- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087520026
作品紹介・あらすじ
生きよ、堕ちよ。堕ちること以外の中に人間を救う道はない―。救われない孤独の中に、常に精神の自由を見出し、無頼と反逆に生きた著者の代表的作品9編。(解説・井口時男/鑑賞・立松和平)
感想・レビュー・書評
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おそらく、日本が負けた戦後、「これからどうしよう」という絶望に満ちた日本国民を想って坂口安吾が書いたエッセイではと思います。堕落というのは、僕たちがイメージする落ちぶれたという意味の堕落じゃなくて、「またやり直そうよ」という意味での堕落なんだと思います。もう少し言えば、今まで伝統的であった天皇制・武士道・耐乏の精神からの脱却です。まあ、全部そういうものを脱いで裸になって、もう一回新しい人間として生まれ変わろうよ、ということだと思います。今回の東日本大震災にも似たようなことを言える気が、しないでもないのではないでしょうか。
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芸術的な文章に惚れた。
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自分はわりと0か100の人間でそれが嫌で自分が面倒だなと常々感じていたのですが、坂口安吾は葛藤してる自分を愛してくれるんだろうなと感じて変な自信がつきました。
高校生の頃にカッコつけて堕落論を読んでわかった気になっていたのですが、大人になって改めて読んでも自分は理解できたのかしら?となってます。ただ、恋愛論やFARCEについてを読んで安吾が人間のうちにある矛盾や混沌をとにかく愛していたんだろうなってことはわかりやすかったです。そこから堕落論を再読するとこういうことを言いたかったのかなと考えることができて楽しかったです。
理想と現実のギャップに苦しんだり、自分の思いと裏腹な行動をしてしまって後悔してる人を坂口安吾が暖かく迎えてくれるそんな感じがありました。坂口安吾なりの人間讃歌なのかもしれません。これからも精神の格闘をしていこうという前向きな気持ちになれる1冊でした。 -
いわゆる堕落と、坂口安吾の説く「堕落」は種類が違う。
坂口安吾の説く「堕落」とは、習慣や制度から逃れ堕ちること。例えば、所謂日本人然とした、苦労を厭わず、倹約に地道に努力することから逃れ、楽をしようとすること。家庭を持ち清廉潔白に暮らすのではなく、情欲を受け入れ過ごすことである。それは決してネガティブな行いではなく、それが人間の実質であり、それで人間が発展する。「堕落」は制度の母体なのである。
なぜ坂口安吾が「堕落」という言葉を使ったのか。それは、習慣に囚われた人々が、坂口らに対して向けた、「お前達は堕落している」といったレッテルに対して、「堕落こそ結構。それこそ人間の本質であり、中身の伴う行いなのだ」と、言葉そのままに言い返せるからなのだろう。
文中でよく出てくる宮本武蔵の例えも、習慣や形式に囚われた剣術に対して、その場その場で生き抜くことを第一に掲げ、生き残ってきた宮本武蔵の在り方が、まさに坂口安吾のイメージする「堕落」だからなのだろう。
芸術や文学も同様で、表面だけさらって言葉遊びや形式遊びに興じるようではいけない。そういった習慣に対して「堕落」をすることで、本質の伴ったものが生まれる。
私は「堕落」出来ているのか?そう思った。 -
高校の頃読んだのをコロナ期間に再読
やっぱり文体も内容もテンポも最高
「桜の森の満開の下」も本当に美しくて大好き -
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
終戦後翌年発表され影響は凄かったらしい。
自死した太宰治を分析した不良少年とキリスト他。
ちょっと賢いジャイアンがぶった斬る戦後。
戦後75年経った今日にも通ずるかも -
坂口安吾のリアリスティックな人間観は、本質を突いている。弱さから美徳を求めるのが人間であり、美徳から逃れて堕落するのも人間である。自分自身の美徳を編み出すためには、「正しく堕ちる」必要がある。
絶対的な価値観の崩壊を引き起こした戦後は、まさに「正しく堕ち」、自らの美徳を編み出す大きなチャンスだったのだろう。しかし、日本はこのチャンスをふいにしてしまったように思えてならない。西欧の価値観を追従し、美徳について問うことを忘れてしまった現代の日本は、美しさすら失った、運命に従順な人間の姿のように思える。