- Amazon.co.jp ・本 (360ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087456677
作品紹介・あらすじ
旧満州に設立された満州建国大学。「五族協和」を掲げ、五つの民族の若者達がともに青春を過ごした。満州国崩壊後、卒業生はどのような戦後を送ったのか。その実態に迫るドキュメント。(解説/梯久美子)
感想・レビュー・書評
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どんどん読み進めた。このような作品を前にいい加減な感想は書けないと思う。
満州建国大学の存在など全く知らなかった。
三浦さんが布施祐仁さんとお書きになった「日報隠蔽」に感銘を受け、トークショーまで行って、サインいただいて、この本の前に「五色の虹」という本も出されてるのだと知り。。。
ギリギリ間に合った感じがすごいと思う。戦後悲惨な経験をされた方々、よく長生きしてくださった、という感じだ。お亡くなりになってしまったら、お話は2度と聞けない。何も話せないまま、お亡くなりになった人の方が圧倒的に多いのだが。
建国大学卒業生のそれぞれの戦後。
と、それを取材なさり、一冊の本にされた記者さん。
どちらも違う意味ですごくて言葉にならない。
あとがきを読んで、本として出版されるまでも大変な苦労があったと知る。
トークショーの時、「本として残したかった」とおっしゃった(「日報隠蔽」のことだけど)。この形で、誰でもが手に取れる形で完成したことは本当に良かったと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごかった。
私は世界史とくに近代史についてあまり多く知識がなかったので、この本を読んで色々なことが知れてよかった。
色々な建国大学の卒業生の戦後を見て、時代の流れと国々の思惑に圧倒された。 -
一つの文化と歴史が集まり、散じたこと。人が生きた証とは。学んだ証とは。
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1938年日本の国家戦略のもと満州に設立され8年間のみ運営された幻の大学がある。五族協和のもと日本人、韓国人、中国人、モンゴル人、ロシア人が学んだ満州建国大学。言論の自由のもと抜群のエリートたち国家や自由を喧々諤々議論していた。戦後、帝国主義への加担責任を問われ、多くの者は不遇の運命をたどり、口を閉ざす中、ジャーナリストが各国で生きる元学生を訪れ、記憶を糸をたどっていく。
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【建国大学】1938年5月-1945年8月
近い将来、戦争になって翌朝には相互の首府・主要都市は壊滅しているような世界になる
《このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者であります》石原莞爾
その最後の勝者となれる国を造りうる人材を育成をするために
「3)各民族の学生が共に学び、食事をし、各民族語でケンカができるようにすること」などを指針として空前の拒否を投じ満州国.新京(現、長春)につくられた大学。
そのOBの戦後レポート。
国内編は興味深く、何カ所も付箋した。
海外編はまるで「取材できませんでした報告」レポート。彼らが取材時点で置かれていた環境の報告、という意味ではおもしろかったが、残念。あまつさえ、ホテルにケチをつけたり、イスラム教徒らしい女性の写真をとろうとして嫌がられて不思議がっていたりと観光客みたいな記述が散見され不快。
補記・付箋箇所いくつか//本文引用
・p53「『言論の自由は何としても守る』」「意見は違うけれど、それを受け入れた上で付き合いは続けていこうと。」「本の内容には大いに異論や疑問があるが、あいつが出版するのであればお金を出そうと」re.表現の不自由展
・p100「自らの命を差し出すための大義名分がーそれがどんなに滑稽な思い込みであったとしてもー必要だったのである。」
・p101「投稿兵を殺めてはいけないというのはあくまでも平時のルールであり、自分が相手にいつ殺されるかわからない戦場においては何の説得力も持ち得ない」re.人道的戦争
・p108「企業で直接役に立つようなことは、給料をもらいながらやれ。大学で学費を払って勉強するのは、すぐには役に立たないかもしれないが、いつか必ず我が身を支えてくれる教養だ」re.現代の社会生活に必要とされる論理的な文章及び実用的な文章
・p143「中国人は利で動く、朝鮮人は情で動く、日本人は義で動く」re.日中韓国交・交流
・教授には崔南善もいたp221「極めて厳格な意味での現実主義者だった。日本政府や日本人の批判ばかりしている学生たちをとがめ「では、君たちには何ができるのだ」と厳しく問いただしたりする。」
・P.179「記録したものだけが記憶される」re.未来に残す -
東2法経図・6F開架:377.28A/Mi67g//K
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満州帝国に設立された「満州建国大学」。
戦時下にあって、中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人、日本人の学生が一つ屋根の下で自由に意見を戦わせた。
彼らの戦後を追いかけたノンフィクション。
それぞれの国で、それぞれの戦後がある。
建国大学にいたという過去が、よくも悪くもその後の人生を大きく左右したことは間違いない。
今後、この手の話は聞けなくなってくるだろう。
これが最後の機会だったのだと思う。
聞きたいことのすべてを聞くことはできなかったとしても(そのあたりの事情は本書を読むとわかる)、彼らの存在を我々に知らせてくれた意義は大きい。 -
日中戦争が激しさを増している時期に満州に設立された国策大学の卒業生を取材したもの。あの石原莞爾が発起人、辻政信が設立責任者とくれば、自ずとイメージができてしまうが、実態は全く異なるもの。「五族協和・大東亜共栄圏」の実現とその将来を担うエリートを要請する大学で、日本人、朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシア人を対象に、授業は各国語、国籍を混ぜた寮生活、そしてこの時期には信じられないことに学校の中では言論の自由が保障され、共産主義の著書も自由に読めたという。中国侵攻や傀儡国家の設立を避難する中国人の激しい追及に、日本人学生がたじたじとなる場面や、ロシアの南下政策を警戒するモンゴル人との激論が、毎晩のようにあったという。一方で、終戦後、当局に拘束された中国人卒業生に、多数の差し入れを行なった日本人がいるなど、強い連帯感を長年にわたって維持している。グローバル人材の育成とか多様性を身につけようという活動が、もしかすると最も活発で実践的だったのが戦時下の満州とは、なんとも皮肉なこと。終戦後何十年にわたって続いていた「同窓会」も、2010年をもって終結となり、卒業生の年齢等を考えると、この画期的かつ不幸な運命に翻弄された大学でどんなことが起こっていたのかを知る機会は全く失われることとなった。とても貴重な一冊。
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ページをめくる手が止まらなかった。キルギスに抑留記念館を建てる計画があるから取材しないかという誘いから始まる長い旅。日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの建国大学生がたどったそれぞれの戦後。収容所に入れられても、良い人生だと言える強さ、いつかロシアと対峙したときロシア語が必要になるのではと、新潟で農家をしながら勉強部屋をロシア語教材で埋めつくす老人。彼は、最後は65年ぶりの同期生との再会のため、ロシア語を飛行機の中でも寝ずにおさらいする。150人の定員に対して2万人の応募があった試験から選ばれた彼らは、平和な時代だったら、どれだけ活躍できた人たちなんだろう。
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