- 本 ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087207538
作品紹介・あらすじ
「醜悪な建築」「邪魔な工業物」「過剰な看板」などの写真を並べながら、なぜ日本の景観は破壊されるのか、貴重な観光資源を取り戻すにはどうすればいいのかなどを論じた、異色のヴィジュアル文明批評。
感想・レビュー・書評
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<ヴィジュアル版>と敢えて題名に関して在るが、写真が豊富で、豊富な写真を見ながら本文を読んでいる中でドンドン進んでしまい、素早く読了に至る。
「進んでしまい」としたが、内容に引き込まれて、写真を観る眼の動きと、頁を繰る手の動きを停め悪くなってしまい、素早く読了に至るということなのだ。
この本は「2014年9月」に「第一刷」で、「2020年12月」に「第五刷」である。この辺りに少し驚いた。概ね10年も前に初登場で、それ以来何度か刷られている本ということになる。そういう状態だが、本書が提起する問題は「10年位も前の話し」というように看過することが出来ない、または看過しては「ならない」ようなことかもしれない。逆に言えば、10年位前に本書で提起されたような問題に関して、何らかの対応が為されたという話しが聞こえる、その以前に検討が重ねられることが在ったのか否かさえ不明確だと思う。著者が御自身で色々と考えて活動した例が本書に在るのだが、その話しを本書を通じて初めて知ったというような状況である。
本書で論じられているのは、何処の街でも電線等の埋設が進まない状況で、必要以上に看板や自販機が溢れ、周囲の景観を度外視した駐車場の配置や、奇抜な建造物が辺りの雰囲気をオカシイ感じにしてしまうようなことが何十年も罷り通り、なかなか改善されないということである。
電線等の埋設ということに関しては、各地に見受けられる「伝統的建造物群保存地区」等で見受けられる程度であろう。「古都」と呼ばれるような場所でも、必ずしも進んでいないようだ。ロンドン、パリ、香港、シンガポールというような世界の方々の都市で100%実施されているという電線等の埋設、「無電柱化」だが、日本国内では例えば東京23区で8%、大阪市内で6%という様子らしい。方々で計画は出ているようだが、速やかに進んでいるようにも見えない。
こういう問題に力を入れる、或いは妙な看板を外す、奇抜な建造物を増やさずに機会が在るなら壊す、古くからの建物等は可能な限り壊さずに「リノベーション」するというようなことで、そうやって「街の心豊かに、安らかに過ごせそうな景観を護る」ことに意を向けて然るべきだというのが本書の主張だ。
日本の人達は、或いは「自己肯定感」が低い、言葉を換えると「矜持に欠ける」ような面が在って、育まれて来た大切なモノを損なうようなことを繰り返し、積み重ねてしまっているというのが本書の主張に入っているが、これには大きく頷いた。本書のような問題提起に向き合って、問題意識を持つようにするというのは大切なことだ。
繰り返すようになってしまうが、初登場が10年位前という本で提起された「問題」が「縮小」や「前進」したとも思い悪い状態に在ると思う。或いは大規模催事や大規模な街の再開発のようなことが過去10年位で積上げられ、或いはこれからも突き上げられ続けて「問題」が「拡大」や「後退」ということになっているかもしれない。考えさせられる内容だ。本書は「読むべき一冊」だと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読みながら、なぜか恥ずかしいという気持ちが湧き上がってきた。
「愛しているならば、怒らねばならない」と白洲正子がいった。
日本人は日本を本当に愛していますか?という問いかけにたじろぐ。
どこに行っても、同じような街の景色。川辺や海沿いは、コンクリートで固められている。看板はだしたいだけだす。〇〇をしてはいけないという注意書き。街路の木は病気のように丸裸。
自然に対して、あるがままが、なぜそんなに嫌いなのですか?
禅の言葉「明珠在掌」は、昔ある人が、世界一ひかる珠を探して、何十年も諸国を周り、結局珠は見つけられず、最後は自分の掌の中にあった。
日本は「光る珠」だよとアレックスカーに教えられた。
日本ではない日本を受け入れていたことに気がつかされた。 -
□感想
・日本を愛する外国人著者からの物申し書
・「電線埋没」は、先進国では既に取り組まれているそうで、日本は遅れているようだ。公共事業に予算を割いたと思っても、ダムや道路建設が優先されてしまう。景観を損なわないよう、ミクロで取り組んでも、行政含めたマクロ視点で調整&指導していかないと、景観が失われていく一方なのだと感じた。 -
普通とさせてください
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思想強いけど、結構好き。
景色をみることを、人より少しだけ、長く楽しめるようになる本な気がする。 -
外国人から見た日本の景観の残念さについてシニカルに写真付きで紹介した本。
自然の美しい景色を写真に収めようとして、電線や電柱や、カラフルな看板が景観を台無しにしているという経験は、日本人の誰もが経験していることで、著者の視点に大いに共感した。
と同時に、西洋の価値観が日本に入ってきて、西洋を目指し伝統的なものを否定し、近代化してきたのに、その西洋人にその方向性を否定されるという皮肉を感じた。 -
40年以上日本に住むアメリカ人である著者が、日本の景観について意見を述べた本。日本の自然と調和した景観を評価しつつも、多数の看板、電柱、コンクリート壁、鉄筋コンクリート建築などが、景観を著しく壊していると主張し、欧米の政策と比較し、日本の景観保持政策が遅れていると嘆く。写真を多用し、とてもわかりやすく、外国人視点は、とても参考になる。土木・建設業に偏重した日本の公共事業政策も、その通りだと思う。提言も建設的。勉強になる1冊であった。
「本来、景観というものは町並み単位で考えるものです。京都なら銀閣寺や金閣寺だけでなく、旧市街そのものが文化遺産です」p19
「先進国の中で、電線の埋設が進んでいないのは日本だけです。率直に言いますが、日本は電線・鉄塔の無法地帯でもあります」p20
「電線埋設を電力会社に義務付ければ、景観は見違えるほどよくなります。これまで税金で工事費用を負担してきた村、町、区という自治体レベルでの出費はなくなりますので、納税者の立場から見ても、よほど経済的です」p26
「埋設工事の費用は本来、日本のみなさんが思っているほど高いわけではありません。天下りが関与する会社に工事が独占的に任され、かつ、硬直した時代遅れの規制によって、安価な埋設方式開発が妨げられているので、工事費用が本来の適正価格の2倍、3倍と、無理に高くなっているのです」p26
「(ハワイの)看板のない景観は、1959年にハワイ州が大型看板の設置を一切禁止したからなのです。大型看板を禁止してからハワイが経済不振に陥ったかというと、そんなことはありません。看板を規制した半世紀前からずっと、ハワイはあこがれの観光地のポジションを維持し続けています。世界一の経済都市ニューヨークのマンハッタンでは、ブロードウェイのようなごく限られた繁華街を除き、3階以上に看板はありません。つまり看板の乱立=経済効果ではないのです」p33
「実は商業看板以上に、この公共的な看板(「消費税完納推進の町」「人権尊重の町」「交通安全宣言の町」などの大型看板)が、景観の視覚汚染を引き起こしています」p37
「「きれいにしましょう!」という看板にいたっては、この看板自体が町を汚くしています」p37
「世界に冠たる日本の土木技術は、巨額の税金を使って技術を磨いていくうちに、世界の潮流から遅れてしまったのです」p71
「日本では残念ながら、まだ不完全な下水道工事や電柱・電線の埋設、歴史的な街並みの保存といった、地味な工事にお金が流れず、おろちループのような、社会的ニーズがない派手な建造物の方に、国民のお金が費やされています」p81
「(2002年)国の予算のうち、土木、建設が占める割合は、アメリカが8%、ヨーロッパでは6~7%でしたが、日本は40~50%となっていました。土木、建設に関する雇用は、アメリカでは全雇用のうち1%未満で、日本は12~14%でした。桁違いです」p87
「(白洲正子)椿一輪を活けることはなかなかできないことですが、モンスターのような「生け花」はどの家庭夫人でも簡単に作れますよ」p102
「現在の京都の景観の醜さは、古いものがなくなったからではなく、新しいもののつまらなさによるところが大きいのです」p146
「「歴史の否定」「古さに対する憎悪」「不適切なゾーニング」というものを根底に作られた、ゴミゴミした都会を国際的な目で見ると、新しいどころか、単なる時代遅れにしか映りません」p148
「健全な観光には高度なテクノロジーが求められます。景観に配慮せず、画一的に大型駐車場や自動販売機を設けるという手法は、結局は時代遅れです」p167
「2004年から10年かけて数人の人たちと組んで、京都の町家を一軒貸しの宿泊施設に再生するプロジェクトに取り組みました。対象にした町家は、住む人がいなくなり、取り壊しが検討されていたものです。そういった町家を舞台に、パリ、サンフランシスコ、ハワイなど世界の有名な観光地で行われている一軒貸しの「ヴィラレンタル」という形が、京都でもできるのではないかと発想したのです」p182
「欧米人たちの行き先は祖谷(いや)だという。「あんな山奥に、なぜ?」と、彼らはますますわからなくなります。さらに調べてみると、1年に千人以上の欧米人が「籭庵(ちいおり)」という場所に行っている。「籭庵って、いったい何だ?」ということになり、お役所の人がついに私のところに訪ねてきました」p198
「これからは公共事業の中身を変えていきましょう、と言っているのです。予算は削減しなくていいから、それを無駄な土木工事ではなく、電線埋設なり、水道の整備なり、景観に貢献すること、地域が必要としていることに使おう。古民家として街並みを再生して、宿泊施設なり、レストランなりを核とした経済活動の場にしよう。そう言っているのです。それでしたら、ゼネコンも困りません」p203 -
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閲覧新書 -
<学生コメント>
日本人よりも日本に詳しい外国人の著者は、日本の景観は破壊されつつあると述べる。その理由がこの一冊にすべて詰め込まれています。彼が気づいた日本の景観の現実、あなたはいくつ気づいていましたか?
著者プロフィール
アレックス・カーの作品





