辛うじて「私」である日々 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087492019

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  • 人間は与える立場にならない限り、「生きがい」を見つけられない

  • 人間が人間としての尊厳を保って暮らしていくための要素は幾つもあるが、その一つに与えるという行為がある。

    人間は、成長が完了するまでは、もっぱらもらう生活をする。
    ところが、社会人になると、彼らは、与える生活を始める。
    そのようにして、数十年の壮年期を終えると、人々は、今度は、再び受ける生活に還る。
    ただ、人間として尊厳を失わない人がいる。どんなに辛くても感謝を知っている人である。感謝をするという行為は、感謝される相手に喜びを与えるから、老人のほうが、れっきとして、与える立場にいるのである。

    日本の文化のめざすものが、受けることを目標にしている限り、人々は、決して満たされない。人の心を喜びで生き生きとしたものにする要点は、与えることにある。
    受け身の価値観の特質は、与えられること、すなわち、トクをすることによって、のみ満たされると思い込むことである。いつのまにか、受け身でいる限り、本質的には、満たされることはない。人間は、与える立場にならない限り、生きがいをみつけられない。

    尊厳のために、与えることこそ、光栄なのだという姿勢をはっきり示すべきである。

    主体性は、生ぬるい環境では完成しない。他人て激しくぶつかり、切磋琢磨して、時には、主体性の為に生命の危険さえも選ぶかどうかの岐路に立たされ、社会は、こんなにも不法なものという現実に暗澹とし、自分の意見や物の考えなどというものが、ほんの身近なものにさえ理解されない場合も多いという過酷さや孤独な耐えて、初めてできるものである。

    大人であるということは、人間の多面性を過不足なく承認すること。
    大人の判断をするには、多くを期待しないという冷酷さが必要である。

    生きるということは、すなわち誰かに明和をかける要素を持つことわ、はっきりと認識するべきである、

    矛盾や混沌は、決して美しく見えない。
    あらゆるものは、毒を含み、すべての美と善は、醜と悪のうらうちによって支えられる面が必ずある。

  • 1987年初版の本ですが、311以降の今も通用する考え方です。と言うか、世の中変わってないと言うか、自分が成長してないと言うか、、、

  • 著者の、周りにすべて迎合してしまわない、凛とした姿勢が気持ちいい。政治や社会への疑問も、迷うことなくぶつけている。物事の本質について、普段、私達が気づかない面を鋭く衝いていて、考えるきっかけができたのがよかった。

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著者プロフィール

1931年東京生まれ。聖心女子大学卒。93年恩賜賞・日本芸術院賞受賞。2003年文化功労者に。2012年菊池寛賞受賞。著書に『人生の収穫』『「群れない」生き方』『人間の道理』『老いの道楽』等多数。

「2022年 『未完の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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