空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む (集英社文庫)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087468823

感想・レビュー・書評

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  • ようやく読書の時間を取れるようになってきたため再開。
    二部構成、各6章-2章構成
    探検家の魂のノンフィクション自叙伝

    ・メインストーリー
    チベットのツアンポー峡谷にある、
    前人未踏の空白の五マイルを日本の探検家が単独で踏破を試みる。

    ・サブストーリー
    途中、角幡氏の回想シーンと、ツアンポー・チベットの案件にまつわる歴史的叙述のシーンがある。

    ・構成
    基本的には角幡氏の探検中のシーンがほぼありのまま語られる。

    ・特に印象的な場面など
    p.177
    当然のことだが、滝には地元の人たちから呼び習わされてきた名前があった。〜米国人が思い入れたっぷりに名付けた「ヒドゥン・フォール・オブ・ドルジェパグモ」でも、中国人たちが無機質に命名した「蔵布巴東瀑布群」でもない、「ターモルン滝」という美しい名前があったのだ。

    p.112,113
    息子はどこかに流れ着いたら、そこで修行をするんだと答えたという。そこはチベットの有名な聖地なんだ。それが2人の間に交わされた最後の会話だった。『今になって思うと、どこかに流れ着いたらというのは、死後の世界のことを言っていたのかなとも思う。今でもあの言葉の意味を考えることが多いんですが、行く前からある程度の覚悟はあったのかなと思います。』

    エピローグとあとがき全部

    ・気づき
    1.究極の追体験
    何かを追体験できる、というのが読書の魅力の一つだと思うが、そのような追体験のうち、何かしらは自分が共感できるものだったり、イメージしやすいものだったりする。
    ただ、この本はそこが全く異なっていた。
    角幡氏が体験した全ての出来事が、常軌を逸したものであり、私自身では到底真似することが不可能で、イメージさえも難しい領域にあるものだった。
    ゆえに1文1文読むのにとてつもなく体力を使ったが、その分だけ無知(未知)の世界の広がりを感じることができた。
    2.自分の行動の意味づけをすること
    彼が敢行した探検行為は、周囲からすればどういう意味があるのか疑問に感じるし、実際私も読んでる途中になぜこんな死のリスクを冒してまで冒険をしているのか…?という気分になった。
    角幡氏自身も探検途中にその意味するところを突き詰めきれてはいなかったのではないか。
    というのも、今なぜそれに取り組んでいるのか、その時々では本能的・直感的に分かってはいるものの、それを言語化するよりも先に体が行動しているからだと思う。
    言語化・意味づけをせずにやり過ごしてしまった体験は風化してしまい、せっかくの貴重な体験でさえも問答無用で錆びついてしまう。自分の血肉となるべき経験を無価値にしてしまうのは勿体無い。
    しかし、そうは言っても簡単に自分の行動の意味づけを行うことはできないようで、角幡氏もあとがきの部分で、全てを書き記すことはできていないと書いている。
    分からなければ何度も重ねて意味づけをする必要があるようだ。
    3.文の構成
    本書の内容はとんでもない出来事の連続ではあるが、割と最後の方は慣れてきて、若干単調に感じてくる。というのも、本書の位置付けが最初に提示されず、読み手が迷子になってしまうからでは?と感じた。最後の最後で本書の位置付けが明示され、その背景で書いたのね、と納得はできるが、その情報なしだと、どんな素敵な秘境があるのだろうと期待しながら読み進めるので若干面食らう。
    構成として、この冒険に何の意味があるのだろう、と疑問を抱かせる点では本書の構成がエピローグで伏線回収的になっていいのかも、と思ったりもしたが、最初に位置付け明記した方が親切とも思った。

  • 角幡青年がツアンポー峡谷にのめり込むきっかけの一つになった、キングドン・ウォードの「ツアンポー峡谷の謎」を二日前に読了して続けて読んだ。もっとも先に「空白の5マイル」を読み始め、これは先にウォードを読んどくべきと思いしばらく置いといたものである。

    そもそも題名が良い。この本を買った時点では、ツアンポー?だったが少し読み始めたら俄然引き込まれた。

    20世紀後半生まれの著者は遅れてきた冒険家で、本人も言っているように重箱の隅を突くようなことしか、世界初とか新発見みたいな事はないかもしれない。

    作者は2回(偵察を含めると3回)チベットに入っているようだが、最後のチベット行きが作品に深みを与えている。個人の熱量がすごい人なのだが、生死を分ける状況下心の中の葛藤動きが読者をも熱くささる。

    読んだのが文庫だったので、写真等が残念である。

    また、贔屓にしたい作者が増えた。

  • チベットのツアンポー峡谷にある地図にない空間に挑む若き青年のノンフィクション・ルポ。

    新聞記者の経験もある著者なので、読ませるし、読みやすい。

    冒険・探検物が好きなら是非オススメの本です。

    ヤル・ついにはシャングリラが…。著者はたどり着けるのか⁉︎

  • 探検部の元学生(と言いたいくらいなんか若い…)が、チベットの空白地帯に飛び込んでいく話。
    著者の本は4冊目ですが、順番としては本著が探検家として世に出した最初の著作のようですね。経験を重ねた「アグルーカの行方」なんかと比べると本著は圧倒的に若くて粗削り。
    時系列にならずにエピソードを挟んでくる書き方も本著の時点から始まっているのですね。嫌いじゃないけど、ちょっとあざといような。

    内容はチベットのツアンポー渓谷を旅する話な訳ですが、渓谷自体のスペックはどうやらグランドキャニオンも比ではないレベルの凄いもののようなのに、「大変さ」が先に立ちすぎて、その場所に魅力を感じるような記述にはなっていないという印象。
    とにかく自然というものの厳しさ、辛さが前面に出ています。

    前に、角幡さんのことを「日常と冒険の間を取り持ってくれる表現者」と書いたのですが、本著の中で最もそことリンクしているな、と感じたのは「あとがき」でした。ひょっとするとあの質問は、著者の心の中に通奏低音のように残り続けているのかも。。

  • チベット自治区の北東部に世界最大級の峡谷があるという。そのツアンポー峡谷は、ヒマラヤを源流とする大河の激流に削られて何度も湾曲し、ついには峡谷のどこかで忽然と消えてしまうのだという。河の上流と下流の標高差を考えると、どこかに未発見の巨大な滝があるとの伝説もある。大河が山中で消えてしまうなんてことがあるのか?
    21世紀の現代では航空写真や3Dマップのおかげで未踏未開の地はほとんどなさそうだが、峡谷の影になる部分は航空写真では分からず、空白の「5マイル」と呼ばれるエリアが依然として存在していた。

    そういった探検の事前説明が丁寧にされているので、なぜ筆者がこのエリアを目指したのか理由の一端がわかる構成になっている。

    読んでみると、想定していた環境といろいろ違う。
    ヒマラヤの近くでの探検だから夏の暖かい時期の探検かと思ったら、冬なのだという。ヘビやヒルを避けるためだとか。
    雪山を越えるのかと思うとヤブ越えだったりする。
    正式な政府許可無しでの探検ということで、探検と同じレベルで警察や当局の障害がある。

    探検の意義は何か、この本で何を訴えたかったのか、それは筆者自身にも容易に考えを整理できるものではないらしく、淡々と探検の記録が綴られていて、それがリアルに感じる。
    もともとは一冊の探検本からの憧れが出発点だったということで、純粋な冒険心や好奇心から来る探検だったのだろう。

    マネしたいとは思わないけど、読んでいるだけで自分も冒険しているような気持ちになれた一冊だった。

  • ノンフィクションといえば良いのか、若者の成長物語とも言えそう。死ととなりあわせの冒険に赴く人々の気持ちが、最後につぶやくように記されており、ために冒険者は続き、それを我々は追体験したいのかもしれない。
    文章は平易で読みやすく、感情移入も容易。
    「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。」

  • チベットの奥地に、ツアンポー渓谷があり、人類未踏の「空白の5マイル」と呼ばれる場所がある。そこを目指す冒険ノンフィクション。

    ノンフィクションを読んでいる。その中の一冊。
    冒険心をくすぐられるが、段違いの熱量を持った著者が何度もツアンポー渓谷に挑み、時には危険な目にあっても実際に行かないと得られない経験を積む様が、スリルと少しの羨ましさを持って読む。実際にツアンポー渓谷に行ってみたいとさえ思う。

  • 当時大学生の筆者が、チベット奥地にある人類未踏の「空白の五マイル」を2度にわたって探検するノンフィクション探検記。
    これまでの探検家が経てきたルート、探険史と自身の探検記が交互に出てくる構成で、それぞれの探検家がツアンポー発掘に対してもつ目的やモチベーションが違っていたのが面白かった。
    角幡さん自身の探検記はもちろん読み応えがあったけど、あとがきの「死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。」という言葉が印象的で、断じてそんなことをする勇気はない自分にとって、こういった本の存在価値は高いなとひしひしと感じた。

  • 「極夜行」で角幡さんにちょっと嵌ってしまいましたが、この本の方が正直面白かったです。どちらも探検家らしく生命の危険を顧みずの部分が醍醐味なのですが、このツアンポーの方が探検というものに何を求めるか?なんてことを顧みず、若さゆえに準備も適当で勢いで行ってしまうところがあり(故に危険度が高い)、何となく純粋に好奇心というか自分の探検欲が前面に出ているところが面白かったといえば面白かった。それと、ツアンポーにおける探検の歴史や悲劇、ロマンが書かれていることもその探検の意義を感じるうえで良かったように思います。もちろん、こんな無謀な探検はするべきではありません。生きていたことがラッキーですし、その後、日本に無事に帰国できたこともラッキーです。探検家というなら、こういう探検はすべきではないし、やってはいけないような気もします。が、だからこその魅力もある。素敵なノンフィクションでした。

  • 幻の滝を求めて人跡未踏の地を行く、と聞くと、21世紀にはもはやあり得ない話だと思うだろう。そんなことを実際にやってのけてしまったというのがこの本の作者だ。色々な好運はあっただろうが、こんなエキサイティングな冒険譚が現代にもあるのかと思い、思わず引き込まれてしまった。ただ、政治情勢もあり、一旦開いた扉が今ではまた閉じられてしまっているというのは少し考えさせられた。

著者プロフィール

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
 1976(昭和51)年北海道生まれ。早稲田大学卒業。同大探検部OB。新聞記者を経て探検家・作家に。
 チベット奥地にあるツアンポー峡谷を探検した記録『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。その後、北極で全滅した英国フランクリン探検隊の足跡を追った『アグルーカの行方』や、行方不明になった沖縄のマグロ漁船を追った『漂流』など、自身の冒険旅行と取材調査を融合した作品を発表する。2018年には、太陽が昇らない北極の極夜を探検した『極夜行』でYahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞を受賞し話題となった。翌年、『極夜行』の準備活動をつづった『極夜行前』を刊行。2019年1月からグリーンランド最北の村シオラパルクで犬橇を開始し、毎年二カ月近くの長期旅行を継続している。

「2021年 『狩りの思考法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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