宵山万華鏡 (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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本棚登録 : 7080
感想 : 597
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087468458

作品紹介・あらすじ

祇園祭の京都を舞台にした森見登美彦の連作中篇集「宵山万華鏡」(ヨイヤママンゲキョウ)が文庫化!表題作ほか計6編収録。森見流ファンタジーの新境地

感想・レビュー・書評

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  • 夏の京の風物詩・宵山を舞台にした連作短編。怪談かと思えば、阿呆らしさ全開のお話が、かと思えば、謎めいて物哀しいお話、不気味なお話、そして…と転調していく様は、少しずらせば見えるものがくるくる変わる、まさに万華鏡のよう。
    その不可思議な吸引力のために、読み続けてしまう。

    連作とはいえ短編集なので、内容を具体的に書いてしまうとすぐネタバレになってしまいそうなので、自重。

    けれど、びっくりしたのが、連作短編なのに、「狂言回し」役がいないこと。
    そのため、読み始めは、宵山を題材にした独立短編かと思いました。
    だけど、その内に、細い線でつながっていることに気づき、「あれ?」、「え!」と引き込まれてしまう。
    狂言回しがいないのに、ここまで組み立てた森見さんの力量に脱帽した一冊です。


    川端康成の「古都」でも、宵山の夜は重要な場面でしたけど、あの幻想性は芸術家を刺激する何かがあるのかもしれせんね。

  • 永遠に終わらない「祭り」の物語。

    祭りは賑やかで楽しい。けれど祭りが賑やかであればあるほど、終わる時の寂しさもひとしおだ。いや、むしろ終わる時の寂しさを知っているからこそ、祭りは賑わうのかもしれない。せめて今はあでやかに咲けとばかりに、短いハレの日を祝うのかもしれない。祭りはどこか青春と似ている。また人生とも似ている。

    もともと祭りは神事であり、「ヒト」と「ヒトでないモノ」の交感の場であったという。今は宗教性より娯楽性が増したとはいえ、その起源を考えると、祭りの雑踏の中でふと異界へ迷い込んでしまう気がして不安になるのは、あながち迷信とはいえないのかもしれない。祭囃子の笛の音にどこか憂いを感じるのも、じつはヒトの本能なのかもしれない。

    賑やかなのに寂しくて、美しいのに恐ろしい。『宵山万華鏡』は、そんな祭りの本質を、ぎゅっと濃縮して一冊の本として封印したような作品だ。全6篇の連作短編集だが、同じ《宵山》を見ているのに、登場人物によって全く異なる世界が展開されてゆく。ある者にとっては壮大な茶番劇であり、ある者にとっては青春最後の打ち上げ花火であり、ある者にとっては異界への入り口であり、さらに、異界の入り口で踏みとどまる者、異界で永遠にさまようことを選ぶ者、異界と現世の境界に立つ者、完全に異界の存在と化した者がいる。文字通り魑魅魍魎の跋扈する世界。

    祭りの終わりは寂しいが、終わらない祭りほど虚しいものはないだろう。「死は悲しい。しかし、死がなければ人は死を望むに違いない」と言った人がいる。還るべき日常を失った祭りは、もはや祭りとは呼べまい。それは既に「ヒトでないモノ」の領域だ。

    どんなに美しく楽しげに見えても、永遠に変化しないものにはヒトは本能的に恐怖を抱く。一方で、抗いがたい魅力をも感じる。《宵山様》の弄ぶ玩具が万華鏡だというのは象徴的だ。あの無限に続く美しい模様に心奪われた経験のない者はいないだろう。だが、自分があのような鏡の中に閉じ込められたら正気を保てるだろうかと、恐怖を覚えたことのある者もまた多いだろう。にもかかわらず、或いはそれゆえに、万華鏡も《宵山様》も私の心を惹きつけてやまない。

    たった一冊の本の中に、森見先生は《宵山》をまるごと閉じ込めてしまったみたいだ。本を開けば、溢れんばかりのイマジネーションの奔流を覗くことができる。まるで内田百閒か泉鏡花のような幻想的な世界を、どうして平成の舞台と文体で作り出すことができるのだろう。こんな作品が読めるなら何年でも私は待つ。だからゆっくり休養してください、森見先生。

  • 怪しい…実に怪しい。
    宵山の摩訶不思議な一夜の短編集。それぞれ別話なんやけど、少しずつ重なりあって…
    長い歴史のある京都、長い歴史のある祇園祭…魑魅魍魎などが跋扈しても不思議ではない気がする。(するだけ)
    宵山で多くの人が行き来するその隙間に…魔界が開いているような…
    こういう世界に迷い込んでみたい。(みたいだけ)
    PS:
    実際の宵山は、人いっぱいで人見に行くようなもんなんで疲れるから嫌や!^^;

  • 「宵山姉妹」
    バレエ教室の帰りに宵山のお祭りに出かけた女の子は、人ごみの中で姉とはぐれてしまう。姉を探すうちに真っ赤な浴衣を着た女の子たちに出会い……。

    「宵山金魚」
    主人公藤田の友人乙川は京都に住んでいる変わった男だった。藤田は過去二回、乙川に宵山の案内を頼もうとしたが、2回ともはぐらかされてしまっていた。そこで今回は一人で回ろうとする藤田だったが、乙川は祇園祭にはいろいろとルールがあるから慣れない人間には危険だと言い、荒唐無稽な話をする。しかし、藤田は実際に目を疑うような祭りの裏側に巻き込まれていく。
    本物偽物問わず京都っぽい日本っぽいものの描写にあふれていてごちゃごちゃしている。深緑野分の『この本を盗むものは』が似ている。わけのわからない目まぐるしさ。

    「宵山劇場」
    一方そのころ乙川は。

    「宵山回廊」
    千鶴の叔父は画家をやっていて、彼の娘は宵山の祭りで行方不明になってしまっていた。叔父は宵山で娘の姿を見たといい、その姿を追ううち、宵山の日を繰り返すようになってしまったと話す。

    「宵山迷宮」
    千鶴の叔父がお世話になっている画廊の柳もまた、宵山の日を繰り返していた。乙川という男が探している柳の父の遺品が関係しているらしいが……。

    「宵山万華鏡」
    「宵山姉妹」で妹がはぐれているとき、姉は何をしていたか。これまでの短編に登場した人物によく似た人物が登場するがどうやら様子が違うようだ。


    いつも通り京都を舞台にしていて、今回は宵山に関連していることも共通している。
    しかし、すべてが続編というほどの繋がりはないし、物語の雰囲気も大きく違う。
    お祭りというものは華やかである一方、少し目を脇にやれば暗い不気味な一面も見せるものだ。
    本作は複数の短編を通して宵山の世界観を表現しており、各短編が一つの作品であると同時に、短編集としても一つの作品を形成している。

  • 京都宵山を舞台にした6つのお話、

    ぞわっと不気味な話や、祭りの幻想的で非日常な雰囲気で起きる不思議な話、阿呆らしい話、切ない話‥

    特に、無駄にでかいスケールで宵山にやって来る友人を騙す「宵山金魚」と「宵山劇場」が面白かった。

    2022年2月23日

  • 京都に生まれ育って23年、宵山には高校生の時に一度だけ行ったことがある。
    もちろん彼女連れなんてことはなくて、いつもつるんでいた友人五人と街に繰り出した。
    どこまでも続く人の波、むせ返るような暑さと湿気、ほんとうに方向感覚を見失うようなあらゆる方向からの音。
    この宵山万華鏡はその全てをありありと私に思い出させた。
    ほんとうに妖怪くらいいてもおかしくない。お祭りの夜だし。

    今年ももうすぐ祇園祭の夏がくる。
    数年ぶりにあの万華鏡の夜に繰り出すのも悪くないと思えた。

  • 森見さんの本がどうしても合わず、一度は諦めたのですが、読友さんから「ちょっと待て!」。あと2冊挑戦のうちの1冊目。祇園祭りの宵山という幻想的な設定。宵山で不思議な体験をするバレエダンス通いの小学生、宵山の日から抜け出せない画伯、画廊店員。今回またしても私を惑わす宵山パラレルワールド。各話面白かったのですが、パラレルワールドが中途半端に繋がらない。やっぱりこのモヤモヤ感、中途半端感が森見ワールドなのか?祇園祭司令部特別警務隊の大芝居での人間関係、その大胆さは最高。乙女以来、山田川敦子との再会に感動しました。

  • 祭りという白昼夢の体験。

    日本の祭りは変死意識状態へ誘う作用があるように思える。

    日常空間である路地が祭り、或いは縁日と呼ばれる時、通りに屋台が並び、食べ物の匂いが立ち込め、囃子が聞こえ、普段の焦燥感に満ちた人たちは消え、雑踏はゆったりと金魚のように回遊する。

    日常の世界がいつもと違って見える体験は、通常の知覚とは異なる知覚を生成するという意味において変性意識状態であり、或いはこれを白昼夢とも呼べるかもしれない。

    この物語体験は、祭りにおいて体験する不思議な体験をなぞることができる。

    しかしなぜ、日本の地域が祭りに関心を示さなくなったのかを考えると、単純に人がいなくなったから、ダサいからという理由だけではないだろう。

    あまりにも普段の日常から現実感が損なわれたからではないかと思う事もある。

    この物語で稀薄な現実感からさらに現実感を喪失させる体験ができた。

    これは活字の読書でなければ味わえない体験だったと思う。

  • 森見登美彦作品8作目です。
    読んでて不思議な気分になりました。万華鏡を覗いているような、そんな感じのお話で、繋がっていないようで繋がっている一夜の出来事を楽しませてもらいました。ちょっぴりホラーな部分もあり、私が今まで読んだ彼の作品のテイストとは若干違ったこともあって驚きましたが、今回も読み応え十分でした!

  • 京都で学生時代を過ごした者にとって祇園祭宵山は特別な意味を持っている。
    私も一度訪れたことがある。間違いなく、人が多すぎて、慣れない下駄の鼻緒が痛くて辛かったに違いないのだけれど(だからこそ一度しか行かなかった)、そんなことはもう忘れた。覚えているのは、薄墨色の空を背景に浮かび上がる山鉾の提灯、シャンシャンと響く祭囃子。
    宵山に限らないかもしれないが、日没前後の提灯は何だか怪しい雰囲気を持っている。

    「宵山万華鏡」は、前半は一瞬コメディの雰囲気を醸し出すが、全体としては奇怪な世界の物語。
    宵山が舞台であることがひどくしっくりくる小説だった。

    最初、不思議な世界の話が描かれるが、中盤で若者たちの馬鹿騒ぎによってその種明かしがされたのかな? と思いきや、最後に向けて、まだ謎が深まって終わる。

    科学が力を持つこの世界では、なににでも説明がつくのが当たり前かのように思ってしまう。
    「宵山万華鏡」の中では、説明がつかない謎が謎のまま残されて終わる。ちょっと考えてみて合理的な筋が見つかったような気がしても、それでも疑問が残る。
    ミステリーのように、謎解きを楽しみたいのであればフラストレーションが残るかも。
    私はミステリーも好きだけど、不思議な世界がただぽっかりと口を開けていることに気づかされるような、本書のような世界観も大好きだ。
    森見さんの本で今まで読んだのは「夜行」「きつねのはなし」で、どれもその不思議な世界に魅了されて何度か立て続けに読み返してしまった。
    滅多に小説は読み返さないのだが、「宵山万華鏡」もまた読み返すことになりそうだ。
    そんな魅力と力を持った小説だと思う。

    この本を読みながら、10年前に訪れた宵山の、提灯の光の記憶が蘇った。それに付随する様々な記憶も。
    森見さんが舞台として描く街はいずれも私の思い出の残る街だから、森見さんの本を読むと、ストーリーを楽しむことに加えてそれらの土地の記憶が思い出されて嬉しい。私にとってのリアルな京都と、その上に薄膜のように広がる、森見さんの謎多き京都。

    次は「熱帯」が読みたいな。

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著者プロフィール

1979年、奈良県生まれ。京都大学農学部卒、同大学院農学研究科修士課程修了。2003年『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。07年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞、10年『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞。他の著書に『有頂天家族』『夜行』『熱帯』などがある。

「2022年 『四畳半タイムマシンブルース』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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