9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて (集英社新書)

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  • 集英社 (2022年1月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (448ページ) / ISBN・EAN: 9784087212006

作品紹介・あらすじ

全編にわたって、むせかえるような聖性。
それが、猥雑で、エロスに溢れており、実に尊い。
ちまたにあふれている宗教の概説書を読むより、本書の読破をお勧めする。
ーー釈徹宗氏(僧侶、宗教学者)

紀行文学の名手が紡ぐ
魂の救済の物語。
鮮烈な伝統、信仰、霊性と歌の世界

◆内容◆
急速な経済発展を遂げ変化し続ける現代インド。その村々で伝統や信仰を受け継ぐ人々を取材した、紀行・歴史文学の名手による、19か国で翻訳出版されたノンフィクションの傑作。
死への断食に臨むジャイナ教尼僧。祭りの間、最下層の人間が神になる憑依芸能テイヤム。神に捧げられ娼婦となった女たちを守護する女神信仰。叙事詩を伝承する沙漠の歌い手。スーフィーの聖者廟に身を寄せる女性。かつてダライ・ラマ14世の警護をつとめ、亡命し兵士として人を殺めたことを懺悔するチベット仏教の老僧。約700年以上の伝統を汲む職人による官能的神像の世界観。女神信仰のもと、しゃれこうべを重用するタントラ行者。そして吟遊行者バウルとなった人々の遊行の半生――。
現代文明と精神文化の間に息づく、かけがえのない物語。

◆海外評◆
「文句なしにうつくしい本。高潔で誠実、そして啓蒙的で感動的。大好きな本、読めることが純粋に喜び」『食べて、祈って、恋をして』著者、エリザベス・ギルバート氏
「ジャーナリズムと文化人類学、歴史、宗教史の見事なまでの調和が、すばらしい小説作品のような描写力で文章に結実している。キプリング以来これほどインドの農村を魅力的に描き出した人はいない」インド学者、ウェンディ・ドニガー氏“Times Literary Supplement"紙

◆目次◆
第一章 尼僧の話
第二章 カンヌールの踊り手
第三章 エッランマの娘たち
第四章 叙事詩の歌い手
第五章 赤い妖精
第六章 僧侶の話
第七章 神像の作り手
第八章 黄昏の君
第九章 盲目の吟遊行者のうた

◆著者略歴◆
ウィリアム・ダルリンプル(William Dalrymple)
1965年、スコットランド出身。作家・歴史家。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ歴史学部卒業。若冠22歳で執筆した紀行『マルコ・ポーロ クエスト―フビライの古都へ(世界紀行冒険選書)』(大出健 訳、心交社)で高い評価を得、その著作はDuff Cooper Memorial Prize for History賞をはじめ数々の賞を受賞。『最後のムガル』『ホワイト・ムガル』『王の帰還:アフガニスタンの戦い』(未邦訳)など著作多数。

◆翻訳者略歴◆
パロミタ友美(ぱろみた ともみ)
翻訳者、バウル行者。オーストラリア国立大学アジア研究学部卒業。サンスクリット語、言語学を学ぶ。2013年、世界的に著名なバウル行者の一人、パルバティ・バウルと出会い、師事。

みんなの感想まとめ

多様な信仰や伝統が息づく現代インドの姿を、著者が丁寧に描き出した作品です。急速に変化する社会の中で、聖なるものを求める人々の物語が9つのエピソードとして紹介され、ジャイナ教の尼僧や聖娼、吟遊詩人など、...

感想・レビュー・書評

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  • 『9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて』を僧侶・宗教学者、釈徹宗が読む。「全編にわたって、むせかえるような聖性」
    青春と読書
    http://seidoku.shueisha.co.jp/2202/read08.html

    『9つの人生〜現代インドの聖なるものを求めて』集英社新書より刊行されます。 | 天竺からの手紙
    https://tenziku.com/ninelivesjp/

    9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて/ウィリアム・ダルリンプル/パロミタ 友美 | 集英社 ― SHUEISHA ―
    https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-721200-6

  • 作者は、ウィリアム・ダムリンプル スコットランド出身の作家、歴史家。1965生まれ 
    翻訳者は、パロミタ友美 バウル行者
    二人とも実践者、行動している人 凄い!
    ノンフィクションで、インドの9人+αの人生が紹介されている 特に第5章「赤い妖精」スーフィーと、第6章「僧侶の話」チベット僧の話は、世界の問題の実相ー分断ではなく、寛容 国や宗教や自分が信じるものを互いに尊重してーってことがいかに難しいか、考えさせら
    第1章 テイヤム=神という芸能 低カーストの店子がナーヤル戦士階級の大家にみかじめ料として菓子を納めなかったかどで殺されることが頻繁にあった。今は恋愛沙汰以外はほとんどないが、高カーストの前では低カーストの人間は頭を下げ、然るべき距離を取ることを求められる。テイヤムは、その逆転。ヒエラルヒーの頂点にいる許容されざる行為、高カーストの抑圧、権力の濫用をテイヤムという芸能で問う。
    第5章 スーフィー(シンドの砂漠と岩石の地形は、歴史を通じて異端とされた宗派宗教の亡命地となり、地理的にヒンドゥー教的インドとイスラーム的中東との架け橋であり、結果としてヒンドゥー・イスラーム習合の舞台
    )全ての宗教はひとつであり、同じ神的な実態が異なる形で顕れているだけなのだー恍惚の赤い妖精(ラールパリーマスターニ)
    ヒンドゥー教、イスラーム神秘主義、正統派イスラームの複雑にもつれた三角関係 スーフィー大詩人ミアーン・ミールは、17世紀、ムガル帝国の王子ダーラ・シコーの導師(ビール)となり、ダーラ・シコーは二つの大宗教を結び合わせようと誰よりも腐心した存在。二つの信仰は矛盾せず、互いに対応し合っている、どちらも神の天啓を源泉とする点で共通しているーヒンドゥー教の聖典ヴェーダこそクルアーンの中で語られる、全ての一神教聖典の至高の源泉たる秘された存在なのだーしかし、インドのイスラムエリートには、極端に過ぎた。スーフィーズムは、イスラームではないと。聖者廟を破壊し、愚か者ばかりだから教育をするー←蔑視が寛容を阻むのかなぁ 根本的な正義は争わないことだろうに
    第6章 僧侶の話 タシ・パサン チベット僧侶
    アングリマーラ(指の首輪)という男が、殺した人の指を首輪にし、999人を殺し、仏陀を1000人目にしさようとしたが、回心して僧侶になった。多くの人が仏陀を批判したが、彼の懺悔は真実だからと悔い改めることを許した。
    中国によるチベット侵攻は、1950年夏と秋 僧院が爆破され僧侶が殺される、僧侶は戦うべきだと。一度僧侶になったら、人を殺すのは難しい。しかし経典に、ある種の特殊な状況においては、もしも誰かが大罪を犯すのを防ぐためならば殺人もやむを得ない
    その後、チベットのため、中国に打ち克つためインド軍に入隊したが、殺したくもないパキスタン人を殺し、心の中ではアヒンサー(非暴力)をはじめとする戒律に反しているとわかっていた。殺しの技術を学び、人を殺し、ダルマ(仏法)のための戦いではなく、デリーとイスラマバードにいる政治家たちのために市井の人々が苦しみ殺されていた。
    ダルマを護るための暴力の伝統
    大叙事詩「ケサル大王」には、伝説的なチベット王朝リンが何千もの法敵を屠ったと伝える。信仰を守るために菩薩や大王が武器を取ることを許すのなら僧侶も然りである。ダライ・ラマは常に厳しいアヒンサーを貫き、その信念はマハトマ・ガンジィーの言葉に触れてより強固になった。
    本生譚(ジャータカ)に、最高に徳を積んだ化身ラマ(リンポチェ)が、悟りに近いところにいた。ある日500人の僧侶と共にガンジス川を渡る時、船頭の、仏法を憎み、川の途中で転覆させて溺れさせようという企みを見抜き、船頭を川に突き落とした。他の僧侶が戦慄して「あなたのような徳の高い僧がこのような暴力を行うとは」
    リンポチェは、最高に無私で、自身や輪廻の輪の中の到達点などを仏法のために犠牲にし、500人の僧侶たちが涅槃の道へ進むことを助けることを優先した。←これは正しいか?私は正しいと思う。船頭が殺そうとした時点で船頭がアウト!
    ダライ・ラマは言う。最大の敵は中国人ではなく、憎しみそのもの。母は中国軍の拷問によって早死にし、憎しみがあり、暴力的な報復を望んでいた(中華料理店を見ると石を投げつけたくなる、赤を見ると腑が煮え繰り返る)が、道端の小さな中華料理店を見かけて、入ってみたら、素晴らしく美味しく、また、中国人も毛沢東の兵士に拷問され、逃げてきたのだと。

  • ノンフィクションの傑作。
    人口が世界一になり、経済発展が著しくITなどの技術が高度化し、最近では映画のRRRがヒットし身近に感じている人も増えただろう。インド旅行は20年前と最近では格段に便利になり綺麗になった。その一方で、本書は昔から続くインドの文化・生活と密着した宗教、信仰の一端を紹介する。「聖者が祈ると憑いていた悪霊が去って病人が治る」という世界。私はそれを否定しない。その聖者が深く信じられている世界では、おそらく病は治る。
    聖者は、自ら断食による死を選ぶ尼僧であり、聖娼(そのような存在があるとは!)であり、聖像の製作者であり、吟遊詩人である。1つ1つの物語が、チャトウィンがヒーローだという作者(ダルリンプル)によって敬意を持って、適度な距離感と共に描かれる。急激に変わりゆく社会の中で変わらないものがあれば、取り残される人々もいる。後継者の問題など継承の難しさを抱える人もいる。インドの多様性という一言では語れない、驚きに満ちた本だった。
    翻訳者も自身がバウルに師事し歌い修行する身だという。素晴らしい翻訳者を得た。

  • 一口にインドといっても、広大で豊かな歴史文化があり、同じ位閉ざされた世界にそこでしか生きていけない人々がいます。
    そんな9つの物語です。
    著者と訳者が素晴らしい文章を綴るので、あっと言う間に読み切ってしまいます。

  • 現代インドの宗教事情のみならず、ジャイナ教、チベット仏教、イスラム教、ヒンドゥー教など、なかなか知ることのできない在り方、関係性などを少し垣間見せてもらえる著作。またどのように伝統宗教や慣習、文化が生き延びているのか、現代いんどにおける信仰、信者の在り方を知ることのできる素晴らしい本。身近に信仰のあることゆえの救済と難しさを伝えてくれる本でした。

  • 久しぶりに引き込まれるテーマと文章に出会った。感想を書くよりも、気になる人には一読を勧めたい。

  • ★★★★★ 9つの聖なる人生。彼らは人間ではあるけれど「聖なるもの」として崇められている。ローカルな信仰が薄れていき、代わりに意図的にインド全国規模の統一されたヒンドゥー教が彼らの生活に入り込んできている。あと何年でローカルな信仰や伝統は忘れ去られるのか。
    全文
    https://wp.me/pgG1ce-16n

    英語で読了
    Nine Lives: In Search of the Sacred in Modern India
    William Dalrymple, 2013

  • ふむ

  • スコットランド人の著者(ヴァージニア・ウルフの甥!)が、インドで出会った、とくに印象的な9人について語った、という本。
    たとえるならば、生の血を継ぎ目に使った家のようだ。内には澄んだ風が流れ、小鳥の囀りが聞こえてくる。いわゆる聖なるもの、と、俗なる、とされるものとが、それぞれの章でそれぞれの関わり方をしていると思う。どちらもほんとうは、過度に持ち上げたり、反対に遠ざけすぎたりするものでないことを、この本によって、教えられたと思う。

  • インドは2009年に訪れて以来ハマり、9回訪れているが、わたしが体験しているのはほんの表面だけなのだなと思った。
    外側から見ると、不吉に見えたり邪悪に見えるような風習も、実は意味があって、だからそこにあって、現代まで伝わっている。
    その歴史をよく知りもせず、現在の、ある一方向から見えたことだけで判断してしまうことが最も危険だなと思う。
    盲目のバウル(吟遊行者)の話は、リシケシのトリベニガートで出会ったサドゥーを思い出した。わたしには分からなかったけれど、彼ももしかしたらバウルだったのかも知れない。

    この本は図書館で借りたが、購入決定。

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著者プロフィール

1965年、スコットランド生まれ。ケンブリッジ大学在学中に発表した、マルコ・ポーロについての評伝In Xanaduがベストセラーになる。サンデータイムズ若手作家年間最優秀賞やヘミングウェイ賞などを受賞。著作に『略奪の帝国──東インド会社の興亡』などがある。

「2023年 『コ・イ・ヌール』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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