教養の鍛錬 日本の名著を読みなおす (集英社新書)

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  • 集英社 (2024年7月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (224ページ) / ISBN・EAN: 9784087213232

作品紹介・あらすじ

【教養の情熱を味わう!】
『善の研究』『三太郎の日記』『愛と認識との出発』『風土』『「いき」の構造』『君たちはどう生きるか』……中高生から大人まで、誰もが一度は聞いたことのある日本の教養書たち。
しかし、名前だけ知っていてもページすら開いたことのない人がほとんどではないか。
そんな「読んだふり」をしてしまいがちな作品を、東京大学教養学部長を務めた著者が再読。
著者自身も約半世紀ぶりに読む教養書たちは、現代を生きる私たちにどのような示唆を与えてくれるのか。
名著の熱を味わいながら教養とはなにかを考える。

【目次】
第1章 「純粋経験」の熱気を受けとめる―西田幾多郎『善の研究』を読む

第2章 「人らしい人」へ至る道―阿部次郎『三太郎の日記』を読む

第3章 生と性の青春論―倉田百三『愛と認識との出発』を読む

第4章 日本人の「自己開示」―九鬼周造『「いき」の構造』を読む

第5章 考え続けることへのいざない―和辻哲郎『風土』を読む

第6章 「私たちはどう生きるか」という問いへ―吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を読む

【著者略歴】
石井洋二郎(いしい ようじろう)
東京大学名誉教授、中部大学名誉教授。
1951(昭和26)年東京都生まれ。
専門はフランス文学・思想。東京大学教養学部長、副学長などを務める。
『ロートレアモン 越境と創造』『ブルデュー『ディスタンクシオン』講義』『フランス的思考 野生の思考者たちの系譜』『東京大学の式 歴代総長の贈る言葉』など著書多数。

みんなの感想まとめ

教養の重要性を再認識させる内容であり、名著を通じて現代の私たちにどのような示唆を与えるかを探求しています。著者は、再読を通じて新たな発見や深い理解を得た経験を共有し、読者に対しても主体的に考えることの...

感想・レビュー・書評

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  • その時代の知識人や学生には必読の書とよばれるものを多く取り扱ったらしい。題材が傾向として京大文学部界隈、という気もしたが、必ずしも全てがそうではない。ただ、西田幾多郎『善の研究』 が軸になって展開されている所もあり、そういう印象を受けた。尚、恥ずかしながら紹介される書を殆ど私は読んでいない。解説を見ながら、何だか疲れそうだなと思ったが、この疲労感こそ読書の神髄だという事は実感として分かっている。ただ半端な気持ちで手に取れないという逡巡もある。教養の鍛錬とは、それなりに覚悟を有するもので、複雑だ。

    著者の考える教養とは。以下に文章を抜粋しながら考える。そして、本著で紹介される本の内容や順番にも当然ながら著者の狙いがある。『君たちはどう生きるか』を問いかけ、それに答えようとする衝動こそ、教養を身に着けたいとする欲動なのかもしれない。

    同時並行で別に読んでいる本があるのだが、その本で「なぜ思考をする前に言葉を発する事ができるのか」という問いがあった。頭の中でセリフを吟味して発話をする時もあるが、特に考えもせずに話し始めると流れるように自然に言葉が繋がっていく、という体験は珍しくない。今だって、私は文章を書きこみながら同時に思考をしている。この機能を「身体化」といって良いのかもしれない。そして、この話しながら、書きながらの文章の自動生成機能こそ、読書をすることで無自覚に受肉化されたもの。作者の思考をなぞったり、その思考と混ざったり、言葉を獲得したり、追体験したりという読書の蓄積なのではないだろうか。

    ー ひたすらにものを考えようとする無償の情熱こそが教養なのだと、私は思う。パスカルは人間を「考える葦」になぞらえた『パンセ』の有名な断章で「私たちの尊厳の根拠はすべて考えることのうちにある」と述べているが、これはそのまま「教養」という言葉の定義として読めるのではなかろうか。したがって私にとっての教養書とは、雑多な知識を明快に整理してわかりやすく提示してくれる書物ではない。そうではなく、読み進めているうちに読者を純粋な思考の結びへといざない、いつのまにか体ごと別の次元へと浮揚させてくれるような書物、言葉を換えていえば、それ自体がひとつの純粋で濃密な「経験」であるような書物、そうした書物のことを、私は教養書と呼びたいと思う。

    ー 昨今、教養という言葉はあちこちで目にするようになった。けれどもそれがしばしば単なる幅広い知識と同一視されていることには、かねてから強い違和感を覚えずにいられなかった。もちろん、いろいろなことを知っていること自体はけっして悪いことではない。だが、単なる情報だけならネットで検索すればいくらでも調べることができる。無機質な知識の貯蔵庫としての役割は、それこそAIに任せておけばいい。教養とは本来、もっと有機的で、感覚的で、身体的なものであるはずだ。その意味で、本書でとりあげた六冊の書物に共通しているのは情報化されることにたいして徹底的に抗う言葉たちのなまなましい息遣いであり、文字通りの(身体性)であったような気がする。知識を学習し、自分の頭の中にひたすらためこむことが教養とされる時代は、すでに終わりを告げた。それよりも重要なのは、他者が紡ぎ出してきた言葉と正面から向き合い、そこから発散する熱気を全身で受けとめて自らの「血肉と化す」ことではないか。

    ー 思えば西田幾多郎の「善の研究」も阿部次郎の「三太郎の日記」も、終始一貫してこうした問題意識に貫かれていたし、倉田百三の「愛と認識との出発」などはまさに、人生の意味を正面から問いなおす苦闘の記録であった。九鬼周造の『「いき」の構造』や和辻哲郎の「風土」は、人生論というよりもむしろ特定的な主題をめぐる哲学的考察であったが、それらにしてもやはり、深いところでは私たち自身の生き方そのものを問うことにつながっていた。人間はやはり、究極的には「私たちはどう生きるか」を考えずにはいられない存在なのだ。吉野源三郎が若い読者たちに向けて発した最後の問いは、他の五冊の書物とも共鳴しながら、私たちの内でまどろんでいた「考えること」への熱い欲望を揺り動かす。

  • 私には難しいと分かっていながら挑戦した本。

    日本の名著として取り上げられている本の中で、読んだことがあったのは、「君たちはどう生きるか」だけだった。筆者のように批判的精神を持ってして読んでいなかったため、書かれている内容に新しい発見があった。自分は本当の意味で頭を使って読んでいなかったことを思い知らされ、ガツンとやられた感じ。

    読書をしながら、もっと主体的に考えなければ。

    脳みそが本当に疲れた感じ。いきなり運動をして筋肉痛にになるように、脳みその使っていない部分が私にはたくさんある。

    「君たちはどう生きるか」は再読してみたい。そして、和辻哲郎「風土」から読んでみようと思った。

  • 東2法経図・6F開架:019.9A/I75k//K

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著者プロフィール

1951年生まれ。中部大学教授・東京大学名誉教授。専門はフランス文学、フランス思想。15年から19年春まで東京大学理事・副学長をつとめる。91年、ブルデュー『ディスタンクシオン』(藤原書店)の翻訳により渋沢・クローデル賞、01年『ロートレアモン全集』(筑摩書房)で日本翻訳出版文化賞・日仏翻訳文学賞、09年『ロートレアモン 越境と創造』(筑摩書房)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。著書に『フランス的思考』(中公新書)、『時代を「写した」男ナダール 1820-1910』(藤原書店)、共著に『大人になるためのリベラルアーツ(正・続)』(東京大学出版会)などがある。

「2020年 『危機に立つ東大』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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