文庫版 書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (546ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087455229

作品紹介・あらすじ

明治二十年代中頃、東京の外れに佇む三階建ての灯台のような異様な本屋「書楼弔堂」。無数の書物が揃うその店で、時代の移り変りの中で迷える人々と彼らが探し求める本を店の主人が引き合わせていく。

感想・レビュー・書評

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  • 京極夏彦さんは京極堂シリーズ(は途中まで)、今昔百鬼拾遺のシリーズなどを読んできましたが、この書楼弔堂シリーズも前から読んでみたかったんです。

    江戸の町の書楼弔堂の亭主は「ただ一冊、大切な本を見つけられればその方の仕合わせ」と云っている本屋です。
    しほるという小童がひとりいます。

    高遠という弔堂の常連客が主人公で、探書 壱から探書 陸までの六話に渡って現れる客に弔堂の主人がその客に合った一冊の本を薦める話です。


    以下ネタバレありますので、これから読まれる方はお気をつけください。



    高遠の連れてくる客は臨終間際の絵師、月岡芳年。書生時代の泉鏡花。哲學館を創設し、後に妖怪博士と呼ばれた井上圓了。ジョン万次郎の連れで勝海舟に「名を捨てて生きろ」と云われた男、岡田以蔵。児童文学者となった巌谷小波。そして登場人物ではありませんが夏目金之助や尾崎紅葉、福沢諭吉などの名前も出てきます。


    エンタメ度は他の作品より低いと思いますが、近代文学の好きな方は楽しめる作品なのではないでしょうか。
    時代を超えた格調の高いビブリオミステリーで、私にはちょっと難易度が高い作品でした。

    • 傍らに珈琲を。さん
      まことさん、こんばんは~☆

      仰る通り、格調高いビブリオミステリーって感じでした。
      でも、解決時の弔堂の決め台詞があったりと、水戸黄門のよう...
      まことさん、こんばんは~☆

      仰る通り、格調高いビブリオミステリーって感じでした。
      でも、解決時の弔堂の決め台詞があったりと、水戸黄門のような、崖っぷちで犯人を追い詰める火サスのような…←スミマセンっ笑

      私は好きなタイプだったので、このシリーズも長く続くことを願いますが、サブタイトルが夜明け、真昼、夕暮れとなっているので、朝から晩までぐるりと回ったら終わってしまうのでしょうかね。

      京極先生の作品は、「京極堂シリーズ」、「ルー=ガルー」と揃えたつもりでいたのですが、
      自宅書棚を確認したら「百鬼夜行―陰」や「百器徒然袋」の雨や風も持ってたみたいです。
      内容、忘れてしまったー汗
      読み直しはいつになるのやら…です。
      2023/08/15
    • まことさん
      傍らに珈琲を。さん、こんばんは♪

      京極さんの、作品たくさん、読まれているのですね!
      私は、弔堂は、破暁のみで、あとは、百鬼夜行シリーズと、...
      傍らに珈琲を。さん、こんばんは♪

      京極さんの、作品たくさん、読まれているのですね!
      私は、弔堂は、破暁のみで、あとは、百鬼夜行シリーズと、京極堂シリーズの『鉄さの檻』?の前までしか読めていません。とにかく、京極さんは、長い!です。
      読み直しまで、されるなんて、凄いです(*^^*)。
      2023/08/15
  • 探書をめぐる明治初期の物語ですね。

    まことさんの本棚レビューを見て、とても気になり直ぐに買い求めましたが、面白過ぎて読むのに時間がかかりました。
    とにかく、ワクワクしながら堪能しました。
    まことさん、ありがとうございます。

    連作短編の六篇の探書です。
    京極さんの本は、これが初読みです。
    魑魅魍魎、怪奇、妖怪小説のイメージが強い方なのかなと、勝手に思い込んで敬遠していましたが、この本は違います。
    確かに、その類いの話は出てきますが、「人は何故、怪を好むか?」の理路整然とした、京極さんのポリシーがよくわかる内容になっています。
    近代文学に興味があって、三十才頃にこの時代の随筆を中心に読み漁った事があります。歴史小説や時代小説も同時にかなり読んだ年齢でした。
    私の読んだ知識と(頭が悪いので、うろ覚えですが?)、かなりリンクして、京極堂さんの軽快でいて、知的な語りに魅力されながら、酔うように読み進めました。
    京極堂さん、人気の秘密は色々あるように思いますが、なんとなくファンの気持ちがわかるような気がします。
    まだ、一冊目なので、このシリーズを続けて読んでみたいですね。
    京極堂さんの他の作品とリンクしている登場人物や事変がありますが、あまり気にせずに読めますから、まずはこのシリーズを探書してみたいです。

    • まことさん
      ひだまりトマトさん、こんばんは♪

      『書楼弔堂』読まれたのですね。
      私は、京極堂シリーズから入り、まだ、最初の4冊くらいですが、次に河童とか...
      ひだまりトマトさん、こんばんは♪

      『書楼弔堂』読まれたのですね。
      私は、京極堂シリーズから入り、まだ、最初の4冊くらいですが、次に河童とか、鬼とかのシリーズを読み、次にこのシリーズを手に取りました。このシリーズは、破暁の次の、炎昼をまだ、積んでいます。長編なので、なかなか、手を出せずにいます。
      もし、このシリーズが、気に入られたら、京極堂のシリーズも是非!
      2023/05/20
    • ひだまりトマトさん
      まことさん、こんばんは。

      コメントありがとうございます。
      まことさんのレビューを見て、書籍にまつわる話らしいと、興味がわきました。
      ホラー...
      まことさん、こんばんは。

      コメントありがとうございます。
      まことさんのレビューを見て、書籍にまつわる話らしいと、興味がわきました。
      ホラーやオカルトは苦手なのですが、あるいはと思って、読んでみて正解でしたね。ありがとうございます。
      このシリーズなら、私は楽しめそうです。
      おっしゃる通り、かなりのページ数になりますから、読むのに時間がかかりますが、楽しみが増えました。
      短歌も少しずつ調べています。
      まことさんが、レビューで色々なヒントを出されているので、大変役にたっています。こちらも、ありがとうございます。
      ゆっくりですが、どちらも楽しみたいと思います。

      これからもよろしくお願いしますね。
      2023/05/20
  • 魍魎の匣以来の京極夏彦さん。またまたどっぷりと浸かりました。足りない知識、いろいろ調べながら読んだので思いのほか時間が掛かりましたが物語は読みやすく、思いもかけない繋がりも出てきて、ますます本を読みたくなります。
    弔堂の主曰く、ただ一冊、大切な大切な本を見付けられれば仕合わせとのこと。
    私にとっての一冊に出会えるのだろうか?
    その一冊から立ち上がる現世は果たして・・・・
    誰も知らない。

  • 夏なので、京極先生でも読むかな~ということで。
    自宅書棚の京極堂シリーズを読み直すのも、
    かなり分厚い為に気安く手を出せず、
    未読だった弔堂シリーズに手をつけた。
    いい表紙だなぁ…これが弔堂の入り口なんだね。
    異質な存在感も匂いも感じるし、その戸を開けて入りたくなる。

    舞台は明治20年代の半ば、東京の外れ。
    明治といえば文明開化。四民平等。
    今の私たちの生活に欠かせないアレコレが生まれたのもこの時代。
    郵便局、鉄道、銀行…。
    ただ、西洋の文化が流れ込み、精力的に新しい時代の波に乗るものも居れば、置いていかれるものも居る。
    例えば、武家の者。
    そんな高遠が、ナビゲーターのように読者を誘ってくれる。
    高遠は時代の流れに惑っているだけなので、誘うつもりなど毛頭無いのだが。

    高遠のセリフに「天狗の赤と村井の白」「岩谷天狗は薩摩、サンライスの村井は本拠が京都…僕の雇い主は駿河の出だ。うちの将軍と云うのは、あれは権現様のこと」とあるが、
    「天狗の赤と村井の白」は実在する。
    岩谷松平(別名を岩谷天狗)は鹿児島の実業家で、当時、紙巻煙草が流行りだした時に、彼も煙草製造を始めた。
    赤い天狗をトレードマークにした口付きの「天狗煙草」だ。
    そして、サンライスの村井とは京都に本拠を持った村井吉兵衛。
    シンボルカラーは白。
    国産初の両切り巻き煙草の「サンライス」を製造販売して、たばこ王と呼ばれたらしい。
    二人は対照的で、何かにつけて比較されたらしい。
    一方、高遠が勤めていた先は「将軍煙草商会」とある。
    駿河の権現様と言えば徳川家康。
    煙草が日本に伝来した当初、お上は禁煙令をしいていた。
    すぐに禁煙令は解かれるのだけれど、「将軍煙草商会」なんて社名からして、しのぎを削る商家の岩谷と村井には到底敵いそうにない。

    もしかして…と思い、続く為三が言う「医学の南江堂」と「漢書の松山堂」を検索してみたら、こちらも実在していた。
    同じように、「川崎紫山」も実在し、『西南戦史』は代表作らしい。
    「滑稽堂の秋山武右衛門」も実在した浮世絵の版元だ。
    京極先生の変わらぬ博学多才ぶり。
    私自身、知らぬことが多いが故に、調べながら読み進めることになる。
    思わずにんまりしてしまう。
    こういうのがまた楽しいのだ。
    この後も、知られた名の者が続々と登場する。
    それも現実の歴史上の背景を背負って登場するものだから、真実味が増し、あっという間に現実と虚構が入り交じる世界観に入り込んでしまうこととなる。

    さて、いよいよ高遠が弔堂へ足を向ける。
    やっと弔堂に足を踏み入れると、窓が無く、一定の間隔で幾つもの蝋燭が燈されている。
    煤の色も透けているし、燈火もしっかりしており、高遠は、上等の和蝋燭だろうと思う。
    そうなんですよね、和蝋燭って炎の柱が大きいのだ。
    良い和蝋燭って煤も出にくくて、
    芯の根元に溶けた蝋が綺麗に溜まって、
    その熱い蒸気と周りの酸素を取り込んで、大きく凛とした炎がすっくと立ち上がる。

    弔堂のその明かりが万燈会染みていると本文にはあったが、私の頭の中には、万燈会というより落語の死神のラストシーンのような映像が浮かんだ。
    高遠も僅かな間だが、この燈火が遠くまでずっと続いているかのような錯覚にとらわれる。

    すでに京極ワールドに落ちていたが、燈火の中を歩む高遠と共に、私もじわりじわりと、その世界の奥へと歩みを進める。
    積み上がる本に平衡感覚を失って、見上げたままグラリと体が揺らぎそうだ。
    こういうところ、本当に京極先生は上手い。

    と、焦らしに焦らしてここでやっと、やっと、店主が登場する。

    店主に「撓」(しおる)と呼ばれた小童の名前の響きが綺麗だと思ったのと、全く読めない漢字だったため調べたら、「みだす/みだれる/たわめる/たわむ」という意味を持つ漢字だった。
    そこでやっと「不撓不屈」の「撓」であることに気付く。

    この後直ぐに弔堂には物語の1人目の客人、浮世絵師の月岡芳年が訪れるのだが、
    その前の店主と高遠のやり取りの、店主の言葉に、早くも私はやられてしまった。
    「本は内容に価値があるのではございません。読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がる。ーそちらの方に価値があるのでございます」
    「立ち上がる現世(うつしよ)は、真実の現世ではございません。その人だけの現世でございますよ。だから人は、自分だけのもう一つの世界をば、懐に入れたくなる」
    「読んで、何かを感得したとしても、もっと上があるやもしれぬ、次はもっと素晴らしいかもしれぬと思ってしまう。これぞその一冊と決め兼ねて、また次を探す。ですから本は、集まるものではなく集まってしまうものなのでございましょうな」
    本自体の価値もあると思うけれど、極論なのだろうけれど、胸を掴まれてしまった。

    そして訪れた絵師月岡芳年も、きっと手渡された書物に「これぞ己が為の一冊」と確信し、納得し、癒され、救われ、最後の時を過ごすに違いない。
    月岡芳年でもなく、一個人、吉岡米次郎として接し、余計な事はあえて触れずに話を聞く。
    そして芳年の帰った後、月岡芳年の背景について店主が高遠に語るシーン。
    そこは京極先生のこと、史実に基づいた本当の話だ。
    月岡芳年の無惨絵は有名。
    けれど、そう呼ばれる作風ばかりを描いていたわけではなく、新しい技術にも果敢に挑んだ人気の絵師だった。
    神経を病んでいたことも、仕事をする上で弟子に厳しかったことも、しかしながら面倒見もよくて弟子を大切にしていたことも、残されている。
    勿論、死因も。
    因みにウイリアムジェームズ氏の超常現象への定義や、著書The Varieties of Religious Experienceもだ。

    そして芳年に手渡した書籍について語るとき、店主は、本を求めた芳年の真実を語る。
    「だからあの方は、見えずとも読める。読めずとも理解できる。あの方だけの現世(うつしよ)が立ち上がるなら、それは読者です」
    これには痺れてしまった。
    何かに思い悩んでいる時なら、店主の言葉にウルウルしてしまいそうだな。。。
    って、毎度の事ながら、私は入り込み過ぎだろうか 笑

    『探書 弐 発心』で訪れるのは尾崎紅葉の弟子。
    この弟子は、観音力に相対する陰の鬼神力にどうにも惹かれてならない己の内心に悩んで弔堂を訪れる。
    師の著作の言葉や文章に観音力を求めて、師を尊敬し続けながらも、陰・怪に美しさを感じ惹かれ求めてしまう己が、師を貶めることにならないだろうかと思い詰めているのだ。
    尾崎紅葉の弟子とは即ち、若き泉鏡花だ。
    少し検索すると、
    泉鏡花はこの世には超自然の力が働いていて、荒ぶる力の「鬼神力」と癒しの力の「観音力」として人間の前に現れる、という信仰を持っていた
    との記事があった。
    加えて、潔癖症であったことも、畠芋之助名義の話も。

    弔堂店主は、例えばの話で、目の前に二筋の道を提示する。
    右は平坦で短く真っ直ぐな道。
    左は遠回りの凸凹した険しい道。
    「目的地に着くことだけを目指すのならば、右が正解でございましょう。しかし道を行くことそのものが目的であるのなら、左こそが正解となりましょう」と弔堂は言う。
    この言葉にも、救われる読者が居るように思える。

    どんな形であれ、人は悩みや苦悩を抱える生き物で、それって他人からどう解かれようと、結局は己の内側から解決しなければ救われないのでは?と私は思う。
    それに、悩みや苦悩の大小も、他人がとやかく言って決めつけるものではない。
    弔堂のような本屋が、本当にあれば良いのに。

    近頃「生きづらい」という言葉がよく聞かれるようになった。
    きっと以前から存在していたのに、急にメディアが取り上げて使い出したんだろうね。
    けれど多くのメディアが取り上げるそれは若者が多く、現実は若者に限らず、子供も、働き盛りの年代も、高齢者も、性別を問わず皆が抱える思いであるはず。
    気軽に「生きづらい」というワードを出しすぎでは?と思うときも確かにある。
    けれど、"何か"に追い詰められて、その"何か"に関しては打ち明けられる人もおらず、孤独だった場合、弔堂のような場所に救われる人は多いんじゃないかな。
    そんなことをあーだこーだと思うのは、私が小煩いオバサン世代になったからだろうか。

    『探書 参 方便』では、つい最近フォロワーさんとの間でお話を交わさせていただいた狐狗狸さんが登場人物達の話題としてあがったので、
    一層前のめりになってしまった。
    始めの客人は勝海舟だ。
    安芳(やすよし)と改名したのを「"アホウ"と書いて"やすよし"だ」との本文に、うまいこと言うなぁと思ったが、
    勝本人が実際、そのように自虐的に言っていたようだ。
    「信心ってなあ信じる心じゃあねえ、心を信じることだ」
    「ただ無闇に信じ込むだけなら、それはただの妄信だ、迷信だと云う。真の信心をするためには理を知れ」
    「理を知り迷妄を棄却するためには哲学が要る」
    これらは心に響いた。
    それと、
    「正すも学ぶも主体あってこそだな。その主体がねえから、何が正しく何が正しくないのか判らねえ。悪いとこまで倣っちまう。」
    って言葉。
    文章を読むと"そりゃぁそうでしょうよ"と思いそうだが、
    人は時に自分という主体を失くして、○○が良いのだと全てにおいて何者かに傾倒してしまうものだ。

    ただこれはあくまでも1人目の客人、勝海舟の語り部分。
    主である弔堂の出番は、この後の真の客人である井上圓了が訪れてからだ。
    (因みに井上圓了は狐狗狸さんの仕組みを科学的に説いた人)
    私はこの『探書 参 方便』が一番好きだった。
    哲学的でありながら読みやすく、自分の深いところに残る文章が沢山あった。

    『探書 肆 贖罪』にある、中濱老人の「人は喰うてなんぼです。どんな境遇でも喰えるものがあって、それを喰うておれば、生きる」も、いい言葉だった。
    時代も背景も別物だが、私の好きなカルテットというドラマに、「泣きながらご飯を食べたことのある人は生きていけます」(だったかな?)という松たか子のセリフがある。
    脚本は坂元裕二さんなので、お好きな方は、どの作品でもみられる絶妙なセリフの掛け合いをよくご存知だと思う。

    さて。
    「あんなに大勢が死ななければ、世の中と云うのは変わらんものですか」
    「死んで通す筋も、殺して通す筋も、ないですよ。いやいや、あっちゃいかん。…………人は生きてこそです。生きて、苦労して通して、それで通るなら、それは正しい筋だ。」
    これも前者と同じく中濱老人の言葉だが、胸を打つ。
    さて、この中濱が救いたいと、連れ歩いている男は誰なのか?
    悲しい話で、泣けた。

    二番目に好きだったのは『探書 伍 闕如』。
    「道は、外れさえしなければいいのです。間違うことはございません。道は凡て繋がっているものなのです。」
    「歩むことこそが人生でございます。ならば今いる場所は、常に出発点と心得ます。」
    など、響く言葉が満載だ。
    誰が言ったのか忘れてしまったが、
    "Today is the first day of the rest of your life.
    "
    という好きな言葉がある。
    今日という日は残りの人生の最初の日。
    人は、いつだって何度だって再スタートできるのだ。

    ラストの『探書 陸 未完』でも、考えさせられる言葉が並んでいた。
    そして…きゃー!中禅寺!
    京極堂こと中禅寺秋彦のお祖父様が登場!
    京極先生の「後巷説百物語」などの百物語シリーズと、「姑獲鳥の夏」などの京極堂シリーズとの間を繋ぐのが弔堂シリーズなのかな?
    私は百物語の方を読んでいないので分からないのだが。
    そして、高遠もこの破暁をもって物語から去って行く。
    色々な意味で、衝撃というか、ハッとさせられる一冊だったな。。。
    破暁とは、夜明けの事。
    次は炎昼なので、真夏の昼間。
    その月は待宵なので、十五夜の前夜。夜というより夕暮れなのかな…。


    弔堂の主の決め台詞は「どのようなご本をご所望ですか」なのだが、
    前述してきた通り、客人は本を求める前にたっぷりと弔堂から精神のケアがなされるものだから、
    その台詞を受け取る時分には、自らが求めるべき本をすっかり感じ取っている。
    客人の、「…な本を。」という求めに応え、弔堂が数ある蔵書の中から書を差し出すという流れだ。
    客人は弔堂と言葉を交わしながら、己が何を成し、何に迷い、何を求め、どちらを向いて歩もうとしているのかを、己の内側からの気付きによって本を求めるのだ。
    弔堂が始めから客人に見合う本を勧めるのでは意味がない。
    己で気付くことが大切なのだから。
    本書は物語としても面白く、京極夏彦ファンとしても傑作間違いなしなうえ、
    作中の数々の言葉に救われる読者も多いのではないかと思われる。


    ネット記事で読んだ。
    京極先生は、1文がページを跨がないようにしているのだとか。
    「たとえば文がページをまたいだほうがいいというテクニックもあるんです。ただ今のところ、そういうハイテクニックが僕には使いこなせていないというだけです。」
    と謙遜されての発言だったけれど。
    こういう情報を得てから小説を読むと、また違った趣も感じられる。

    夏だからって、ホラーは怖すぎて私には無理。
    けれどちょっぴり不思議を味わいたい。
    そんな思いから手に取った小説だったが、
    文明開化や四民平等、義や倫理などが散りばめられた物語から、日本の歴史、戦争や人の生き様をも考えるに至り、この8月に読めて良かった。

    • アンシロさん
      傍らに珈琲を。さん、はじめまして。こんにちは。

      本棚を拝見していて本の表紙にとても惹かれる物がありました。恥ずかしながら有名な作家さんなの...
      傍らに珈琲を。さん、はじめまして。こんにちは。

      本棚を拝見していて本の表紙にとても惹かれる物がありました。恥ずかしながら有名な作家さんなのに作品を読んだ事がないので、ぜひこちらを読んでみたいと思いました。

      レビューが参考になりました。ありがとうございます。またお邪魔しますのでよろしくお願いします。
      2023/10/27
    • 傍らに珈琲を。さん
      アンシロさん、はじめまして!
      コメントとフォローを有難う御座います、嬉しいです♪
      しかも本棚も見てくださったとのこと。
      嬉しいです~♪

      い...
      アンシロさん、はじめまして!
      コメントとフォローを有難う御座います、嬉しいです♪
      しかも本棚も見てくださったとのこと。
      嬉しいです~♪

      いえいえ、私こそ有名な売れっ子作家さんの小説なのに読んでいなかったりして、お恥ずかしい限りです。
      好みが偏ってまして。。。
      それでもブクログの皆さんのお陰で、昔よりかなり間口が広がって参りました♪

      弔堂シリーズは第1弾が本書『破暁』、第2弾までが文庫になっていて『炎昼』、第3弾は『待宵』です。
      私も『炎昼』を積んでいるので、そのうちまた読み進めようかと思っています。

      また是非お越しください。
      後程アンシロさんの本棚、お邪魔させて頂きますね。
      2023/10/27
    • アンシロさん
      コメント、本棚見ていただきましてありがとうございます。おはようございます。

      弔堂シリーズは3作品あるんですね。楽しみです(^^)
      今後とも...
      コメント、本棚見ていただきましてありがとうございます。おはようございます。

      弔堂シリーズは3作品あるんですね。楽しみです(^^)
      今後ともよろしくお願いします!
      2023/10/29
  • 初めて読んだ京極夏彦先生の作品。
    表紙の「弔堂」はドールハウス⁉︎ 凄い。

    六話収録。

    この物語は’奇’ではあるが’怪’ではない。

    明治二十年代の東京。「燈台みたいな変梃な」(p21)書舗を訪れる種々の客たち。
    この客たちというのが普通の客ではないのだが、その正体は各話とも初めは伏せられており、その正体が明かされるまでのワクワク感が堪らない。
    また、真名が伏せられている間の会話等に所々ヒントとなるような情報が散りばめられており、客が誰かを推理することも決して不可能ではない…というよりも詳しい人ならばすぐにピンと来るのかもしれないが。

    どの話も好きだが、〈探書肆 贖罪〉が特に良い。「鯨を捕ったり金を採ったり」(p288)した中濱という男…こちらはまだわかりやすい。ではもう一人の男は誰?…え⁉︎
    これはたまげました。

    これらは勿論、京極先生による創作ではあるのだが、実際ほんとうにこんな出来事があったのではないだろうかと思わせられる凄味がある。

    まるで夢幻のような小説。


    1刷
    2022.3.21

  • 久々の京極作品。
    あぁ、これは面白い。京極節が炸裂している。

    江戸の匂いが残る明治で弔堂と言う名の、今で言う古本屋での話。

    話の中で有名人登場させ、その有名人のエピソードがまた面白い。

    本は読まれなければ死んだと同じと言う弔堂の主人。
    成る程、確かにそうだ。
    この本を読んで私は再読しないであろう本たち400冊を売ることを決めました。

    読書とは本当に底無しだと思う。
    面白い作品に出会えば、もっと面白いものがあるだろうと更に読んでしまうし、
    余り面白く感じない作品ですら、次こそは!と読んでしまう。
    私は自分の人生の一冊となる本に出会える事が出来るでしょうか。

    本書は、本がもっと好きになってしまう、そんな一冊だと思います。

  • かなり面白かったです!
    久しぶりに夢中になって読み、物語の世界に浸ることができました。
    物語の中で書楼弔堂を訪れるのは勝海舟やジョン万次郎などの歴史上に実在するの人物。
    私は歴史好きなのでこの設定もハマりました。
    どの章も面白かったですが、好きな作家の1人である泉鏡花が出てきた話は特に印象に残っています。

    弔堂の主人曰く、「生涯に必要な本はただ一冊」。
    ならば私にとっての一冊はどんな本なのだろうと考えてしまいます。

  • 530頁超なのですから、普通なら「厚っ!」と言いたくなるところ、京極さんならば「わりと薄いやん」と思ってしまう不思議(笑)。

    明治20年代半ば、三浦しをんの『月魚』をさらに趣深くしたような古書店“書楼弔堂”。近所に越してきた男・高遠の目を通して、弔堂の主人と客とのやりとりが描かれます。知らずに読むほうが楽しいのでここに書くのは控えますが、客として登場するのは歴史上の有名な絵師や作家などなど。客の話に耳を傾ける主人が「この人のための1冊」を選び取るまで。

    原田マハの『暗幕のゲルニカ』のごとく、史実を基にこんな物語を編み出すとは。静謐さの中にもユーモアがあってしばしばニヤリ。日本語の良さを目一杯感じさせてくれます。

    世の中に無駄なものは無し。無駄にする者がいるのだというだけ。無駄にするかどうかはその人次第。

  • 明治時代の書店に通うようになった世捨て人、高遠が主と共に来店する客とのやり取り。主に客が当時の文豪だったり偉人なので正体が明かされる時、ワクワクして読めました。

    短編連作ですが、最後の「未完」の
    生には決着はない。だらだらと続くもの。という内容が印象的でした。何者にもなれず、人生未完成ならそれならそれでいいと言う主人に、少し救われた気持ちになりました。

    また当時の人々の生活風俗がよくわかり、「丸善」など歴史ある書店も紹介され思いを馳せることができました。

  • あまりおぼえてない。
    読んだのは確か。

    • 傍らに珈琲を。さん
      なるほど。
      私は京極先生から長いこと離れてたからな~。
      だから別物として楽しめたのかも。

      その変わりに自宅本棚から中途半端に読み進めた「百...
      なるほど。
      私は京極先生から長いこと離れてたからな~。
      だから別物として楽しめたのかも。

      その変わりに自宅本棚から中途半端に読み進めた「百鬼夜行 陰」やら「今昔続百鬼 雲」が出てきまして。
      内容ほとんど忘れてるし、
      鬼や天狗を読んでないのに「今昔続」読んだようですし…汗

      先程まことさんに、鬼・天狗・河童を纏めた「月」が発行されていると教えて頂いたので、
      いつかそれを求めようかと思ってます。
      2023/08/15
    • 土瓶さん
      そのほうがいいと思います。
      鬼・河童・天狗ってそれぞれ出版社が違ってて何かめんどい。
      「月」はノベルスだからいいよ。
      そのほうがいいと思います。
      鬼・河童・天狗ってそれぞれ出版社が違ってて何かめんどい。
      「月」はノベルスだからいいよ。
      2023/08/15
    • 傍らに珈琲を。さん
      でもさ、ふと思ったのは文庫の「絡新婦の理」くらい厚みがあったらどーしよって。
      新書サイズならそんな事ないか 笑
      でもさ、ふと思ったのは文庫の「絡新婦の理」くらい厚みがあったらどーしよって。
      新書サイズならそんな事ないか 笑
      2023/08/15
  • 去年から読みかけの鉄鼠の檻(別シリーズ)より先に読み終わってしまった。主人公の述懐が多めだけれど明治時代の不思議な書店に纏わるお話(大意)として納得の読み心地で面白かった。現代でも名を残している著名な作家が楼『弔堂』に関わる短編6編。誰が題材になっているのか探りながら読む趣向もあるのかな、勘や博識な人は『探書二発心』の尾崎紅葉の弟子で金沢出身くらいでピンと来ただろうけれど私が気付いたのはかなり終わりの方だった。『探書伍闕如』の弔堂の主が話す闕如のくだりに唸った。ここ、読めてよかった。
    次の『炎昼』も読もうっと。

  • 明治二十年代、書楼弔堂に訪れた人が本を買っていく物語
    登場人物は実在した後の偉人や、京極の他作品と関係のある人、架空の人物等様々


    シリーズ1作目
    コネで煙草製造販売業に就くも、風邪を結核と怪しんで休職して別居に移り住んだ男 高遠
    元幕臣の嫡男であるものの、元服後は御一新があったために武士としての矜持もない
    父親の遺産があるため、食いつなぐ分には普通に生活できる
    風邪が治った後もダラダラと別居を続け、近所を散策していたときに書楼弔堂に邂逅する
    「世界で一冊しかない自分だけの本」を求める店主が、いつの間にか集まった書籍を弔うために本を売っているという
    そんな弔堂に訪れる人々の悩み
    店主はそんなお客にどんな本を勧めるのか?

    主な登場人物は高遠と他二人ぐらい
    元僧侶である弔堂の主人
    弔堂の丁稚 撓(しほる)は見た目は美童だが口が達者
    他は店に訪れるお客

    「後巷説百物語」の「風の神」からおよそ十五年後という舞台設定で
    最後まで読めば、あのシリーズとの繋がりも……

    史実を踏まえて虚構を愉しむ物語ではあるけれども
    どこまでが史実なのか、歴史に詳しくない私にとっては判別が難しい
    読み終わった後に調べてみて、そんなエピソードや後に判明した齟齬など、実際に存在する事を知る


    ・臨終
    月岡芳年
    最後の浮世絵師といわれる人物
    主に残虐怪奇な無残絵が有名らしい
    シリーズ開始初っ端に産女を出してくるあたりが京極なりのファンサービスかな


    ・発心
    泉鏡花
    デビュー当時の筆名が畠芋之助というのは本当のようだ
    ただ、なぜそんな名前にしたのかは不明

    本名からして耽美を感じるのに、何故にそんな芋っぽい名前にしたのかという不思議


    ・方便
    井上円了
    京極ファンからしたらこの人の名前はよく聞く
    本人としては、怪力乱神を否定するために様々な怪異情報を収集していたけど、その網羅性と分類の適切さにより妖怪学の始祖とされている
    となると、画図百鬼夜行がその本というのも納得

    由良の関係者が登場するのも京極ファンとして嬉しい
    巷説百物語シリーズ「風の神」、百鬼夜行シリーズ「陰摩羅鬼の瑕」を繋ぐシリーズだというのがよくわかる


    ・贖罪
    ジョン万次郎
    中濱といわれてもピンとこないけど、その来歴の違和感から想像すると該当者はそうなりますよね
    そしてメインは岡田以蔵

    岡田以蔵は明治になる前に処刑されたはずだけど
    ジョン万次郎の護衛をしていたという記述も残っているという矛盾が基になっている

    井上円了のときにも出てきた勝海舟の図らいと人となり
    生きている人優先という考え
    岡田以蔵は「生きている」人ですからねぇ


    ・闕如
    巌谷小波
    少年少女向けの「こがね丸」を発表した事で、児童文学の先駆者とされているようだけど、浅学の身のため聞き覚えがない
    実は今で言うオタク的な収集癖があったともされるようだ

    確かに、自分の好きな書籍のこだわりや執着の仕方が現代のオタクに通じるものがある


    ・未完
    中禅寺輔
    これまで実在の人物を出してきて、ここにきて百鬼夜行シリーズの中禅寺の祖父を出してくるとは
    流石は京極先生、やってくれる!

    物語としては、相変わらず暇な日々を過していた高遠が撓に頼まれて本の買い取りを手伝うことになる
    その買い取り先が中野にある神社で、宮司をしているのは中禅寺輔だった

    中禅寺輔は中禅寺秋彦の祖父なのですね
    輔は父である洲斎が亡くなり、神社を嗣ぐため、妻と生まれたばかりの息子を残して一人実家に戻る
    今は神社を継ぐために神職の勉強や修行をしているところ
    買い取って欲しいという大量の本は洲斎が懇意にしていた戯作者菅丘李山の遺族から譲り受けたもの

    菅丘李山は「巷説百物語」主人公の山岡百介の筆名


    輔は神職を嗣ぐ決意をしたものの、陰陽師の在り方には否定的
    所詮ペテン師の類いなのではないかという疑問
    「迷信、まやかしは不要で滑稽なもの」と思っている

    まぁ、この疑問に対しては今作でも随所で語られている言葉や百鬼夜行シリーズで京極堂が語る言葉が答えなのではなかろうか



    「言葉は普く呪文。文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物でございます」

    「書き記してあるいんふぉるめーしょんにだけ価値があると思うなら、本など要りはしないのです。何方か詳しくご存じの方に話を聞けば、それで済んでしまう話でございましょう。墓は石塊、その下にあるのは骨片。そんなものに意味も価値もございますまい。石塊や骨片に価値を見出すのは、墓に参る人なのでございます。本も同じです。本は内容に価値があるのではなく、読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がる――そちらの方に価値があるのでございます」

    「心は、現世にはない。ないからと云って、心がない訳ではない。心はございます。“ない”けれど、“ある”のです」「“ない”ものを“ある”としなければ、私共は立ち行きません」



    京極堂の憑き物落としにしても、実際はどうあれ、本人がそう思っているものというのが重要なんだよなぁ
    思い込みにより、「ない」ものを「ある」ものとしながら、「ある」ものを「ない」とする事もできる
    何とも哲学的ですなぁ





    あと、この物語の一番大事なところは、人それぞれ人生の一冊に出会うまで探し続けるというところでしょうか

    「本当に大切な本は、現世の一生を生きるのと同じ程の別の生を与えてくれるのでございますよ。ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです」

    私もそこそこな冊数を読んできているけれども、果たして人生の一冊に出会っているのだろうか?
    名刺代わりの10冊に挙げる事ができる作品はいくつかあるけど、その1冊あれば十分という本にはまだ出会えていない
    というか、今後も出会える気がしないんだがなぁ……

    もう、書楼弔堂に行くしかないっすねw




    それにしても、巷説百物語シリーズと百鬼夜行シリーズを繋ぐ重要なシリーズとは最初に読んだときは驚いたなぁ
    さらに、出版社が「どすこい」「南極(人)」を出している集英社というねギャップがありすぎでしょw

    それにしても中禅寺秋彦は祖父に育てられたんだっけ?
    で、敦子さんは奥さんの実家という、兄妹で別々の家で育てられたという
    この辺の事情は明らかになってないんだけど、今後ちゃんと明かされるときが来るんだろうか?

  • 面白かったー!
    明治20年代の東京。異様な本屋、書楼弔堂には無数の本が集められおり、己の一冊を求めて迷える人々が訪れる。
    そこの主人は迷いを晴らし、その人のための本を紹介する。
    まるで京極先生の説教を間近で聞いているような贅沢な気分になる本だった。

  • 書楼弔堂シリーズの第1弾。先に読んだ『炎昼』の方が第2弾であったか!ま、スタイルはまったく同じ(「私は誰でしょう?」スタイルと命名)。最終話のゲスト・中禅寺輔が名字からして京極堂の縁者らしい…けど、特に含みもない。
    ちなみに解説もナシ。勝海舟がいい味出してますー。ジョン万次郎をただの「お付きの人」で使うとは、勿体ない…。

    語り手の高藤彬のクズっぷり、京極堂シリーズの関口巽とはまた違ったベクトル向いたダメダメで…好きかも(笑)

  • 面白いとは思う。
    ややしつこく会話が続いて、飛ばし読みしたくなる。

    高遠のように生きてたい、なんだか好きなことをして生きてたい、と思いながら読んでいた。

  • 書物というものの存在意義を縦糸に,歴史上の人物達の思想を横糸に,書物を触媒に弔堂によって6篇が紡がれる.相も変わらず,現と幻との境界が曖昧模糊とした雰囲気を堪能できる.

  • 「書楼弔堂」シリーズの最新作が出たときからいずれ読みたいと思っていたものの、第1作の「破曉」を読んだのがまだ文庫化もされていない頃に一度だけだったので、この度久々に読み直した。 

    時は明治二十年代半ば、文明開化や四民平等が浸透してきた東京。その外れのまだ田舎風景が残る閑居で無為に日々を送る高遠が、ふとしたきっかけで書舗弔堂と巡り合うところから始まる。燈台のような変わった造りに、店先には「弔」の一文字を掲げるそこは凡そ書店には見えない佇まいだ。しかし和蝋燭の明かりに照らし出される薄暗いその内部には古今東西の無数の本が並ぶ。
    年齢不詳の店主曰く本は「呪物」であり、「記した人の生み出した現世の屍」である。しかし読む人がいることで屍は蘇り、その人の中に読んだ人だけの現世が、幽霊が立ち上がるという。また、読めば読んだ分だけ世界が広がるが、実のところはその人が必要とする大切な本はたった一冊あればよく、その一冊に巡り合えば仕合わせである。読まれぬ本は死蔵となるが、読む人の元に売ることが供養になる、それが店名の「弔」であると語られる。
    六章のそれぞれで月岡芳年や泉鏡花、勝海舟など史上の人物が探書に訪れ、毎度高遠が案内役などとして関わりつつ、各章の話はゆるやかに繋がっている。店主弔堂は本の知識に溢れるばかりではなく、時代の変遷にあって生き方に迷う人々に探し求める一冊と繋ぐことで、本とともにその人の懊悩も供養をしているようだ。
    読むのが久しぶりすぎて最終章に百鬼夜行シリーズにつながる人物が出てくることは覚えていなかった。それはうれしいサプライズだった。一方で単行本にはあったはずの「産女」の挿絵が文庫の方には入っていなかった。いずれの章にもキーワードとして幽霊が出てくるが、あの産女の絵がとても強烈な印象だったので、そこは少し残念。
    ともあれシリーズの続きを楽しみにして読んでいきたい。


  • この本を一言で表すと「粋」
    時代は変われど心は変わらぬ。

    「人に人は救えない、だが本は人を救うこともある」

    迷い悩み苦しみ。
    弔堂の主人が全てを超越してる様に惚れ惚れする。

  • メモしておくのを忘れてしまったので、正確な言葉ではないけれど

    本とは、既に死んでいるものである。


    言葉は道具でしかないのだから、重いも軽いもなく、
    ワードやエクセルを自在に使える使えないの違いみたいなものじゃないのかな。
    早くて便利で確実だけど、淡白かもしれない。
    どんな言葉を遣っても
    そこに、強い意思や深い思考があるかどうか
    自分でその言葉を遣おうとして遣ったのか
    受け手に対して、適切に遣っているのか
    そういうことが大事なんじゃないかなあ。

    道具に慣れてしまうことはあるけど、
    時々振り返ってみよう。

    つづく。

  • ようやく読めました。何回か挫折。短篇で良かった。今となっては京極堂のあの厚みは読めないかもしれない。年を取ったと思います。京極さんらしくて語り口、久々に良いです。登場人物が実在の人なので、その方のファンの方はもしかすると嫌かもしれない。

  • 自分にも、自分の1冊があるのかなぁ〜、と、思いをはせてしまいます
    歴史と絡めたところも、面白く、自分も、その時代にいて、その場に参加しているような、そんな気持ちにさせてくれる1冊です
    無駄な物はないのだな〜と、しみじみ思います

    良い本です

  • 「本に書かれた情報」と「本そのもの」とは別なのだ。というくだりが一番印象的。たしかにそれはそう。
    本は墓であり、読むことによって幽霊が立ち上る。
    難しいけれど考えさせられる。
    虚と実。存在するもの存在しないもの。文章とは、言葉とは何なのか。

  • 京極夏彦の本を久しぶりに読む。この人の本を読むと、ただ文字をひたすら読むことが楽しいという気持ちを思い出す。本を読むこと、ただそれが楽しいという気持ち。

    そして中禅寺さんが出てきたよ。次作も読まねば。

  • 「この世の中の半分は、嘘なのです」

  • カウンセリング小説とでもいうのか、あらゆる本が揃う、異形の書店の店主が、客との対話、本の売り買いを通して、客が陥っている迷妄を祓うと言うような展開の連作集。客たちの多くは後の有名人で、彼らのちょっとしたトリビアが落ちに使われていたりするのも楽しい。

  • 明治の半場。
    無為に過ごしていた高遠は、異様な書舗と巡りあいます。
    主人が営む店の名は書楼弔堂、古今東西の書物が集められた店。
    浮世絵師や泉鏡花など、迷える者たちが己のための一冊を求め探書に訪れる。
    それぞれの作品の読後感が良いなぁ。

    この世に無駄なことなどございません。世を無駄にする愚か者が居るだけでございます ー 161ページ

  • 『鵺』を十余年待っていることについてはさておき、読書案内的な部分の強い連作。関連資料にわりとさっくりアクセスできる。

  • 明治、東京を舞台に書店「書楼弔堂」の主人が、時代の変遷と共に翻弄される様々な人達(皆さんご存知、歴史上のあの文豪やあの絵師やあの偉人が登場!)
    探し求める「本」と「人」を巡り合わせる物語。

    六編目の登場人物が心憎いですなぁw

  • 初めての京極夏彦。色々な本が読みたくなる。次作も文庫ででた。楽しみ。

  • ゆっくりと味わいながら読みたい作品。


    生きていると云うことは、ずっと未完ということ。

    なるほどなぁ。

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著者プロフィール

1963年、北海道生まれ。小説家、意匠家。94年、『姑獲鳥の夏』でデビュー。96年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、97年『嗤う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、2003年『覘き小平次』で山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で直木賞、11年『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞、22年『遠巷説百物語』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『死ねばいいのに』『数えずの井戸』『オジいサン』『ヒトごろし』『書楼弔堂 破暁』『遠野物語Remix』『虚実妖怪百物語 序/破/急』 ほか多数。

「2023年 『遠巷説百物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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