盗作の言語学 表現のオリジナリティーを考える (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087207842

作品紹介・あらすじ

コピペやパクツイが氾濫する今、オマージュやパロディーなどの表現形態から、寺山修司、北原白秋の詩、短歌・俳句、辞書の語釈まで、日本語学の第一人者が表現のオリジナリティーの意味を徹底考察。

感想・レビュー・書評

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  • 今野さんの新書は、『振り仮名の歴史』以来。
    こういうテーマだと、やはり文章のオリジナリティってあるのか、あるとしたらどういう方法でそれを確認するかについての新たな知見を期待する。
    で…残念ながら、過大な期待だったかな、というのが第一の感想だ。

    単語のレベルでは、オリジナリティは存在しない(これまで誰にも使われたことがない単語を使って書いても意味が理解されない)というところは、まあ、そうだろうと思う。
    しかし、この本の中で、このレベルで明瞭にものを言っているのは…もしかしたら、これだけかもしれない。
    小説の場合、短歌の場合、俳句の場合、とたしかにジャンルは、単語や語句の使いまわしが盗作とみなされるかどうかの判断に大きな影響を与えうる、ということも、その通りだとは思う。
    いろんな事例が挙がっている。その事例は結構面白いものも多い。
    また、事例を通してその都度その都度、たしかに面白い指摘もあるのだけれど…残念ながら、それらを通して言えることというのが浮かび上がってこない。

    なんともじれったいというか!
    そういえば、『振り仮名の歴史』でも、同じようなことを感じたような。

  • 「これはあれの盗作だよ!」と証明する本ではなく、言語上の「同じと違うとがどうやって認識されているか」を考える本。例えば、俳句は一文字変えるだけで別の句になるが(例:添削)、パスティーシュにおいては文体というぼんやりしたものを認識して似ていると感じるなど。結論的なものは特にないが、著者の言葉の森に分け入るワクワク感、止めどなき探究心が伝わってきて好感が持てた。俳句や短歌の分析も参考になりました。

  • タイトルは「売らんかな」のためのもので、内容は盗作とは関係ない。
    「文章が似ている」とはどういうことなのか、人は文章のどこをどう認知して、他の文章と似ていると判断するのかを探るもの。考えてみるまでもなく「コトバ」に100%のオリジナリティはあり得ない。そりゃそうで、聞いたこともないコトバや文章だったら意味が伝わらないもんね。誰もが知っているコトバを使いながらも、文章には個性が生じる。不思議なもんだ。

  • 引用して比較するのは仕方ないとは言え4ページにまで至ると、とほほ。もしや、これも盗作の一つの技法という事?

  • 引用が多いのは当然だけども、一本調子で延々続くようで、途中で断念。

  • 盗作とはなんぞや? を言語学的に分析したもの。盗作? のような作業をすることでどうなるかそれはどういう違いがあるのかが書かれてある。本歌取りやパロディについても。想像していたより盗作めいたことというのはかなり露骨に行なわれているというのが衝撃で、偶然の一致を回避したいとか思っているレベルではなかなかない感じが実際にはあるのだなという感じ。で、その上で、そういったことがテキストとして結果どうなのかを冷静に論じることで、冷静に良し悪しを考える感じを提供してくれていると思います。

  • 中盤以降は文法、文学としての手法・技法の話題が主です。俳句や和歌についての比較が多数あるのは珍しいかもしれません。
    自分は門外漢ゆえ理解しづらい部分も多いのですが、果たして「パクリ」を指摘する側(特にネット上で)これだけの文学的手法をどれだけ調べたうえで相手を批判しているのだろうなと思えました。

  • パロディなのか剽窃なのか、オマージュなのか冒涜なのか。表現の揺れや接続詞、単語の並びなどから、下敷きにした文章との近さ/遠さや、作者/二次的な作者の立場の違い、表現形式の差による情報の取捨などを扱う。

    コピペ・パクツイに関しては帯に書いてあるほど扱わず、「おわりに」で少々触れる程度であるので、コピペ・パクツイを求めて手に取った場合は些か拍子抜けするかも知れない。地道な比較作業や、わずかな表記の揺れから作品を読む繊細さが光る。

  • 昨今のデザイン関係の問題からそもそもコトバはどうなのだろう?と手にした本ですが、読んでいる間に考えたのは人口知能のことでした。どんどん、コンピューターと会話したり、翻訳を任せたり、ボーッとしている間にに人口知能の言語能力は進歩している気がして、まさにホームズにおけるワトソンの存在として我々の側に寄り添う時代になってきたのだと思いますが、それはコトバそのものが模倣によって出来上がっているからこそ可能なのだと思います。つまり、コンピューターのコトバは盗作の仕組みにかなり近い。ということは人口知能の言語に創作性を感じたりした時、人間のオリジナリティーの問題はかなり揺らぐのではないか?と夢想しました。

  • 借りたもの。
    主に“言語”表現における“なぜ盗作と見なされるのか”の分析だった。
    それは盗作である事を前提にしているとか、それが悪であるという感情論ではなく、何故“似ている”と思われるのか、を事例を交えて解説している。
    そして文学や論文における「引用」に始まり、詩歌での「本歌取り」など元を踏まえてオリジナリティを出しているとはどういう事なのか、曖昧な線引を伝えようとしている。
    中には辞書における表現方法まで――
    そこで見いだされるのは、言語における説明の限界があり、それ故に「似ている」表現にならざるを得ない事も示唆されていた。

    ネット等でアマチュアから大御所まで「パクリ」疑惑が炎上する昨今。
    私は絵画・イラストにおける「盗作」と「パロディ」「オマージュ」の違いは何か?を明確にしたくて借りたが、ちょっと違った。でも通じるものが在る。

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著者プロフィール

1958年、鎌倉市に生まれる。早稲田大学大学院博士課程後期退学、高知大学助教授を経て、清泉女子大学文学部教授。専攻は日本語学。
著書に、『仮名表記論攷』(清文堂出版、2001年、第三十回金田一京助博士記念賞受賞)、『文献から読み解く日本語の歴史』(笠間書院、2005年)、『消された漱石』(笠間書院、2008年)、『文献日本語学』(港の人、2009年)、『振仮名の歴史』(集英社新書、2009年)、『大山祇神社連歌の国語学的研究』(清文堂出版、2009年)、『日本語学講座』(清文堂出版、全10巻、2010-2015年)、『漢語辞書論攷』(港の人、2011年)、『ボール表紙本と明治の日本語』(港の人、2012年)、『百年前の日本語』(岩波新書、2012年)、『正書法のない日本語[そうだったんだ!日本語]』(岩波書店、2013年)、『漢字からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書、2013年)、『常識では読めない漢字』(すばる舎、2013年)、『『言海』と明治の日本語』(港の人、2013年)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書、2014年)、『辞書をよむ』(平凡社新書、2014年)、『かなづかいの歴史』(中公新書、2014年)、『日本語のミッシング・リンク』(新潮選書、2014年)、『日本語の近代』(ちくま新書、2014年)、『日本語の考古学』(岩波新書、2014年)、『「言海」を読む』(角川選書、2014年)、『図説日本語の歴史[ふくろうの本]』(河出書房新社、2015年)、『戦国の日本語』(河出ブックス、2015年)、『超明解!国語辞典』(文春新書、2015年)、『盗作の言語学』(集英社新書、2015年)、『常用漢字の歴史』(中公新書、2015年)、『仮名遣書論攷』(和泉書院、2016年)、『漢和辞典の謎』(光文社新書、2016年)、『リメイクの日本文学史』(平凡社新書、2016年)、『ことばあそびの歴史』(河出ブックス、2016年)、『学校では教えてくれないゆかいな日本語[14歳の世渡り術]』(河出書房新社、2016年)、『北原白秋』(岩波新書、2017年)などがある。

「2017年 『かなづかい研究の軌跡』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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