増えすぎたレミングが集団で自決し、群れの存続を維持していくという話を思い出す。レミングは果たして海を渡り、外の世界(宇宙?)に新天地を求められるか。

    全てが”成長主義”、”絶え間ない資本の利潤追求”からくる必然であるならば、悪ではない”0成長”がもたらす社会はどのような仕組みであるのか、この答えは提示されていない。

    今まさにアメリカではFRBが量的緩和の終了に向けて舵を切り、一方で日銀はアベノミクスの成長戦略のために量的緩和を継続するという対極の政策を取りつつある。答えを見ていきたい。

  • 文字通り、資本主義が勝利したわけではなく、今後崩壊していくことを描いた一冊。

    上位15%に富が集積し、先進国はその恩恵に授かってきたたが、発展途上国も同様に発達しつつある今後は厳しいということがよく分かった。

  • 水野和夫(1953年~)氏は、早大政経学部卒、早大大学院経済学研究科修士課程修了、三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト、民主党政権の内閣官房内閣審議官、国際投信投資顧問顧問、日大国際関係学部教授等を経て、法政大学法学部教授。
    本書は、2014年に出版され、経済書にもかかわらずベストセラーとなり、2015年の新書大賞第2位を獲得。
    2013年に発表(日本語訳は2014年出版)されたトマ・ピケティの『21世紀の資本』とともに、資本主義の問題・限界を明快なメッセージで指摘したことで、多くの人々に受け入れられた。
    近年、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』をきっかけに「脱成長」に関わる議論が大いに注目されており、私も、あまりに不合理な格差を生む資本主義の限界を強く感じているのだが、先駆けて「資本主義の終焉」という警鐘を鳴らした本書を、今般改めて読んでみた。
    エコノミストの著書なので、少々経済学の基礎知識を要する記述はあるものの、論旨は以下の通り明快である。
    ◆近年、先進各国で超低金利の状態が続いているが、これは、16世紀末~17世紀初頭にジェノヴァで同様の現象が起こって以来のことである。利子率ゼロとは利潤率ゼロということ、即ち、利潤を得られる投資機会がなくなったということであり、そのときの経済システムが限界に突き当たったことを示している。16世紀においては、その結果、中世から近代への移行(中世封建システムから近代資本主義システムへの転換)が生じた。
    ◆資本主義とは、「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」即ちフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖(「成長」)を推進するシステムであり、その性格上、常にフロンティアを必要とする。しかし、20世紀後半のグローバリゼーションの進展は、発展途上国を「周辺」に留めることを許さず、地球上の「地理的・物的空間」のフロンティアを消滅させた。その後、資本主義は、金融自由化により新たに「電子・金融空間」というフロンティアを創り出して延命を図ったが、米国のサブプライム・ローン問題、ギリシャ危機、日本の非正規社員化問題などを引き起こし、2008年のリーマン・ショックでバブルは結局限界に達した(実体の伴わないバブルが崩壊した)。
    ◆このまま資本主義システム(=「成長」)の延命に拘れば、世界中の(地域を問わない)相対的弱者が「周辺」に成らざるを得ず、格差の拡大を生み、延いては国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機を顕在化しかねない。よって、今こそ我々は近代(=資本主義)そのものを見直し、脱成長システム=ポスト近代システムを見据えなくてはならない。

    では、ポスト近代システムとはどのようなものなのかについては、著者は正直に「その明確な解答を私は持ちあわせていません」と述べているのだが、この解答の一例が斎藤氏のいう「脱成長コミュニズム」と読むことは可能であろう。
    様々な意味で「大分岐」にある今、改めて読む意味のある一冊と思う。

  • なんで供給が飽和してる世界で、大人たちは精神削ってさらなる供給を目指すのか。高校生ぐらいから疑問に思っていた。

    それが資本主義という経済システムによるものだと理解したのは大学生の時。システムのロジックは理解したものの、やはり「物質的に十分豊かなのに、どこまで成長を目指すつもりなんだろう」と首を傾げていた。

    昔から資本主義に対してボヤッと感じていた疑念みたいなものの正体がこの本で分かった気がする。

    このまま成長路線を突き進んだら、将来産む予定の子どもは成長戦略のしわ寄せをかかえる日本で幸せになれるのかなと不安になった。

  • 過去の歴史と詳細なデータを分析し、資本主義の終焉について論理的に考察している。

    だが、現在の「資本主義」が終焉を迎えていることは、既に感覚的に予想できている人も多いのではないだろうか。

    問題は、その先のシステムをどう設計していくかである。
    次の社会システムが明確になり、ゴールに向けて人々が動き出さない限り、資本主義は、恐らくまだまだまだ対象を広げ、延命を続けていくだろう。

    原丈二氏が『21世紀の国富論』で唱える「公益資本主義」のように、まだ考察段階のシステムでもよいので、ポスト資本主義の姿を考えるためのヒントを提示して欲しかった。

    本書に「日本は新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界のなかでもっとも優位な立場にある」とあるとおり、ゼロ金利が長く続き、世界のなかでも資本主義の限界に近づいている日本は、ポスト資本主義にもっとも近づいているとも言える。

    ポスト資本主義の姿を考えるためのヒントとなるのかもしれない一冊。

  • ゼロ金利、ゼロ成長は経済の一時的な停滞ではなく資本主義がもはや正常に機能しなくなった結果だと説く。そのため、現状を打破するには従来型の成長戦略ではなく資本主義に代わる新たなシステムや価値観への転換が必要で、それは「脱成長という成長」を志向するものになる。

    民主主義と資本主義は必ずしもセットではない、ということに気付かされた。それどころか経済がグローバル化する過程で資本主義が最優先された結果、知らず知らずのうちに民主主義がなおざりにされつつあるという事実。資本主義は本質的に格差を生む性格を持っている。

    そんな資本主義ではあるが、私たちは成長という観念を捨ててそれに代わる価値観を持つことが出来るだろうか?

  • 先進国における金利の低下を根拠として、利潤率の減少、すなわち資本主義の終焉を論じでいる本。
    資本主義を延命するために金融市場にバブルを生成し、その崩壊によって労働者が割を食うという構図の解説はとても興味深く感じた。
    現状の資本主義の代替案に関しての記述が弱く感じたので(他書籍で詳しく解説なさっているのかもしれないが)星をマイナス1した。

  • 資本主義が永続不能なシステムであるということは今や衆庶の知るところであるが、金利の推移を見れば、その終焉は「いつか来る」程度のものではなく、もう我々の眼前に迫っていると言える段階まで来ていると警鐘を鳴らすのが本書である。水野によれば70年代には既に資本主義は有限性の隘路に逢着していたそうだ。そこでアメリカは電子・金融空間にフロンティアを見出した。そこさえ侵食し尽くした資本主義の次なる延命策は「中心の内部に周辺をつくり出す」というアクロバットである。これがネオリベの増長や格差拡大の主因だろう。

  • サヨク思想の特徴がよく表れている。

    問題点を指摘し、自説に都合の良い歴史を引用して変革がいかにも必然であるかのように説き、そして責任は回避する。

    代案らしきものはあるが、人間の本性であるエゴ、暴力性、ねたみそねみのような要素から目を背けているため、小学生が考える「ぼくのかんがえたりそうのしゃかい」程度の空想になっている。

    「資本主義の本質は貧者からの収奪であり、収奪すべきものがなくなれば自壊する」という主張はわかる。

    「成長しすぎた強欲資本主義は、国民国家と民主主義を破壊し、特権富裕層による王政的な支配に行きつく」という主張もわかる。

    しかし、「もう成長はないのだから、あきらめてスローライフを生きよう」という主張には、「それは素敵だね。でもどうやって?」と問わざるをえない。

    「グローバル企業の規制はG20の連携が必要」という主張も「それはそうですね。で?」としか言えない。

    ピケティはグローバリズム企業の規制が容易ではないことを認識しており、「まずできそうなこと」として各国の情報交換を提唱している。また、経済格差を世代間で固定させないために教育の重要性を訴えている。

    ケインズは経済成長を促す原動力が単なる利益率だけではなく、人間の「アニマル・スピリッツ」にあることを理解し、一見無駄に見えるピラミッド建設や聖歌隊の維持にも価値を見出している。

    三橋貴明(ピケティやケインズと並べるのはどうかと思うが)は日本の各地を回ったうえで、災害対策、交通インフラ整備、少子化対策としての生産性向上、そして国家防衛のための「政府による投資」が必要であると説き、国家と企業・家計を同一視するプライマリーバランスによる投資抑制を批判している。

    過去20年で日本「だけ」が成長していないのは、日本が資本主義の最先端に到達したわけではなく、小泉改革と民主党の失政が原因であり、マスゴミと結託した民主の残党は中共による「日本停滞戦略」を忠実に実行している。

    資本主義の行き詰まりは第一次、第二次の世界大戦でリセットされたという非情な現実を考えると、今なすべきことはお花畑の空想に賛同するのではなく、「今度は」負け組に入らないことである。

    そのためには国内にはびこるサヨクと特アの一掃、これこそが最優先事項だ。

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著者プロフィール

1953年愛媛県生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。博士(経済学)。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)を歴任。現在、法政大学法学部教授。専門は、現代日本経済論。著書に『正義の政治経済学』古川元久との共著(朝日新書 2021)、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書 2017)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書 2014)他

「2021年 『談 no.121』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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