なぜ『三四郎』は悲恋に終わるのか ――「誤配」で読み解く近代文学 (集英社新書)
- 集英社 (2015年3月17日発売)
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感想 : 6件
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Amazon.co.jp ・本 (200ページ) / ISBN・EAN: 9784087207767
作品紹介・あらすじ
夏目漱石は「悲恋小説家」だった。近代文学の名作の多くが「悲恋」に終わるのはなぜなのか。「誤配」という概念を鍵にして、近代文学と現代文学との間に横たわる大きな断層を見出す、画期的な文学論。
みんなの感想まとめ
近代文学における悲恋の背後に潜む「誤配」という概念を通じて、文学作品を新たな視点で解釈する本書は、夏目漱石の『三四郎』をはじめとした名作群を鮮やかに分析しています。著者は、フランスの哲学者ジャック・デ...
感想・レビュー・書評
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夏目漱石研究の第一人者である石原千秋氏。多様な文学理論――主に欧米発祥の批評理論――を駆使して、日本文学作品を分析することにかけては人後に落ちない彼が、このたび本書では、フランスの哲学者であるジャック・デリダの「誤配」という理論概念を用いて、我が国の著名な小説テクスト群を次々に読解・解釈していく。その鮮やかな手付きと理論的手続きに読者は魅了されること請け合い。
本著に限らず、石原氏の野心的な文学論は、多かれ少なかれ同一のパターンに貫かれている。それは、「中心となる一つの理論概念を丁寧に紹介した後、とある文学テクストにそれを適用し、それの見事な解釈――というより、おそらく当然ながら、その理論が巧みにあてはまりそうなテクストが作為的かつ慎重に選ばれてはいるだろう――を披露する。そして返す刀で、他の数多くの文学テクストも、その理論に沿って、一つずつ鮮やかに分析されていく」という読解パターンである。
表題には、漱石の『三四郎』が掲げられているが、実際には同じ漱石の『こころ』も「誤配」を使って分析され、更には他の有名作家の作品も次々に同じ線に沿って解釈されている。「誤配」という概念は、単なる郵便物の配達ミスではなく、「本来ならば、あっち(あちら側の人間・事物)に届くはずだったモノが、何らかの間違い・不慮により、こっち(こちら側の人間・事物)に届いてしまった」と思い込む事態を指す。確かに、この理路に則れば、『こころ』での先生の苦悩も合点がいく。すなわち、「本来ならば、あっち(=親友K)に行くはずだったモノ(=お嬢さん)が、こっち(=先生)のもとに転がり込むことになってしまった」という解釈だ。先生の大きな罪の意識も、元を辿れば、「誤配」の意識化が原因なのだ。
上記の作品解釈からも窺われるように、本書は、日本文学史上の名作群を俎上に載せ、それらを切れ味抜群の理論を巧みに駆使しながら鮮やかに調理する文学書である。そんな料理の鉄人・石原千秋氏の手腕から、とりわけ文学専攻の大学生などは学ぶこと大だと思う。外国文学/日本文学問わず、小説読解に興味ある人たちも、読んでみて損はない本。ただし敢えて苦言を呈すとすれば、「誤配」一点張りで最後まで論じようとするあまり、後半の章で飽きが来てしまった。強引に一貫性を保つより、もっと多角的な視点が欲しかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
卒論で使いました。ありがとうございました。とても面白かったし、自分の見解と一致していてよかったです
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「誤配」とは「擦れ違い」。「三四郎」「それから」「彼岸過迄」「行人」などの漱石作品。そして「蒲団」「雁」「友情」(武者行路)「暗夜行路」「痴人の愛」「雪国」「太陽の季節」「されどわれらが日々」「春の雪」における男女関係のボタンの掛け間違いを詳細に解き明かしていく。これらの共通点が主人公たちの「誤配」という認識にあったとすれば、名作の秘訣にも迫るように思われた。たとえ未読の作品であっても男女の深層意識の解読が楽しい。
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漱石の『三四郎』、鷗外の『雁』、川端康成『雪国』などの近代文学を「誤配」という概念を用いて再解釈を試みる。『雁』の読み方には感心したし、その通りだと思ってしまった。読者がお玉に恋する物語だったとは。偶然の残酷さから自我の確立を読み解くより、よっぽど説得力があるよなぁ。
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面白いが、必ずしも納得のいくものばかりではなかった。
文芸批評もまた文学なのだということがよくわかる。
著者プロフィール
石原千秋の作品
