- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087208238
作品紹介・あらすじ
「文系学部廃止」の報に沸き立つわが国の教育界。理系偏重の学部再編を推し進める「官僚の暴走」により、近代日本の教養の精神はここに潰えてしまうのか? 大学論の第一人者が驚愕の舞台裏を語る。
感想・レビュー・書評
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「文系は役に立たないが価値はある」という言葉に対し「役に立つ」と言い切り、ずんずん進んでゆく本書を読んでいると、学ぶことへの勇気が湧いてくる。
理系の知を、確立した価値体系の中で問題提起(目標)と解決を短期的に達成することを目指したものとおき、文系はそれに対して価値そのものを見つめる(「価値とは何か?」という問いを有する)とおく。
確かに50年後、100年後の社会が現在と同じ価値基準で動いているとは思えない。(50年前と今がそうであるように)
そしてまた、自身の50年後(生きていれば)を考える上でも、この意味をよく分かっておかなければならないように思う。
筆者も言及しているように、今後、日本社会は超高齢化社会を迎える。
子どもが少ない中で日本はどのような「成長」を遂げるべきなのかではなく、中年~老人がいかに生きるべきなのかを考える時代がやってくると思う。
この本では大学の成り立ちや、では何故、理系が優遇され文系が淘汰されてきたのかというパワーバランスについても触れられていて面白い。
神という価値、国という価値を経て、今はやはり学ぶ者自身が価値の取捨選択のしやすい時代になったと思う。
(教養は国としての価値を体現したもので、国境を越えることが難しいという言葉が印象的だった。確かに。)
そして今後、大学で学ぶ者の年齢幅を大きく増やした時、やはり筆者の言う文系的な知にまた戻って来ざるを得ないような気がする。
AI台頭と英語の実用化が巷を賑わせている中、プログラミングや英語四技能が青年教育の中核を担っていくようだ。
とすれば、そうした社会の「価値」の次には一体何がやってくるのだろう。
三年ほど前に出版された本なので、続いて最新作も読んでみたいと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
巷で耳にする"そんなん学んで何になるの"という言説に漠然とした不安を抱えている文系学習者にお勧めしたい一冊。文系の知が役に立つことを述べてくれるだけでなく、個人的には文系の論文の構成について詳しく述べているので、論文作成時にも役立つと思う。
吉見先生のゼミ、時間があれば参加してみたいな〜!今期のシラバスも凄かったそうな
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いい意味でタイトルに裏切られる内容になっていた。最近の文系学部廃止というニュースを入り口として、文理系の学問とは何か、その歴史はいったいどこから遡るべきなのかに触れ、戦時中と現代における文理系の価値観の違い、現代社会における学生へのニーズと大学のあり方、さらにはその裏に潜む日本の大学運営の問題点にまで述べられていた。
理系の就職率が〜、文系は役に〜とあちらこちらで叫ばれる中で、文系大学生は自らの専門からどのような価値を見出すべきなのかを指南してくれる。文系学生はこの本を読むことで、自らの大学生活の中で学問の意味を問い直すことができるだろうと思う。 -
たとえが用いられていて一読してわかりやすいと思うのだが、たとえに止まってしまうと具体的に実際の社会でどうしていくべきかということを見失ってしまいがちになる。
素晴らしい教育の実践を行っている事例を大学から広く発信していくことが大切ではないかと思う。大学自身による積極的な広報を進めていただきたい。 -
本書の内容を大きく分けると前半の文系学部廃止議論をトレースした第1・2章と、後半の文系以外の大学全般に対する考察をまとめた第3・4・終章がある。前半はあとがきにあるように、既に雑誌で公表済みのものでその意味では新規性に欠ける。出版社からは、予約購入前にこの点について説明があるとよかった。この点についてはあとがきに控えめに言及があった。同著者の前作からの接続を考慮すれば、第3章から読み始めるとスムーズだろう。逆に言えば、第2章と第3章の連関が十分といえず、それらの間にもう1章あると読みやすいと感じた。新書なので許容範囲とは思うが。
前著でも力説していたように、本書でも「国民国家」と大学の関係で、その成り立ちと今日の存在意義を確かめている。グローバル化時代の今日の社会に在る大学を、種々の視点で表現し形作ろうとしている姿勢がこの本からもうかがえる。以下にいくつか引用したインパクトを与えるジャーナリスティックな記述は、読者を一種の急迫した気持ちにさせる。結果的に読み手に問題意識を植え付けることに成功している。
ただ、全ての提案に実現可能性があるのではない印象を持った。例えば、「学年の壁」を低くしたら、著者も引用している「学校基本調査」の各種調査ではどのように人数をカウントするかとか、カリキュラムの構造化は科目の履修順序性だけで担保できるか、といった素朴な疑問が湧いてくる。また「宮本武蔵を育成する現場」(p.169)としての授業を改革する処方箋では、教員数の減には触れず、科目数減を示している。「科目編成の少数精鋭」(同)という科目の統廃合は、教員の少数精鋭と表裏一体であり、私学はまだしも、はたして国立大学において、そうした文字どおり身を切るような痛みを味わうような施策を実施できるのだろうか。しかし、一たび国立大学がこうした改革を実行すれば、教育の質は向上し、私学と国立大学の教育内容の格差の拡大はさらに開くことも頭によぎった。
最後に、文系学部において”全て”の学生が、著者が述べる「論文を書くこと」と「ゼミ」に取り組むことができる大学は、日本でいくつあるのだろうかと思った。これらが「文系の学びの根幹」(p.222)だとすると、その根幹が存在しない大学や学部は決して少なくない。その理由は複数あるが、やりたくてもやれない私立大学もあるだろう。第3章以降、節々で一般的な大学論を展開しているように読めてしまったが、本書における「大学」の表記は、全体を通じて「国立大学」と読み替えたほうが理解しやすいだろう。そういえば、そもそも今般の通知は国立大学法人対象だったこともある。 -
著者の知的レベルの高さ 大学論には必須
戦略 文系→日本は弱い 手続き論が精一杯
戦術 理系 -
2015年にメディアを騒がせた「文系学部廃止」の報道を受けて、その報道の誤りの背後にある、「文系は役に立たない」という常識そのものに対する問いなおしをおこなうとともに、これからの大学のありかたについての提言をおこなっている本です。
著者は大学史を簡単にたどり、「リベラル・アーツ」や「教養」、さらに現代の大学においてしばしば言及される「コンピテンス」などの概念が、どのような経緯によって生まれてきたのかということを明らかにするとともに、人類的な普遍性に奉仕し、普遍的な価値を追求することが大学のほんらいの使命であることが確認されています。そのうえで、目的合理性とは異なる、人類的な普遍性をもつ価値そのものを問う文系の学問は、むしろ「役に立つ」のだという主張が展開されています。
後半には、現在の大学改革の方向性を批判し、著者自身の考えるあるべき大学のかたちについての具体的な提言が示されています。こうした提言がどれほど実現可能性をもつものであるのかということはわかりませんが、日本の大学が進むべき道に悲観的な読者にとってもポジティヴな展望を示したいという著者の思いは伝わってくるように感じました。 -
理系と文系の「役に立つ」の違いは分かったが、じゃあ文系が理系のように稼ぐには(キャリアを作るには)どうしたら?たしかに理系の研究するなら若い方がいいのかもしれないが、最初に理系を学んで、社会人経験積んでから文系、というのがなんだかな。周りにも大学生(18~20歳に入学した、一般的な意味の)の時には文系だったけど、看護学校入り直したり会社で勉強してSEなってる文→理の進路を行く人も存在する。文系でも「短期的に」役に立てることがないとなかなか就職が厳しいのだよ。神の役に立つ、地球社会の未来に役に立つ、立派なお題目だけど、まず自分が自立できるだけの金を稼ぐのに役に立つ学問を学びたい。
でも、「経済成長や新成長戦略といった自明化している目的と価値を疑い、そういった自明性から飛び出す視点がなければ、新しい創造性が出てこない」には納得。常識を疑う訓練をする、ことが大学進学を決めた大きな理由だったから。
理系…目的が既に設定されていて、その目的を実現するために最も優れた方法を見つけていく目的遂行型、短期的に答えを出すことを求められる
文系…「役に立つ」ための価値や目的自体を想像する価値創造型、長期的に変化する多元的な価値の尺度を視野に入れる
18歳~20歳、30代前半、定年後60代で大学で学ぶ。理想的だけど、先立つものが・・・とくに30代前半なんて、4年も行くのはかなりの時間的ロスな気も。仕事はブランクなるし、子育てとかぶると大分厳しい。大学1,2回生のような大人数一方講義だとビデオやオンラインでいいわ。課題や同級生との交流があるからその場に言って学ぶ意味があるのであって。
<参考文献>
・マックス・ウェーバー『プロ倫』『職業としての学問』
・坂口安吾『堕落論・日本文化私観』
・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』