落花流水 (集英社文庫)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087474985

感想・レビュー・書評

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  • 変り果てた67歳の手毬。手毬の一生は幸せだったのか(なのか)。手毬、7歳から67歳まで10年単位、7章構成で登場人物それぞれの視点でかかれている。
    7歳、手毬は超わがままだが可愛い純真無垢な女の子。
    母親と思っていた人は実は祖母で、時々やってくるやさしいお姉さんが実の母親だと聞かされる。それからも破天荒な母親律子に振り回され、複雑な家族関係は続く。
    世界で一番好きなのは、義理の父親(母の再婚相手)、と言った手毬の気持ちは・・わからないでもない。やっと心許せる人が現れたとでもいうか。が、その先はもう信じられない、家族を捨てて男に走るとは。無責任にも程がある。その先も波乱は続く。母親と同じことをしてしまう悲しい性。
    愛情不足で育つと、子供は自分が大切にされている感覚が育たず生きづらくなってしまうのか。
    手毬はとてもいい子(いい人)なのに。
    このくだりでさらに思った。一分でも二分でも多く睡眠時間を取りたい夫を目覚ましが鳴る前に起こさぬよう、私は足音を忍ばせて階段を上がって行った。(私でも同じことをする、というか家族を思う母親、妻なら皆同じと思うが)。
    親の生き方が子供に及ぼす影響を思った。親の行動、思考は子供に伝わっている。どう繕っても、良いことも悪いことも。自分を振り返ると目をつむりたくなることもあるが。
    最後、笑うのは律子だとは。人生はこんなものか。
    話の展開が突拍子もなく少々頭が疲れた(面白かった)。

  • わがままで奔放に過ごしていた7歳の手毬の、17歳、27歳…そして67歳までの記録。
    不遇な10代を経て平凡な主婦になり、そして…。流れるように生きる女・手毬の、10年刻みの物語。

    10年置きに人の人生を見つめてみると、20代以降は概ね安定している人もいるのかもしれないけれど、変化の多い人生を歩む人であれば、10年は大きく変わるのには全然短くない期間だと思う。
    この小説は手毬という女性の7歳の頃から67歳までを10年刻みで描いている連作短編集で、手毬本人が語り部であるのはそのうちの一編、残りは手毬に関わる人々が語り部なのだけど、しばらく読まないとその語り部が誰であるのか判別出来ない章もあった。
    人と人の関係は、密なようでいてその実希薄だったりする。
    血の繋がりがあっても縁を切るような関係性も世の中にはあるし、実の親よりも義理の親に多くの信頼を寄せることもあるかもしれない。
    親子、兄弟、夫婦、恋人、友人。人と人の繋がりには様々な関係性があるけれど、繋がり的には濃いようでいて薄かったり、はたまたその逆であったりする不思議な縁の世界がリアルだった。

    自分の人生も10年ごとに見つめ返してみると随分変化してる、と気づいたりした。
    その時の流れや勢いで人生を大幅に変えることだってあるし、安定を望まなければそれはきっと一生続く。
    手毬の人生はまさに「落花流水」で、自分の目の前に落ちてきた運命に身を任せて流れるように生きていく、そういうもの。

    因果、因縁は続く、というのもまたひとつのテーマ。血の繋がった親子が、どんなに不仲であってもどこか似たような人生を歩んでしまうという不思議。
    母を恨みながらどこかで母のような生き方に憧れる。三代に渡って続く因果が、虚しさをはらみつつ描かれている。

    山本文緒さんの小説って、なんかぐぐっと惹かれて最初から最後まで読み終える感じがある。
    それは若い時よりもある程度年齢を重ねればますますそうなるのかもしれない。

  • 波乱万丈ってこのことだなぁって思った。
    10年間ごとに焦点を当てていくっていう書き方も面白いし、ややこしい家系図の中でできる人間関係も良かった。でも、家庭教師先の子どもが子どもの時の手毬みたいな感じだから、将来お母さんだと思ってた人が違うかったって知ったら複雑な気持ちになるだろうな。でも、律子みたいに好きなように生きたいけど、人に迷惑をかけないようにしなくちゃためだなぁとも思った

  • 姉と呼んでいた人が実は母だった七歳から十年毎の、女系家族の波瀾万丈な、それぞれにとっては当たり前に流れる生活。荒んだ母子暮らしや娘を捨てての駆け落ち、繰り返す再婚等、娘、母、祖母が似て陥る業と、それでも淀まないさらさらとした質感。一見重厚なのに薄い層が折り重なるようなサクサクとした空気が心地好い。

  • 10年毎に語られる手毬の人生。
    語り手は本人だったり周りの人間だったり。

    後先考えずに流されているだけのように見えるけれども、家族に愛されわがまま放題に育った7歳の時以降の人生は、無意識に周りの望むような姿で生きていたのではないか。

    手毬の周囲の人間が、何を考えどう感じて生きているのかは書かれていない。
    たとえば母の再婚相手。彼が手毬のことをどういう目で見ていたのか。
    その連れ子。義理の姉のことや、その娘と暮らすことの、表面的ではないどろどろとした思い。
    幼馴染みであり駆け落ちの相手。なぜそんな行動に出たのか。再開するまでの暮らしや、その後の生活。
    さらにその先の手毬の人生。

    輪郭は描かれていても、内面が書かれることがないのは、手毬がそこまで深く相手を見ることがなかったからなのかもしれない。
    だから、流されているように見えるのではないだろうか。

    でも本当は、周囲の望むようにふるまわないと、愛されないという強迫観念があったのではないかと思う。
    いい子でなければ。良い妻でなければ。より必要とされているのなら。
    行動の起点はそこにあるのではないか。

    精神的に幼くて自己中心的な母親は、親として失格だろうけど、それでも彼女なりに娘を愛していたはずだ。
    「蹴鞠の鞠ではなく、手毬の毬です。」
    その愛情は、娘に伝わるにはあまりにも自分勝手すぎたけれど。
    ありのままでも愛される自信があれば、手毬にも違う人生があっただろう。

    はたから見れば奔放に生きたように見えるけれど、彼女が本当に自分でいられるようになったのは最後の章、67歳の手毬。
    それは幸せというには少し淋しいけれど、でも決して不幸せなことではないと思う。

  • 【本の内容】
    甘ったれでわがままな7歳の少女、手毬。

    家族に愛され、平穏な日々をおくるはずだったのに…。

    17歳、かつては姉だった人を母親と呼ぶ二人だけの暮らし。

    27歳で掴んだ結婚という名の幸せ。

    その家庭を捨て幼なじみと駆け落ちした37歳。

    そして…。

    複雑に絡みもつれる家族の絆、愛と憎しみ。

    運命に流されるひとりの女性の歳月を、半世紀にわたって描く連作長編小説。

    [ 目次 ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 山本文緒の作品は現実離れしている。
    しかし、一歩間違えばその現実には自分も含まれるような
    危うい感じがする。
    本作品もそんな世界観が存分に出ていた。

  • 落花流水とは、、、花が流水に散れば、水もこれを受け入れ花を浮かせて流れてゆく意。男に女を慕う心があれば、女もまた情が生じて男を受け入れるということ。
    すごくピッタリなタイトル。
    家庭よりも女性としての生き方を選択してしまう母。そうはならないと思いながらも繰り返してしまう娘。そしてその娘。3代に渡り幸せな家庭が築けない。
    最後がちょっと物足りない。

  • これはとても面白い。
    一人の女性の一生を色々な人の観点から描かれている。

    祖母も母も娘も。
    血は争えなかったのかな。

  • 一人の女性の一生を多様な人物の視点から描いた小説。
    自分勝手な行動が他人に如何なる影響を与えるのかという観点から、
    非常に面白く読めた。

著者プロフィール

1987年に『プレミアム・プールの日々』で少女小説家としてデビュー。1992年「パイナップルの彼方」を皮切りに一般の小説へと方向性をシフト。1999年『恋愛中毒』で第20回吉川英治文学新人賞受賞。2001年『プラナリア』で第24回直木賞を受賞。

「2023年 『私たちの金曜日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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