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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784087212211
作品紹介・あらすじ
この現代社会、いったい何が善くて何が悪いのか?
カントだったらこう考える――。
さまざまなテクノロジーの発達も手伝い、善悪の基準がますます曖昧となっている現代社会。
ビジネス、道徳教育、生殖・医療、環境問題、AI、差別問題……。
現代社会で巻き起こるあらゆる倫理的な問題について、私たちはどう判断すればよいのか。
その答えは「カント」にある。
哲学・倫理学における重要な古典としてつねに参照され続ける一方、難解と評されることの多いカントだが、本場ドイツでカント倫理学の博士号を取得した著者が、限界までやさしくかみ砕いて解説。
その上で、現代を生きる私たちが「使える」実践的な倫理として提示する一冊。
◆目次◆
序章 カント倫理学の骨格
第1章 ビジネス倫理
第2章 道徳教育
第3章 生殖・医療倫理
第4章 環境倫理
第5章 AI倫理
第6章 差別に関わる倫理
◆著者略歴◆
秋元康隆(あきもと・やすたか)
1978年生まれ。トリア大学講師、トリア大学附属カント研究所研究員。
専門は倫理学、特にカント倫理学。
日本大学文理学部哲学科を卒業し、日本大学大学院の修士課程修了後、カント研究の本場ドイツに渡る。
トリア大学教授でありカント協会会長であるベルント・デルフリンガー教授のもとで博士論文を執筆し、博士号取得。
ドイツ在住。
著書に『意志の倫理学--カントに学ぶ善への勇気』(月曜社)がある。
AIがまとめたこの本の要点
この本を表す言葉
みんなの感想まとめ
現代社会における倫理的課題に対する考察が、カントの視点から展開される一冊です。著者は、ビジネス倫理や道徳教育、生殖・医療、環境問題、AI、差別問題など、現代の多様なテーマに対してカント倫理学の応用を試...
感想・レビュー・書評
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序章で描き出すカント倫理学の骨格をベースに、六章にわたる「ビジネス倫理」「道徳教育」「生殖・医療倫理」「環境倫理」「AI倫理」「差別に関わる倫理」といった今日的な倫理や道徳観にまつわる諸問題に対してカント倫理学を適用することで、序章で述べられた骨格部分に肉付けをしていく構成の新書。約210ページ。
まず、著者は人間にとっての「よさ」を才能や環境に左右される制約的「良さ」を持つ「卓越性」と、無制限的な「善さ」を持つ「善意志」に分ける。このうちカントが人に求めているのは「善意志」であり、そこに発した行為の結果に関わらず、それ自体が道徳的善性を有する、善意志の有無を問題とする。そして道徳的善とは、行為が「道徳法則にしたがう」ものであり、動機が私利私欲ではなく道徳法則に発していなければならない。かつ、この善は独りよがりの独善ではなく、その行為原理を皆が遵守した場合にも望ましいと判断できる必要がある。
もちろんこのような判断の結果が誰が考えても同じとは限らない。この点がポイントなのだが、我欲ではなく、道徳的善を求め、普遍性を意識したうえで、根拠をもって個人が導き出した結論であれば、その結果自体は一切問われない。道徳的善性に則って行動することがこそ重要なのである。だから、そこにある「善意志」は「卓越性」のように人を選ぶ「よさ」ではなく、誰にたいしても開かれている「よさ」なのであり、著者がカントの哲学に惹かれる大きな理由のひとつはここにあるという。そして、カントにとっての「自由」はこのような理性的な意志にもとづいた行動であり、一般的な好き勝手をするというイメージとは乖離している。
序章においてカント倫理学のポイントを提示したうえで、第1章以降は6つの今日的な問題をひとつずつテーマに掲げ、カント倫理学に照らし合わせればどのような結論が導かれるかを検証していくことになる。ただ、個人的にはこの6つのテーマについては、(植松聖への考察を除けば、)いずれについてもあまり印象に残らなかった。その理由としては、先に述べたように著者によるカント倫理学は、個々人が道徳的善を意識して根拠をもって出した結論であれば、どのような結論であっても間違いではないことになる。つまり、どのような素材を対象としたところで、結局は「我欲ではなく善意志のもとで個々人がよく考えましょう」という結論に落ち着いてしまう。従って、6つのお題にたいしても、「どこから切っても金太郎飴」のような印象が残ってしまう。
おそらく、カント倫理学という武器をもって快刀乱麻で現代の諸問題に斬り込んでいくさまを期待した読者にとっては、物足りない内容ではないかと推測する。6つのテーマは序章で描いたカント倫理学のポイントを何度もなぞって繰り返すための道具であって、具体的な話題を通して著者の伝えるところがより明確にする趣旨のうえでは大いに役立っている。あまり手を広げず、序章で示された考え方をできるだけ多くの敷衍することがコンセプトとなっており、現代的な問題の考察や分析というよりは、ひとつの倫理学のあり方について、丁寧な解説を求める読者に適した著書だと思える。読み手によっては、序章がピークかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
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4月22日:哲学者・カント誕生日 -
その辺の哲学・倫理入門書より圧倒的に読みやすいが、カント倫理学だけで処理するには無理があるように思えた。帯に「カントだったらこう考える」と書いてあるものの、カントと重なりがないような倫理の諸問題も多く物足りなさは否めない。倫理学超入門としては有用。
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カント倫理学の根本的な立場を明確にしたうえで、その考えかたにもとづいて、現代の応用倫理学でとりあげられるさまざまなテーマに対してどのようにこたえることができるのかという問題について考察をおこなっている本です。あつかわれている応用倫理学上のテーマは、「ビジネス倫理」「道徳教育」「生殖・医療倫理」「環境倫理」「AI倫理」「差別に関わる倫理」の六つです。
カント倫理学において重要とされる定言命法についての解説をおこなったあと、著者は「道徳法則とは、それぞれの人のなかでのみ存在しうるのであり、その人のうちにしか存在しえない道徳法則がその人にとって誤りであるということはありえない」と主張します。
このことは、カントの義務論の根底をかたちづくっており、純粋実践理性の自律というカント特有の考えかたの証左とみなすことができますが、他方でカント倫理学を応用することのむずかしさにも通じているように思います。このことは、現実との媒介につねに目を向けていたヘーゲルの社会思想と比較すれば明瞭です。じっさい本書でも、こうしたカントの根本的な立場へと何度も立ち返ってその立脚点の揺るぎなさが印象づけられる一方で、やはりカント倫理学は融通が利かないという感想をもつ読者もいるのではないかと感じます。
なお著者は「おわりに」で倫理学研究者に向けて、研究内容がわれわれの生きかたにかかわる以上、そのことを社会に向けてわかりやすく伝えていくことが求められるのではないかという主張がなされています。本書のなかでも、著者が学んだカント倫理学が著者自身の生きかたにどのように反映されているのかということが語られており、それじたいが倫理学という学問のありかたに対するひとつの考えかたを示しているように思います。 -
カントを通じて倫理を学ぶ。
自分が正しいだけではダメ、周りも納得できるものでないと倫理的に正しいとは言えない。利己的になりすぎず、でも自分はしっかり持っていたい。 -
ドイツでカントを学んだ日本人によるカント倫理学を思考の材料として、現在の倫理的な問題について、ブログのように、著者の考えをのべたもの
著者も言っているように、カント倫理学を正確に解説しているわけではない
集英社新書であるためか、 索引がないのは非常に残念
いくつかの考えさせられる記述はあるが著者の事実認識 に誤りがあり、 主張が論理的ではなく、根拠が示されていないことが多い
一例として、
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国としては国民に子供を産んで欲しいはずなのですが、にもかかわらずこれまで 子供手当以外ほとんど 政策らしい政策を行ってきませんでした
←出産一時金、出産手当、産休、育休 その間も 最大 1年半近く、全く働かずに給料の67%が支払われるなど社会保障がある
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カントが用いる Freiheitとは自分の好き勝手に振る舞うことではない。そういった行為は自分の感情に流されてしまっているという意味でむしろ不自由である。
本来の自由とはそのような感性的欲求に屈することなく、理性的に自分自身をコントロールすること。自分自身を律する営みをカントは自立Autonomieと呼びます。
道徳的善は自律であり、自立が道徳的善なのです。
教育の究極的な使命とは自律した行動を取れる人間を育てることなのです 反対に自分の感性的欲求に流されてるような状態、また、実際に他人の意見などに流されているような状態は他律Heteronomieと呼ばれます
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国公立大学では 哲学科はポストや 研究費が削減される対象となっていました。当時からそういったニュースが流れるたびに哲学科の教員たちは政治家や役人などは何もわかっていないバカな奴らだなどと罵っていました。
しかし私はそういったことを聞くたびにそれは違うのではないかと感じていました。
というのも 倫理学の価値がわからない門外漢が悪いのではなく、その価値を彼らに伝えられていないもっと言えば そもそも伝えようとすらしてこなかった側に責任の大半があるから あるはずだからです
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私は 倫理学者というものは 社会から距離を置いて浮世離れした問題にばかり取り組むのではなく、現実に人々が抱え苦しんでいる問題を取り上げ、風穴を開けるような存在であるべきだと考えています。その試みが結実するかどうか分かりません。しかし少なくとも私はそういった意志だけは持ち続けていたいと思っています -
▼福島大学附属図書館の貸出状況
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/TB90375283
(推薦者:人間発達文化学類 高橋 優先生) -
東2法経図・6F開架:134.2A/A35i//K
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「カントは、教育には上からの強制ではなく、規範を自分で導くようにする《ソクラテス的方法》を用いるべきと説く。日本の高校野球はその反対にあり、自分の頭で考えず監督へ絶対服従する。まるでカルトの教祖に服従する信徒のように。。その他、医療問題(出生前診断、臓器移植、安楽死)、AI、差別問題。。。」
人間は弱いので、自分で決めるよりも誰かに服従したほうがラク。。なんていうヒトが多いようだ。 -
今、日本国と日本人にかけているものがあるとすれば、真っ先に上げるべきは倫理であると言える。日本人にはどうも近代における倫理がインストールされていないようだ。成田悠輔なる人物の言動がよく表している。彼のように著しく倫理に悖る人間が公共で発言し、且つ政府委員として公共政策に関わるなど、彼個人が倫理に悖るだけでなく、日本国の社会全体が倫理を欠いている。
これは本著の中でも取り上げられているが、日本の学校教育の中で、倫理についての教育が成されていないことが非常に大きい。「道徳」と名のついた教化はあるが、実際には愛国教育(それも間違った形の)であり、倫理は教えていないのである。これでは日本人には倫理はインストールされない。
ただ、遅くはないので、まずは本書を手に取って近代的な倫理とは何であるのかを理解することから始めるのが良いのではないか。また中学、高校生ぐらいのお子さんをお持ちのかたは、本書をもとにお子さんと倫理について話し合われることをおすすめしたい。 -
カント倫理学における基本的な思想の骨格を示した上で、それをビジネス倫理、道徳教育、生殖・医療倫理、環境倫理、AI倫理、差別に関わる倫理といった個別テーマに応用しながら、さらに深く解説しています。倫理学を人生における「実学」にする。そんな力のある一冊ですね。関連して、作品の読者や関係者だけでなく、倫理学研究者にあてた「あとがき」にも注目です。
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生命倫理、環境倫理、AI倫理、差別等々の現代的なテーマについてカントを応用して考えるという試みだが、一般読者向けに易しく書いているようでいて、結構難しい部分もある。
ポイントとなるのはカント倫理学の「欠陥」とされる箇所の説明で、本人がそこに道徳法則を見出したのであればそれが道徳法則、という主観的な正しさへの確信性の部分であり、本書では植松聖の例を用いて大量殺人の是非という観点から論じられている。
6章4節を読む限りでは普遍妥当性というのは結局のところ、多数者がどう思うかといったある種の「常識」に基づくものであり、プラグマティックに決定される印象を持つ。であるならば、米国人にとっては原爆投下は正しいという事になり、大量殺人も道徳法則に適うという事になってしまう。自分の読み込みや理解が浅いのかもしれないが、これは果たしてどうなのだろうかという疑問も湧く。この辺は今後考察していきたい。
尚、「道徳」と「倫理」の違いについて著者は意味上差異はないとしているが、これはカント的にはそうであるということなのだろうか。とはいえ、日常用語としてはそれなりに使い分けられている言葉でもあるので、この辺も精査した方がよいのではないかと思ったが。 -
不十分に見える所があっても、初学者相手の新書なので広く浅くなるのはやむを得ないこと。細かな点を論難するよりも、著者が研究するカントの理論を自らの生き方に反映させていること(←この時点でかなり稀有なのでは?)、そして、その理論と実践の結びつきにいて一般の読者に分かる形で説明しようとしている(←さらに稀有、というか他に誰かいるのか?)点を評価すべき著作なのだと思う。
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タイトルと目次を見て買ったけれど、これは大正解でした。いくつかの新しい知識も得たし、いろいろと考えるきっかけになった。両親が亡くなる前に受けていた医療についても再び考えてみた。ビーガンよりさらに厳しいフルータリアンという人々がいることも知った。(ツイッターでも書いたけど、この人たちは雑草を抜いたりはしないのだろうか。もしキノコを食べないのなら、カビを擦り取ったりもしないのだろうか。どこまで徹底しているんだろう。不思議だ。僕の場合は、河童のクーが言っていたように、必要なものだけありがたくいただくというので良いように思う。)自動運転のジレンマも引き続き考えてみたいテーマだ。僕は割りと自由に小学生にも指数を使ったり、カオスの話なんかもするし、理科でも自分のできる限りだけど厳密に話をしようと努力している。子どもには無理とか分かりっこないとか思わない。きっといつかあのときのあの話はこういうことだったのかなんて思ってくれる日が来ることと願いつつ。本書を読んでその気持ちを強くした。自分の仕事については、ちょっと業績が良かったりすると、すぐに理由を聞かれるのだけれど、「たまたまです」と答える。それだけで済まないときは、こじつけで理由を作るけれど、やっぱり「たまたま」が真実です。それから、「自分自身を煙に巻く不誠実」とはうまく言ったものだ。多くの上に立つ人々には少なからず心覚えがあるのではないか。僕にもある。反省。しかし、できれば面倒なことは避けたいんだなあ。BSJも多いことだし。著者の生い立ちについて少し道徳教育の章に書かれているが、もう少しふくらませて欲しかった。確か、高橋先生の名前があったように思ったのだけど見つけられない。(最初読んだときは高橋昌一郎だと思ったが、日大哲学で検索すると高橋陽一郎だった。そして、僕にとって陽一郎先生は数学者なのであった。)いずれにせよ、本書の著者は成績が良いだけで東大に入ったという訳ではなく、何かの理由があって日大を選んでいるようで、僕にはとても好感が持てる。何しろ僕の周りでもまだまだ名前だけで会社を選んでいる大学生が多いもんだから。最後に、「アンナ・カレーニナ」のリョービンのことばから。「もし善が原因をもったら、それはもはや善とはいえないのだ。もしそれが結果として、報酬をもてば、やっぱり善とはいえないのだ。したがって、善は原因結果の連鎖を超越したものなのだ。」これってカントから来ているのかなあ。ちょっと違うのかなあ。もう1回1章を読まんといかん。そうそう、「おわりに」の読者へのメッセージを読んでちょっと大袈裟だけど涙が出そうになった。著者自身何らかの辛い思いを経験した上で出てきたことばなんだろうなあ。
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いろいろ問題があると思う。たとえば、選択的妊娠中絶の話をしようとする先生は、まず妊娠中絶のそのもの話をするべきだと思う。
とは書いたものの、非常にすっきりした文章なので、まあ哲学とか倫理学とか応用倫理学とかそういうのやりたい学生様は読んどくべきだと思います。(そして「自分で考える」べき)
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