タナトス (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087476750

感想・レビュー・書評

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  • 三部作なの知らないで、最後から読んでしまいました…

    さすが村上龍と思いながら読んでいましたが、三部作と聞くと、舌を巻く構成力だなと…

    人は自分を規定することを求められる。自身の階級を名乗らなければならない。レイコの中に、肯定すべきレイコはどこにもなく、他者との交わりの度に、見繕わなければならなかった。

  • 頭のおかしい女がひたすら独白を続けるスタイルはプイグの「蜘蛛女のキス」を思い出させた。舞台もキューバということもあり。ただ「七瀬ふたたび」に続きこれもまさかの三部作最終作。連続ミス。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/682612

  • 自分が一番な、被虐嗜好の女。独りよがり。

  •  犬だって優しくして餌をやらないと名前を呼んでも寄って来ない、その通り。自己評価が低くて、他人が自分と一緒では幸福になれないと思って、他人に虐げられることを望むのは、虐げたいという欲望によってしか自分が他人を満たせず、他人の欲望の対象でいなければ自分が他人に必要とされないと思うからです。何故なら人に尊敬されたりする存在ではないと自分で思うから。ゴミ以外の男の子が好きな女といたいと望んで、軽蔑と尊敬を、攻撃性と思いやりを繰り返す。自分だけが下手で、自分達だけがそうなのかと思い込んでいたけれど、それは至って普遍的なことらしくて、勉強不足だ。

  • 表紙の女性の写真に惹かれて読んだけど(^^;)読んでいるうちに文章がだんだんリフレインされて何度も堂々巡りのようになり日本語が分からなくなるような錯覚に(*_*)

    女優が崩れているのが伝染して、読むのが辛くなる。
    ある意味心に刺さり、ある意味心に残らない小説でした。

  •  村上龍の小説には、いつも心を激しく揺さぶられる。
    気分の上下に気をつけなければならない。
    そこに出てくる人間が、周りで思い浮かべられる人間の究極のところにいるようで、いつも自分の情景と重ねあわせながら読んでしまうから。
    他の小説にはなかなか少ない超リアル感

    「いいか、ものごとってやつはな、はっきり言わないと絶対に伝わらないんだよ、思ってるだけじゃ伝わらないんだ、はっきり言えよ、絶対に嫌いになったりしないからはっきり言ってくれ。(中略)
    先生は、イヤなことをはっきりとイヤだと言ったことがあまりない人間やあることについてそのことがイヤだと自分で気づいていない人間がこの世の中の大部分を占めていることを知らない人だったんです。みんなそうやっておそばやチャーハンを食べてるってことを知らない人だったんです。この世の中のみんながイヤなことをイヤだとはっきりわかてそのことを誰かに言って日々暮らしていると勘違いしてたんです。」

    「(略)物語。モノガタリ。モノガが語る、すごい言葉だよ、まるでマゾヒスト達のためにあるような言葉だ、ガタリという互換が格調高いムードもかもし出してるしな、美しい語感にしてモノにならなければ語ってはいけないなんて実は深い意味も背負わせてるわけだ、モノ、つまり被支配者たちだけが語るんだ、モノを語るのは奴隷や宦官や敗軍の将兵や被差別者やマイノリティだ、略奪して殺して犯すだけのプリミティブな狩猟民や騎馬民族はものを語っていない、チンギス・ハーンの一族はそもそも言語を持っていなかったそうだ(中略)
    合図は合図だ、ピッチャーとキャッチャーのサインとか、サッカーのディフェンスラインのオフサイドトラップのようなものだ、そういうのは逆に言葉は要らないんだ、言葉が不要なものの典型のひとつだ(中略)
    (言葉が必要だったのは)死刑囚や奴隷達だろうと俺は思う、あるいは生まれつきからだが不自由だったり弱かったりして狩に参加できなかった奴らだ、基本的に弁明が必要で、その弁明だけで死から免れるていう連中だ、それが言語の起源だと思う。モノガタリの起源でもある、マゾヒスティックなんだ、」

    「すべての打算と、打算以外のすべてを合わせたものをオレたちは便宜上愛と呼んでいるんだよ」

    「自分自身なんかどこにもいないんだよ、
    いるのは、仕事と共にある自分、他人の隣にいる自分、誰かに抱かれている自分、関係性の中で怯え、ある一瞬歓喜に震える自分だけだ、
    無人島にいってごらん
    思い出にふける時と救助されるであろう未来を考える時以外は、自分なんかどこにもいないことに気づくだろう」

    「(略)彼らは、音楽におけるメロディを憎んでいた。ラップやハウスは大体機械的なビートや騒音に近い電子音がそのサウンドの大部分を占める。メロディは感傷を発生させる装置であり、基本的には旧世界とそれに属する有産階級と最下層民のものだとラップやハウスのミュージシャンは知っているのだ。」

    「(略)この世の中の一部の人間は自分で自分のことを好きになるために人生の大部分を使うだろ?その他の大部分の人間は自分で自分のことを好きになるのをあきらめるために人生を消費するんだよ」


    「自分の力で他人を喜ばすことだけを考えてる人でしょう、自分の力が他人に影響することが好きなのよ、この人はただそれだけで生きているの」


    「キューバ人は、日本人には無縁の、日本人には決して理解できあにエネルギーを持っていて、それは単純にいうと過酷な状況で歴史を生き延びてきた奴隷と移民の子孫たちということだが、そのエネルギーは革命によって国家的に制御されている。個人のダイナミズムを国家的な力に変換してサバイバルしているのだ。おれが生まれてずっと二十数年間育った日本は個人のダイナミズムを抑圧して集団の統一を図ることで成り立っていて、サバイバルという概念がない。そんなことは日本にいるときはわからなかた。何か他のものと比べないと特徴はわからない。他の国と比べないと日本の特殊性はわからない。日本では生き延びていくこととは無縁にすごせる。周りが身と得る集団に入りさえすればそこに埋もれるだけでプライドも価値観も保障Sれるのだ。たとえばキューバ人だったら生きていくために絶対不可欠な個人の絵ねんるぎーは日本ではほとんどの場合、不必要で、邪魔なものとなてしまう。
    それは内側にむかて、あるときはその人間を攻撃する。自分で自分を好きになれない、4字分で自分を尊敬できない。自分で自分を軽蔑する、強いエネルギーを持ってうまれてきた一部の日本人は集団からの保証ではなく、個人的な自己保証を求めるからそれが果たせない場合必ず救いがたい自己嫌悪を持つことになる。おれ自身がそうだったからよくわかる」

    「(略)何日鉄やしてもまったく飽きないものを、つまり努力を努力だとKな地ないような仕事としての対象を見つけることができなかっただけだ。
    それを見つけなければいけないという無意識の危機感をオレたちは才能と呼ぶ」


    「価値がある人間なんか誰もいない。誰にだって代わりはいるし、人は他人に何もしてやれない、そういうことから出発してどこかへ行けるかというと実はどこにも行けない、いつか他人にとって価値のある人間になろうとしてもそういうことはさもしいし、無駄だ、誰からか本当に必要とされている人間なんかどこにもいない。
    だからオレたちは自由なんだ」

  • ※この作品には性描写が多く含まれます。

    【内容】
    カメラマンである主人公は、精神の乱れ切った女に耳を傾ける。
    自己の規定、甘え、自己評価の低さ、社会的関係性。
    キューバにて。

    【類別】
    小説。

    【表現】
    内容の危うさとは裏腹に、文章は平易なものです。
    薬物の名称が分からずとも物語の鑑賞に問題はありません。

  • 困ったお姉さんの失恋ぐだまきかと思いきや、後半の「軽蔑と尊敬の間、いたわりと攻撃性の間」というフレーズが出てきて、ぐっと面白くなった。先生との関係。SMという関係。ドラッグ、セックス、アルコール、キューバ、先生。何をやっても救われない。

  • 装丁、書き方が特殊すぎて息が詰まる

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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