- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087462944
作品紹介・あらすじ
青い田園が広がる東北の農村の旧家槙村家にあの一族が訪れた。他人の記憶や感情をそのまま受け入れるちから、未来を予知するちから…、不思議な能力を持つという常野一族。槙村家の末娘聡子様とお話相手の峰子の周りには、平和で優しさにあふれた空気が満ちていたが、20世紀という新しい時代が、何かを少しずつ変えていく。今を懸命に生きる人々。懐かしい風景。待望の切なさと感動の長編。
感想・レビュー・書評
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常野由来の人ではない峰子さん視点で書かれた彼女の若かりし頃の日記を元にしたお話。常野入門編と言っていいほどに丁寧に常野に関する説明が続きます。「光の帝国」では、置いてけぼりを喰らいそうになった「しまう春田ファミリー」の生業の詳細が語られて常野の知識が一気にアップしました。峰子さんの目を通した聡子さんの魅力も存分に伝わってきます。彼女から多くの人々が何かしらの影響を受け、それぞれの人生を歩み出していく様には心打たれました。
また、強く印象に残る言葉、表現が多数出てきた作品でもありました。二つ挙げたいと思います。一つは、
「日本の絵は、西洋の絵のように見たままのものを描くのが目的なのではないのです」
という聡子さんの語りです。音楽についても似たような事が語られます。今まで日本画と西洋画の違いをそんな風に深く考えたことはなかったので、この見方はかなり衝撃的でした。長い歴史の上に独特な世界観を育んできたこの国のありようを見たような気がしました。それ故にこの語りは作品の最後で峰子さんが光比古さんに戦後のこの国の価値を尋ねたいという問いかけにも重なりました。
もう一つは、
「僕たちは自分で自分を見ることができません」
という椎名さんの語りです。一番身近な存在であるにもかかわらず、鏡を通しても直接には見えないのが自分であるという改めて考えると驚愕の事実。これにもショックを受けました。
直接には見えない自分の姿を長い時間を掛けて見つけだしていく存在、これが人間なんだということ。自分を見るということは、自分が何をなすべき人かを見極めることでもある。聡子さんは短い人生でしたが、そのことをおぼろげながらに知っていた。何でも美談に考えれば良いものでもないでしょうが、聡子さんは短い人生の最後に自分を見ることができたのだと思います。
常野の人たちの特殊能力を通じて、立ち止まって考える時間をいただいた気がしました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんて、美しい物語だろう。20世紀初頭、日本の農村の、1幕。
1人の少女、峰子の、お屋敷のお嬢様聡子様と過ごした限りある、暖かい日々。
近代化が始まった日本が、その後どんな道をたどったか。それは歴史のとおり。
最後の数ページ、胸が引き裂かれる思いだった。
日本は元々持ち合わせていた美しさも失って、どこへ向かっていくんだろう。
常野物語2作目として、この作品を見たとき。
1作目で続きが気になるなぁと思っていた、「しまう」者たちの役割が明確に描かれていて、満足しました。 -
不思議な能力を持った人たちを描いた常野シリーズ二作目。
三冊のうちの第一作『光の帝国』を読んだのが今年の2月。
忘れちゃったかなぁ…と、前作をサクッと読み直しました。
20世紀初頭の東北の村で起こる ちょっと不思議なできごとの数々。
人々の記憶を「しまう」能力を持つ春田家が槇村家を訪ねます。
槇村家は、代々 村落が平和に暮らせるよう尽力してきた旧家です。
善意の人々の中で語られる 穏やかな物語として始められるのですが…。
印象に残った箇所が二つありました。
ひとつは、洋画を学ぶ青年の絵と仏師による日本画、二枚のコントラスト。
槇村家の令嬢、聡子が意見を求められて、こう 分析します。
西洋の絵が「今の瞬間を写真のように正確に描く」のに対して、
日本の絵は「時間の流れを描いているよう」に思われます、と。
もうひとつは、命を終える ということについて。
春田家の少年が、この世ではない世界からの声を届けます。
務めを果たし、満足の頂で世を去ることができて幸せだ、と。
命は、いつか必ず終わりを迎えます。
毎日の心の在りようこそが、満足の頂への道なのかもしれないな。
ふんわり、そんな風に感じた箇所でした。
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20世紀初頭の東北の農村を舞台に、旧家槙村家の末娘、聡子の話し相手として出入りするようになった峰子の視点で語られるストーリー。
病弱な聡子が、激しい台風の中、体をはって村の子供たちを守り、亡くなってしまうが、常野の不思議な力を持つ光比古が、聡子の心情を皆に感じさせてくれたことで、聡子の両親や峰子など近しい人の哀しみが癒える。
純粋でまっすぐな登場人物が多いが、それぞれの持つバックグラウンドや心根など、心打たれることが多かった。 -
峰子ちゃんが最も温かく幸せだった頃を綴った、
よもぎ色の日記帳「蒲公英草子」。
記憶を遡るように綴られた思い出が
立体となりいきいきと語られていく物語。
品よく優しく穏やかな景色と人々。
田を耕し、人々が助け合い生きていた時代。
人の心に寄り添い、想いを繋げ、
痛みも人もまるごと引き受け、
自らの中に「しまう」常野の一家が村を訪れる。
美しい光に満ちた明るい季節。
季節が過ぎ行く夕暮れの光と風。
苦しい甘さが胸をつき、唐突に喪失が訪れる。
時代は流れ、戦争が始まり、
奪われていく命。
地獄の果てで静かに告げられる
終わりに続く始まり。
誰一人傍観者ではなく、今を生き、
今を作っている。
誰かのものを奪うのではなく、
強い優しさを大切に繋げていける
日本人でありたい。 -
常野物語の第二作目。
田園の広がる東北の農村。旧家・槙村家の末娘・聡子は身体が弱く、医院を営む中島家の娘・峰子が聡子の話し相手として、槇村家に上がるようになる。物語は、幼き日の峰子の回想で進んでいく。
ある日、峰子は赤をい凧をあげる姉弟の紀代子、光比古と出会う。この登場で二人の登場は、前作の光紀と記実子の兄弟を連想させ、そして春田葉太郎の登場で、「しまう」の話であるということを確信させる。この展開に「あぁ、あの能力が絡んでくるのか…光紀の特別な能力は光比古が持つだろうか」と思わせるようになっている。しかも名前に「光」を使い、関係性を匂わすちょっとしたことが面白く思える。
前作では春田一族の持つ力の目的や対象については説明がなかったが、この作品では彼らが、具体的に人の半生を飲み込んでいる説明の記載があった。つまりは彼らは、日本の歴史をしまうことを使命としているのではないのかと、想像が広がる。
さらには、聡子が継いだ常野の「遠耳」の力は、物語の最後で常野の力をもつ者が背負う運命と光比古の持つ力を関係づけるように仕掛けられているのではないか…と思わせるところに、この作者の技法あるいは特徴が感じられた。私が感じる恩田作品は、全てを書かかずあえて、グレーゾーンを残す。そうすることで、読者の感性と想像力で、読者自身が物語の深さを感じるようにしている気がする。
この作品で気になる言葉があった「僕たちは自分で自分を見ることができません。鏡を見るか川のほとりにでもかがみ込まない限り、自分には『見えない』存在なのです。誰一人として自分のことを自分の目で見られる人はいません。このことは大きな問題です。小さな子供は、他人だけを見て生活します。……僕たちは成長するにつれて、文字通り自分を発見していくわけです。自分の姿を長い時間をかけて見つけ出していく。……」若干疑わしい表現はあるが、もっともすぎて言葉を目で追うまでは、深くは考えたことはなかった。自身の人格は、自分以外の人間により影響を受けている。子は親を見て育っていく、逆にこの人のようにはならないでおこうという考えも出てくる。
この物語では、春田一族は「自分を見られる目」として取り上げられており、そんな目を持っていたら考え方がどのように変わるのかの回答は書かれていない。こんなところもまた、恩田陸のグレーゾーンのような気がして、想像を広げてしまった。 -
陽だまりのような温かさがある少女の日記。
静かに着実に時代が変化する様子を少女の視点からみる。
所々で戦争へ突入する前の不穏な空気がジワリジワリと感じ、後半は切なく、悲しい終わり方。
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ズビズビに泣きながら読んだ。
前作「光の帝国」に出てきた春田一家とそれに関わったある集落の話。
ずーっと明るいのに、どこか切ない雰囲気で話が進み、その理由は最後に明かされる。あまりに切なくて、涙が止まらなかった。
「しまう」とは何か?
前作の短編ではあまり語られなかったものが少し垣間見える。 -
常野物語の二作目
一作目と異なり、主人公が語り部となって物語を紡いでゆきます。
常野の特殊能力がSF感を出しつつも、しっとりと柔らかく人々の営みと心情が描かれています。
どれも清らかで切ない思いをもった登場人物達。みんな愛おしくなります。
明治大正の田舎風景が目に浮かんだ後に続くラストシーンでは、戦争の恐ろしさを別の角度から見せられました。
#常野物語