いちげんさん (集英社文庫(日本))

  • 集英社 (1999年11月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (216ページ) / ISBN・EAN: 9784087471458

作品紹介・あらすじ

京都の大学で日本文学を専攻する留学生の「僕」。目の不自由な若い女性・京子と知り合い、次第に彼女と恋に落ちていく…。第20回すばる文学賞受賞のセンシティブな恋愛小説。(解説・沼野充義)

みんなの感想まとめ

この作品は、異国の地で出会った二人の恋を通じて、日本社会の複雑な側面を描き出しています。特に、目の不自由な女性との触れ合いを通じて紡がれる言葉の美しさは、まるで詩のように心に響き、読者に深い癒しをもた...

感想・レビュー・書評

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  • こんなきれいな日本語、日本人でもそうそう書けないのでは。
    リズムや対比が洗練されていて、読んでいるだけで癒しを得られるような小説でした。
    京子が主人公に触れるときの描写がいつも澄み切っている。いやらしい場面も、むしろ静謐でやさしい。
    そして「外国人」というだけで、その町を好きでやってきた大学生を「いちげんさん」という「外」の人間として扱う日本人への何故?が問われる。

  • すごく良かった。
    今まで読んだ本の中でも間違いなく一番。
    「面白い」っていう表現もちょっと違うけど本当に良かった。
    これから先の人生でもこれ以上の小説を読めるのかな~って思う。

  • 森見登美彦の作品を読むと京都がとても魅力ある街に思える。
    一方で、京都の人々の特徴として、排他的傾向が強いと言われる
    。本書ではそんな部分が垣間見える。
    それにしても独特の表現豊かな描写は素晴らしい。
    すばる文学賞にふさわしい作品だと思う。

  • 優しい雨の降る日、京都の日本家屋の中で、端麗な顔をした盲目の日本女性はフランス人の大学生の膝にもたれ、官能的な小説を読んでもらう。周囲から浮いた二人が互いの内面に惹かれ、頻繁に会うようになり、別々の道を歩むことを決意するまで。

  • 見た目からしてさらされる主人公ほどではないにしても
    こういう異質感を感じることは日本人同士の中でもままありそう。
    読み終わって、改めてタイトルが深く入ってくる気がした。
    最後の京子の別れ方がとても素敵。

  • 読み始めてすぐに、表現が独特でしかも美しいなと感じた。
    外国文学をよく読むので、その翻訳のような感じの構文が多く、それでいて日本語としておかしくないので全く新しい感性だと思う。
    話の筋はまぁまぁ。よくあると言えばよくある。
    対立概念がうまく描写されているので分かりやすく、かといって薄っぺらくはない。
    佳作。

  • いい。好き。

  • 最後になって、いちげんさんの意味するものに辿り着く。京都の情景はなかなか浮かんでこなかったものの、彼だからこそ表現しても違和感なく、むしろ安心して読み進めてゆける、日本人とはやはり異なると言わずにはいられない表現が散りばめられており、ウィットに富んでいる。美しいものがある。

  • 京都独特の「内」の文化を
    ばっさりと一刀両断。
    なんだろう、この実体験にみちみちたいくつかの出来事は。
    とくに銭湯にゆくシーンとか。笑


    一見で「外」であると判断される外見、
    盲目であるからこその受容、
    魅力がなくなってゆく、逆の対象になっていく街。
    京都が好きな自分としては、事実であっても少し悲しい。

    だけども、日本人でもかけないような
    非常に綺麗な日本語で驚きました。
    京都の街にとけこむ文字だった。
    少し寂しいけれど、京都で始まった綺麗な恋のお話です。

  • スイス生まれの外国の人が日本語で小説を書きました。とっても美しい日本語で。

    京都が舞台の恋物語。主人公たちが、たどった町並みを追いかけて京都をうろうろしてみたい。
    やっぱり京都は私にとって特別な街です。

  • 自分以外の人間も、ちゃんと恋愛している。
    そういうこと、あまり意識する機会ってありません。
    少なくとも、自分勝手な私は。

    だから、恋愛小説を読む時
    きっと私と「私」は同化していて
    容易く主観に陥るわけです。
    「読む」より「経験」する。
    けれど、この小説はちょっと違います。

    京都「閉鎖」の文化、いちげんさん。
    そこでは、誰であろうと簡単に異邦人化します。
    まず前提として、「入れない」壁が在る。
    そして更に、主人公「僕」は外国人で
    決定的に異質であるという宣言がなされてしまう。
    ちょうど水と油みたいに、双方が双方を「はじく」要素を持っている状態。
    そんな設定が、私に共感を否定するわけです。
    「僕」の疎外感は、同じ境遇にない限り忠実に解ることはありません。

    彼が恋に落ちた盲目の女性は
    きっと彼が得られる最大限の「受容」の象徴だったんでしょうね。
    見えないから、見えるもの。
    私たちは一体、見えることでどれだけ損をしているのでしょうか。

    共感をちゃんと経験できない恋愛小説。
    だからこそこの小説は面白い。
    そして、「僕」が下手な日本人より格段に上質な言葉を使う。
    その流れるような日本語表現が、また彼の異邦性を際立たせてしまって
    とても美しくて、切ない物語なんです。

    村上春樹ファンには、ちょっとデジャヴな文体かもしれません。
    海外生活の経験がある方なら、よりリアルに「疎外感」をイメージできそう。
    お試しあれ。

  • もし先入観が入っているとしたら、申し訳ない。
    でも、ところどころ、間違いではないけれど、言葉の使い方でふっと目をとめてしまう箇所があった。解説にあったように、著者が意図的にやっている部分もあると思うけれど。

    構成についても、ヤクザのくだりは私としては微妙。目が見えない京子との出会いは効果的で物語性があると思うけれど。

    京都の街での生活、京子と重ねる静かな時間、少しずつ移り変わってゆく自分の意識を描くテーマそのものは好きだった。朗読の時間もとても静謐で、官能的で、ロマンチック。雨のシーンもそれぞれいい。

    スティビー(うさぎ)がかわいい。

  • んー、淡々としていてそのまま終わった感じ。

  • 不思議な小説。
    おもしろいのかな?

  • 外国人と視覚障害者。他者とは何か。爽やかでちょっと切なくて、だけど「自分も何かしなくちゃ」という欲求を感じる本。

  • 読み始めると途中でやめられなくなって結局一気に最後まで読んでしまった。
    そういうことを批判してるのかもしれないけど、外国人が日本文学を書けるってのは驚きでした。しかも、すばる文学賞受賞作品です。文学っていうのは日本人が書くから日本文学なんじゃなくて、日本語で書かれたから日本文学なんですね。

    ほとんどの人は常に人を外見で判断し、態度や接し方を決める。主人公はそのためにいつも不愉快な思いをさせられていた。それ自体はどこの街でもあることなんだけど、特に京都の場合、微妙に違っていた。人を見て、その外見から瞬時に何かを勝手に決め付けて、相手の気持ちを感心してしまうほど無視したラベルを張り付けるプロセスは極めて特殊であり、それは決して差別とか閉鎖性といったありふれた言葉で片づけることのできる単純な問題ではなかった。そこには、一見見えそうで、その実、目には見えない微妙な区別のメカニズムが存在していた。

    主人公がガイジンであるゆえに「外見」というものに対して不信が募っていく。そして物語の終わりになって主人公はある決断をする、といったお話。


    P.133
    僕は人に見られることに極端に疲れているのかもしれない、と思った。いちいち外人という名の道化師の役を演じさせられることにうんざりだ。ところが、京子と一緒にいると、そういうことは当然一切なかった。当たり前の話だが、彼女の場合、外見というものはそもそも存在しなかった。僕と京子の関係は最初から声、肉体、言葉、と言ったものを媒体にして始まった。僕らを結ぶのは言葉や体のふれあいだった。つまり外見の裏にあるものを伝えるその手段であり、ものごとの核心の部分である。急にそんな気がした。

    P.150
    文学ちゅうのは、大学で勉強するもんと違うのやないのかい?ワシは刑務所で相当の量の本を読んだけど、大学で文学を勉強した人間が書いた本を読んだ覚えはあらへんな。君が文学を勉強したいんやったら、まず人生の、社会のいろんな側面を見ないといかんの。人間ちゅうものが持っている醜い部分もあえて求めてやでぇ、じっと見つめないかんの。世の中のそう言う部分を直視して初めて、ものごとのほんまの美しさが分かるからなァ。

    P.179
    「あぁ、知的マスターベーションの二年間だったな。この二年間の作業がマスターベーションのようなものだったというわけさ。変な理屈と理論だけが先行して、俺を全く相手にしない、いや、俺の存在を全く想定しないゲーテの文学に妙な解釈をつけたり、作品の現実を都合のいいように曲げたりして、自分一人の空想の世界にのめり込んでいく。俺、この二年間、そればっかりやってきたような気がする。文学研究と偉そうに言うけど、結局、本質はマスターベーションと一緒だよ。ひょっとすると、俺が到達した結論はゲーテの作品が持っている意味をはるかに超えて、彼が意図したものとは完全にかけ離れた、俺だけの勝手な思考の所産に過ぎないのかもしれない。それは見事に創造性に欠けた、無意味な作業だった。」

  • 主人公は京都で日本文学を専攻している留学生。
    四季や天気によって様々な情景を見せる京都を舞台に、物語は静かに展開する。

    主人公の抱く疎外感や、遊牧民的生活への憧憬に同化している自分に気づき、最初は自分が外国人としてドイツにいることが関係しているのか、と思った。

    しかし、その後、やっぱりこれは日本文化特有の内と外、生垣の文化の副産物としての疎外感が根本にある、というところ
    そして、動きたい!というその衝動は留学生、外国人、そんな枠にとらわれてのことではない、というところへ
    行き着いた。

    デビット・ゾペティ氏、この作品の主人公がこの著者をモデルにしているとすれば、彼が日本語でこの本を書いた、という点に注目されることを嫌うであろう。

    しかしだ、
    今ドイツでドイツ語を習得したいと思っている自分にとって、これは注目せざる得ない点であり、そして、可能性でもある。
    頭上にあった壁を吹っ飛ばすかのような大きな刺激は、同時に私に新たな課題を提示した。

    余談だが、この作品を読んだ夜、面白い夢をみた。

    夢の中で私は日本にいる。日本語もわかる。
    にもかかわらず、ひとりぼっちで完全に孤立していた。
    一人旅でも感じたことのないような突き抜けるような寂しさと心細さに襲われ、コミュニケーションを求め、外をうろうろと歩き回る私。

    シーンは突然、一軒の韓国料理屋にうつる。その食堂の地下には韓国人の兵隊が15人ほど身を潜めている。それは、革命と亡命を思わせるシチュエーションで、そこがもはや日本なのか、そのあたりはあいまいなのだが、一人の男が令状とともに現れ、彼らは生命は脅かされる。私は、彼ら兵隊側のサイドの人間であり、彼らを逃がす手助けをする。この当たりはもはや『いちげんさん』だけの影響とは言えないところがあるが、その後、シーンは再び日本へ戻る。

    道端で自転車を押す日本人の若い女性に、道を聞かれるも、道が分からない。
    2人で歩きながら彼女の家を目指す。彼女は家を見つけるのだが、その家は移動式の家であった。
    中には彼女の親戚が集まり皆で寿司を食べているのだが、私は完全なるよそ者であり、所在に困った私はその家を後にする。
    再び突き抜けるような孤独。

    夢はその後もだらだらと続くのだが、一体、私の感じたこの孤独感の正体は何なのか。
    そして韓国料理屋で感じた安堵感。
    自分が外国人になってしまったような気がした。

  • 日本語って素敵な表現が多いね、よくこんな表現が思いつくなと感心。留学生と、全盲の人の、目線を知れるという意味では興味深いけど、ストーリーは微妙かな。

  • 日本文学を学ぶ留学生の日本における心の移り変わりをいろいろな出来事から描く。
    目の見えない京子との恋愛。心の壁を感じる京都の街。
    臨場感のある心の動きを描く素晴らしい物語。

  • 日本人は到底気づかず、感じられない“よそ者”の苛立ちなどがあらわされていて、とても考えさせられた。(2022.8.)

    僕は人に見られることに極端に疲れているのかもしれない、と思った。いちいち外人という名の道化師の役を演じさせられることにうんざりだ。ところが、京子と一緒にいると、そういうことは当然一切なかった。当たり前の話だが、彼女の場合、外見というものはそもそも存在しなかった。僕と京子の関係は最初から声、肉体、言葉、と言ったものを媒体にして始まった。僕らを結ぶのは言葉や体のふれあいだった。つまり外見の裏にあるものを伝えるその手段であり、ものごとの核心の部分である。急にそんな気がした。(本文より)

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著者プロフィール

1962年、スイス生まれ。高校時代から独学で日本語を学ぶ。90年、同志社大学(国文専攻)卒。91年、初の外国人正社員としてテレビ朝日に入社。96年、『いちげんさん』ですばる文学賞を受賞、芥川賞候補となる。同作品は映画化される。98年、執筆に専念するためにテレビ朝日を退社。著書に『アレグリア』、『旅日記』(日本エッセイスト賞受賞)、『命の風』、『不法愛妻家』、『旅立ちの季節』、『奇跡のタッチ』がある。また、現在、執筆のかたわら、東京都内の地域手話通訳者を目指して、刻苦勉励中。

「2025年 『君の手が語ること』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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