- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087210781
作品紹介・あらすじ
内田樹氏、津田大介氏 推薦!
「『歴史戦』と称する企てがいかに日本人の知的・倫理的威信を損ない、国益に反するものであるかを実証的に論じています。
山崎さん、ほんとはものすごく怒っているのだけれど、冷静さを保っているのが偉いです。僕にはとても真似できない」――内田樹
今、出版界と言論界で一つの「戦い」が繰り広げられています。
南京虐殺や慰安婦問題など、歴史問題に起因する中国や韓国からの批判を「不当な日本攻撃」と解釈し、
日本人は積極的にそうした「侵略」に反撃すべきだという歴史問題を戦場とする戦い、すなわち「歴史戦」です。
近年、そうしたスタンスの書籍が次々と刊行され、中にはベストセラーとなる本も出ています。
実は戦中にも、それと酷似するプロパガンダ政策が存在しました。
しかし、政府主導の「思想戦」は、国民の現実認識を歪ませ、日本を破滅的な敗戦へと導く一翼を担いました。
同じ轍を踏まないために、歴史問題にまつわる欺瞞とトリックをどう見抜くか。豊富な具体例を挙げて読み解きます。
【主な内容】
◆産経新聞が2014年から本格的に開始した「歴史戦」
◆「歴史戦」のひとつ目の主戦場:戦時中の慰安婦問題
◆「歴史戦」ふたつ目の主戦場:日本軍による南京での虐殺
◆なぜ大日本帝国の否定的側面を批判する行為を「自虐」と呼ぶのか
◆第一次世界大戦後の日本軍人が着目した「総力戦」と「思想戦」
◆思想戦の武器は「紙の弾丸、声の弾丸、光の弾丸」
◆「歴史戦」の論客の頭の中では今も生き続ける「コミンテルン」
◆「戦後の日本人はGHQのWGIPに洗脳された」という「ストーリー」
◆児玉誉志夫は「思想戦」の独善的側面に警鐘を鳴らしていた
【目次】
第一章 「歴史戦」とは何か
第二章 「自虐史観」の「自」とは何か
第三章 太平洋戦争期に日本政府が内外で展開した「思想戦」
第四章 「思想戦」から「歴史戦」へとつながる一本の道
第五章 時代遅れの武器で戦う「歴史戦」の戦士たち
【著者略歴】
山崎 雅弘(やまざき まさひろ)
1967年大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。
『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)で、日本会議の実態を明らかにし、注目を浴びる。
主な著書に、『「天皇機関説」事件』(集英社新書)『1937年の日本人』(朝日新聞出版)『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)ほか多数。
ツイッターアカウントは、@mas__yamazaki
感想・レビュー・書評
-
歴史学者がきちんと歴史を捻じ曲げようとしている言説に対して、どこがどうおかしいのか解説。
おかしいとはわかっているのに、うまく説明できないで、モヤモヤとしていたことをすっきりとさせてくれる。心のもやが晴れて、くっきりと問題点が浮き彫りにされる感じだ。
歴史修正主義の本が、ゴロゴロある中で、このような本を出してもらえるのは大切なことだ。歴史学者ならではの明快さが救ってくれる。最近のおかしな社会の動きにモヤモヤしている人は必読書。 -
「従軍慰安婦はいなかった/本人の希望だ」「南京虐殺はなかった」と言い放ったり、他国に対する蔑視や嫌悪を煽るような発言をしたりする人たちと、それに追従する人たちは何なんだろう、と怒りと共に思って来たけれど、この本を読みながらそうなる理由が少し解明できた。
できたところで怒りは増すばかりなんだけど。
筆者はそれ系の、一冊、いや一文だって読むのにうんざりするような本、説を一つ一つ丁寧に、こういう手法で自分たちに都合よく読者を誘導していると具体的に解説していて頭が下がる。
それを彼らは聞きゃしないんだろうけど!
しかし最後にあったように、うんざりしようが相手が聞き入れなかろうが、放っておいてはいけないのだよね…。
また、終戦後の「戦争は悲惨なものだから二度としてはならない」という国内の大前提自体はともかく、その悲惨を主に軍や政府の上層部や空襲・原爆の被害者として、にしてしまったために、日本はきちんと「戦後」すら始められないままなのではないか、とも思った。
-
本書の特徴と意義は著者が「おわりに」で書いています。
「・・・大日本帝国時代の『負の歴史』を否認する言説の論理構造や、そこで多用される論理のトリック、認識の誘導などのテクニックをわかりやすく読み解くこと・・・」(p289)。
例えば、よく使われるトリックで南京事件の虐殺数が30万人というのはありえない、故に虐殺はなかったと論理が飛躍する点です。
また、基本的事項として気づかされた事は「日本」の具体的な概念とは?という事です。「日本」は現代の日本と戦前の大日本帝国の両方を含んでおり、どの日本を意識して語るかが重要です。
全体を通じて、著書は産経新聞が主張する歴史戦を起点に、歴史戦の主要著書に対して具体的かつ論理的に反証を提示していきます。
歴史を専門とするプロの研究家たちが積み上げてきた研究成果を、素人たちが見て見ぬ振りをして、自分たちの言いたいことを言っています。故に敢えて素人にもわかるように再度わかりやすく説明している構図に見えます。おまけにこの素人たちは、産経新聞を始めとして、いくつかの発表の媒体も持っており、それなりに影響力もあるので始末が悪いです。
プロ対素人の関係性の中で語られる言説であり、プロ側から見れば何の知見も得られない、何の生産性もない不毛な議論(というのもおこがましいですが)という事です。
逆に素人がプロに喧嘩を吹っかけているわけです。
プロである歴史学者は、意見の違いはあれど、新たに発見された歴史の事実を基準にそこから何かを学び、未来へつなげていく志向は同じです。故に、同じ土俵での議論が可能となり、その場から多くの知見を得ることができます。
「・・・歴史研究が尊重するのは個々の『事実』であって、最終的に導き出される『結論』ではありません。まず『事実』があって、それを適切に配列した結果として導き出されるのが『結論』です」(p70)。
一方で歴史戦を謳う方々は、
「・・・まず『日本は悪くない』という『結論』を立て、それに合う『事実』だけを集めたり、それに合うように『事実』を歪曲する手法をとっています」(p70)。
著者は最後にこう述べています。
「・・・専門家が傍観すれば、一般の人々は『専門家が批判も否定もしないということは一定の信憑性がある事実なのか』と思い、結果としてそれを信じる人の数が徐々に増加していくことになります」(p295)
著者には面倒臭いことだとは思いますが、
「社会の健全さを維持するための分担作業」(p296)と捉えて本書を上梓しています。非常に成熟した大人の振舞と感心しました。
昨今の歴史修正主義者の言説は子どもの戯れ言かもしれません。大人と子どもの間には議論は噛み合わないです。噛み合わないどころか「議論」という表現自体が不適切です。通常大人達の話の中には子供は入ってはいけません。間違って入っても相手にされないか、子供がわかるように諭されるだけです。一言でいうと対等ではないんです。故に、大人と子どもの言説が両論併記される事はあり得ないのです。
その異常さを暴露したのが、映画『主戦場』ではなかったでしょうか。本著書を読んで、構図が同じことに気づかされました。
最後に。エーリッヒ・フロム『自由からの闘争』を題材にして、歴史戦の言説に傾倒していき、権威へ服従していくプロセスを、わかりやすく解説しています。まだ読んでいないので、早速買って読んでみます。-
2019/11/16
-
-
無意識に入ってくる情報に対してただ鵜呑みにするのではなく、さまざまな知識、考え、事実などを踏まえてから吸収しなくてはいけない。そのためには日頃から偏見を持たずに多角的に知識を蓄えていく必要がある。
社会の変化は意外と気づきにくい。いつの間にか言論弾圧や思想統制が起こっているかもしれない。今のうちにもっと勉強しなくては。 -
書店の売り場に「中国・韓国の反日攻勢」「南京大虐殺の嘘」「慰安婦問題のデタラメ」「あの戦争は日本の侵略ではなかった」「自虐史観の洗脳からの脱却」などの歴史修正主義に関する書籍に目が行き、つい手を伸ばして購入したことはないだろうか?最近では、安倍元総理の銃撃事件に端を発し、国葬問題や統一協会問題、東京五輪不正など綴じ蓋が弾けた様な報道に、歴史修正主義者と歴史や事実の積み重ねによる研究書籍など、両論の書籍を並べる書店をSNS等で多数見かけるようになり、読者の目が片方に向かないようになってきているのを肌で感じる。
本書は、歴史修正主義者が「歴史戦」と称して、歴史の一部分をあたかも全体であるかのように見せかけるトリックの概要を解説し、その巧妙さを指摘する。例えば、南京大虐殺では、虐殺の事実の積み重ねが重要であるものを「虐殺された人数」への論点のすり替を行われている点を指摘する。アジア・太平洋戦争では、帝国陸軍は敗戦と同時に多くの書類を焼却・隠滅したために、正確な記録が無い中では明確に数値化できない点を巧妙に突いてくる。しかし、一方で最近になって軍の記録や個人の日記などが多数見つかり、またNHK等の番組で紹介されるようになり、事実の積み重ねと歴史の検証は続いている。この思想戦は、アジア・太平洋戦争中に開始され、戦後も続いている経過とトリックを丹念に追いかけ、歴史教科書や事実の積み重ねの重要性を伝え、ともすれば「非国民」=「反日」のレッテルのトリックも喝破する。作家保坂正康氏は、「自虐史観」から「自省史観」への転換を訴えるが、正に反省、自省、内省、猛省など、「自省史観」が重要な事を再確認した。また、学生を含めた社会人たちと共に歴史の積み重ねを学び、複眼で多面的に考える重要性を再認識した一冊となった。 -
題名に惹かれて購入しました。歴史はいつも為政者のために都合の良いように書き換えられてきたわけですが、最近は修正主義者が増えている。誰もが自分の過去を正当化したいのですが、少なくとも南京虐殺の事実そのものをないとするのは顰蹙だ。
ネットでは自分に心地よい情報が氾濫しているので、事実を冷静に客観的に見つめることができない人が増えている。怖い。 -
土俵が違う。噛み合わない。ムカついた・・・
自分はやや右寄りという程度の普通の日本人の感性だと思っている。
このところの中韓(とくに韓)が事件を事実に反した内容で誇張し、一方的に世界へ発信・宣伝することが目に余る事態になってきているのに対して、ケント・ギルバートや、百田尚樹の言説にシンパシーを感じるというのが普通の日本人の感性。
「大」虐殺はなかったと思ってるだけで、虐殺が無かったとまでは思ってない。彼らをして「大日本帝国に自らのアイデンティティを求める人」とは思わんよ。
はじめに結論ありきは、お互い様なんじゃないかなぁ。 -
内容的には、面白く読めましたが。
相手にしている、右翼的な大日本帝国に
シンパシーを持っていて、大日本帝国に
戻したいと思っている人達の書いた本や内容を、
そこまで目くじら立てるような輩ではなく
ほっておくしかないかなと思うこともあります。
ただ、その反面。最後の文書にあったように
相手にしない態度が、全体の方向性を間違った
方向に進めてしまう一助になることがあり得る
ということについては。
そうかもしれないという危機感は持ちました。 -
従軍慰安婦、南京大虐殺、大東亜共栄圏に対して、保守派論客達の主張を、冷静に反論していく著述に、著者との真剣勝負しないければならない新書。
愛国や郷土愛において、本来の日本と大日本帝国とは、別に考えなければならないと教えてくれる。
本作のお陰で、当面、刺激的な愛国主義風のエセ歴史本を衝動買いしなくてすみそうだ。
https://maga9.jp/220209-3/
https://maga9.jp/220209-3/