存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

制作 : 千野 栄一 
  • 集英社
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本棚登録 : 3000
レビュー : 263
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087603514

作品紹介・あらすじ

本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇-。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?甘美にして哀切。究極の恋愛小説。

感想・レビュー・書評

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  •  重いはずの人間、重くなれるはずの人間、重くあっていいはずの人間が、軽いということがわかってしまったときの絶望感。女も軽い。ただのたまったものを吐き出す痰壺であり、ペニスでもって女の物語の歴史の一部になって、自己満足するためにやってるのだ。その女の過去に同意のうえペニスを挿入しましたという事実をつくることを目的としており、それにより世のほかの人間へのマウンティングへもつながる。女性をセフレかやり捨てする場合、痰壺・攻略自慢・ものとして扱うことで自分がものでないように思えるための道具・フォローの言葉を入れることで自分のコミュニケーション力を再確認する、みたいなものである。そして歴史も軽く、国は簡単に滅ぶ。一部の人間によって思い通りにもなるし、消え去りもする。行き当たりばったりで、国も歴史も、再現性もないし、科学的もでもない。一番重い存在でも軽い存在でもなく、存在らしい存在だったのは飼っていた犬だけだった。
     タイからカンボジア国境に行って、地雷を踏んだカメラマンが飛び散ってドイツ人男性歌手とアメリカ人女優と白い旗に血の雨が降る場面とかが印象的だったが、特に良かったのは以下の文。

    P336
    フランツは急に大行進が終わりにきたということを感じた。ヨーロッパのまわりには静けさの国境がはりめぐらされ、大行進がそこで行われている空間は惑星の真ん中の小さな舞台以外の何物でもない。かつて舞台のまわりにおしかけた群衆はとっくに顔を他所に向け、大行進は孤独で観客なしで進行している。そうだ、とフランツは自分にいう。世界の関心が失われようとも、大行進はさらに進んでいく。しかし、それは神経質になり、熱狂的になる。昨日はベトナムを占領するアメリカ人に反対し、今日はカンボジアを占領するベトナムに反対、昨日はイスラエルを支持し、今日はパレスチナ人を支持し、昨日はキューバを支持、明日はキューバに反対、そして、常にアメリカに反対する。あるときは大量殺戮に反対。あるときは大量殺戮を支持。ヨーロッパは行進を続け、次々とおこる事件のリズムに遅れないように、その一つも逃さないように、歩みをますます速め、ついに大行進は突進する人たちの行進となり、舞台はだんだん小さくなって、ある日寸法のない単なる点となるのである。

  • 「人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。」
    ニーチェの永劫回帰から始まって、ここに辿り着く。小説の構造自体がこの憧れた繰り返しに倣う。
    Einmal ist keinmal 一度は数のうちに入らない と引用されるドイツ語の諺が、タイトルとイコールになり、ダンスの夜に幸福の内に終わる、その後を知っているからこそ尚更、幸福を感じる、というのは最初の引用の通り。ケッサク。

  • これは小説の顔をした哲学書ではないだろうか。「恋愛小説」と銘打ってあるが、それを期待して読むべきではないと思う。

    さて、本書はニーチェの「永劫回帰」という概念から出発する。そして物語を通じて我々は「重さと軽さ」について登場人物たちの人生に触れる形で考えていくことになる。
    冒頭で問いが投げかけられている。
    「重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?」(p9)
    これについての答えは明確には出されていない(なんとなく著者は重さを肯定的に見ているように感じるけれども)。しかし我々がそれを考えるヒントなら、作中の二人の女、テレザとサビナの人生という形で提示されている。テレザが重さを、サビナが軽さを象徴しているのだ。
    冒頭、重さについて。「その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。」(p9)
    軽さについて。「それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。」(p9)
    まさにこの通りにテレザはトマーシュという愛の重荷に苦しみしかし耐え続けて生きて死に、サビナは裏切りの旅路の果てに限りなく軽くなった。
    物語のラストの方ではっきりとこう書かれている。
    「テレザとトマーシュは重さの印の下で死んだ。彼女(筆者注:サビナ)は軽さの印の下で死にたいのである。彼女は空気より軽くなる。これはパルメニデースによれば、否定的なものから肯定的なものへの変化である。」(p344)
    テレザ(とトマーシュ)はトラックに押しつぶされて死んだ(重さの印)。サビナは火葬されその灰を撒布されて死ぬのだった(軽さの印)。
    おそらくはテレザとトマーシュが死ぬことになる直前、彼らは人生の終点で悲しみと、そして幸福を味わっていた(「悲しみは形態であり、幸福は内容であった」p395)。これが重さの末路だった。私には肯定的なものだとは思えないが、確かに彼らは真実味を帯びた、地に足付けた太く濃い人生を生きて何がしかのはっきりと重みを持ったものを得られたとは思う。

  • 対照的な、テレザとサビナ。彼女達には幸せを感じる芯の部分に「重さ」を据えるか「軽さ」を据えるかの違いがあるようにみえます。

    ですが両者とも「重さ」には責任が伴い、「軽さ」には空虚さが伴う事を自覚し、苦しんでいる所は共通します。

    対して、トマシュとフランツ、男性2人は、無責任な方が、愛に気付いたときに「重い」最後を迎え、 完璧なタイプの方が、自ら崩壊して哀れともいえる死を遂げます。

    しかし2人とも政治的にスポイルされ死んだようなもので、本音のトマシュはソ連の傀儡となった国家に反動したのだし、大人しい学者のフランツはヨーロッパの安全な所にいる自分に嫌気がさしたのかデモに参加して危険な目にあうのですから。

    4人それぞれの考えや生き方が自分自身の一部にあり、読むのに時間はかかりましたが深くて楽しい小説でした。

    • Curtさん
      内容は良かったですが、私も同じく、読むのに時間がかかる本でした。
      内容は良かったですが、私も同じく、読むのに時間がかかる本でした。
      2015/10/09
  • 再々読。何度読んでも本当に素晴らしい。人は己の存在の軽さにも、重さにも決して耐えられるものではない。それを克服するには存在の絶対的同意が必要であり、キッチュなものの中へ潜り込まなければならない。しかしキッチュの俗悪さを認識している人にとってそれは受け入れ難い行為なのだが、皮肉なことにそうした人ほど己の軽さや重さにも自覚的なのである。そして最後に塵に変える時、誰もがキッチュなものとして他者の記憶に留められることになるだろう。それでもカレーニンは微笑んでくれる。それは無条件で与えられる、絶対的肯定そのものだ。

  • 軽さと重さがテーマ。クンデラさんから見える世界は全て軽いか重いかに変換されていたのか?と思うくらい、物語とこのテーマは結びついている。

    内的な考察の描写が多くて、私自身がまだ未熟で理解できない箇所も多かった。
    あと、チェコの歴史を知らないから、勉強して数年時間を開けてからまた読みたいと思った。

    Es muss sein!(そうでなければならない!)も重要キーワード。
    偶然というよりも、なるべくしてなった、という後付けの考察。

    キッチュ(俗悪なもの)も第Ⅵ部で繰り返し出てくる。
    共産主義的キッチュにサビナは耐えられなかった。

    重さと軽さのように、両極端の性質をもつものの関係性について色々な視点から考察している。ストーリーが後付け的な、哲学書を思わせる作品。
    最後もよかった!

    おもしろい!

  • 「究極の恋愛小説」と謳われているけど、ここに書かれていたのは、愛のことだった。トマーシュとテレザ、サビナ、フランツたちの恋愛だけではなくて、テレザの恥じらいのない母親や、トマーシュの髪にデルタのにおいを付けた女たちや、犬のカレーニンの、愛についての物語だった。愛はこれだ、と示すようなものではなくて、これが愛かもしれないと、読者が手探りしながら一行一行を辿っていくような、ながい物語だった。そのながさは、わたしの人生の中へものびていて、なので、きっとまた読み返すと思う。

  • ある女性におすすめされて読んだ。人生の一回性など、その子の思想に強く影響を与えてるのをヒシヒシと感じた。

  • 難解な本の代名詞のようになっている『存在の耐えられない軽さ』。この題名からして難解である。なぜ「耐えられない重さ」ではなく「軽さ」なのか。
    人間存在の一回性を「軽い」と表現したのは、ニーチェが永劫回帰を「もっとも重い荷物」と呼んだことに由来している。永遠に繰り返されるものが「重い」なら、一回限りのものは「軽い」。
    小説の中でしばしば引用されるのが、Einmal ist keinmalというドイツ語の諺である。一度しかなかったことは、一度もなかったのに等しい。この言葉に従うなら、一度きりの人生など、何の重みもない。
    どのような人生も、所詮は一回限りの現象でしかなく、永劫回帰という重荷の前では重さを失って、空気のように軽くなり、無意味なものになってしまう。
    もし人生を繰り返すことができるなら、いくつもあった分岐点に立ち戻り、果たしてどちらの選択が正しかったのか判断を下すこともできよう。しかし、同じ人生を二度生きることはできない。この軽さこそ、耐えられない軽さである。
    考えすぎだ。そうかもしれない。考えたくないなら、それも勝手である。だが、考えたくないということは、やっぱり人間は耐えられないのかもしれない。存在の軽さに。

  • クンデラの云う「軽さ」とは何か。重さと軽さを比較するとき、重さとは人々が重荷と感じることであるという。その場合の軽さとは「自由」に他ならないだろう。登場人物達は自由、すなわち軽さを求めるが、その世界は空虚で、軽さに触れた人々の心はとても不安定だ。自由を束縛された人々が追い求める軽さとは何なのか。そのテーマを様々は形で徹底的に追跡した奇跡的な作品ではないかと思う。

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著者プロフィール

1929年、チェコ生まれ。「プラハの春」以降、国内で発禁となり、75年フランスに亡命。主な著書に『冗談』『笑いと忘却の書』『不滅』他。

「2015年 『無意味の祝祭』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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