不安の力 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087478365

感想・レビュー・書評

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  • 【読もうと思った理由】
    以前、同著の「私訳 歎異抄」を読んで、非常に読みやすく且つ、納得感がある内容だったので、また五木寛之氏の別の本を読みたいと思っていた。そんなとき本屋さんをブラブラしていると「不安の力」という気になるタイトルを発見。以前から不安に関しては、一生消えないんだろうなと感じていた。では「その不安とどう付き合っていく?」という課題が、自分の中で未解決の引っ掛かりとして、ずっとモヤモヤしていた。本の目次を見ると「不安は恐ろしいものではない」や「不安は人間を支える大事な力」など、本来はネガティブにしか捉えられない「不安」という単語を、むしろ大事なものなんだよと書いてあり、「えっ、どういうこと?」と興味を惹かれたのが理由。

    【読後の感想】
    実は数年前、友人から同著の「大河の一滴」というエッセイを薦められて読んだ。当時の自分は困難なことが色々あり、如何にネガティブな事柄をポジティブに変換するかという難題に取り組んでおり、かなり苦しんでいた。大河の一滴は「無理やりポジティブになろうとするんじゃない、ネガティブで落ち込んでもいいじゃないか。」という自分が当時取り組んでいたことと、全く逆のことを示唆する内容だった。まるで自分の考えを全否定されたようで、五木寛之氏に対して、実は元々あまり良いイメージを持っていなかった。
    ただ最近「私訳 歎異抄」から五木寛之氏のイメージが良いイメージに変換できたお陰もあり、五木氏の言葉を素直に受け入れる土壌が整っていた。

    と前置きが長くなってしまいましたが、このエッセイ、読後にとても素直に心に届きました!
    五木氏は、それこそ少年時代から現在に至るまで、常に不安があったんだそう。
    しかし現在(執筆当時70歳)は、不安は決して恐ろしいものでは無くなったんだとか。いつの頃からか、漠然とした不安はあるが、そのことを嫌い、敵視する気持ちがなくなったんだそうだ。「不安はあるが、苦しくはない」そんな感じとのこと。是非その境地にいきたいと切実に思う。最近ようやく、「不安はあって当然のもの」と思えるようになり、少し気持ちがに楽にはなれたが、まだまだ五木氏の境地には遥か及ばない。

    【特に心に響いたところ】
    風邪をひけば、ぼくらは早めに寝ますし、下痢をすれば、食事を制限します。あるいは頭痛がひどい時は、じっと静かにする。こういうことで、人間はどれだけ大きな危険を回避できているか分かりません。
    僕が思うに、不安ということもまた、そうなのです。不安は人間の優れた、大事な警報の働きなのです。不安という警報機が鳴らないのは、泥棒が入っても警報機が作動しないのと同じで、非常に困ったことだと思えばいい。要するに不安というのは、人間が本来持っている強い防衛本能ではないのでしょうか。(P.58)

    ぼくに言わせれば、不安の正体をしっかり感じ取って、今自分が不安を感じていることにむしろ安心しなければならない。「不安は人間を支えていく大事な力なのである」。そんなふうに考えていくべきだと思うのです。(P.61)

    →(感想)この部分を読んで、「不安を感じることは、精神的に未熟だからではなく、むしろ正常なことなんだ」と自分を肯定してくれているように感じれた。また、今後の人生において、一本の揺るぎない指針を得れたことが大きな収穫だ。

    それは、ものごとは片面だけではないということです。仏教では「我ありて彼あり」と言う。「因果」というものも仏教の言葉ですが、これもそういう発想に基づくものだと思います。簡単に言うと、ちゃんと泣けない人には、腹の底から笑うこともできるわけがない、ということです。笑うことも大事だけれども、泣くとこも大事なのだ、悲しむことも大事なのだ、絶望することも大事なのだ、とぼくは一貫して言い続けてきました。(P.82)
    →(感想)この部分が大河の一滴の「マイナス思考も大事である」に繋がっていくのかと、数年経って漸く納得できた。また近々、大河の一滴を読み直そうと思う。今の自分であれば、数年前読んだ時よりも、素直に五木氏の言葉を受け入れられると思うから。

    【雑感】
    読了後、本書の中で付箋を付けたページを見返してみると、筆者が感銘を受けた書籍を多数上げてくれていることに気づいた。
    今後本当に好きになった作者の薦める書籍は、読んでいこうと思った。備忘録として、本書で記載があった書籍をメモ。

    「五体不満足」 乙武洋匡(P.49)
    「リア王」 シェークスピア(P.59)
    「国富論」 アダム・スミス (P.137)
    「ユートピア」 トーマス・モア(P.140)
    「坂の上の雲」  司馬遼太郎(P.142)
    「草枕」  夏目漱石(P.143)
    「罪と罰」  ドストエフスキー(P.144)
    「妙好人」  鈴木大拙(P.175)
    「歎異抄」  唯円(P.260)
    「教行信証」  親鸞(P.262)
    「死に至る病」  キュルケゴール(P.272)
    「存在と時間」  ハイデガー(P.272)

  • 随分前に買った本で、登録していない所を見ると、途中で止まっていたのかもしれない。

    今、不安ですごく苦しんでいる人には、どれくらい効果があるかは分からない。
    甘えと書いてある所があって、甘いかもしれないけど、甘えて不安を抱えてるんじゃない人もいるんだけどなーとかまあ、いろいろ思う。

    でも、人の一つの感情みたいな、状態として不安ということがあるんだから、無理になくすことが最善とは思わない、という言葉には納得する。
    そこまで自分を対象化して見られるようになることが、理想なのかもしれない。

  • 不安は誰にでもあるし、常に付きまとうことである。

    著者、五木寛之氏の経験や考えにもとづいてそのように伝えているように思いました。

    一番印象に残っているのが、著者が若いころから常に偏頭痛もちだというところ。
    五木氏のように著名な作家さんでもどこか不安や調子の悪いところを抱えて生きてらっしゃる…そんなところが心にささり、子供のころから疲れやすく、すぐ眠くなってしまう私も、
    それがどうした、常に元気で目標を持って全力で一生を走りきれる人間なんているか。と
    開き直るきっかけをくれた本です。

  • 不安をマイナスにとらえるのではなく、むしろ力にしようというお話。要は考え方ですかね。必要以上に心配しても仕方ないし、不安に苛まれるようなら、なんらか異常のサインなので休んだりしようということかと。脇道にそれた話も少なく良かったと思う。時間ない人はあとがきだけ読めば十分な気がします。

  • 今、目に見えないコロナウィルスを前にして、何ともいえない不安、そしていらだちややるせない気持ちで日々を送っています。五木寛之 著「不安の力」、2005.7発行。著者は、不安より安心がいいのは決まっているが、不安・安心は、いい悪いではなく「対」を成すもので、不安があればこそ、そこから解放されたときの喜びややすらぎがあると。大地震、交通事故、癌、認知症・・・、無数の不安に囲まれながら、不安をエネルギーにし、ひとつのバネとして、その不安から希望を見つけていく。なるほど、難しそうですが考え方ひとつですね。

  • いつの時代も生きていくのには不安が伴うが、適度な不安感は人間を支える大事な力であるし、無理に虚飾する必要もない、といったようなことが書かれている。人生で3回鬱病を罹患し、そのたびに復活してきた著者が、仏教思想をベースに語るのは説得力がある。

  • いろんな不安があると紹介してくれた。
    どれも改善策を出している。

    だれにでも不安はあり、
    生まれてから死ぬまでついてくる切っても切れない存在で、
    どんな不安があろうと不安はモチベーションの一つとして置き換えられ、
    マイナスどころかプラスになるもの、

    と見受けた。

  • 相対する感情
    例:不安と安心
    ごく自然なこと
    漠然とした不安の感情を上手くコントロールすることが大切

  • 仕事で読んだ文章が載っていたので全体を読んでみて!

    とにかく不安であってもいいんだよという話。
    納得できないのもあるけど、それはまだ私が若いからなのかなと思います。

    いい年のとりかたをしたいものだ。

  • 不安・・・。
    誰しもこの言葉から受ける印象は決して良くない、暗いものだと思います。
    でもこの本ではその不安がないという人は却って不自然なんじゃないか?
    不安をもつありのままの自分を受け入れようと書かれています。

    『いまの不安の時代には、こころに不安を抱えているということが、むしろ正常な反応ではないでしょうか。
    それはなぜか。
    ぼくらがいま生きている、この世界のありかた自体が、人間に不安を与えるような歪んだ構造になってきているからです。ぼくらの環境そのものがいま病んでいるからです』

    さらに続きを抜粋すると・・・。

    『ぼくは、いまのこの時代に、不安を抱えていないということは、それこそ非常に不安なあぶない状態ではないか、と思うところがあります。
    人間は環境とともに生きている。環境がバランスを失って不安定になっているときには、人間のこころと体も不安定になる。その不安定な状態が、不安につながっているわけです。極端にいえば、不安定な環境にいて不安でないということは、異常な状態であるとさえぼくには思えます。
    ですから、いまは人間が不安になるということは、まったく自然なことです。
    こころのやさしい人ほど、柔軟な人ほど、あるいは素直な人ほど、自然に不安を抱えている。その不安をどうしようもなく持て余している。そんな時代なのです。
    とすれば、不安であるということは、その人がまだ人間的である、ということでしょう。逆に、まったく不安を感じずに生きているということは、その人が非人間的な生きかたをしているということです。』

    不安を早く取り払わねば。
    ポジティブに!
    と思うよりも、不安はあって当たり前。
    そう思う方が私は楽だな~と思います。

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著者プロフィール

1932年、福岡県生まれ。作家。生後まもなく朝鮮半島に渡り幼少期を送る。戦後、北朝鮮平壌より引き揚げる。52年に上京し、早稲田大学文学部ロシア文学科入学。57年中退後、編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞受賞。ほかの代表作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『百寺巡礼』『生きるヒント』『折れない言葉』などがある。2022年より日本藝術院会員。

「2023年 『新・地図のない旅 Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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