こころ (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
3.89
  • (391)
  • (327)
  • (436)
  • (37)
  • (4)
本棚登録 : 3402
感想 : 361
  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087520095

作品紹介・あらすじ

「私」は、鎌倉の海で出会った「先生」の不思議な人柄に強く惹かれ、関心を持つ。「先生」が、恋人を得るため親友を裏切り、自殺に追い込んだ過去は、その遺書によって明らかにされてゆく。近代知識人の苦悩を、透徹した文章で描いた著者の代表作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 人間の罪や本質、今の時代にも通じる寂しや優しさが詰まった作品でした。Kの手紙のもっと早く死ぬべきだったのに、なぜ今まで生きてきたのだろうという言葉に泣きました。

  • これが「岩波文庫読者が選ぶ100冊」の一位に選ばれたのは、納得です。見事なエンタメ推理小説でした。最初に「謎」が提示されて、「伏線」が張り巡らされて、「事件」が起きる。そして「真の原因」は「何処か」に隠されている。

     私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。(6p)

    冒頭である。「先生」と呼ばれる過去形の人物は一体何者なのか。この書き方自体に何かの「事件」の匂いがぷんぷんする。

    38pには意外な展開が書き込まれていた。まさかこれが青年の先生への同性愛の恋物語だとは知らなかった。しかも、青年はそのことに気がついていないが、先生はきちんと気がついていながら「私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」と断る。 こんな生々しい会話もしているわけです。しかも、ここで「ある特別の事情」と伏線が張られる。

    「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」私の声は頸えた。(87p)

    この頃になると、死亡フラグ立ちっぱなし。

    事件の真相らしきものは、第三部の「先生と遺書」によって展開されるのではあるが、実はテーマとしては第一部の「先生と私」で出尽くしていると言って良い。名探偵ならば第一部で「解決したよ、小林くん」と云うべきところだろう。

    「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人として、私も好かれるはずがないじゃありませんか」(50p)

    一般的に事件の蚊帳の外に置かれていたと云う評価の「奥さん」ではあるが、常に先生の側に居て約15年、彼女が先生の自殺の「真相」に気がつかなかったわけがない。この言葉に自殺の真相が集約されている。と私は観る。単純に親友Kへの罪の意識でもなければ、「明治の精神」に殉死したのでもない、「人間は淋しい」といったウジウジした気持ちでもない。そして奥さん自身はとっくにそんな夫を馬鹿な男と客観視出来ていることも、この言葉から読み取れる。

    人間の心の不可思議さを位置づけた素晴らしい推理小説でした。
    2013年7月21日読了

  • 夏目漱石の『こころ』は、太宰治の『人間失格』と共に累計発行部数を争っているらしい。『人間失格』は前に読んだけど、『こころ』は未読だった。日本で最も売れている作品がどんなものなのか、興味があった。

    この作品は、「上 先生と私」、「中 両親と私」、「下 先生と遺書」の3部に分かれている。主人公の「私」と「先生」との関わりが、作品のほとんどを占めている。

    「私」は夏の鎌倉で「先生」と知り合い、それから頻繁に「先生」の家に通うようになる。「私」はなぜこれほど「先生」に好意を持つようになったんだろう? 後からその辺りの理由が明らかになるのかと思ったけれども、特にそれらしいことは明らかにならないまま物語は終わる。その後に巻末の解説を読むと、「外国では『こころ』は同性愛の小説として読まれている」とあった。それを頭に入れて再読すると、「私」の行動は違ったように感じられる。鎌倉で「先生」と知り合った辺りは一目惚れしたように思えてくる。元々、偶然同じ時期に鎌倉の海に来ていただけの赤の他人だったのに、その後親密に会話ができる間柄になっている。そんな関係に持っていけた「私」の積極性は、恋愛感情から来るものだとしても違和感がない。作品を読む時の視点が変わると、感じ方も変わるという貴重な体験ができた。

    この作品はそれほど長くもなく、登場人物も多くない、割とシンプルな構成になっていると思う。それなのに、読んでいると色んなことを思い起こさせる。それぞれの人物の関係性に注目して読むと、また新たな発見がありそうだ。
    ・「先生」と「私」の関係
    ・「両親」と「私」の関係
    ・「先生」と奥さんの関係
    ・「先生」とKの関係

    「両親」と「私」の関係は、とても共感した。「私」と同じく地方から東京に出てきている人はわかってもらえるんじゃないかと思う。作中で『儒者の家に切支丹の臭いを持ち込むように』という表現がある。生まれ育った実家に帰ったのに、どうも調和しない。数日もいれば、早く東京に帰りたくなる。そういう感覚は明治の時代から変わらないんだな、と思った。

  • 人間ってこんなもんだよねと、一部やりすぎだろ〜とは思うけど、それぐらいが丁度良くてわかりやすい。

  • タイトルは知ってたけど、読んだことはなかった本。
    今回読んでみて、素直に難しいと思った。
    けど先生の告発?の部分は読み進める度に惹かれるものがあった。

  • 40年ぶり位の再読になる。
    人生経験を積めば、それなりに読み方が深くなるという。
    まあ、自分に限って言えば、そんなことはありません。(笑)
    と言うものの、最初に読んだのが高校生の時で、今が50代になっているので、父の死を経験したりで、死が少しは身近なものになっている。

    面白いと思ったのは、「先生と遺書」の45。
    先生がお嬢さんを嫁にしたいと、母親に話す場面。
    母親の言葉が、「宜ござんす、差し上げましょう」という件。
    時代が今とは違うというものの、本人に確認もせずに、あっさりと決めており、思わず笑ってしまった。

  • 私は子供の頃、良い人間になりたいと切実に思っていました。
    学校の先生は、人に親切にする優しい人間、
    人の痛みをわかる人間になりなさいと
    口すっぱく言っていたから、
    そういう良い人間になろうと思っていたのでした。
    そしてそれは容易なことだとも思っていました。

    大人になったからよくわかるのだけど、
    人に親切にし優しく、
    他人の痛みをわかるということは一筋縄ではいきません。
    自分が親切と思ってやった行為が他人を傷つける行為になったり
    他人の痛みと自分の痛みを平等に見極めることは
    とっても難しいことだと思います。
    勿論、傷つけたくはない、でも自分が傷つくことも怖いのです。

    こころを再読して、そういうことを考えていました。
    だれが先生を責められるでしょうか。
    自分がこうありたいと思う理想の自分と
    自分が行う行動とが必ずしも一致しないことを
    大人になるたび、切と感じます。
    今もわたしは良い人間になりたいと
    心から思うけれども
    そうはうまくいかないだろう、ということも
    きちんと解っているつもりです。
    そうして、そんな自分を
    追いつめたりしないぞ、と思っています。

  • 同郷の親友的存在である先生にお嬢さんを奪われた惨めさと、自分のお嬢さんに対する恋心を先生に打ち明けていた恥ずかしさ。
    初めて『こころ』を読んだ高校生の自分は、惨めさとか恥ずかしさからKは自殺したと思っていた。
    今回読み直してみて思ったことは、惨めさや恥ずかしさももちろんKの自殺の要因のひとつではあるけれど、それだけでもないのでは、ということ。

    実家と養家を騙して自分のやりたい勉強をしている後ろめたさ、ほとんど人と関わらない孤独、思い込みの強い性格。
    お嬢さんへの恋心と先生に対する複雑な気持ちとは別に、Kを苦しめる要因はいくつもあったように思える。Kは今でいうところの鬱病か統合失調症だったのではないだろうか。
    だからこそ、暗闇のなかで出会った光、お嬢さんに依存しようとしていたのではないだろうか。

    先生から手紙を受け取った「私」が、もし自殺前の先生に会えて「Kさんはもともと精神を病んでたんじゃないですか。先生がお嬢さんと結婚を決めたから自殺したなんて、自意識過剰かもしれないですよ」なんて言ったとしたら、先生はどんな顔をしただろう。

    Kも先生も同じで、精神を病んで死ぬ理由を探していたところにちょうどいい理由を見つけた、ということなんじゃなかな、と思った。
    Kが失恋だけで死んだなんて認めないぞ。失恋で死ななくちゃいけないなら自分は何回も死ななくちゃいけないことになるし、人類は自殺過多で絶滅してしまう。
    色んな要因が重なった結果、Kは死んだ。そうでなくちゃやりきれない。
    自分は絶対に失恋なんかで死なないぞ。もっと別の理由で死ぬ。そして、遺書を残すときはKの遺書の最後から引用するつもりだ。
    「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」と。

  • 高校の時の現代文の教科書には後半のKの話の、特に大事な部分が載っていたので興味を持ったけれど
    、最初からちゃんと読んでみると先生の過去がなかなか分からない感じにサスペンスのような要素もあって面白い。

    吉永みち子の解説?には先生のことをインテリ症候群(?)のように書いてあって、確かにそんな気もするけど、先生のような境遇の人だとそうなっても仕方がないかもしれません。
    「人間らしくて」私は好きです。

  • 一体何度目の再読なのか。
    高校生で読んで以来、度々読み返しているのだけど、その度に胸を突かれる言葉や読後感が変わる。
    今回は「時代」を一番強く感じた。
    明治維新後、自由で独立した個人の第一世代となった先生やKは、そのことに自負を持っていただろうし、前時代の人々や彼ら一部知識人以外の大衆に対して優越感も持っていただろうが、それが重荷に、強迫観念にすらなってもいたのではないかと思う。
    まだ概念だけが空回りしていた頃、独立と孤立の区別がつかなかったのも仕方ない。
    仕方ないが哀しい。
    と言ってもこれは現在にも通じることで、見物人としてではなく共感した半当事者として、読んでいて痛みを覚えた。
    Kは実際の帰属先としての家と、精神の帰属先としての道を失って死んだ。
    先生は、天皇の死によって、何にも帰属していないと思っていた自分が明治という時代には帰属していたのだと気づき、終わらせるきっかけを得た、そんな風に今は思う。
    哀しい。

    でも誰より静が好きな私は、先生もKも背中蹴っ飛ばしてやりたいけどね!ばかばか!

全361件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

夏目漱石(なつめ そうせき)
1867年2月9日 - 1916年12月9日
江戸・牛込馬場下(新宿区)生まれの小説家、評論家。本名は「夏目金之助」(なつめ きんのすけ)。1890年、帝国大学文科大学英文科に入学。1895~96年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。1900年、イギリスに留学。1905年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載し始め、作家活動を本格的に開始。1907年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などの代表作を連載。日本の文学史に多大な影響を与えており、作品は多くの人に親しまれている。学校教科書でも多数作品が採用されている。

夏目漱石の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
吉本ばなな
有効な右矢印 無効な右矢印

こころ (集英社文庫)を本棚に登録しているひと

ツイートする
×