五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後 (集英社文庫)

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  • 集英社
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レビュー : 16
  • Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087456677

作品紹介・あらすじ

旧満州に設立された満州建国大学。「五族協和」を掲げ、五つの民族の若者達がともに青春を過ごした。満州国崩壊後、卒業生はどのような戦後を送ったのか。その実態に迫るドキュメント。(解説/梯久美子)

感想・レビュー・書評

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  • どんどん読み進めた。このような作品を前にいい加減な感想は書けないと思う。
    満州建国大学の存在など全く知らなかった。
    三浦さんが布施祐仁さんとお書きになった「日報隠蔽」に感銘を受け、トークショーまで行って、サインいただいて、この本の前に「五色の虹」という本も出されてるのだと知り。。。
    ギリギリ間に合った感じがすごいと思う。戦後悲惨な経験をされた方々、よく長生きしてくださった、という感じだ。お亡くなりになってしまったら、お話は2度と聞けない。何も話せないまま、お亡くなりになった人の方が圧倒的に多いのだが。
    建国大学卒業生のそれぞれの戦後。
    と、それを取材なさり、一冊の本にされた記者さん。
    どちらも違う意味ですごくて言葉にならない。
    あとがきを読んで、本として出版されるまでも大変な苦労があったと知る。

    トークショーの時、「本として残したかった」とおっしゃった(「日報隠蔽」のことだけど)。この形で、誰でもが手に取れる形で完成したことは本当に良かったと思う。

  • すごかった。
    私は世界史とくに近代史についてあまり多く知識がなかったので、この本を読んで色々なことが知れてよかった。
    色々な建国大学の卒業生の戦後を見て、時代の流れと国々の思惑に圧倒された。

  • 一つの文化と歴史が集まり、散じたこと。人が生きた証とは。学んだ証とは。

  • 1938年日本の国家戦略のもと満州に設立され8年間のみ運営された幻の大学がある。五族協和のもと日本人、韓国人、中国人、モンゴル人、ロシア人が学んだ満州建国大学。言論の自由のもと抜群のエリートたち国家や自由を喧々諤々議論していた。戦後、帝国主義への加担責任を問われ、多くの者は不遇の運命をたどり、口を閉ざす中、ジャーナリストが各国で生きる元学生を訪れ、記憶を糸をたどっていく。

  • 【建国大学】1938年5月-1945年8月
    近い将来、戦争になって翌朝には相互の首府・主要都市は壊滅しているような世界になる
    《このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります》石原莞爾
    その最後の勝者となれる国を造りうる人材を育成をするために
    「3)各民族の学生が共に学び、食事をし、各民族語でケンカができるようにすること」などを指針として空前の拒否を投じ満州国.新京(現、長春)につくられた大学。

    そのOBの戦後レポート。
    国内編は興味深く、何カ所も付箋した。
    海外編はまるで「取材できませんでした報告」レポート。彼らが取材時点で置かれていた環境の報告、という意味ではおもしろかったが、残念。あまつさえ、ホテルにケチをつけたり、イスラム教徒らしい女性の写真をとろうとして嫌がられて不思議がっていたりと観光客みたいな記述が散見され不快。



    補記・付箋箇所いくつか//本文引用
    ・p53「『言論の自由は何としても守る』」「意見は違うけれど、それを受け入れた上で付き合いは続けていこうと。」「本の内容には大いに異論や疑問があるが、あいつが出版するのであればお金を出そうと」re.表現の不自由展
    ・p100「自らの命を差し出すための大義名分がーそれがどんなに滑稽な思い込みであったとしてもー必要だったのである。」
    ・p101「投稿兵を殺めてはいけないというのはあくまでも平時のルールであり、自分が相手にいつ殺されるかわからない戦場においては何の説得力も持ち得ない」re.人道的戦争
    ・p108「企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ」re.現代の社会生活に必要とされる論理的な文章及び実用的な文章
    ・p143「中国人は利で動く、朝鮮人は情で動く、日本人は義で動く」re.日中韓国交・交流
    ・教授には崔南善もいたp221「極めて厳格な意味での現実主義者だった。日本政府や日本人の批判ばかりしている学生たちをとがめ「では、君たちには何ができるのだ」と厳しく問いただしたりする。」
    ・P.179「記録したものだけが記憶される」re.未来に残す

  • 東2法経図・6F開架:377.28A/Mi67g//K

  • 満州国の中に五族協和を求めて設立された建国大学に通った方々のお話。同大学内では言論の自由が認められており、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアから来た学生たちが学びながら、相手国を否定するような議論も許されていたという。また多くの発禁本もその図書館にはあったという。

    時代柄、卒業生たちのその後は非常に困難なものが多かったようだが、それでも非常に強い結びつきを持っているようだ。

    内容としてはドキュメンタリ的に描かれており、存命中の卒業生からのインタビューや彼らから聞いた同級生の話たちで構成されている。それぞれが非常に熱い想いと抱えており、一気に読んでしまった。

    戦後の混乱の最中、さまざまな職業を転々としながら行きてきた卒業生の言葉は、学者や研究者とは違うが、その歩んできた決して容易ではなかった道筋から得られたWisdomがところどころに出てくる。

    P.88
    建国大学出身者のなかでも一際明晰な頭脳を有し、誰もが絶賛する人格の持ち主だった藤森にとって、その反省hが相応しいものだったのかどうか、私にはわからない。(中略)真面目な性格とその実直さからその後何年にもわたって建国大学の同窓会の会長を任され続けた藤森は、多くの卒業生たちが公言するように確かに「何者かになれた」はずの人材だった。

    P.89(藤森氏の話)
    「もしもあのとき、満州に渡ってなかったら、と考えることはありますか」
    「それは……、あるかもしれません」藤森はゆっくりとした口調で言った。「でもそれはあの大きな時代のうねりのなかでは、あまり考えることを必要としない問いかけだと思います。空から爆弾が降ってくるような時代に、人の運命がどうなるかなんて、木の葉がどこに落ちるかを予想するくらい難しかったんです。今、社会存在している確実性というものが、当時は全く存在していなかった。人の人生なんて所詮、時代という大きな大河に浮かんだ小さな手こぎの船にすぎない。小さな力で必死に櫓を漕ぎだしてみたところで、自ら進める距離はほんのわずかで、結局、川の流れに沿って、我々は流されていくしかないのです。誰も自らの未来を予測することなんてできない。不確実性という言葉しか私たちの時代にはなかったのです」

    P.108(百々氏の話)
    〈企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐに役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ〉
    「建国大学は徹底した『教養主義』でね」と百々は学生に語りかけるような口調で私に言った。「在学時に私も『こんな知識が社会で役に立つもんか』といぶかしく思っていたが、実際に鉄砲玉が飛び交う戦場や大陸の冷たい監獄にぶち込まれていたとき、私の精神をなんども救ってくれたのは紛れもなく、あのとき大学で身につけた教養だった。歌や詩や哲学というものは、実際の社会ではあまり役に立たないかもしれないが、人が人生で絶望しそうになったとき、人を悲しみの淵から救い出し、目の前の道をしめしてくれる。難点は、それを身につけるsためにはとても時間がかかるということだよ。だから、私はそれを身につけることができる大学という場所を愛していたし、人生の一時期を大学で過ごせるということがいかに素晴らしく、貴重であるのかということを学生に伝えたかったんだ……」

    P.142(楊氏が終戦直後に農業事業に従事した時の話)
    「そこには日本人だけでなく朝鮮人や中国人も一緒に働いていましたが、私にとって彼らを使って仕事をすることはそれほど難しいことではありませんでした。建国大学での生活でそれぞれの民族の特性を十分に知り抜いていたからね。『中国人は理で動く、朝鮮人は情で動く、日本人は義で動く』。日本人を使うことがね、実は一番簡単なんだよ。ポストさえ与えておけばーーあるいはポストを与えると約束さえしておけばーー彼らは忠実によく働くんですよ。きっと自らの使命を達成したいという意識が他のどの民族よりも強いんでしょうね。だから職場の人間関係は比較的良好でした。」

    P.179(中国国内で取材妨害を政府から受けた時の著者)
    戦争や内戦を幾度も繰り返してきた中国政府はたぶん、「記録したものだけが記憶される」という言葉の真意をほかのどの国の政府より知り抜いている。記録されなければ記憶されない、その一方で、一度記録にさえ残してしまえば、後に「事実」としていかようにも使うことができる。
    戦後、多くの建国大学の日本人学生たちが「思想改造所」に入れられ、戦争中に犯した罪や建国大学の偽善性などを書面で残すように強要されたことも、国内の至る所でジャーナリストたちに取材制限を儲け、手紙のやリリでさせ満足にお子の萎えない現在の状況もこの国では同じ「水脈」から発せられているように私には思われた。(中略)建国大学の卒業生たちの取材を通じて私が確信したことが一つある。それは「小さな穴でも、大きくて厚い壁を壊すのに十分だった」という事実だった。
    「小さな穴」とはもちろん「言論の自由」という概念を意味した。

    P.247 (李氏が建国大学創設を推し進めた辻政信に質問をした際の受け答え)
    「辻先生の後ろの床の間には『水戸学全集』と見受けられる書籍がございます。なぜ『水戸学全集』をお選びになっているのでしょうか」
    「うん、良いことを聞くな」と辻はあえて険しい表情を作って李の質問に答えた。「周知の通り、水戸藩の徳川幕府は親藩だ。だが、国が危機に際したときには決して幕府とひいきにせず、勤王攘夷を提唱した。正しいことをやるということは、時に勇気がいることだ。それゆえに、わたしはこの全集を常時短に置いていつでも見られるようにしている」(中略)
    「生涯において大切なことは、己が真に信じることのできる『道』を見つけることができるかどうかだ」と辻は李に向かって説いた。「ゆえに、我々は生涯をかけて勉強に励まなければならない。そして、一度正しいと信じたことは他から何と言われてもそれを終身実行しなければならないのだ」

    P.258(李氏の子供達が皆理系に進んだことに関し)
    「だから常々、子供たちには『具体的なことを学びなさい』と言い続けてきたのです。確かに音楽や絵画は美しく、人を悲しみから救ってくれる。しかし、それは所詮、人々の頭の中で形作られた『幻想』にすぎないのです。唯物的な考えを否定する人は台湾にも少なからずいますが、私はそうは思っていません。人生を生き抜き、家族を養っていくということは、この国では決して生半可なことではないのです。そのためには、たとえ予期せぬことが起こったとしても、その揺らぎに惑わされることなく、生き抜いていくだけの術を子どもたちには身につけさせておかなければならない。私は私の経験からそう信じています」(中略)
    「私にとって一番大きかったことはやはり、私たちが今後もこの台湾という島国で暮らしていかなければならないという事実です。国が国として認められていない、常に不安定な立場に置かれている、この小さな島で生活を営んでいかざるを得ないというファクトです。今はアメリカや日本が我々の立場を支持してくれていますが、それだっていつまで続くのか、誰もわからない。小さな島と大きな大陸がケンカをすれば、どちらが勝つのか、誰の目から見ても明らかです。台湾はそれ自体では存立できない。その島で暮らすということがどういうことなのか。これは台湾人でなければ、きっとわからないことでしょう」

    P.313(京大教授山室信一氏の話)
    「日本が過去の歴史を正しく把握することができなかった理由の一つに、多くの当事者たちがこれまで公の場で思うように発言ができなかったという事実があります。終戦直後から一九八〇年代にかけて、満州における課外的な事実が洪水のように報道されたことにより、建大生を含めたかつての当事者たちは長年沈黙せざるを得ない状態に追い込まれてしまった。もっと当事者たちの声が聞かれていたら、満州国への認識なんかも変わったんではないかなと私は今思っています。もっとバランスのとれた歴史認識ができたんじゃないかと。それがようやく今になって、いくつかの証言が得られるようになってきました。私はよく学生たちに次のような表現で教えています。『歴史がせり上がってくるには時間が必要なのだ』と。歴史を客観的に見るために相応の時間が必要なのです。だからといって、ただの時間の経過だけ待っていると、事実は確実に歴史の闇に埋もれていってしまう。今、メディアが必死になってかつての戦争経験者にマイクを向けていますが、あれは理にかなっているんです。人は亡くなる前に何かを残そうとする。自ら生きた証をこのまま歴史の闇に葬ってしまいたくないと。彼らは今、必死に残したがっているんです」

  • 満州帝国に設立された「満州建国大学」。
    戦時下にあって、中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人、日本人の学生が一つ屋根の下で自由に意見を戦わせた。
    彼らの戦後を追いかけたノンフィクション。

    それぞれの国で、それぞれの戦後がある。
    建国大学にいたという過去が、よくも悪くもその後の人生を大きく左右したことは間違いない。


    今後、この手の話は聞けなくなってくるだろう。
    これが最後の機会だったのだと思う。
    聞きたいことのすべてを聞くことはできなかったとしても(そのあたりの事情は本書を読むとわかる)、彼らの存在を我々に知らせてくれた意義は大きい。

  • 日中戦争が激しさを増している時期に満州に設立された国策大学の卒業生を取材したもの。あの石原莞爾が発起人、辻政信が設立責任者とくれば、自ずとイメージができてしまうが、実態は全く異なるもの。「五族協和・大東亜共栄圏」の実現とその将来を担うエリートを要請する大学で、日本人、朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシア人を対象に、授業は各国語、国籍を混ぜた寮生活、そしてこの時期には信じられないことに学校の中では言論の自由が保障され、共産主義の著書も自由に読めたという。中国侵攻や傀儡国家の設立を避難する中国人の激しい追及に、日本人学生がたじたじとなる場面や、ロシアの南下政策を警戒するモンゴル人との激論が、毎晩のようにあったという。一方で、終戦後、当局に拘束された中国人卒業生に、多数の差し入れを行なった日本人がいるなど、強い連帯感を長年にわたって維持している。グローバル人材の育成とか多様性を身につけようという活動が、もしかすると最も活発で実践的だったのが戦時下の満州とは、なんとも皮肉なこと。終戦後何十年にわたって続いていた「同窓会」も、2010年をもって終結となり、卒業生の年齢等を考えると、この画期的かつ不幸な運命に翻弄された大学でどんなことが起こっていたのかを知る機会は全く失われることとなった。とても貴重な一冊。

  • ページをめくる手が止まらなかった。キルギスに抑留記念館を建てる計画があるから取材しないかという誘いから始まる長い旅。日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの建国大学生がたどったそれぞれの戦後。収容所に入れられても、良い人生だと言える強さ、いつかロシアと対峙したときロシア語が必要になるのではと、新潟で農家をしながら勉強部屋をロシア語教材で埋めつくす老人。彼は、最後は65年ぶりの同期生との再会のため、ロシア語を飛行機の中でも寝ずにおさらいする。150人の定員に対して2万人の応募があった試験から選ばれた彼らは、平和な時代だったら、どれだけ活躍できた人たちなんだろう。

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