- 集英社 (2024年10月17日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (288ページ) / ISBN・EAN: 9784087213355
作品紹介・あらすじ
安倍政権以降、「学力向上」や「愛国」の名の下に政治が教育に介入し始めている。
その結果、教育現場は萎縮し、教育のマニュアル化と公教育の市場化が進んだ。
学校はサービス業化、教員は「使い捨て労働者」と化し、コロナ禍で公教育の民営化も加速した。
日本の教育はこの先どうなってしまうのか? その答えは、米国の歴史にある。
『崩壊するアメリカの公教育』で新自由主義に侵された米国の教育教育「改革」の惨状を告発した著者が、米国に追随する日本の教育政策の誤りを指摘し、あるべき改革の道を提示する!
鈴木大裕 (すずき だいゆう)
1973年、神奈川県生まれ。教育研究者。
16歳で渡米し、1997年コルゲート大学教育学部卒業、1999年スタンフォ―ド大学教育大学院修了。
帰国後、千葉市の公立中学校で英語教師として勤務。2008年に再渡米し、コロンビア大学教育大学院博士課程で学ぶ。
2016年、高知県土佐町へ移住、2019年に町議会議員となり、教育を通した町おこしを目指しつつ、執筆や講演活動を行なっている。
著書に『崩壊するアメリカの公教育 日本への警告』(岩波書店)など。
みんなの感想まとめ
教育の現状とその未来について深く考察する本書は、安倍政権以降の日本の公教育における問題点を鋭く指摘しています。教育が新自由主義の影響を受け、学力向上や愛国心を名目に政治が介入することで、学校がサービス...
感想・レビュー・書評
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はじめに
びわ湖花火大会、ファーストクラス
知ってはいたけど衝撃的な内容
第1章「お客様を教育しなければならない」というジレンマ一新自由主義と教育
「お客様」と化した生徒・保護者の要望に応えつつ、教育機関として生徒指導対応策授業や生徒指導のマニュアル化学校の「塾化」、教育の数値化・標準化・商品化 ビジネス界の侵略
第2章 人が人でなくなっていく教育現場教員の働き方改革の矛盾
旭川中2いじめ凍死事件
新自由主義政府が推進する「学校における働き方改革」の矛盾
第3章 新自由主義の「富国強兵」教育と公教育の市場化一政治による教育の「不当な支配」
教育への政治介入:大阪の現状
大阪市立木川南小久保敬校長の提言
「生き抜く」世の中から「生き合う」世の中への転換を「自分があり得ないと思っていた時(戦中)の教員と同じ過ちを犯しているのではないか」
この校長先生、本当に立派な方ですね
第4章「自由」の中で不自由な子どもたち一コロナ渦が映し出した教育の闇と光
コロナ禍が映し出した教育の闇と光
マニュアル化する社会の閉塞感
イェーツ「教育とは、バケツを満たすことではなく、心に火をつけること」
マキシン・グリーン「私たち教師は、教え子や皆で分かち合うこの世界のために、より良い世の中を求める気持ちが無ければ、事務員や役人としての人生をまっとうするしかない。
私たちにとって、今ある世の中を再生産するだけでは到底足りないのです」
第5章「教師というしごとが私を去っていった」一教育現場における「構想」と「実行」の分離
日本の教育現場の息苦しさの正体
教員の労働に対する「疎外感」とバーンアウト
教師によるオリジナルのテストが消え、生徒の評価は数値化
規制緩和→教員不足→更に規制緩和
「疎外」という言葉の訳出が多分鈴木さん違うような?
「疎外」は「疎外感」ではなくて、「人間疎外」
マニュアル化によって人間らしさが無くなっていくということ。
終章「遊び」のないところから新しい世界は生まれない
資本主義社会への批判
遊びの反対は作者は「死」だと述べているが、
一般的には「能率化 」の反対だとすると、タイパ・コスパはまさしく、「遊び」の反対
タイパ、コスパ重視で仕事したりしてきたし、段取りマンだったから、結構意識してきたけど、考えてみると、なーにも残ってないんだよなあ。
タイパ、コスパを無視してやってきたことが、自分の貯金になってるってことにようやく気づく今日この頃。
パブリックスペース 結節点の大切さ述べてるのは、「コモン」の重要性を主張する方々と同じね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
教育がサービス化してしまっていることに警鐘を鳴らしている。現在の教育は、新自由主義、グローバル経済に対抗すべく、生徒の学力を伸ばすことを第一目標としている。そのためには成績という結果主義をすることで、教師の仕事をシンプル化、さらに警察などとの連携や外部委託化を増やすことでより教師の仕事を単純にしている。そしてこれは教師自体が部品化されていることを指している。
学校をグローバル経済の人材工場としてしまっている。そしてこれがさらに格差を生んでいる。というのも、富裕層の住む地域は学業以外が伸ばせる環境が充実してきており、学業以外を得意とするベテラン教師もここに集中するようになっている。たいして、貧しい地域は AI や新米教師しかおらず、ただ学業を伸ばすのみとなっている。
そもそものこの世の中のあり方、つまり経済成長を是としており、グローバル競争に勝つために、教育は経済を伸ばすことを第一目標としてしまい、どうしてもこうなってしまうのではないかと感じた。哲学的な視点とはなるが、幸福とは何か、豊かとは何かを再定義して、教育の目的自体を変えないと、現状の新自由主義的な教育も変えられないのではと思ってしまう。
経済成長を目的としている現状で教育を変えようとするのは難しいだろう。この状態で学力以外のものを目的にすると、それこそ「優秀」「優秀ではない」の基準があいまいになり、テストのように定量化されていない基準を作ることとなり、経験や生い立ち、育ちで判断するようなより格差を生む状況を作りかねない気がしている(経済成長を目的にしているので、どうしても優秀かどうかの判断が企業や社会で必要となってしまう) -
教育は大切である、これは誰しもが反対はしないであろう。教育には時間とお金がかかる。しかも、それが「正解」を導き出すかどうかわからない。ここ日本では、選挙や経済などの即時的なものに重きを置き、その日暮らしをしているようにしか見えない。ヒトが地球で存続していくためには、教育を真剣に考え、持続可能な社会にしていかねばならない。本書を読んで強くそう思った。
包括的で、骨太な著者の考えであるが、自分の思いが強すぎ、それがなぜ正しいのか、またどのようにしていけばよいのかという記述がない点が残念であった。 -
東2法経図・6F開架:372.1A/Su96h//K
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公教育が過渡期を迎え、教育の形は変わろうとしている。アメリカに次ぎ、日本でも新自由主義的思想、さらに政治が介入したことで、これまで行われてきた公教育の現場ではひとりひとりと向き合うことは減り、結果責任を押し付けられる始末に。大人たちの理由で、本来子どもたちが受けるべき公教育の形が失われてはいけないと思う。
鈴木大裕さんは、日本の公教育の現場やアメリカを見てきたからこそ、広い視野で捉えており、今の公教育に危機感を抱かれている。 -
おそらく共産党シンパの先生の本。しかし、経歴がマジですごいです。もちろん中身も。ノーム・チョムスキーを引用して「人を支配する良い方法は枠を決めたうえでその中で活発に議論させること」と述べてて、なるほどなと。あと給特法って知らんかった。埼玉超勤訴訟とか、大学の教員としても学びがあったと思った。
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教育者必読でしょう。
これからの教育はどこに向かっていけばいいのでしょうか。
私学も常に問をたてて、学校のあり方を考える必要があります。 -
・教育はサービス業
・お客様を教育しなければならない
・スタンダードという名の抑圧
・自由とは施されるものではない
・抑止力をなくした教師
・全国学テの行き過ぎた事前対策
・学校という場所で本当に学ぶべきものとは
・労働はもっと、魅力的であるべき -
2025年01月03日読了。
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現状の課題を丁寧に捉えており、共感するところが多い。しかし、その課題に向かって進まなければならない現場への新たな知見は乏しい。現状の課題分析の知見を広げる点で学びがあった。
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日本の教育現場を取り巻く息苦しさの正体が何かを様々な実例をもとに突き止めるとともに、これからの展望についての「光」を指し示してくれる一冊。
この書籍では、2016年に出版された同氏の著書「崩壊するアメリカの公教育」の8年後である日本の教育現場のいまが描かれている。
各章のタイトルは「『お客様を教育しなければならない』というジレンマ」や「人が人でなくなっていく教育現場」、「新自由主義時代の『富国強兵』教育と公教育の市場化」といった、読者をドキリとさせるものが多い。しかし、感情的ではなく教育研究者としての視点から、冷静に、実例を交えながら論を展開していく。
学習指導要領の転換や全国学力テストなどから見える「成果・結果主義」、教員の働き方改革の「本質的な議論の欠如」、部活動の地域移行という名のもとに進む「民営化・サービス化」、教育委員長の廃止。これらは新自由主義的な価値観に基づいた政府の介入によるものだと指摘している。
合わせて、教員たちの置かれた現状や、彼らが抱く切実な想いについても豊富に述べられている。
鈴木氏は、教育に関係する「点」としてのトピックスや出来事を、様々な研究や実例といった「補助線」を引くことによりその関係性を明らかにし、教育現場を取り巻く「全体像」を示している。そのためか、専門的な記述や情報が多いのにも関わらずとても読み進めやすい。
花火大会や旅客機で感じた「格差」、中学校教員時代に経験したこと、住んでいたニューヨークでの子育て経験、中学生のいじめによる凍死事件、大阪市教育行政への提言、奈良教育大学附属小学校「不適切」事件など。
教育研究者としての幅広く豊富な知識と、自らが感じ考えてきた視点、先人の紡いできた言葉、恩師をはじめとした多くの「教育者」とのかかわりから学んだこと、そしてこどもたちと現場で直接触れ合う中で経験してきたこと。
これらの「点」や「補助線」が教師のみならず、かつて学校に通う生徒であった読者1人ひとりに「自分ごと」として投げかけてくる。
しかし、本書は読者を絶望させる一冊ではない。むしろ希望の一冊だ。
心を打たれるのは、鈴木氏が本書を通じて語り続ける「学校のありかた」「教師というしごとの本質」である。
教師が、こどもたちと優劣のかなたで直接かかわり、彼らの生きる力を存分に育むことができる。
こどもたちが、教師の愛情と信頼のもとで、学ぶことや生きることそのものに喜びを感じ、精一杯に命を輝かせながら「わたし」を育んでいく。
こんな学校現場、そして社会になったら。こどもたちは、そして教員たちはどれほど幸せだろうか。
そして本書の終盤、鈴木は「社会のシステムを支えているのは「わたし」たちだ。私自身がその中の一人であると気づくことで、何かが動き始める。」と述べる。単に教育を取り巻く状況を嘆き憂うのでも、無力感に打ちひしがれるのでもなく、1人ひとりがまず知ること。そこから始まると。鈴木氏の言葉が、力強く、そしてあたたかく後押ししてくれる。
教師だけでなく、親も含むすべての「こども」に関わる人に読んで欲しい一冊である。
著者プロフィール
鈴木大裕の作品
